『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

2013.5.11~13 指南塾@仙酔島合宿 その後2

2013-05-31 | 2013年

原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)
建立の目的
「世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を、平和都市として再建することを念願して設立したもの」
碑文
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」(雑賀忠義)
翌朝(五月十四日)。
朝、この公園にてスタート。



広島のランドマークのひとつでもある、「広島アンデルセン」にて朝食。
…「爆心地から東方360mに位置し、爆風によって大破、さらに火災によって全焼。爆心側の西壁は大半が崩壊し、北壁は亀裂を生じ屋根の半分が落下。この建物の破壊が徹底的であり印象的であったため、一時は、被爆地ヒロシマの象徴としてこの建物を残すか、産業奨励館(現原爆ドーム)を残すかの議論が交わされました。」(「広島アンデルセン建物の歴史」より抜粋)


朝のセットを美味しくいただきながら、今日の予定は決まっていきます。




『空鞘稲生(そらさやいなお)神社』
御祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、宇気母智神(うけもちのかみ)、和久産巣日神(わくむすびのかみ)。
五穀のカミサマですね。


境内末社「稲生(いなり)神社」。

同じく境内末社「幸(さち)神社」。

境外摂社「西本川濱恵美須神社」。



『比治山神社』
別表神社。
御祭神は、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)を主祭神とし、少名毘古大神(すくなひこなのおおかみ)、建速須佐之男大神(たけはやすさのおのおおかみ)、市寸島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)、車折大明神(くるまざきだいみょうじん)。









邇保姫(にほひめ)神社
御祭神は、爾保都比売神(にほつひめのかみ)を主祭神とし、帯中津日子神(仲哀天皇)・息長帯日売神(神功皇后)・品陀和氣神(応神天皇)を配祀。
もともとこ仁保は島であり、約千六百年前頃に、神功皇后がこの海道を通られ、邪気払いのため白羽の矢を射られそれが香護山に当たった…という創建の由来。
邇保都比売神は、神名から丹生都姫神と同神とされる。




ここから、一気に広島県呉市まで。


『亀山神社』
主祭神
帯中津日子命 (十四代仲哀天皇) タラシナカツヒコノミコト
息長帯日売命 (神功皇后)     オキナガタラヒメノミコト
品陀和気命 (十五代応神天皇)  ホンダワケノミコト

相殿神
高御産巣日神   タカミムスビノカミ
奥津比賣命   オクツヒメノミコト
奥津日子命   オクツヒコノミコト
萬幡豊秋津師比賣命   ヨロズハタトヨアキツシヒメノミコト
久久能智神   ククノチノカミ
火之加具土神   ヒノカグツチノカミ
宇気母智神   ウケモチノカミ
天吉葛神   アメノヨサヅラノカミ
伊賀古夜比賣神   イガコヤヒメノカミ
  
軍港都市として栄えた呉市の『氏神様』として尊崇されている。
呉湾を一望に見晴らす高台に鎮座。




…たまにあることだけれど…
境内に入った途端、強烈に足を捻り、挫きました。

塾生の方々にはふだんから口にしていることのひとつに
「足捻って挫いても、その瞬間から数分なら造作なし」
というのがありまして…

有言実行、自分で処置してほどなくフツウに歩けました。
だからといって、捻らないにこしたことはありません




ここから、一気に江田島に。




目指したのは、西能美島の夫婦岩と呼ばれる巨石。
ところが、行ってみたらば…


崩壊していました・・・
以前のままであれば、この上に数段重なり、とても常識的には考えられないような造形をしていたのです…が。。。

もうひとつの目的地。

入鹿明神社
ご祭神は、上津綿津見神ほか二柱。
創建に関していろいろな伝説がありますが、なかでも「一匹の鹿が榊の枝をくわえて厳島からこの地へ来たことから、里人が社を建て厳島明神を祀った」というものが有名、ということ。





帰路に着くなか、参拝させていただけたのが…


『江田島八幡宮』
数千年以前からここに鎮座していたと推測される神社で島の総氏神。
御祭神は、帯仲津日子命(仲哀天皇)、品陀和気命(応神天皇)、息長帯日売命(神功皇后)
相殿として、鷹宮大神(たかみやだいじん)、厳島明神、熊野権現








