『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

2014.4.23~24 『神社おそうじ隊 見参!大阪・春の陣』参加者募集のお知らせ

2014-02-26 | 神社おそうじ隊 2014
「星神」
「怨霊」

この二つが、今回の『神社おそうじ隊 見参! 大阪春の陣』のテーマとなります。
字面だけ見ると、「え~っ、何コレ」と訝る方も多いことと想像します。
“「神社おそうじ隊 見参!」というのは、前から思っていたれれど、やっぱり実にアヤシい(イタい)…”なんて感じで。。

…しかし、

この二つが、私たちがいま生きているうえで、いかに重要なファクターを占めているのか…
少し、そういう見方・考え方をしてみるのも、悪くはないとは思います、よ。




『神社おそうじ隊 見参!』は、先日の二月二十二日で、活動開始から丸三年を迎えました。
諺にも「石の上にも三年」というように、初動時にともかくまずは三年、と考え、どうにかこうにかここまで継続することができました。
まずは、御参加いただいた皆様、そして背後にて応援、ご召喚いただける有形無形の諸神仏に、まずは篤く感謝させていただきたいと思います。

「神社おそうじ隊 見参!』隊長としてのこの三年間は、ともかく自分自身の認識の「刷新(これも『おそうじ』)」の連続だった、といえます。
それは、「神社」「神道」「神」、ということだけに留まるものではなく、「日本」という国、「日本人」という民族への認識、という意味も含みます。

たとえば、神社では「敬意と感謝を込めて手を合わせる」…といいます。
祀られている御祭神に、「拍手」をして「頭を下げる」ことがまことしやかに当然のこととされます。
誰もがそれが当然だと思っていることでしょう。
では「なぜそうしなければいけないのか?」と、考えてみたことはあるでしょうか?
…基本の「キ」、こういう地点から掘り下げていくことが大切だと、いま改めて思っています。




さて、今回の「春の陣」は、「星神」、そして「怨霊」の二大テーマだといいました。
この二大テーマを過不足なく包摂している地域が、実は現在の大阪にあります。
かつての国名でいえば「河内」、大阪北部の交野や能勢、そして少し足を伸ばして奈良(大和)との県境ともなっている生駒周辺が、今回の主要な見参!フィールド。

今回の場合、「星神」は「北極星」を指し、「怨霊」は「饒速日命(ニギハヤヒノミコト)」
この取り合せ、実は密かにある意味での「最強」では、と認識しています

漆黒の闇に浮かぶ満天の星々。
そのなかで、ひと際光輝く「北極星」とそれを庇護するように存在する北斗七星は、現代のように夜でも光の途絶えることのない時代と違い、真に畏れ敬う対象であったことでしょう。
また、日本の「神話」は、アメノミナカヌシという神から始まります。
そのアメノミナカヌシにあたるのが「北極星」。
その前には、「神話」ではいかなる神も存在してはいないのです。

そして、
祖霊(先祖)信仰、自然(海、川、山など)への信仰、そして「怨霊=御霊」…古くからの日本の信仰スタイルというのは、概ねこのように分類できるでしょう。
「怨霊」とは、要するに怨恨を持って死を迎えた霊魂のことです。
かつては、非業の死、病死、刑死、暗殺などで亡くなった人々は、必ず「怨霊」となると考えられていました。
天変地異、災害や疫病…これらは「祟り」として起きている、ということです。
いわゆる「祭り」は、その霊魂を「祀る」ことで怨みや怒りを鎮め、「祟り」を鎮める、という発想から始まったともいわれます。
「神社」というと、現代ではパワースポット的な側面、個人の精神的・身体的な充足感や満足感、神域で「気」を獲得してリフレッシュ、パワーアップするといったイメージが先行していますが、こうした側面もあることを、まず初めに知っておくとその捉え方、そこに祀られる御祭神との接し方も、変わるのではないでしょうか?
それがひいては、本来の意味での「拝」へと、つながっていくのかもしれません。

