『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

指南塾・身体均整法基礎講座 Vol.3(6月19日)

2011-06-25 | 2011年
さて、4月より始まった月に一度の「からだの学び舎」。
3回目となる今回から、『身体均整法』の本格的なメソッド面に、(ほんの少し)入りました


私が学習した当時のレジュメを底本にしてお伝えしているため、必然的にその内容は
解剖学用語や医学的な説明などが多くなっています。
やはり、みなさんそのあたりで眼をシロクロさせているようでした…

まあ、でも、そういうものですので



『身体均整法』というのは、ある業界誌上で、「日本の整体のひとつの極点」と評されています。
それはどういうことかといえば、その体系のなかに、いわゆる「整体」で必要とされる要素が、
ギュッと濃縮して混在していることに、ひとつの根拠があるのです。


現在、特に都市圏ではどの街に行っても「整体」という看板をいくつかは目にすることが
できます。
その目にする看板にも、「~式・…法」のように、いくつかの手法を取り入れたスタイルを
標榜しているものも、決して少なくはないように思います。

それは、ある意味で、すでに飽和状態であることを示しても、います。



目先のメリット、派手な演出などに依らず、いわゆる「地力」を着実に身につける。
功を焦らず、そうした視点をもちつつ精進していく姿勢というのは、どのような時代の変化にも
対応しうる確かな根拠を、その身と心に宿すことでしょう。

将来的に独立独歩の道を行くにせよ行かないにせよ、その宿せし確かな根拠は、
生きていくどのような場面でも役立つこととなるように、思います。


私も、この『指南塾』によって毎回多くの学びを得ております。
それもまた、非常にありがたく…。


次回もまた、何とぞ宜しくお願いいたします






2011.6.13 「神社おそうじ隊 見参! 横須賀編」報告 その三

2011-06-21 | 神社おそうじ隊 見参! 2011年
午後。。。
目的地は、『八雲神社』
こちらは、地元・Iさんにとって大切な聖地でもあり。。。




見事な漆喰の金龍

ご祭神は、須佐男命。
かつては、修験の場であり、祈祷寺だったらしい。

その名残…ともいえる、不動明王像。



こちらでも、大祓詞、そして不動真言を唱えさせていただきました。

空間の密度が濃く、ここがかつては行(ぎょう)の場であったことを窺わせる、ヒシヒシとした気。
現在では、周囲を民家やマンションが囲んではいます。
しかし、そういったことは、やはり関係ないのです。。



それから、再び『ポンポン船』にて、西叶神社まで戻り、



車にて向かったのは『鴨居八幡神社』





ご祭神は
八幡神社:譽田別尊(ほんだわけのみこと)(第15代應神天皇)
須賀神社:素盞嗚尊(すさのおのみこと)
境内社: 天満社(てんまんしゃ)(天神さま) 稲荷神社
相  殿: (同じ社殿の中にお祀りされていること。) (あいどの) 大鳥(おおとり)神社
金刀比羅 (ことひら)神社
神明(しんめい)社
近戸(ちかど)社
御霊(ごれい)神社
亀崎(かめざき)神社
東照(とうしょう)神社

こちらは、お祭りの御神輿が海に入ったりと、エキサイティングらしいです
叶神社もそうでしたが、そこに「活気」を大いに感じる空間、でした。。。




そして、この日最後にお招きいただいたのは、『走水神社』





こちらの神社は、有名な某スピリチュアル・カウンセラーの方により紹介され、
一躍知られることとなった模様。
(でも、地元ではそれ以前から有名…当たり前ですけれど






ご祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)弟橘媛(おとたちばなひめ)

「走水(はしりみず)」は『古事記』『日本書紀』においても出てくる地名。
観光名所でもある観音崎ともほど近く、社殿へ登っていく石段からは、一段ごとに
海を広く見渡せます。。。

本殿からさらに脇へ抜けていくと、祠が出現。


諏訪神社 
神明社
須賀神社


この空間にて大祓詞を奏上させて、いただきました。。。
人により、この空間の印象は大きく分かれるだろうな…とひそやかに想いつつ。。




帰り際に撮影した写真。
まったく同じ地点で、このほんの10秒前に撮影したのが、「その一」の一番下のもの。

かように、現象の織り成す作用は、いつも変転しているのだなと、改めて実感。。。



さて、
二月の津久井郡、四月・番外編の伊勢、そして今回。

「神社」とは、「想い」「いのり」を通じて、「カミサマ」とつながる空間です。

「カミサマなんていない」「いや、人のなかに存在するのだ」的な、明確な答えの出しようのない
理屈をこねくるのもほどほどに、まず自らが自らの身と心をその「場」に置く。
そして、その空間、その波動を文字通り「体感」する。

「体感」することで、心身にはそれ相応の認識が生まれます。
既成概念によって頭でこねくった思考ではなく、感じたその瞬間に流れるように沸き立つ「想い」。
それは、概念という牢獄から解き放たれた、純粋性の際立つ清らかな波動を発していることでしょう。