古鷹神社。



帰路はフェリーで。



…ということで、今回の「合宿プラス広島・江田島巡拝」は無事終了。
ここでも、運転と案内をしていただいた広島在住Kさんに、まずは感謝を
フツウは一日ではまず行かないだろう、と思われるようなこの道行き。
Kさんのエネルギッシュさがなければ、こうはならなかったでしょう。。
本当に、ありがとうございます。

また、同行となった二名の方々も、予想通りのタフさと好奇心
ヒトというのは、機会さえ与えられれば、いかようにもタフになれるのだな、と改めて…
ありがとうございました


ちなみに、今回の合宿参加者の皆様
合宿の「裏のテーマ」は、あのテキストにすべて顕れておりますので、よろしければ再度眺め、裏のテーマについて想いを巡らせてみてくださいね

みなさま、本当にお疲れさまでした
そして、ありがとうございました



2013.5.11~13 指南塾@仙酔島合宿 その後1

2013-05-27 | 2013年

『高諸神社』(福山市)。
御祭神は、須佐之男命 と通称「おつるぎさん」と呼ばれる劔比古神。













合宿終了後、広島市内への移動途中に参拝させていただいた神社。
鎮座地は今でこそ内陸であるが、元々は島であったという。
創祀は伝承によれば白鳳五年(676)、式内社でもある古社である。


そして、Kさんのご実家へ到着。
そこで待っていたのは…


ロロさん。
横浜から遠隔では何度か交流させていただいていたものの、実体では初の対面
おとなし~く、受けていただけました。
そして、

チンチラのかーちゃん。
身内がみな亡くなってしまい、だいぶ寂しかった様子。

人間から動物といわれる彼女たち。
気による生命エネルギーへの介入。
自己治癒能力による改善度合は、たぶん人間のソレより数倍高いような気もいたします。
ヒトの場合は、痛みや疾病のその大部分をアタマで形成しますが、動物はそのアタマで生きていないからでしょうか…。

このあと、ご両親、そして地元のご友人の「均整ノ術」セッション。
何かしらのお役に立てたのでしたら、幸いです。

ご友人に、今夜の宿まで車で送っていただき(ありがとうございます)…。


広島市中区の「人有喜 蔵」で、今夜に感謝。
料理もお酒も、グッドでした

宿への帰路途中、『白神社』に参拝。
これもまた御縁。


そして翌日…「やっぱりこうなるな…」という、案の定の行程に…。


2013.5.11~13 指南塾@仙酔島合宿 その4

2013-05-25 | 2013年

広島県福山市の鞆の浦は、瀬戸内海に張り出した沼隈半島に位置し、旧き街並を色濃く残し、史跡も数多く残っています。
シンボルでもある「常夜燈」(とうろどう=燈籠塔)は、「安政六年己未七月」(1859年)に建造され、港町の海上安全を支えてきたといいます。



最終日、早朝。
朝6時からの一番風呂に。
海水を汲み上げて沸かした「海水風呂」は、思いのほかベタつきもせず、大変に気持ち良い案配でした。


焼き魚を始めとした朝食を食べ、

最終日ということもあり、余興も兼ねたちょっとしたワークを。

このワークで、合宿は(とりあえず)終了。
みなさま、本当にありがとうございました。

チェックアウトをすませ、島を出る前に山登り。

中弥山山頂には、住吉神社の祠が。

無事、全員船に乗り、鞆の浦へ。

初合宿。
ふだんの日常とは、まったく異なる気の佇まい。
祭りの最中ということもあり、静寂という感じではなかったにせよ、いわゆる喧噪とはかけ離れた異空間。
「合宿」というと、思わずどこかの体育会系的なあれやこれやを連想されることもあったかと思いますが、私的にはそういう「合宿」にするつもりは毛頭なく…。

