『地水火風空』

【TAMURATIC.】のブログ

第1回スクール【東京】

2019-04-22 | 2019年
4月21日、東京都中央区某所にて、「第1回Tamuratic. Japan スクール」を開催、無事終了致しました。
お集まりいただいた皆様、本当にありがとうございました。
 
場所が、写真のような武道場だっただけに、ノビノビとできました。
音が反響するなどの不便な点はあるものの、都内中心部でこれだけの空間を休日貸し切れたことは、大変にありがたいことでした。
 
九州でのスクールと同じ内容でしたが、場所も変われば参加者も違い、必然的にそこに流れる空気も変わるもの。
このスクールは、必要とするヒトが自らの意志で選び取り参加する場。
その意味で、一定のテンションは途切れることなくそこに在ったように思います。
 
次回以降は、内容も、こちらから提案するあれやこれやも、少しづつシビアなものとなります。
ご参加いただく皆様、何卒宜しくお願い致します。
終了後は、帰り道にある焼き鳥屋さんで、和みました😃 
 
 
 
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謹んで御礼申し上げます(九州巡業)

2019-04-20 | 2019年
 大分県の別府市、由布市(湯布院)、佐賀県の鳥栖市と、3ヵ所を巡る九州巡業。
セッション(施術)、セミナー、瞑想会、そして新たに開始となったスクール…これらコンテンツを通じて今回も多くの方々とお会いすることができました。

まずは、お会いさせていただいたすべての皆様に、御礼申し上げます。

そして、こうした巡業ができるのも、全コンテンツで希望者を集め、さまざまなやりくりをし、スムーズに事が為されるようにすべてを段取っていただく方々がいるからです。

今回も本当にお世話になりました。
謹んで御礼申し上げます。


上の写真は、今回から始まった「スクール」の様子です。
このブログの過去記事にもいくつか書いていますが、「スクール」というのはセラピストやヒーラーといったことをいま現在されていたり、これから職業として選択しようとしている方を対象としています。
そうすると、キレイなことばかりを言うわけにはいきません。
この現実を、現実として認識するところから、始めています。

技術だけを教えたり、一つの体系として、「〇〇流」「〇〇ヒーリング」みたいなカタチとして方法だけ教えるのなら、カンタンです。
でも、実際には、技術、方法というのは全体の一部でしかありません。

いま、この時代に、これらを職業として選択するということの意味。
いくら泥臭く感じられてもかまわないので、まずはこのあたりから始めることにしました。


21日には、東京での第1回スクールが開始となります。
問われていることの、真の意味を見出していただければ幸いです。

そして、


鳥栖市での「セミナー」、そして「瞑想会」の様子です。

「セミナー」は、今回こちら鳥栖市と、由布市(湯布院)で開催させていただきました。
テーマは「更年期」でした。

このテーマは、過去ワークショップなどで開催した事がありますが、毎回著しく参加者が少なかった記憶があり、さてどうなるか…と思っていましたが、写真のように集まっていただけました。

いま世の中で思われている「更年期」ということの常識的な身体観や価値観を根底から覆すような内容です。
日本的整体の極致ともいえる身体均整法や野口整体などを基にしつつ、新たな知見を盛り込んだもの。
「更年期」などという枠組みにとらわれず、女性として、人間として生きることの神秘と実像を体感したい方にはうってつけですので、興味のある方はまたの機会に是非。

ちなみに、次回は「タイプ論」。
これも、身体均整法の「12種体型」、整体の「体癖」などを基にしつつ、実際の人間関係に即したカタチでお伝えさせていただきます。
概論から入るので、「ワタシにわかるかな〜」などと考えている方でも、ご興味あれば是非ご参加してみてください。

「瞑想会」では、初めて瞑想する、という方も多くご参加いただきました。
ナビゲートする側からしても、質問も多く、なかなか楽しい時間となりました。
瞑想というと、何かフワフワしたイメージが日本では相変わらず付きまとっています。
けれど、最近のマインドフルネスの流行なども、たとえば疾病の改善に実際に役立っていることの豊富な実例がある事が背景となっています。

ただ、ありのままをありのままに。
難しいことをムズカシク、アカデミックにして伝えることは、私にはできません。
ただただ、起きることそれそのものを、シンプルに。

日常に、いますぐ役立つように、お伝えしています。
よろしければ、ご参加ください。

次回、九州巡業は6月となります。
沢山の方々にお会いできますこと、今から楽しみにしています!





