『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

ブルック

2011-05-21 | 2011年
『指南塾』開講にあたり、「これだけはあった方がよい」というもの。

それは「全身骨格模型」。




…いわゆる整体院や治療院であれば、一体や二体は普通にあるもの…
という認識のある方も多いかもしれません。

この「模型」があるだけで、

○全身の「骨」の有様
○「骨」そのものの構造
○その「骨」の組み合わせから成る「関節」の有様
○「関節」の構造と機能

などが、一目瞭然で説明可能になるのですから、それはやはり重宝されます。

私の場合は、それ(模型)があることによる全体的な雰囲気、波動の在り方、気の流れなどを
考慮して、またできるかぎり「モノ」を増やさないよう心がけていることもあり、これまで
空間に組み込むことは、避けてきました。

しかし、『指南塾』としてこの空間で専門的な内容をご指導させていただくことを契機に、
やってきていただくことに


それが、彼、「ブルック」です。



彼の目の前にあるのは、京都・開晴亭の『ビーフカツサンド」



ちょうど近くの東急百貨店たまプラーザ店にて、「京都・老舗名店の味」というのをやっていて、
食べてみましたが、やはり老舗!という感じでした

ブルックにも喜んでいただけたようで、何よりです。。。
(ちなみに、名前の由来は…わかる人にはすぐわかります、ね。
某少年マンガのキャラクターから、です)



何はともあれ、ブルック共々、今後とも精進精進。

宜しくお願いいたします





均整指南・身体均整法基礎講座 Vol.2(5月15日)

2011-05-19 | 2011年
実修の中心は、「触れ、動かす」こと。
そして、他者を鑑みて、自ら「体感」し「体験」すること。



人間の「身体」は、一様ではない…
ということは、頭ではわかってはいても、実際に他者に「触れ、動かす」ことを行ってみる、
そしてその実際を「体感」し「体験」すると、その思っていることと実際のギャップに驚かれる方
は、多くいます。

自動車の運転でも、トンカチ打つのでもそうですが、、見るのとやるのでは全然違います。
そういうことを肌感覚で感じることも、、、学び事としては大切かも、しれません。。



今回は、少しだけ「姿勢」をより深く観てみました



たとえば、立った姿勢で閉目する。

人間は通常、「立つ」という行為をそれこそ文字通り「なにげなく」行っています。
その、特に意識せずとも「なにげなく」できる「立つ」という行為も、閉目、つまり
「目をつぶる」だけで、全く異質の感覚を心に想起させます。

人が、いかに「目」という感覚器官に大きく依存しているか。
それはただ閉目して立つだけで、著しく平衡感覚が減少することからも、わかるでしょう。

前後に揺れる
左右に揺れる
廻るように揺れる…

など、人により、その時々により異なるこれらの「揺れ」の違いと、筋肉や骨格により形成される
「姿勢」との関連を「体感」し「体験」することで、頭でなく「ハラ」で識ることをメインに、
今回も和気あいあいと愉しい講座(?)となったことと、、、思います


次回以降から、本格的に「触れ、動かす」実修中心のカリキュラム。
しっかり「体感」し「体験」によって「体認」していただければと、思います


何とぞ宜しく、お願いいたします。








2011.4.21 Tコラボ茶会「呼吸による身体的・心理的緊張解放のワーク」報告

2011-05-05 | 2011年
今回のTコラボ茶会は、「呼吸」による7つのエクササイズを通して、実際的に 自分の
心と身体のコントロールを試みる、という内容でした。

「呼吸法」というと、現在ではそこかしこに情報が溢れています。
「腹式呼吸」「逆腹式呼吸」など、いわゆる「健康」に関心のある方々にとっては
もはやお馴染みな表現なのではないでしょうか?

ただし、

「知っている」のと
「できている」というのは、ちがいますけれど…



この「呼吸」という人間にとって必須の生命維持活動を、古来より伝えられる
さまざまな概念とともに見つめ直すところから始めさせていただきました

☆睡眠時の無自覚な緊張感をリセットする呼吸ワーク
☆心の奥にある恐怖感に気づき、緩和する呼吸ワーク
☆平静な心を取り戻す呼吸ワーク
☆筋肉に残存するトラウマ的痛みを抜いていく呼吸ワーク
☆落ち込みがちな心に活気を促す呼吸ワーク
☆こわばった身体をゆるめ、落ち着きを促す呼吸ワーク
☆心身を解き放つ呼吸ワーク

…というメニュー構成は、現在の社会的状況に私なりに配慮させていただきました。

よくいわれるように、「呼吸」の在り方と「身体」「心」の在り方は深いつながりがあります。
たとえば、「怒り」を発することで血圧は上昇し、脈拍は増加します。
その時、「呼吸は」浅く、荒々しいものとなっているのです。