次回以降は、さらにさらに趣向を凝らしていきたいなと、思っております。
…まあ、あれば、ですけれど



新幹線まで、あとしばし。
時間の許す限り、鞆の浦散策…。


こうした町並みがそこかしこに溢れていました。

90才のご婦人が焼かれている「お好み焼き」、まさにソウルフード。

826(天長3)年に弘法大師・空海によって開基されたと伝えられる『医王寺』
鞆湾の全景を一望できる高台の上にあります。

医王寺に向かう坂の途中にある鳥居。
プレハブの建物は挟み、祠が残ります…。

鳥居と道を挟んだ場所にある『ギャラリー&カフェ さらすわてぃ』。

コーヒーと自家製ケーキのセット。
女性陣は、作家ものの器や洋服で大わらわ…。

…といったところで、今回の合宿は無事終了しました。
帰りの新幹線にもみな間に合ったようで、何より。。。


そして、
私は、広島在住の塾生さんのご家族&ご友人の「均整ノ術」セッションのため、一日延泊。
…そこに、「そういうことなら…行きましょう」という2名の方とともに、広島市内までの帰路は巡拝ロードに。



ここから、神社巡拝のスタートとなりました。。。


2013.5.11~13 指南塾@仙酔島合宿 その3

2013-05-23 | 2013年


『鯛網』
外洋で冬をすごした鯛は、初夏産卵のため鞆の浦沖へやってくるという。
その鯛を、江戸時代初期から伝わる、船団を組んで桜鯛の群れを一網打尽にするという漁法。

漁師の方と一緒に網をひけるなど、イベントとして盛りあがっていました。
ちょうど合宿に重なり、また瞑想中に「エイサッ!」「ヨイショッ!」という声が重なるなど、さまざまに印象深く心に残りました。


朝の散歩。
軽く気功的なエクササイズを山中にて。



また、昼食前には仙酔島名物でもある「江戸風呂」を全員で体験。
江戸時代のお風呂を再現したという洞窟蒸し風呂で、毎朝3時から松の薪をしっかりと焚きあげ、その余熱ではいるものです。
そのほか胎内風呂(高濃度塩水風呂)や薬草風呂もありましたが、やはり極めつけは「世界一の大露天風呂」
これは、要するに二つの洞窟で毛穴が開いた状態で海(瀬戸内海)へそのまま入るのですが、、、最初はビックリするほど冷たい
しかし、しばらくすると慣れてきて、自然そのまま、海水の流れに身を任せることに…。
指南塾生一同、みな(?)ニコニコして「世界一の大露天風呂」を愉しみました。




この日は、話の流れから『美容』系技術の実技。
6月の「美容事始」でも実践する「皮下脂肪吸収」、そのほか「バストアップ」「ヒップアップ」など、それはそれは大盛り上がり







そして、乾杯。




この日は、鯛のかぶと塩茹で。
かぶと煮よりこちらが好み…という声も多数。
ウマいの一言。

海ホタルは観れませんでしたが、


野生のタヌキの…親子なのか夫婦なのか…と会うことができました。

夜も更けてくると、やっぱり…


島の夜は穏やかに過ぎ、二日目を無事、終えることができました。。。


2013.5.11~13 指南塾@仙酔島合宿 その2

2013-05-20 | 2013年


世界でも五十五カ所、日本ではこの仙酔島にしかないといわれる「五色岩』
この地の持つ気の特殊性を、この五色(青、赤、黄、白、黒)の岩が明示しているようです。



福山駅から…


鞆の浦にて、『沼名前神社』を今回の参加者全員で参拝。





近隣の「小烏神社』にも参拝できました。


島に到着後、まずは島内を巡り、五感のすべてをチューンしていきます。




そして、合宿ならではの勉強会、スタート。




理屈や理論、本を見れば載っていることを延々とただやっていてもしかたない…という「指南塾」のコンセプトそのままの内容。
求めに応じつつも、実際に相手に触れ、ひとつの技術ごとに反応を確かめます。
実際にいざその現場に居合わせた時、役に立つのは何か?
そのことを、少しでも感じとっていただくことが、この日のメインテーマでした。