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九州巡業、始まります

2019-04-05 | 2019年
 
 
来週〜再来週半ばまで、九州巡業となります。
 
大分県別府市では、セッションと瞑想会。
同じく大分県の由布市・湯布院では、セッション、セミナー、そしてスクール。
佐賀県の鳥栖市では、セッション、セミナー、瞑想会。
 
セッション、セミナー、スクール、瞑想会のスケジュールなど各情報は、
 
 
に掲載されています。
 
今回から、スクールが開始です。
スクールという名称ではありますが、ここに「先生ー生徒」「師匠ー弟子」的な上下関係は(私の認識では)ありません。
一般的な世間では、必要な観念かもしれません。
けれど、『Tamuratic.』のスクールにおいては、そういう観念を外していきましょう。
 
気楽に、けれど各自各様、それぞれの礼節をもって、さまざまなことを分かち合っていけたらいいなと思っています。
 
九州のあと、今月21日には東京にて開催。
 
まもなく、始まります。
よろしくお願い致します
 
 
 
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潜在意識的な身体傾向

2019-04-02 | 2019年
ある少年野球をしているA君(当時小学5年生)は、喘息を患っていました。
幼い頃から時折堰を切ったような激しい発作を起こし、それが夜間ずっと続くこともしばしば。
母子家庭で、母親は夜間ほとんど寝ないまま仕事に行くこともあるなど、その発作はどうにかならないものかとお悩みでした。
彼が、ちょっとしたイジメに遭ったことをキッカケに私のところに通うようになったのですが、それからしばらくは発作はそのまま起きていました。


ある時、野球の大事な試合のその当日。
彼は、かなり激しい喘息発作を起こしていました。
このとき、事前にこの事態を私は予測して、母親の方にこう伝えておきました。


「どんなにイヤがってもいいから、試合に行かせてください」


こう言ってはいても、目の前で繰り広げられる発作の激しさに普通は耐えられないものですが、その方はその通り実行しました。
かなり親子の根比べがあったようですが、最終的には「もういい!」と叫びながら、ドアをバタンッと閉めて試合に飛び出していったそうです。


あとで、その母親の方に話を聞くと、


「『もういい!』って言ったその瞬間に、あれだけ激しかった咳がパタッと止まったんです」
「ああ…こういうことなんだな〜と、その時わかりました」


…それ以降、相変わらず発作は時折出るものの、以前ほどの激しさは無くなり、また何より親子共々慌てることがなくなりました。
この野球少年だった彼は、その後高校でも大学でも野球部のキャプテンを務め、数年前にとある大企業に就職していきました。
先日、彼が出向先からこちらに帰省した際に聞いたところ、今では、ほとんど発作も出ないといいます。
ただやはり、私から観れば喘息発作を起こす潜在意識的な傾向はそのまま残っているようなので、いづれは注意が必要、かもしれません。


潜在意識的な傾向というのを、もっとも端的に現しているのは体の姿勢です。
そのほか、ふとした動き、身振り手振り、反応、リズム、使う言葉、思考のパターンなどに表出します。
これは、いづれスクールやセミナーといった形式でお伝えする機会もあるかとは思います。


この、潜在意識的な身体傾向を読み解く際に大切なのは、エネルギー的な観点を持つことです。
目に見える姿勢は、目に見えないさまざまなエネルギーの結実した姿ですので、目に見える姿勢ばかり追っていても、やはり片手落ちとなってしまいます。
また、生理的反応が心理に与える影響、あるいはその反対に心理的反応が生理に与える影響もあり、その両面を同時に見透すような意識ももたない限り、なかなか体で起きる現象の直観的理解はむずかしいかも、しれません。


