たぬきニュース  国際情勢と世界の歴史

海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

4巻52ー54章

2023-04-29 10:42:34 | 世界史

【52章】

この年は護民官がおとなしくしていたので、国内の混乱はなかった。翌年の執政官は Q・ファビウス・アンブストゥスと C・フリウス・パキルスだった。年の初めに、護民官  L・イキリウスが市民を煽動した。市民を煽動することがイキリウス家の人間の任務と彼は考えているようだった。彼は土地問題に関して提案を発表した。しかし疫病が発生し、人々の間に死に対する恐怖が広まり、中央広場において政治闘争をやっている場合ではなかった。人々は病気の家族ことで頭がいっぱいで、病人の看病で忙しかった。貴族階級にとっては、疫病のほうが土地改革より我慢できた。死者がまだ少ないうちに、ローマ市民は疎開した。飢饉のため農耕ができなかったので、翌年飢饉が発生した。これはしばしば起こることだった。新しい執政官は M・パピリウス・アトラティヌスと C・ナウティウス・ルティルスだった。飢饉は疫病より深刻な被害をもたらすと考えられたので、執政官は穀物の輸入を決定した。海岸に面したエトルリア諸都市とテベレ川沿岸のエトルリア諸都市に穀物買い付け人が派遣され、食料不足は緩和された。カプアとクマエを占領していたサムニウム人はローマの買い付け人に対し無礼なことを言って、交渉を断った。これとは対照的にシチリアの僭主はローマに寛大な援助をした。テベレ川を下って運ばれた穀物が最も多かった。疫病の結果、執政官は買い付け人を獲得するのに苦労した。それぞれの都市に一人の元老しか派遣できなかった。元老に同行した騎士も二人だけだった。疫病と飢饉の二年間、国内紛争はなく、外国との戦争もなかった。しかし疫病と飢饉が集結すると、いつものように国内紛争が再開し、外国との新しい戦争も始まった。

【53章】

翌年の執政官はマンリウス・アテミリウスとC・ヴァレリウス・ポティトゥスだった。アエクイが戦争を準備し、これにヴォルスキの志願兵が加わった。ヴォルスキは国家としては戦争に参加せず、志願者だけの参加だった。アエクイ軍とヴォルスキ志願兵がラテン人とヘルニキ族の領土に侵入したという報告がローマに届くと、執政官ヴァレリウスは徴兵を開始した。すると土地法を提案した護民官 M・メネニウスが徴兵を妨害した。護民官の保護下にあった平民は徴兵に応じなかった。この時、カルヴェントゥムの砦が占領されたという知らせが突然届いた。

(日本訳注;カルヴェントゥムという町はプラエネステの近くにあったことことしかわからない。プラエネステはローマの東35km)

元老院はこの屈辱的な事件をメネニウスに対する憎悪をかき立てるチャンスととららえた。メネニウス以外の護民官たちは土地法に反対しており、この事件は土地法に対して拒否権を行使する強い根拠となった。こうした逆風の中でもメネニウスは引き下がるつもりはなく、元老院と彼の間で激しい議論となった。両者の議論は果てしなく続いた。元老院は砦の占領と財産と人命の損失を指摘してメネニウスを批判した。「徴兵が妨害されたために、ローマは敗北した。この敗北と今後の敗北の全責任はメネニウスにある」。

メネニウスは大声で反論した。「ローマの国有地を不法に占拠している人たちが土地を返却するなら、私は徴兵の邪魔をしない」。

9人の護民官が執政官への支持を正式に表明した。

「護民官の一人が徴兵に反対しているが、我々護民官団は徴兵に賛成である。軍役を拒否した者に対し、執政官が罰金その他の処罰を課すのは当然である」。

護民官の保護を期待して徴兵を拒否していた市民は少数だったが、執政官は護民官団の決定を背景に、彼らの逮捕を命令した。残りの市民は恐れをなし、兵役を受け入れいた。ローマ軍はカルヴェントゥムの砦まで進むと、すぐに砦を奪回した。砦の奪回が容易だったのはアエクイの将軍たちの怠慢によるよるものであり、守備兵がほとんどいなかった。守備兵の多くが砦を抜け出し、略奪に出かけていた。絶え間ない略奪により獲得された大量の戦利品が砦に集積していた。執政官はこれらの戦利品を売却し、財務官がその収益を国庫に収めると決定した。執政官は付け加えた。「今後の戦いに参加した兵士に収益の一部が支払われる」。