今回は、『国民宿舎 仙酔島』に宿泊。
部屋の様子や、設備、そして食事も大変に美味しく素晴らしく…。
お世話になりました。
ありがとうございます。


鯛しゃぶ。

名物・鯛のかぶと煮。
ウマいの一言です。


そして、翌朝…。




この清々しい風景のなか、二日目のスタートです。



20135.11~13 指南塾@仙酔島合宿 その1

2013-05-15 | 2013年


『仙酔島』
「仙人も酔うほど美しい島」。

1934年(昭和9年)、全国で最初の国立公園に指定された島。
周囲約6キロ、中生代白亜紀の火山活動でできあがったとされ、一億数千年前の自然がそのまま眼前に広がり、身と心を包む。




指南塾の合宿を、ここ仙酔島で行う…と決まった際には、それを聞いた誰もが(塾生のみなさんも)「なんでそんなに遠いところへ?」と不思議がられました。
しかし、島に入った直後からはそういう声は遥か彼方に。
そして、島を出るその時には、そういう疑問はもはやなく…

このような美しくも素晴らしい場所で、指南塾最初の合宿ができましたこと、まずは心より感謝いたします。
また、内容などは当日までほとんど明かさぬままでしたし、実際にほぼ即興で決まっていくようなスタイルでありましたが、最後まで飽きも呆れもせずに受講いただけました塾生の皆様。
本当にありがとうございました。

そして、下見から現地での動向など、多方面に渡りコーディネイトいただいた塾生のKさん。
また、同じく下見から交通ルートなど、Kさんと共に動いていただいた塾生のKさん…(イニシャルにすると同じ)。
今回は本当にお世話になりました。




今回の合宿では、テクニック的な面では身体均整法や整体の“救急法”的な技術、および当初まったく予定していなかったものの、ナゼか“美容”方面の技術の講義となりました。





2013.4.21~23 神社おそうじ隊、見参! 大和(奈良)番外編その6

2013-05-08 | 神社おそうじ隊 見参! 2013年

『高鴨神社』

御祭神は、
本殿 阿治須岐高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)(迦毛之(かもの)大御神(おおみかみ))、事代主命(ことしろぬしのみこと)、阿治須岐速雄命(あじすきはやおのみこと)、下照姫命(したてるひめのみこと)・天稚彦命(あめわかひこのみこと)。
東宮 天照大御神(あまてらすおおみかみ)、天兒屋根命(あめのこやねのみこと)、住吉大神(すみよしのおおかみ)。
西宮 多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)(母神)、塩冶彦命(えんやひこのみこと)、瀧津彦命(たきつひこのみこと)。

全国鴨(加茂)社の総本宮で、弥生中期より祭祀を行う日本最古の神社のひとつとされています。
この大御神と名のつく神様は天照大御神・伊邪那岐大御神と三神しかおられず 死した神々をも甦えらせる事ができる御神力の強き神様であります。
主祭神の阿治須岐高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)(迦毛之(かもの)大御神(おおみかみ))は、鴨族が守護神として斎(いつき)祀った神であり、「記紀」の中では、この「大御神」と名のつく神は天照大御神・伊邪那岐大御神と三神のみであり、死した神々をも甦えらせる事ができる御神力の強き神様である、と伝えられています。

大和朝廷が成立する以前、大和には倭國(やまとのくに)と葛城國(かづらぎのくに)が存在していました。
「高鴨神社」は、その葛城國の一ノ宮であったそうです。

神域は、鉱脈の上にあたるという。


今回、西神社は参拝できていません…。
次なるその時には…。










そして、高天原伝承地を通過し…


『高天彦(たかまひこ)神社』へ。

御祭神は、高皇産霊神(タカミムスヒノカミ・タカミムスビノカミ)。
市杵島姫命と菅原道真も祀られています。
背後の「白雲峯」と呼ばれる美しい円錐形の山を御神体としています。






「蜘蛛塚」

「蜘蛛窟」
神社東方にあたる場所にあり、巨大な土蜘蛛が住んでいたとも、千筋の脚があった土蜘蛛が埋められた跡とも…。
土蜘蛛とは日本の先住の人々を指す、ともいわれています…。


