『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

夏バテのセルフ・メンテナンス

2019-08-25 | 2019年
8月も終盤、ようやく暑さも落ち着いてきました。
猛暑真っ盛りの時期よりも、少し暑さが緩んできたこの時期くらいから、いわゆる「夏バテ」を感じる方も増えてくるかと思います。

寝つきが悪い、眠りが浅い、食欲がないなど、夏の暑さへの反応として起きるさまざまな症状を、少し前までは暑気あたり、暑さ負け、最近では「夏バテ」と呼んでいます。
昔から、冷ややっこや冷や麦、ソーメンなどを夏の食物として日本人は愛用してきました。
少量のこうした食物を体に取り入れることで、全体的な疲れを防ぐ意味もあったのでしょう。

高温多湿の日本の夏、その温度と湿気は消化器系を直撃します。
身体均整法では「夏は消化器系の調整」といいますが、これは実際にそうで、ただでさえ胃腸の疲労を起こしやすい環境にプラスして、冷たいモノやクーラーなどで、内外から冷えを取り入れる結果となりますから、さらに消化器系は不調となっていきます。
いわゆる夏風邪が長引くというのは、呼吸器系の不調のみならず胃腸の機能低下が重なっていることで回復が追いついていかない、という事情もあったりします。
特に最近は湿気が強いこともあり、肝臓なども疲労してきます。

…ということで、いまの日本の暑さ事情にかなった「夏バテ」のセルフ・メンテナンスを紹介いたします。

まず、塩。
自然塩をちょっと指につけ、なめてみてください。
その時に甘く感じるようなら、それは体が塩分を必要としている時です。
そういう時はごく少量、塩を直接なめておくといいです。

そして、食事を少量にします。
少量にする、というと肉や魚をとらず野菜を、という発想になる方もいますが、そうではなく、肉も魚もしっかり食べた方がいいと思います。
ただ、食べ合わせ的に、消化酵素の関係から肉や魚などのタンパク質系と、パンやごはんなどの炭水化物系は一緒に食べると消化に悪いといわれています。
それぞれ食べる場合はなるべく別々に食べて、あとは野菜でカバーするようにしたらいいかなと思います。

そして、呼吸法。
ヨーガをはじめ、東洋では伝統的に呼吸法は盛んでした。
その方法も多岐に渡ります。

左の鼻から吸って、右の鼻から吐くという方法が、日本の神道に伝わっています。
ヨーガでは、左鼻は副交感神経、右鼻は交感神経とされています。
これを中国的に解釈すると、左は陰の気、右は陽の気のルートということになります。
陰→陽という流れになりますから、脳を活性化し気力を高める効果がこの呼吸法には期待できる、ということになります。
反対に、右から吸って左から吐く場合には、リラックスの方向に心身が向くことになりますので、夕方や夜の就寝前などにはよいのかもしれません。
神道の場合はヨーガのように鼻腔を指で抑えたりせず、そのまま左で吸って右で吐くというイメージをするだけ。
2分から3分くらい、息は細く長く、でもしっかりと呼吸を行うことだけがポイントです。

よければ、試してみてください。



指先に触れるモノ

2019-08-22 | 2019年
整体施術に習熟し、感覚がある程度育ってくると、体の「みえ方」は変わってきます。

たとえば、背骨およびその周囲の筋肉をはじめとした結合組織に指先で触れていきます。
最初の頃は、ざっくりいえば全体的にいくつかの塊がくっついてそれらの組織を形成しているようにしか感じられません。
けれど、ある頃から、それらは実際は細い繊維が束になっていることを指先で認識するようになります。
その束のようになっている中に、ブヨブヨとしたモノやスジ状の、針金のように感じられるモノ、あるいはボヤッと弾力のない、力のない広がった皮膚のように感じられるモノなど、何種類かの「モノ」を発見するようになります。

指先がそうなってきたらようやく、「体を読む」感性が備わってきたといえると、個人的には思っています。

体が生み出すそれらは、もちろん、それぞれ意味があります。
しかし、実際に指先でそれらを認識することができなければ、いくら知識として知っていたところで役には立ちません。
生体の各部位が、脊髄神経を通じて放つ言葉の数々。
そこには、身体的、精神的、感情的な意味合いが、織り重なって含まれています。