ちなみに、「怨霊」のなかでも、特に「菅原道真」「平将門」「祟徳天皇」は、【日本三大怨霊】としてつとに有名です。
けれど、それはやっぱり、あくまでも「オモテ」だよな、というのが「おそうじ隊」の見解。



当初、4月は「京都・丹後一宮 籠神社」へ参拝の予定であったのですが、どうにもこうにもまずはこちらへ…という何かの導き。
前月(3月)には「淡路島・神戸」へ見参させていただいた後でのこの「大阪・春の陣」。
二ヶ月連続での関西圏での「おそうじ隊」となりますけれど…この流れ、私としても愉しみで仕方ありません。



参拝予定/石切劔箭神社・磐船神社・枚岡神社・星田妙見宮ほか

『神社おそうじ隊 見参! 大阪春の陣』。
お問い合わせは、こちら
お申し込みは、こちらへ、お願いいたします。
(お申し込みは、3月19日まで)



2014.2.1~3 『神社おそうじ隊 見参! 』 特別編 庄内総鎮守見参!

2014-02-19 | 神社おそうじ隊 2014

『庄内総鎮守・荘内神社』

「荘内神社が鎮座している所は、「鶴ヶ岡城」というお城の本丸御殿があったところです。
お城の跡地になぜ、神社が建てられたのか…?
その理由は、荘内神社の御祭神を見ると分かります。
荘内神社には、荘内藩の歴代藩主の中から4人の方が御祭神として祀られています。そもそもこの神社は、酒井家の歴代藩主を慕う庄内一円の人々の総意により、創建されたものなのです。」
(「荘内神社」ウェブサイトより抜粋)


王祇祭の翌日は、「庄内総鎮守」とされる神社である「荘内神社」へ。
酒井家居城跡、城趾公園である「鶴岡公園」内に鎮座。
公園内には、

『御城稲荷神社』
鶴ヶ岡城内鎮座の神社で、城時代から残る唯一の建築物。
六代藩主酒井忠真(ただざね)公が、城内鎮守として社殿を建立されたとのこと。
御祭神は、倉稲魂命・大市姫命・五十猛命・須佐之男命・大己貴命。


『鶴岡護国神社』
戊辰の役・西南の役に殉じた藩士の霊をお祀りするため、酒井家13代藩主酒井忠篤(ただずみ)公が鶴ヶ岡城御金蔵址に創建とのこと。
その後行われた数々の諸外国との戦争での英霊(4930柱)も祀る。





権禰宜・石原さんに社殿を案内していただけました。

本殿には、脇の入り口から入ることができます。
ありがとうございました。










2014.2.1~3 『神社おそうじ隊 見参! 』 特別編 御神事・王祇祭 その3

2014-02-17 | 神社おそうじ隊 2014

王祇祭・「棚上がり」。

当屋での演能は午前5時頃に終わり、朝尋常と呼ばれる御神事が行われます。
2日の演能前、春日神社へと宮のぼりしてこられる王祇様を、上座下座の若者たちが社殿に戻そうと競うもののようです。
ここでいう「競う」というのは、あくまでも神様を喜ばせる、という意味合いからのもの。
決して、人間的な意味での勝敗を決するものではない、ということです。




当屋で夜を徹して能を楽しまれた王祇様は、こうして春日神社へと戻ってこられました。

神前での祭典のあと、上座・下座それぞれ前夜のプログラムと同じ演目の能を奉演することになります。



上座.下座それぞれの「大地踏」。
「式三番」の後、上座「老松」、下座「嵐山」。


演目の間にも、「オーッ!」という気勢。
いよいよ、「棚上がり」。
「棚上がり」とは、神社に設えられた棚に上がり、王祇様をいちはやく神社の梁へ乗せることを上座・下座総掛かりで競うもの。