そして、今回の「番外編」最終参拝とさせていただいた…


『鴨都波(かもつば)神社』
御祭神は、積羽八重事代主命(つわやえことしろぬしのみこと)、下照姫命。
配祀として大己貴神、少彦名神。

第10代崇神天皇の時代に、葛城氏・鴨氏によって祀られた神社とされています。
高鴨神社を上鴨社、葛城御歳神社を中鴨社、そして鴨都波神社を下鴨社とも呼んでいるそうです。
当初は、「高鴨神社」付近を本拠としていたそうですが、水稲農耕に適した地に本拠を移し、大規模な集落を形成。
そのことは、この一帯が「鴨都波遺跡」弥生時代の遺跡が発掘されたことによって明らかになったそうです。あ

また、大神神社の別宮とも、いわれています。






御所市内にて、油長酒造、その近くの販売店にて「風の森」をお土産に購入。


奈良市内へと、帰路に着きました…。




「番外編」、無事終了。
まずは、御参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。
日常において大変ながら、間隙をぬって御参加いただいた方もあり、一仕事終えてから参加、という方もありの今回の「番外編」。
ご同行いただけましたこの御縁に、心よりの感謝をさせていただきます。

さて、
「大和國」とは、狭い意味では現在の奈良地方を指しますが、かつては「この國の名前」のことでした。
(その意味もいわれも、解釈の仕方によってさまざまあるようですけれど)
「箸墓古墳」などにみられるように貴重な遺跡も数多く存在し、日本最古の道ともいわれる「山辺の道」、その周辺には古い神社も多く存在しています。

「伊勢」「出雲」「熊野」と「番外編」をさせていただいてきて、ある意味満を持しての今回の「大和(奈良)」となりました。
まったく意識していなかったにせよ、「大和(奈良)」「出雲」の関係性の深さもわかりましたし、物部氏、蘇我氏ほか各古代氏族の神社、また鴨一族の総本宮とされる神社にまで身と心を運ぶことができました。
古代にロマンを感じる…ことは私はありませんが、その事実関係にはそれ相応の興味も関心もあります。
今回は、その意味でも大変に“おもしろき”「番外編」であったなと、思います…。




今後の予定として決定しているのは、まず来月(六月)五日六日で福島(会津)へ見参!いたします。
参加者、現在募集しておりますので、ご関心ある方はこちらからお問い合わせください
申し込みの場合は、こちらから、お願いいたします。
そして、「番外編」は…十月。
「出羽」へと向かいます。
「月山」を中心に巡拝予定…こちらも、ご興味あればお問い合わせください。



2013.4.21~23 神社おそうじ隊、見参! 大和(奈良)番外編その5

2013-05-06 | 神社おそうじ隊 見参! 2013年

『石上(いそのかみ)神宮』
日本でも、最も古い時代に創建された神社のひとつといわれ、饒速日(ニギハヤヒノミコト)を祖とし、連(むらじ)を姓にもつ物部氏の総氏神とされています。

御祭神は、布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)、布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)、布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)。
配祀神(はいししん)として、宇摩志麻治命(うましまじのみこと)、五十瓊敷命(いにしきのみこと)、白川天皇(しらかわてんのう)、市川臣命(いちかわおみのみこと)。
『日本書紀』において、「神宮」の名称をもつ神社は、「石上神宮」のほかには「伊勢神宮」のみであることからも、極めて重要視されていたことが伺われます。



最終日。
毎朝大祓詞、十種祓詞などを奏上する神拝行事が行われていることを知り、少し早めに宿を出発。
どういうワケか、やや運転者にとってハードな道行きでしたが、無事に時間前に到着。


ニワトリは、暁に時を告げる鳥として神聖視され、神様のお使いともいわれています。



「朝拝」の開始。


…「朝拝」の終了後に、「近江八幡 賀茂神社」の岡田能正禰宜のご好意で「石上神宮」の道上権禰宜に、ご由緒ほかさまざまなお話を伺うことができました。

(副長に写真を拝借。ありがとうございます。)
元々は本殿がなく、現在の本殿はそもそも禁足地であり、うっすらと暗いその辺りは、「布留社」と刻まれた剣先のような石垣に囲まれていました。