それは生きている体にしか現れず、それゆえに解剖図には掲載されてはいません。
おもしろいことにそれらのモノは、それを認識するに足る感性を備えた指先にはその存在をアピールします。
けれど、そうでない場合には隠れて姿を現しません。

いま、この体はどういう状態で、どこにどういう詰まりがあり、それが〇〇の歪みとなって現れている…というような感じで、指先で知りうるそれらの情報は、そのまま即施術の内容に繋がります。


体とは、一面ではその方の生きてきた歴史そのものです。
たとえば腰が痛い、重いといっても、生体は腰だけで生きているわけではなく、心身が協調連動し全てが繋がって動いている以上、それはその部分だけを区分して考えることはできないのです。
知覚神経や運動神経、自律神経といった神経系が情報の出し入れを一瞬も休まず行い、動く際には手足をこれ以上なくうまく使うことで誰もが歩いたり、ボールを投げたり包丁で野菜を切ったりできるワケですね。

こうした、生の営み全てが、体には刻まれています。
そうであるなら指先に触れるソレは、いってみればその方の人生そのものに触れているようなもの、という考え方もできるでしょう。

こうなると、ごく自然に、生命への敬意のような心境が芽生えてきます。
整体施術は、そこからがおもしろくなります…本当に。





打撲の大事

2019-08-20 | 2019年
身体的な不調をもたらす原因といわれるもののなかに、過去に身体に受けた打撲が原因である、とする考え方もあります。

子供の頃に親や学校の先生に、頭などをどこかで打つと「あとで悪くなるかもしれないから…」と言われた経験はないでしょうか?
打撲の怖さというのは、昔から感覚的には誰もがわかっていたのでしょう。
けれど、その影響が「あとで」出てくる性質があるため、因果関係を突き止めることが困難なのですね。

たとえば切り傷や擦り傷、骨折や捻挫などの外傷。
これらは、もちろん程度にもよりますが、軽ければ見た目ではほとんど影響のないくらいには回復します。
しかし、それが〝本当に〟影響がない状態にまで回復しているのかどうかは…実際には判別し難いように思います。

打撲の大事。
たとえば、事故や転んで頭を打ったなどの場合の打撲の激しさを見極めるには、腰椎2・3間を観ます。
この場合の操法としては、腰椎1〜3番の1側といわれる部位や胸椎の9番などを使いますが、潜在意識にショックの形跡が残らないよう身体から働きかけ、意識の深い部分での安心がもたらされやすいように導くことが大切になりますね。
もちろん、心の側からのアプローチが本質的なキモになることはいうまでもないことですので、ご本人がどれだけ心配しなくていいと心の奥で感じれるかどうか…。

また、古い打撲や故障の影響が残っているかどうかは、ご自分でもある程度はわかります。
それは、その部位を直接押さえてみて、深部に痛みを感じるかどうか。
痛みを薄くでも感じるようであれば、身体に何らかの影響が残っていることになります。
この場合はその部位、ならびに影響が波及している部位の機能回復を丁寧に施していくことになります。

こうした古い打撲の影響が消えると、表面的ではなく心身の深奥からリセットされたような感覚が味わえると思います。
打撲の影響というのは時間が経過すればするほどあっちこっちに波及しているものですから、それが消えるとなると…想像するだけでもワクワクしませんか?

それは全く新しい、でもどこか懐かしい自分自身と再会する機会となることでしょう。





出張セッション(企業様)

2019-08-19 | 2019年
(株)VTVジャパン・東京オフィスにて。栢野社長、そしてセッションのお世話をしていただいている社員様方。

東京と大阪にオフィスを構える『VTVジャパン株式会社』の東京オフィスに月に1度、大阪オフィスに3ヶ月に1度出張させていただいています。
昨年より始まったこの出張(整体施術)セッションも、開始から1年半が経過しました。
専用のベッドを会社で購入いただき、施術日に会社に行けばそのまま施術ができる環境を揃えていただいています。

当初、どの程度需要はあるのか…
社内で仕事の合間にというのはどうなのだろうか…
どこまで深いところにアプローチできるのか…

など、さまざまな懸念はありつつ始めました。
しかし、会社内というある一定の節度が保たれたなかでの施術というのは、ある部分では迅速な変化をおよぼすこともある、ということを確認したりしています。