ムードは最高潮に。


それは、瞬間の出来事。
合図とともに、若者たちは棚に上がってしまいました。
今回は、上座が早かったようです。


ここから「餅切り」そして「布剥ぎ」という、二日間の御神事を締め括る、大切な祭儀。
準備が整うまで、しばし待機といった雰囲気に。



「餅切り」とは、棚に上がった若者たちが、それぞれの上に固定されている大きな餅(掛け餅と呼ばれる)を下に落とすというもの。
「布剥ぎ」とは、王祇様を梁から下におろし、白い布を剥いで翌年の王祇守に巻き付ける、というもの。



ここでも、競い合いがみられました…しかし、これも瞬間の出来事。
社殿内は、うずまくような熱気に包まれました。


…こうして、王祇祭は終わりを迎えます。






2014.2.1~3 『神社おそうじ隊 見参! 』 特別編 御神事・王祇祭 その2

2014-02-15 | 神社おそうじ隊 2014

上座・「大地踏」。
小さな子供が大地を踏みしめて悪霊を封じ、地霊を呼び覚ますというもの。
延年や田植え踊りなどの芸能にも通じる舞踊といわれ、ふつうの能の範疇には入らない、特別な演目であるそうです。


黒川能は、春日神社の氏子が上座と下座の二つの宮座に分かれています。
今回は、上下(かみしも)ある座のうち、上座での観能となりました。



俗に「七つまでは神のうち」といわれますが、毎年だいたい五、六歳の子供により演じられるそうです。
また、上座と下座では装束に違いがあり、上座では金の烏帽子に黒の鉢巻、下座では赤い側次を着て、黒烏帽子に赤い鉢巻。
演じている子供さん自体は男の子ですが、このようにして性を表現されています。


「式三番(しきさんば)」。
「所仏則(ところぶっそく)の翁」という、王祇祭でしか演じられない特別な演目。
天下泰平、国土安全を祈り、かつその演能の場を浄めるというもの。
その足拍子に、邪気封じの呪法的意味合いがある、ともいわれます。

ここから、能→狂言→能…と五番立の能が演じられる。
この頃から、緊張感もやわらいでいく…。









演目「老松」「三本柱」「融」「膏薬煉」「采女」「棒縛」「船弁慶」「節分」「猩々」。



雪は少ないとはいえ、あたり一面は雪。
やはりここは出羽…。
深々とした静寂のなか、ここだけが異空間であるかのように、祭りは夜徹し続けられていく…。




2014.2.1~3 『神社おそうじ隊 見参! 』 特別編 御神事・王祇祭 その1

2014-02-12 | 神社おそうじ隊 2014

いままさに、「王祇祭」のクライマックス「棚上がり」直前。
春日神社社殿内は熱気で包まれている。

『黒川能は、山形県鶴岡市にある春日神社の「神事能」として、氏子たちの手によって伝えられてきた。世阿弥が大成したあとの猿楽能の流れをくみ、現五流と同系であるが、いずれの流儀にも属さずに独自の伝承を続け、演式、演目などに古式を残している。
黒川にどのようにして能楽が入ってきたのか、まだ究明されていないが、江戸時代のはじめ頃には、すでに能太夫がいたことや能楽の維持に難渋をきたしていることが記録され、また、室町時代に織られた能装束(三領、国重要文化財)が残っていることなどから、少なくとも室町末期には発祥したものと考えられる。
五百年以上にわたり、黒川の人々の信仰心と能楽への愛着によって、幾多の困難を乗り越えながら今日まで守り伝えられ、昭和五十一年四月には、国の重要無形民俗文化財に指定された。』
(平成26年 「王祇際」パンフレットより抜粋)


『神社おそうじ隊 見参! 出羽ご当地隊』にて、ここ「春日神社」を参拝させていただいだ折に、この「黒川能」のことを初めて知ることとなり、今回「おそうじ隊」として初の観能、となった。

「王祇祭」というのは、ここ鶴岡市黒川の鎮守・「春日神社」の最も重要な祭祀であり、神社からご神体の「王祇様」を、当屋(とうや)(神を迎える宿)に指定された(最年長の氏子の方になるらしい)上座と下座の各一軒に遷し、能と狂言を夜徹し演じておもてなしする、という祭り。
二月一日未明、当屋で身を浄めた者たちが神社へと向かうところから、その祭りは始まります。
ちなみに、「王祇様」とは、この迎えを受け、神社宮司を始めとした神職による祝詞奏上のあと、御神体を依代(よりしろ)に遷す(降神)儀式によって遷られた春日の神様を「王祇様」と呼ばれているそうです。