摂社『出雲健雄(いずもたけおじんじゃ)神社』
草薙剣(くさなぎのつるぎ)の荒魂(あらみたま)と伝わっている…。
草薙剣は、いわずと知れた「三種の神器」のひとつ。




「石上神宮」周辺は、古墳の密集地帯。
…ということで、


『峯塚古墳』へ。


竹林、というべきか何というべきか…「竹」の密集した地帯に、忽然と、しかしひっそりとあります。。。



ここから、巡拝は一路「葛城」へ。
…というのも、「石上神宮」で「オススメの神社は…」と聞いたところ、葛城・御所周辺ではまず出たのがこの神社でした。


『葛木坐火雷神社(笛吹神社)』

御祭神は、宮中大膳職坐神 火の神様 火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)、笛吹連御祖神 笛・音楽の神様 天香山命(あめのかぐやまのみこと)。
相殿として、天津彦火火瓊瓊杵命(あまつひこほほににぎのみこと)、大日靈貴命(おおひるめむちのみこと)、靍皇産靈神(たかみむすびのかみ)、伊古比都幣命(いこひつべのみこと)を祀る。










本殿の北西に横穴式石室。
家形石棺を安置した径26mの円墳があり、笛吹連七代目の墓であろうといわれてる。
その笛吹連の子孫が代々宮司を務め、現在で84代目にもなるらしい。



そして、次なるは「ミスター葛城」ともいわれる…


『葛城一言主神社』
願いを一言だけ聞いてくれる「いちごんさん」として地元の人から親しまれる神社。
御祭神は、一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)、雄略天皇を合祀している。
かつては、事代主命(ことしろぬしのみこと)を祀っていたとも。




樹齢1200年ともいわれる銀杏の古木(御神木)。







…お昼は、次なる神社のすぐそばにある「一本挽き鴨神そば そば小舎」にて。


なかなか、ここまでのモノは食べれない…美味しいおそばでした。
ありがとうございます。



2013.4.21~23 神社おそうじ隊、見参! 大和(奈良)番外編その4

2013-05-03 | 神社おそうじ隊 見参! 2013年

大和國一之宮・『大神神社』

御祭神は、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)。
配祀として、大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)。

大和東南に位置し、円錐形の「三輪山」を御神体とする。

「三輪山」といえば、たとえば…

「秀麗な弧を描く円錐形の山容に、彼らは大地にズッシリと腰を据えてトグロを巻く祖神を感じたので、大和の三輪山をはじめとして(中略)…全国に名のある円錐形の山々には必ずといってよいほど、蛇神話が伝承されている。」(「山の神」・吉野裕子)

…とあるように、蛇伝承で知られています。
古来、明神の巳さんが三輪山を七巻半している、という伝承もあるようですが、これなどもこの山容にトグロを巻く蛇を連想(?)していたということでしょう。





こちらの宮司様は、「近江八幡・賀茂神社」の岡田宮司の後輩でもあられるということで、早速ご挨拶して神社について色々ご質問を…と思っておりましたが…あいにくご不在。
そこで、権禰宜の野上さんにより、拝殿奥の三つ鳥居ほかをご案内いただけました。
これもまた御縁、ありがとうございます。



大神神社は酒造りの神でもあり、摂社として杜氏の始祖、高橋活日を祀る活日(いくひ)神社を祀っています。
拝殿に吊っている大きな杉玉「志るしの杉玉」。


『狭井神社』
大神神社の摂社であり、その御祭神の荒魂を祀る神社でもあります。
御祭神としては、大神荒魂神(おおみわのあらみたまのかみ)・大物主神(おおものぬしのかみ)・媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)・勢夜多々良姫命(せやたたらひめのみこと)・事代主神(ことしろぬしのかみ)。
病気を鎮める神としての信仰が厚く、ご神水の湧き出る薬井戸があります。





そして、


卑弥呼の墓とも伝えられる『箸墓古墳』
孝霊天皇の皇女・倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)が埋葬された墓として、宮内庁が管理しています。
箸墓古墳が造られたのは、最近の学説では3世紀中頃から後半と見られており、その全長は280mの巨大前方後円墳です。