この1年半の間で、東京・大阪とも毎回のように受けていただく方も増えました。
今後は、この機会を、さらにどんどん活用していただきたいと思っています。
限られた時間と機会ではありますが、そのなかで可能な限り身体と心に健やかさと生命力の漲りをもたらせることになればと、思っております。

今後ともよろしくお願い致します。





スクールについて

2019-08-09 | 2019年
海外から流入されるセラピーやヒーリングの理論や技法は、レベルごとにパッケージ化され、一定のガイドラインに沿って行われるものが多いように思います。

もちろん、こうした方式は各レベルごとに一定の基準を満たし、そのレベルにおいての個人の技術や認識の差異が少なくなりますし、それはそれで大切なことかもしれません。
ただ、実際のセッションやセラピー、ヒーリングの現場ではどうかというと、ボク個人の見解としては、こうしたマニュアル化された手法群や定型的な見(診、観)方ではなかなか難しいのではないか…と考えています。

たとえば、英語圏(そのほかの外国語でも同様)の方々の深層心理と、日本語で生まれ育った我々の深層心理が同じようなフレームに収まるでしょうか?
すべてを言語で表現しようとする文化(これをここでは〝有形の文化〟とします)と、曖昧さと「言わない」ことに美を見出してきた文化(これをここでは〝無形の文化〟とします)では、根底から違いが生じることは明らかなのではないでしょうか?
最近では、日本人もだいぶ「言わなければわからない」的な思考になってきてはいますが、長い間培われてきた深層心理は、そう易々とは変わるものではありません。

セラピーやヒーリング、カウンセリングなど人の心や身体の微妙なところに介入するこれらの行為というのは、ただ痛みや悩みそのほかを楽にするだけではなく、その背景にある繊細な社会的、あるいは心理的、身体的な要因に触れることを意味します。
マニュアル化された手法というのは、汎用性に優れ、その範囲に置いては概ね安定した結果を予想できる…というのは確かに利点なのでしょう。

けれど…実際の現場は、多様極まりない。
口から出てくる言葉と、本心で思っていることが一致することは稀…というか、そもそもこれが一致しないのが日本人的気質とも思えます。

身振り手振り、立ち方動き方、呼吸、表情…などの目に見える情報から、その奥にある目には見えない情報に触れていく。
脊椎を指先で観ていくという行為は、その方の言葉以前にある、目には見えない情報をつかむことにもなります。

脊椎の観察。
その読み取った情報を基にアプローチを組み立てるというのが流れになります。
ここまでは、ある程度決まった流れなのでマニュアルとして作成できるかもしれませんが、そこから先となると…一定のマニュアルはありません。
というか、マニュアルにはならないのです。

次回は、実際の施術で使う技術に入ります。
そこにおいて、マニュアルにはならないということの意味が、わかるでしょう。



威光暗示

2019-08-05 | 2019年
威光暗示(prestige suggestion )

社会的に高い地位や職業に与えられている価値付けを威光という。
威光のある個人や集団が意見や判断を示すと、受け取る側は無批判にそれを受け入れるという現象が生ずる。
これを威光暗示というが、有名人や専門家がしばしば商品の宣伝に使われるのは、この威光暗示の効果を狙ったものである。(『心理学辞典』より)


「暗示」というと、その言葉の響きからなんとなく「暗に誘導する」ような、なんとなく背筋に寒いものが走るような、そういう印象を持ってしまう方も多いでしょう。
このような「暗示」への印象、見解を持っているとすれば、ではナゼそのような印象や見解を持っているのか…それを明確に説明できる人というのは、たぶんいませんよね?
誤解、偏見、歪曲した見方…これらは、確かに「暗示」による効果の一つかもしれません。

実際、ボクたちの日常は「暗示」にまみれている…ともいえます。
TV、CM、雑誌、電車の吊り広告などは上の威光暗示のわかりやすい例ですが、それによって得られる経済的な効果は莫大なものがあるからこそ、こうした手法を使うのです。
たとえば、化粧品などの新商品のCMで、美しい容貌の、その商品のイメージに合ったキャラクターを起用しておおいに幻想を喚起させるのは、そのまま「暗示」になっています。

つまり、「暗示」というのは、個人の内面にもともとある欲求や信念に火を点ける役目をするものを意味します。
「〇〇は〇〇だ」と言ったり、時折「これで怖れるものは無くなる」のような直接的なメッセージには、暗示的な効果はありません。
そうでなく、〝なんとなく〟心の内側にひっかかるような、奥底から湧いてくるようなものでなければ、暗示にはならないのです。