この言葉を聞いて、平民の兵士たちの怒りが限界に達した。彼らはおとなしく従軍したものの、内心では執政官を嫌っており、怒ってもいた。

砦の奪還に成功した執政官に、元老院は賛辞を贈った。ローマ軍が首都に帰還すると、兵士たちは執政官を侮辱する言葉を合唱した。これは大変無軌道な行為だったが、珍しいことではなかった。護民官メネニウスは兵士の合唱のあいまに兵士を激励する言葉を発した。メネニウスが叫ぶたびに、見物人たちは喜びと称賛の声を上げ、兵士の声がかき消されるほどだった。人々が集まってきて群衆となった。兵士の無軌道な言動はよくあることだったので、元老院はそれほど心配しなかったが、多くの見物人がメネニウスへの支持を熱狂的に表明したので、元老院は不安になった。もしメネニウスが執政副司令官に立候補するなら、間違いなく当選するだろう。元老院はこれを避けるため、翌年の最高官を執政官とした。

【54章】

翌年の執政官に選ばれたのは、クナエウス・コルネリウス・コッススと L・フリウス・メドゥリウスだった。最高官が執政副司令官とされなかったことに、平民はこれまでないほど怒った。彼らは財務官の選挙の際に復讐した。その結果初めて平民の財務官が誕生した。財務官の定員は4人だったが、3人の平民が選ばれ、貴族は一人だけだった。当選した平民は Q・シリウス、P・アエリウス、P・プピウスであり、当選した貴族はカエソ・ファビウス・アンブストゥスだった。

(日本訳注;quaestorは財務官と訳されているが、実は法務官の仕事もしている。紀元前367年に法務官(praetor)という役職が新設されるので、praetorと区別する意味で財務官と訳した。praetorが新設されるとquaestorは下位の役職となった。quaestorを次官と訳すことも可能であるが、紀元前367年に次官補に格下げされるので、混乱する。(日本訳注終了)

平民が三人も財務官に当選し、ローマの高名な家族に属する貴族たちが落選してしまった。ある記録によれば、選挙において平民が独立性を発揮するよう働きかけたのはイキリウス家に人間である。イキリウス家は貴族階級に真っ向から挑戦してきた。イキリウス家の三人がこの年の護民官になっていた。彼らは多くの重要な改革を提唱して、護民官に当選していた。人々は彼らの改革案に大きな期待をかけていた。三人は市民に向かって次のように宣言した。「あなたがたが長年望んできたことを実現するためには、あなたがたの決心が必要である。財務官の選挙において、あなた方が決意を見せないなら、我々は一歩も前進できない。いくつかの法律のおかげで、平民が財務官になることが可能になった。元老院が平民の立候補を認めたのである」。

平民が財務官に立候補できることを、人々は素晴らしい勝利と認めていた。しかしこれはあくまで第一段階にすぎなかった。平民の最終目標は執政官に立候補できるようになることだった。一方で貴族は平民に財務官への道が開かれたことに怒っていた。国家の栄誉の一つを平民に与えることはすべての栄誉を平民に与えることに等しい、と貴族は考えていた。「もしそのようなことが当たり前になったら、子供を育てることが無意味になる。我々の子供たちは我々の父祖が占めた地位に就任できなくなる。他の者たちが我々の父祖の地位を独占し、我々の息子たちはすべての権威と権力から除外されるだろう。息子たちは軍神マルスの神官や他の神官になれなくなり、残された仕事は国民のために生贄をささげることぐらいだろう」。

平民も貴族も興奮し、歯ぎしりした。平民のために戦ってきたイキリウス家の三人が護民官になっていたので、平民は高揚していた。これに対し、貴族も必至だった。貴族にとって財務官の選挙での敗北は衝撃であり、他の官職の選挙も同じ結果になることを恐れた。平民が選挙の主導権を握る時代が来るなら、貴族は滅亡するだろう。彼らは翌年の最高官を執政官とすることを絶対の命題とした。平民は執政官になれなかったからである。これに対し、イキリウス家の三人は翌年の最高官を執政副司令官にするよう要求した。そして三人は言った。「遅かれ早かれ、平民が最高官になる日が来るだろう」。

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4巻49-51章

2023-04-18 17:54:10 | 世界史

たぬき

【49章】

翌年の執政副司令官は P・コルネリウス・コッスス、C・ヴァレリウス・ポティトゥス、Q・クインクティウス・キンキナトゥス、ヌメリウス・ファビウ

ス・ヴィブラヌスだった。この年は二つの戦争が起きたかもしれないが、ヴェイイの指導者が宗教的な理由で戦争を延期したので、戦争にはならなかった。もう一つの戦争はローマの属地ラビクムへの攻撃だったが、ラビクムが撃退してしまった。