こうした観点をもつことで、生命活動の中で繰り広げられる欲求と欲求のせめぎ合い、アタマで思うことと本心で想うことの不一致などが鮮明になっていきます。
そうすると、疾病ということの、そもそもの捉え方まで変わってくることになります。


喘息、アトピー、自己免疫疾患、しつこい婦人科系疾患、おねしょや鬱…
潜在意識的な身体傾向を観るのに慣れてくると、これらは、同じ心理的要素の異なる表現にしか観えなくなってきます。
発散できず籠ってしまった欲求、その行き場のないエネルギーは、自己破壊へと向かうしかないのです。


体の側からだけ診ていては、その本質は観えません。
体に現れる以前に、すべては決まっているのですから。






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痛みや辛さを重くするもの

2019-03-26 | 2019年


腰の痛み、いわゆる四十肩的な肩の痛み、コリ、頭痛や膝の痛み…
生きている体に起きる「痛み」という現象は、サインでもあり、シグナルでもあり、メッセージでもあります。

ここでいう「サイン(sign)」は、日本語でいう〝兆候〟〝兆し〟という意味。
何かが起こる…そういう前触れ、気配をいっています。
「シグナル(signal)」は、よりはっきりとしたもので、〝信号〟がテカテカしているような、そういうイメージで使っています。
そして、「メッセージ(message)」は、まるで言葉で示されるほど、明確な自覚を促す体(潜在意識)からの託け。

当初は、だいたいここでいう「サイン」程度のことが多いものです。
なんとなく頭が痛い、なんとなく腰が重い…など、「なんとなく」が時折感じられるくらい。
この段階では、ほとんど無視していてもそれ以上何も起きないことが多いですね。

「シグナル」になると、たとえばイスから立ち上がろうとして「お、マズい」と腰に不安を覚えたり、頭痛がいつまでも引かなかったりしてきます。
疲労感がいつまでも残っていたり、気分が優れない日が多くなるなども「シグナル」だといえるでしょう。

「メッセージ」となると、体(潜在意識)は、けっこう強硬手段に出ることが多いようです。
立てなくなるほどの腰の激痛、挙げることができなくなるほどの肩の痛みや痺れ…体(潜在意識)からすれば、こういう強硬手段を取らなければいけないほど切羽詰まった状態なのだと、いうことになるでしょうか。

腰の痛みにしても肩にしても、生命を脅かすような現象ではありません。
ただ、動けない、動きを制限されることは間違いなく、体(潜在意識)からすれば、それ(動きを制限する)自体が目的なのかな…と思うようなことは、セッションの現場では割と多く見受けられます。

否が応にも動くことができない。
そういう状況にならなければ、ずっと無視し続けているであろう何かに、しっかりと目を向ける最適な機会…なのかも、しれません。
まあ、最中は痛みでそれどころではないでしょうけれど


さて、

「痛みの7〜8割は、心が作っている」

という話は、聞いたことはありませんか?

心理療法の世界では、まことしやかに語られます。
歯科治療などで催眠が活用されている例もあるように、催眠状態に入ると痛みが随分と軽くなったり、あるいは消えたりすることがあります。
カンタンなメカニズムをいえば、催眠状態に入ることで、通常の顕在意識優位の状態がゆるみ、そこで育まれている普段の不安や恐怖、痛みへのコダワリなどが薄れ、その度合に応じ、痛みも薄れたりする、ということ。
痛みや辛さを重くするものはこうした心の要素なので、これらが薄れたり消失したりすれば、必然的に痛みの感覚も軽くなります。

セッションでは、実際に痛みが薄れたり消えたりすることは珍しいことではありません。
多くの場合トランス(催眠状態)に入れることなく、それは達成されます。

人間には、まだまだ多くの可能性が内在しています。
それを引き出すことも、私のセッションの密かな眼目…だったりします



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