威光暗示の威力は、やはりまだまだTVがもっとも発揮される媒体ではないでしょうか?
ニュースで「今年は花粉が過去最高」と言えば、毎年であっても花粉グッズが飛ぶように売れていますし、「インフルは流行る」といえば、こぞって予防接種に行くなど、その影響力は計り知れないものがあります。
「『花粉、インフル…これ直接言ってるから暗示じゃないのでは…」と思うかもしれませんが、ニュースやワイドショーでは「お気をつけください」とはいいますが、グッズを揃えろとは言いませんね。
不安や恐怖に火を点けさえすれば、あとは勝手に自分たちで行動することはわかっていての報道ですから…まあ、見事な威光暗示かなと。

ある特定の病名を流行らせる際も、こういう手法はよく使われます。
花粉系統もそうかと思いますが、最近では「逆流性…」といわれたという方がたまにおられます。
でもそれって、ちょっと前でいう「胸焼け」ですよね…と言うと、不機嫌になられてしまったりします。
自分のよくわからない体調不良で不安なところに、「病名」が付く。
これというのは、医師という権威に、自分の持ち物に特別なラベルを与えてもらった…というような心理効果をもたらすことも、ままあります。
白衣への威光暗示は、ある世代から上の方々には特に強いように感じます。

こうした威光暗示効果が発揮されている場合、セッションさせていただいて、たとえばはっきりと体調や精神状態が好転しても、暗示効果によって、自分で「具合の悪い自分」に引き戻すことも心は無自覚に行います。
こうした場合は、その無自覚な信念を自覚できるようになることが、最初のステップになります。
そのステップが成されたのであれば、病名に関わらずスムーズな好転が引き起こされる可能性は飛躍的に高くなる…のですけれど。




セミナーについて

2019-08-04 | 2019年
大分は、お祭りの時期でした(撮影・大分駅前)



〝「自分を愛する」とは、どういうことでしょう?〟
〝「自分を愛するように他者を愛せ」とは、どういうことでしょう?〟


…7月下旬からの九州巡業。
今回も、さまざまにお世話いただいた皆様、まずは謹んで御礼申し上げます。
そして、お会いさせていただいた全ての皆様に、篤く御礼申し上げます。
ありがとうございました。

上の2つの問いは、今回、熱い要望によって実現した『愛』についてのセミナーの冒頭で、ご参加いただいた皆様に投げかけた問いの一部です。
このような問いから始まり、西洋・東洋での「愛」の変遷などを知識として認識していただいたり、さまざまな内的ワークをしていただいたり…。
参加者の皆様は、それぞれ泣いたり笑ったり、悔しがったり落ち込んだりを経験しつつ、最後にはなぜかさわやか(?)な気分が訪れるという、不思議な体感のセミナーとなり、好評でした。

こうした一種曖昧でどうにでも解釈できそうなフワフワしたテーマは、多くの場合哲学的な方向に向かいアタマでの理解に偏りがちになりますが、私が扱う場合は、そうしたアタマでの理解は最低限にして、いわゆる「腑に落ちる」ことを大切にします。

ある一つの答え、ある一つの正解、ある一つの理解。
それを問い、考え、模索してもらうセミナーではありません。
セミナーに限らず、スクールやセッションでも一貫して共通しているのは、唯一の答えを求めるのではない、ということ。
学校教育で求められるような優等生的な答えではなく、その方自身の肚から湧き上がってくるその方自身の言葉を引き出していきます。

次回、9月には『愛とお金』というテーマでお願いできないか…と、これまた熱い要望をいただきました。
「愛」そして「お金」…一見するだけでは関連性に乏しいような印象を抱かれるかもしれませんが、実はとっても関連していたりします。
「愛」だけ、あるいは「お金」だけをテーマにするよりもかなり実際的で、参加者の皆様がそれぞれ腑に落とすことができるようにも、思っています。
だからといって、儲ける方法やモテる方法などを、ご教示するのではありません。
そうした内容は、ネットを検索すれば有り余るほど、提示されていますし、あまり意義を感じるものではありません。

そういう内容ではなく、もっと本質的で、もっと根源的。

次回は、9月21日(土)。
開催場所はこちらになります。
参加希望など、お問い合わせはこちらまで、お願いいたします。