黒川の生活の一部として、大切に守られてきた能。
それは、決して観光のため、観客のためではなく、ただただ神に捧げるための、能。
夜徹しの観能を通じて、その根幹はいささかも揺るぎなく継承されていることを感じました。





「王祇会館」での受付から、始まります。


2014.1.7 『神社おそうじ隊 皇居見参!』

2014-02-10 | 神社おそうじ隊 2014

もはや、年初の恒例行事のようになってきた観のある『皇居見参』。


すっきりとした爽快感すら漂う青空のもと、敢行いたしました。


昨年は閉苑日だった「東御苑」も、今年は散策できました。

御参加いただいた皆様と。



お昼は、パレスビル「セラフィーナ ニューヨーク 丸の内店」にて。

リクエストにお応えして撮影…満面の笑顔


その後、電車で移動。

『今宮神社』にて参拝後、向かったのは…


『東京カテドラル聖マリア大聖堂』



いろいろなことを再確認できた「聖堂見参!」でした。。。





2014.3.20~21 『神社おそうじ隊 淡路島見参!』のお知らせ

2014-02-05 | 神社おそうじ隊 2014
まず、天と地がその姿をあらわした。
そして、高天の原に三柱(はしら)の神、アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒが成り出で、いつのまにかその姿を隠されてしまう。

できたばかりの大地。
その土の中からウマシアシカビヒコチ、そして天にアメノトコタチ成り、また姿を隠されてしまう。

クニノトコタチ、トヨクモノ…また、隠れられた。
次にウヒヂ二、妹スヒヂ二、ツノグヒ、妹イクグヒ、オホトノヂ、妹オホトノベ、オモダル、妹アヤカシコネ…そしてイザナギ、妹イザナミ。
これらの神を「神世七代(かみよななよ)」という。
クニトコタチとトヨクモノは、それぞれ一代。
それからの十柱の神は、二柱を合わせて一代と数える。

諸々の天つ神のお言葉により、イザナギ、イザナミはまだ固まってもいない地を、修めまとめることになる。
天の浮き橋という、高天の原と地上の間に浮かぶ宇宙ステーションのような場所から、アメノヌボコという槍のような祭器で地をかき回す。
オノゴロ島、地上に最初に出現した大地は、こうして固まった。
そこに天降りなされ、天の御柱を見立て、八尋殿を見立てる。

…『古事記』では、このようにして国生みは始まったとされています。

その、最初に生み出された島、それが今回見参させていただく『淡路島』
「アハヂノホノサワケの島」です。
この国生み神話は、淡路島から大阪湾、瀬戸内海を舞台としており、海人系伝承なのではないか、などまことしやかに囁かれています…さて、いかに。



今回は、この国生みの父神・イザナギノミコトを祀る『伊弉諾(イザナギ)神宮』を始め、神戸周辺の神社(湊川神社、綱敷天満宮、今宮戎神社、多井畑厄除八幡宮…などを予定)へ見参いたします。
ある筋からの情報によると…
神戸市営バス、神戸大丸など、街のいたるところに「菊水紋」という御紋が埋め込まれているという。
「菊水紋」とは、神戸・湊川近辺での戦いで尊氏に敗れ自害されたと伝わる楠木正成公の家紋。

その正成公を祀るのが、「湊川神社」…。
正成公、出身は河内国(現在の大阪府)…さて。

こういうミステリーが何げなく、しかしいたるところにみられる神社の世界。

…お近くの方も遠方の方も、「国生み」と聞いてピンッときた方も、万障お繰り合わせのうえ、ふるって御参加ください。

申し込み締め切りは、2月17日(金)
お問い合わせは、こちらへ
お申し込みは、こちらまでお願いいたします。