そこから、山辺の道を抜け…

『檜原神社』
大神神社摂社。
社殿はなく、三つ鳥居のみ。
三輪山の中にある磐座をご神体としています。









そして、


『穴師坐兵主神社』『大兵主神社』
もともと上社下社に別れていたらしく、下社が穴師大兵主神社で現在地に鎮座。
上社が穴師坐兵主神社で巻向山中に鎮座していたようですが、、応仁の乱の頃に社殿を焼失。
御神体を下社に合祀し、同時に山中に同じく鎮座してた巻向坐若御魂神社も下社に合祀した…という経緯らしい…。


御祭神
中央 兵主神
左殿 大兵主神
右殿 若御魂神

実際のところ経緯はどのようであったことか…
ちなみに、「穴師」というのは、「鉄穴(かんな)師」のことらしい。






こちらの宮司さまには、ちょうど犬の散歩に出る直前に「御朱印を…」とお願いしたものの、快く引き受けていただけました。
ありがとうございました。

この神社の手前に、


『相撲神社』
あまりにもあっさり祀られているため、行きには見過ごしてしまいました。
御祭神は、野見宿禰(のみのすくね)・当麻蹴速(とうまのけはや)
知る人ぞ知る、相撲発祥の地とも伝わる神社です。


土俵…なのだろうか…。





さらに、


『伊射奈岐神社』
国生み神話の伊邪那岐命、そして菅原道真公も祀られています。







そして、神社としてはこの日の最後になる…


『大和(おおやまと)神社』
御祭神として、日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)(中央)、 八千戈大神(やちほこのおおかみ)(向右)、御年大神(みとしのおおかみ)(向左)。
天照大御神と同列に扱われていたという、日本大国魂大神。
「大」を頭に冠しているだけに、その重要度が伺われる。








このあと『開化天皇陵』を少しカスり…終了。


夜には、「旬彩ひより」さんで、素敵な野菜料理の数々を。
いや、美味しかったです。






奈良の夜は早い…といいますが。
それは、やはり早合点。


日本酒で二次会、「いにしへ長屋」さんへ。
奈良の酒造好適米、露葉風や秋津穂を使った、奈良県御所市の地酒「風の森」九種類ほか、ワイン、ビールといった醸造酒中心のバー。
とはいえ、置屋を改装した店内には座敷もあり、「おそうじ隊」七名の宴の場へと。。






こちらにて、翌日の予定が変転することに。。
それもまた、御縁の為せるワザなのか…。


…ということで、この日はやすらかなる眠りへと…。


2013.4.21~23 神社おそうじ隊、見参! 大和(奈良)番外編その3

2013-05-01 | 神社おそうじ隊 見参! 2013年



奈良の鹿は、カミの使い(神鹿)。
その由来は、春日大社の主祭神である武甕槌命が本拠である鹿嶋より春日大社のある御蓋(みかさ)山に遷座した際に乗っていた白鹿が繁殖したもの、と伝えています。
朝早い時間であることもあり、人もまばらで、神鹿たちもどこか悠々としているように感じました。




『春日大社』




この日は、祭典執行日以外には開かれている「朝拝(ちょうはい)」へ、参加しました。
「朝拝」というのは、御本社で「大祓詞」を唱え、お参りののち、若宮神社を始め各神社を順次参拝していくというもの。
遷都千三百年を記念し、一般参拝者も参加できるようになった、ということです。
東日本大震災後は、被災地復興と併せて奥吉野・熊野大水害における被災者救済と災害復興成就のため、この朝拝に合わせ大祓詞による「萬度祓」を厳修。


権禰宜・岡さんによる解説







そして、今回の特徴でもある、「古墳」参拝。
『赤坂天王山古墳』






ここから中に…



このような石棺が…。

全長約15m、花崗岩の巨石を用いて構築されており、玄室部は長さ約6.5m、幅約3m、高さ約4.2mらしい。
6世紀後半の築造と推定されており、被葬者として崇峻天皇の名前が挙がっているそうです…。
この古墳に入らずして、横穴式古墳は語れない…と、いう声も…。


そして、次なる神社へ…と、その前に…

「そうめん処 森正」で、お昼を。

温かいにゅうめんを美味しくいただきました。