『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

2016.7.6 『滋賀・京都プチ見参!』 その1

2016-07-18 | 神社おそうじ隊 2016

『建部大社 近江国一之宮』

式内社 官幣大社
御祭神 ヤマトタケルノミコト(日本武尊・倭武命)
8月に行われれる船幸祭で知られる。

前夜、滋賀・大津の瀬田の唐橋のすぐ近くのAさんのご実家にて、セッション。
美味しい鳥料理をいただき、そのまま現地に宿泊。
翌朝、京都に向かうその前に参拝。

相変わらず境内は掃き清められ、地元の方の参拝も絶え間ない。

一之宮というのは、一般的には「その地域(国)で最も社格の高い神社」といわれます。
しかし、こうして日本各地で参拝してみると、時に荒廃して「本当にここが一之宮なの?」という神社もあるし、また参拝者の多い「一之宮」では、時に不遜とも思える態度をとられることもままあります。

ただ淡々と、日々のお祀りに勤しむ。
『建部大社』を参拝させていただくと、その事の意味を感じさせていただきます。



『北野天満宮』

全国約1万2000社の天満宮、天神社の総本社。
菅原道真公をご祭神としてお祀りし、天神信仰発祥の地として知られる。


楼門と拝殿の間に建つ『三光門』
「星欠けの三光門」として天満宮の七不思議の一つに挙げられていますね。
副長のこの記事において、その不思議は解明。
星は、ウサギに挟まれていました。


   




『大将軍八神社』

「当社は平安京造営の際、陰陽道に依り大内裏(御所)の北西角の天門に星神 「大将軍堂」を建て 方位の厄災を解除する社として創建されたという。創建当初は陰陽道のお堂として建てられた為「大将軍堂」と称し江戸時代に入り 大将軍村の鎮守社として祀られる様になった。又、その頃からそれまでの北斗妙見信仰から太白精の信仰に移り暦神と習合して 「大将軍八神宮」とも称した。

祭神は古来の日本の神ではなく大将軍一神を祀っていたが、 明治時代に「神仏分離令」によって 神道を国教とし現在の形「素盞鳴尊、その御子五男三女神、並びに 桓武天皇を合祀」となり、御子八神と暦神の八神が習合して以後社名は「大将軍八神社」という。

祭神を素盞鳴尊とした理由は 、 1433年伏見宮貞成親王の日記「看聞御記」より、大将軍堂は1340年から約100年の間祇園社 (現 八坂神社)の管理下にあった。 八坂神社の祭神が素盞鳴尊であり、 その神格が大将軍神と似通っている事から関連付けられたと思われる。」
(「大将軍八神社」ウェブサイトより抜粋)




『今宮神社』

中御座 : 大己貴命(おおなむちのみこと)
東御座 : 事代主命(ことしろぬしのみこと)
西御座 : 奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)

「当社地には平安建都以前より疫神(えきしん)を祀る社があったといわれる。建都ののち平安京が都市として栄える一方で、人々はうち続く疫病や災厄に悩まされ、これを鎮めるため神泉苑、御霊社、祗園社など各地で盛んに御霊会(ごりょうえ)が営まれた。今宮社の紫野御霊会もその一つである。すなわち、一条天皇の御代正暦五年(994)六月、当社地の疫神を二基の神輿に齋いこめて船岡山に安置し、神慮を慰め奉って悪疫退散を祈った。これが紫野御霊会であり今宮祭の起源である。」(「京都神社庁」ウェブサイトより抜粋)

通称「玉の輿神社」。

あぶり餅、食べ損ねました…




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2 コメント

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有難うございます♪ (え?)
2016-07-21 19:58:10
いつも有難うございます。
あぶり餅の歴史はかなり古いようです。
次回は、ぜひ♪
そして、三井寺の力餅も食しにいきましょう♪♪
返信する
コメント、ありがとうございます。 (田村)
2016-07-21 20:27:37
あぶり餅も力餅も、寺社との関わりの中で育まれてきた伝統の味、ですね。

その機会を楽しみに

ありがとうございます。
返信する

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