このような時、その「怒り」の原因云々を問うより先に、「身体」と「心」を まずは平常時に
リセットすることを考えてみましょう。

それには、ともかく深く優しい「呼吸」をしてみることです。
ただそれだけでも、数分で「怒り」は鎮静していきます。

このように、「呼吸」によって感情のコントロールをすることもできます。
さらにいえば、平素日常から「呼吸」を意識的にトレーニングしておくことは、それだけで
「身体」「心」両面での健やかさと安定を保つことにつながります。


トレーニングというと「なんだか大変…」な気分になってしまうかも
しれませんが、全然そんなことはありません
たとえば今回ご指導させていただいたメニューは、それぞれほんの数分で相応の成果を感じる
ようにコーディネイトしたものです。

しかも、基本となる方法はたったひとつだけ

実際に、意識的に呼吸すると過呼吸になってしまうという方にも御参加いただいた のですが、
全然そんなことを感じさせず、なだらかにエクササイズされていました。
(ブログに掲載いただきありがとうございますでも、なぜかリンクできません・・)

さて、今回もご参加いただいた皆様の熱心な受講姿勢により、大いに助けられました。
そのことにより、こちらのパワーもドンドン引き出されるようでも、あります。
本当にありがとうございました。

また、サロン主宰クロノ先生、いつもながらあちらこちらに気配りを頂き、いつもながら感謝しております。

次回もまた、宜しくお願いいたします。






均整指南・身体均整法基礎講座 開講!

2011-05-04 | 2011年
伊勢から戻ってその翌々日、4月17日に

「均整指南・身体均整法基礎講座」

の第一回目の講義をさせていただきました。


以前に、このブログで受講希望者の方を募ったこともありますけれど、ほどなく締め切り。
おかげさまで、「身体」に関して好奇心とやる気の旺盛な方々が集まりました。



『身体均整法』は、もともとは西洋医学と東洋医学の谷間を埋める「第三の医学」としての
樹立を目指していました。
創始から丸60年が経過したいまでも、全国各地にさまざまなカタチで組織的に
活動し、そこでは後進の育成に励まれても、います。

この「均整指南・身体均整法基礎講座」では、そうしたいわゆるアカデミックな方向性では
なく、まずは他者の「身体」に実際に触れ動かし、それによってどのような変化を「身体」は
起こすのかを、体感・体験していくことを主眼としたものです。

言い換えれば、「理論」「理屈」をマニュアル的に覚えていくことは最低限に、実際の場で
実際に役立つ活きた技術と、それを可能にする意識と身体の運用を体得していく・・・
といったことになるでしょう、か。。。



また、この講座は、TAMURATIC錬達舎の『指南塾』というカテゴリーの活動の一環です。
いわゆる「資格」を与えるための講座では、ありません。
それぞれがそれぞれの意志のもとに、自主的に学びを重ねていく「場」ですので、非常に
和やか~な雰囲気のなか(女性多しですし)、講義させていただいています。



創始から60年、というと、理論も技術も古くさいもの…
もしかしたら、そう思われる向きもあるかもしれません。

確かに、そういう面もあることは間違いのないところでしょう。

ただ、もし本当にそうであるなら、このさまざまな面で新陳代謝の激しい現代において、
ほぼその初期の原型を留めたまま遺っているでしょうか?



私が「身体均整法」を学び始めた頃(1994年)、学院長でもあり私の最初の師でもあったO先生は
ほとんど口癖のようにこう云われていました。

「均整は技術を教えるのでなく、原理原則を教えている」


…当時は、その膨大とも思える体系と次々現れる豊富な技術に圧倒されていた時期でもあり、
このようにいわれても何となくそうなんだろうな~くらいにしか思っていませんでしたが、
いまとなっては、その意味はよ~くわかります



この基礎講座では、ただ漫然とカリキュラムをこなすのではなく、
また、体育会系なノリでワザの練成を目指すのでもなく(まあ、ほんのちょっぴりはあるかも…
その「原理・原則」を、体感・体験を通じて体得してもらえれば…

そういうノリで、楽しくやっていきま~す。
…というわけで、受講者のみなさま、よろしくお願いいたします








神社おそうじ隊 見参! 番外編:伊勢 その四

2011-05-03 | 神社おそうじ隊 見参! 2011年
皇大神宮別宮『伊雑宮(いざわのみや)』






伊勢神宮には、よく知られる内宮・外宮のほかに、百二十三の宮があります。
「そんなに」と思われるかもしれませんけれど、いうなれば「伊勢神宮」とは、
これら百二十五の神社の集合体なのです、ね。

この『伊雑宮』は、別宮であり、別宮とされる神社は全部で十四社あります。
古くから天照大御神の遙宮(とおのみや)と呼ばれ、深い信仰があるということです。

この『伊雑宮』もそうですが、伊勢神宮というのは古代への追憶、ロマンをかきたてます。
(有名な「倭姫命世記」など…)
それらは、人の知りたい、真実を解き明かしたいという願望を同時にかきたて、これまで
数多くの考証が重ねられ、さまざまな説が湧き上がってきているようです。