テベレ川の氾濫によってヴェイイの農地が被害を受けた。氾濫の主な原因は、テベレ川沿岸の農家の建物を撤去したことがだった。アエクイ族の町ボラ(場所不明)がラビクムの領土に隣接する土地に侵入した。彼らは人植したばかりのローマ人を攻撃した。このような行為はローマとの戦争を引き起こすはずだったが、そうなれば同族のアエクイが救援に来ると、ボラ兵は胸算用していた。しかし彼らは当てが外れた。三年前に手痛い敗北をしたアエクイは戦うつもりがなかった。ボラ兵はラビクムを包囲したが、当てにしたアエクイ軍が来ずに、敗退した。ラビクムの取るに足らない反撃によって彼らは敗れた。これは記録する価値もない小さな戦闘だった。護民官 L・セクスティウスがボラに植民者を派遣することを提案した。最近ラビクムにローマの植民地ができたので、ボラにも植民地を得ようとしたのである。しかし同僚の護民官たちが、元老院の許可無しに平民が決議することに反対し、L・セクスティウスの計画は実現しなかった。

 

翌年の執政副司令官は クナエウス・コルネリウス・コッスス、L・ヴァレリウス・ポティトゥス、Q・ファビウス・ヴィブラヌス、M・ポストゥミウス・レギッレンスィスだった。Q・ファビウスは二度目の就任だった。アエクイが再びボラを占領し、この町に再び植民者を送り込み、防衛を強化した。M・ポストゥミウスがアエクイとの戦争を指揮することになった。彼は戦争中より勝利後に、頑固で激しい性格を発揮する人間だった。急いで編成された軍隊を率いて、ポストゥミウスはボラに向かった。小競り合いで、アエクイ軍の戦意をくじいてから、ローマ軍は町の中に進んだ。これ以後 M・ポストゥミウスにとってアエクイ軍は敵でなくなり、ローマ市民が敵となった。ボラの町を攻撃していた時、彼は「戦利品は兵士に与える」と言っていたが、町を占領すると彼は約束を破り、兵士に戦利品を与えなかった。兵士はポストゥミウスを憎むようになったと考えざるを得ない。兵士は戦利品の少なさに怒ったのではない。ボラの町は少し前アエクイによってを略奪されたばかりだりだったので、ローマ軍に残された戦利品は少なかったとしても、ポストゥミウスはそれらを兵士たちに与えるべきだった。

ポストゥミウスがローマに帰還すると、同僚の執政副司令官たちによって尋問された。市民集会における馬鹿げた発言、正気とも思えない発言が引き金となり、ポストゥミウスに対する市民の感情がさらに悪化した。これをチャンスと見た護民官が市民を煽動したため、ローマ市内は大変な騒ぎとなった。護民官セクスティウスが土地法を提案し、次のように述べた。「この法律の条項の一つはローマ人によるボラへの入植を定めている。ボラを征服した兵士たちはこの町と領土を所有する権利を持っている」。

護民官の発言に、ポストゥミウスが怒り、大声で叫んだ。「こんなことを兵士が言ったら、ただではすまない」。

市民を前にしてポストゥミウスが兵士を脅迫したことを知り、元老たちはショックを受けた。護民官セクスティウスは賢く、演説もうまかった。横柄で、喧嘩腰の物言いをするポストゥミウスが彼の発言に腹を立て、怒りの言葉を発したのだった。その話の内容が人々を怒らせ、彼と彼の考え方が憎まれただけでなく、貴族階級に対する憎しみが強まった。護民官セクスティウスが市民集会において執政副司令官と言い争うことはなく、ポストゥミウスとの口論は例外だった。セクスティウスがポストゥミウスを口論に引きずり込んだのは冷静な作戦によるものだった。ポストゥミウスが野蛮で乱暴な発言をすると、セクスティウスは市民に向かって言った。「市民の皆さん、わかったでしょう。この男はローマの兵士たちを奴隷のように見ているのです。彼らを処罰すると言って脅したのです。この男は高い地位にふさわしいでしょうか。それに比べ、我々護民官は市民のための政策を実現しようとしています。あなたたちは植民者として送られ、都市とその領土を受け取るのです。老後の休息の場所を受け取るのです。我々は皆さんの利益のために果敢に戦っていのです。野蛮で横柄な連中と戦っているのです。あなた方市民のために戦う人間がほとんどいないの乃はなぜか、よく考えてください。答えは、努力しも負けるからです。市民のために戦おうとする者が必要とするのは何でしょう。高い地位ではないしょうか。あなた方はそれを自分たちの敵に与え、ローマ市民のために戦う勇者にはそれを拒否しているのです。たっつた今この男の暴言を聞いて、あなた方は怒りの声を漏らしたではないですか。それなのに、その怒りはいかなる結果ももたらさない。選挙になれば、あなた方はこの男に投票する。市民に向かって処罰すると脅す男に投票する。あなた方に土地と家と財産をもたらそうと努力する人間には投票しない」。

【50章】

執政副司令官ポストゥミウスの暴言が軍隊に伝えられると、兵士たちは陣地にいた時より怒った。「何だと。戦利品を横取りした盗人が兵士を処罰すると脅しただと」。

兵士たちは怒りを口にするほど感情が高ぶっていたが、法務官 P・セスティミウスは威圧すれば兵士たちはおとなしくなると考えた。法務官はポストゥミウスと同じように高圧的だった。叫んでいる兵士に対し、最高官の護衛兵が差し向けられた。すると他の兵士たちが仲間を守ろうとし、大騒ぎととなった。法務官が石で殴られ、群衆から逃げ出した。法務官を殴った兵士が叫んだ。「司令官が兵士を脅したように、俺は法務官を脅しつけた」。

事態を収拾するため、執政副指令官ポストゥミウスが派遣された。彼は徹底的に犯人を調べ、厳しく処罰したので、兵士たちの怒りが増大した。ポストゥミウスの命令が執行されそうになると、多くの兵士が周囲に集まった。処刑が始まると、死刑犯たちが悲鳴を上げた。兵士たちは処刑を妨害しようとした。するとポストゥミウスは演壇から下りて、駆け寄った。護衛兵と百人隊長たちは乱暴に兵士たちを追い払うとした。兵士たちがポストゥミウスに向かって石を投げ、ポストゥミウスに投石が降り注ぎ、彼は絶命した。司令官が兵士たちによって殺されたことがローマに報告されると、執政副司令官たちは同僚の死について調査するよう、元老院に求めた。すると護民官がこれに反対し、拒否権を行使した。この問題は別の問題から切り離せなかった。護民官は事件の調査を恐れると同時に、殺害された執政副司令官を非常に憎んでいたので、おとなしく引き下がるつもりはなく、自分たちで新しい執政副司令官を選ぶつもりだった。元老院はこのような事態を回避するため、翌年の執政官の選挙に向けて努力した。その結果暫定最高官が任命された。元老院は目的を果たした。

【51章】

Q・ファビウス・ヴィブラヌスが執政官の選挙を管理

した。執政官に選ばれたのは A・コルネリウス・コッススと L・フリウス・メドゥリウスだった。二人の就任後まもなく、元老院は護民官に以下の権限を与えた。「ポストゥミウスが死亡した問題について、護民官はできるだけ早い時期に平民による裁判を開催しなければならない。その際、平民が審問官を選んでよい」平民は全会一致で執政官に審問を委ねた。裁判の結果は、非常に寛容な、抑制された処罰だった。処罰された人数は少なかった。また犯人の一部は自殺したと考えられる有力な証拠がある。しかしながら平民は死罪より軽い刑を期待していた。平民のための土地法は実現せず、処刑は貴族が望む通りに実行されたので、平民は不満だった。反乱に対する処罰は終了したが、平民をなだめる必要があった。平民への政治的配慮により、ボラの土地を平民に分配すべきだった。元老院がこれを決定していたら、土地法の制定を求める平民の要求は弱まっただろう。すでに述べたように、土地法が実現すれば、国有地を不法に占拠していた貴族は土地を失うのである。元老院が平民の不満に配慮しなかったために、平民は貴族による不当な支配と受け止めた。貴族は暴力を用いてでも国有地の占拠を続ける決心をしている一方で、最近獲得された領土を平民に分配することを拒否した。最近獲得された土地は他の土地と同様にやがて少数者のものとなるのである。

この年ヴォルスキがヘルニキの土地を略奪していたの

で、執政官フリウスは軍団を率いて出発した。現地に着くと、ヴォルスキ兵が見当たらなかったので、執政官はフェレンティヌム(ヘルニキ地域南東端)に向かった。大勢のヴォルスキ兵がこの町に逃げ込んでい

た。ローマ軍はフェレンティヌムを占領した。予想に反し、戦利品は少なかった。夜の間にヴォルスキ軍は町から撤退し、獲得した物を持ち去っていた。ローマ軍が町に入った時には、町は荒廃していた。フェレンティヌムとその領土はヘルニキ族に与えられた。

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