しかし「おそうじ隊」はそういうこととは関係なく

そこに何があろうと
もちろん、何もなかろうと

ただただ「いのり」、ただただ頭を垂れるのみ。。。



参拝後、境内脇の駐車場のさらにその裏に広がる「御神田」へ。
「御神田」をもつのは、別宮でも唯一なのだそうです。





写真ではほとんど伝わりませんが、心に沁みる素晴らしい空間でした
こうした風景に出会うこと、それそのものが大切なのかな、と。。。




前日の私の〈ナンチャッテ天気予報〉では、「晴れ6 曇り4」でした。
(ちなみに、雨かどうかは、全然調べてないです)
何のかんので、けっこうその通りな感じの天候。



さて、ここから『天岩戸神社』へと。
そして、ここからが、ある意味でのメインイベントとなったのでした…。


…この日の朝、「おそうじ隊」全員でのホテルバイキングの時に、タロットカードに

「今日はあなたがリーダー、導いてくださいね

と通達されたのは、今回私を除く唯一の男性参加者、K隊員

そもそも、レンタルしたその車に備えつけられていたナビ。
これが非常に見にくいらしく(私にはよくわからないけれど)、それまでの道中も何とも
アヤシいものでした。。。
(ちなみに、彼の名誉のために断っておくと、運転自体は慣れていて心配ない様子でした


「天岩戸神社」へ、その通りに向かいながら、突然方向を変える。。
変えるだけでなく、どうしてそっちに行くのかわからない「山」に入る。。

…など、普通に考えたら「リーダー失格」なことばかりされていたのでした。

しかし、その「アヤシい」にも、ワケがあるもの。
彼が「今日のリーダー」となった経緯もそうであれば、この道中でのハチャメチャな迷走もそう。



翻って考えてみれば、時に、

「あれ、オレ何やってたんだろ…」
「ワタシ、どうしてこんなところにいるの…」

ということはけっこう誰にでもあるもの、ではないでしょうか。

また、飲み過ぎて自分を失っても、だいたいはおウチに戻れます。
これを「帰巣本能」と説明するのはカンタンなれど、では、「その本能の出てくる元は…」と
なると「発生的に最も古い脳」とかいう方もいるかもですが、では、そこはナゼそのような
仕組みなのかというと、、、そこから先は、「仮説」になるかと思いますが、、、
さてさて、いかがでしょう



この時も、何のかんので、結局は「天岩戸神社」に到着するのですが、ハチャメチャな割に
大きくはルートを外していなかったり、します。

それをここでは、あえて「導かれた」と、いっておきましょう

誰に

まあそれは、隊員のみぞ知る、ということで。。










予想していたように、お地蔵さまやお不動さまなども多数おられました
「神」「仏」は、この日本においては、大きくシンクロしていますから、ね。


こちらから、さて本日のフィナーレ『外宮』へ…
…なのですが、K隊員、分かれ道で、「それワザと」というような逆走。。

まあ、ほどなく修正できたのですが、、、、何とも面白い道行きでした



そして、ほどなく到着。

お昼を食べずにここまで来た面々。
少々疲労の色をのぞかせるも、全員シャキシャキと『外宮』参拝。



何とも愛らしい目の「神馬」。




ここでは、やはり『多賀宮』
御祭神、豊受大御神の荒御魂をお祀りされています。






こちらは、百段くらいの石段の上にあるのですが、やはり大切なものは、上におくものです、ね。

感覚的な意味での「内宮」「外宮」のちがいを、個人的に体感したかったワタシ。
さてその感想は…というと、
「やはり歴史はそのままではわからんものだな~

という感じ、でした。。




これにて、『神社おそうじ隊 番外編:伊勢』は、終了です。

まずは、今回隊員となっていただいたAさん、Iさん、Kさん(女性)、Kさん(男性)
みなさまのおかげにて、大変によい伊勢の旅となりました

そして…

「おそうじ隊」について、私はたぶん、これといった説明をしなかったと思います。
まあ、求められてもおそらくはボカしてお答えしただろうとは思いますが
それにも関わらず、ああして楽しくご同行させていただいたこと、心より
ありがたく、また嬉しく思います。

「これこれこういう目的で・・・」
「ここにはこういうありがたいカミサマがいるので、みなさんこういう感じで・・・」

と、意識を同じ方向に向け、そのように参拝ロードを歩むことは、はっきりいってカンタン。
でも、これでは「おそうじ隊」ではなく、ただの「ツアー」と同じになってしまいます。

それはそれでありですし、よいとは思いますけれど…
ただ、「おそうじ隊」は、そうではないということです。


ただただ「いのり」、ただただ頭を垂れる。
そこで湧き上がる、定型化されていない、自らの「感覚」。

なんとなく、みなさまにはいわずとも伝わっているのだな…
そう感じておりました


今回のご同行、本当にありがとうございました。
できますれば、またの機会にもご同行できましたら、嬉しく思います




次回の「番外編」は、九月に「出雲」へ向かいます。
その前、六月に神奈川県横須賀市へ、日帰りでの「おそうじ隊」です。


さてさて、どうなりますことか…
愉しみ、です。