その「想い」は、ここでいう「おそうじ」ということにつながっていくのです


今回の「おそうじ隊」にて、活動の方向性は確たるものとなったように思います。
それも、御参加いただいた御二方の真摯なる姿勢のおかげです。
今回の御参加、本当にありがとうございました


次回は、8月。
行く先はまだ未定ですが、ご興味あればお声かけください。

そして、その流れが、9月の「出雲」へと続いていきます。。。















2011.6.13 「神社おそうじ隊 見参! 横須賀編」報告 その二

2011-06-18 | 神社おそうじ隊 見参! 2011年
さて、舞台は黒船来航の地、浦賀に。
そう考えると、日本の歴史の、大きな転換地点でもあるのだなと、ふと思う…。。

西と東、対岸で向き合うように存在している『叶神社』に。






眼をひく見事な社殿彫刻








御祭神は

誉田別尊(応神天皇)
比売大神
息長帯比売命(神功皇后)  
   以上併せて八幡大神と尊称する。

とあります。


奥の頂を登り、大祓詞奏上



般若心経まで(ボソッ)。



そのあと、地元のIさん曰く「ポンポン船」で、対岸、東の叶神社へ。。









御祭神は、誉田別命(第15代応神天皇)

社殿にて参拝。
その後、脇の階段にて明神山を石段にて登り、奥の院へ。

この石段、けっこう長く、たぶん200段以上はあったような…。
みなさんけっこう大変そうでしたが、ワシワシと登っておられました








こちらの社叢林は、県指定の天然記念物だそう。

そのなかに確かに佇む、奥の院。

こちらでも、大祓詞&岩笛を…。
(あ、ドニパトロを鳴らしていた方もいたな…


…この西と東の叶神社は、今でも関係は深いそうです。
なんでも、「縁結び」でも有名だとか…。

ずっとずっと、人々に親しまれてきた神社。
そうした「場」は、独特の『活きた』気を発しているものです。

何ともいえぬ、ぬくもりのような気持ちを心に覚えながら、午前の「おそうじ」活動を
終えました。。。



ランチは、「地元では知らない人のいない」とポンポン船の船頭さんがいわれていた
イタリアンレストランへ
そういう「場」を満喫するのが「おそうじ隊」なので、迷わずそこに

写真は失念してましたが
地元の方がひっきりなしに来店する、美味しいお店でした。



ということで、次回へ…






2011.6.13 「神社おそうじ隊 見参! 横須賀編」報告 その一

2011-06-15 | 神社おそうじ隊 見参! 2011年
「神社おそうじ隊 見参!」。

この活動は、人間の持つ大いなる働きともいえる、意識に深く積み重ねられてきた

「想い」「いのり」

を原点として、神職のいわば本領ともいえる「カミ」と「ヒト」との仲執り持ちを
させていただいています。


この活動は、原則的に二ヶ月に一度。
しばらくは神奈川県内を巡ることになっています。
そして、番外編として年に一、二度、神奈川県を離れ、神話や歴史の主要な舞台である
日本各地を転々とします。
今年は、すでに四月の「伊勢」を終え、九月の「出雲」を予定しています。



今回は神奈川県横須賀市住吉神社を起点として、そこから
縁によってつながれし様々な神社へと、導かれていきました。






今回隊員として御参加頂いたのは、この地を地元として育ったIさんと、この地と縁の深いMさん。
このお二人の御陰様にて、とても中身の濃い参拝ロードとなりました




社殿はこのような感じです。

今回の行く先は…と聞いて調べてみたら、こちらにご縁がつながりました。
「なぜここに…?」と問われても、それは私もよくわかりません。。。
そういったことを問うことに、さして意味を感じもしませんし

今回のご縁の感謝をお伝えし、皆で大祓詞を奏上。



さて、、
「神社おそうじ隊」のコンセプト(というほどのこともないが)は、

「その地域、その〈場〉を満喫する」

というもの。
それは、神社であり、街であり、山であり、海であり、ヒトであり、食べ物であり…
そうした行動原理を心のどこかにちょっと携えておくことで、より深く、より濃い
「おそうじ」になるのではないかと、思いますので。。。

朝少しパラついていた雨も落ち着き、ここからまさにそのコンセプト通りの、
横須賀満喫ロードとなりました。

いや、あまりに『濃い』ので、三回くらいに分けてお伝えいたします。

どれくらい『濃い』のかというと、、、
たとえば、この日最後に訪れた「走水神社」では、



こういう写真が撮れましたし、、、
…ということで、次回





小児調整 おねしょ

2011-06-02 | 2011年
以前のブログでも、「小児の調整」と題して身体均整法的な子どもの身体への
アプローチを、ご紹介したことがありました。
(よければ、上のリンクから

また、これまでの自身の経験からもいえることですけれど、子どもの身体と
いうのは、実に素直です。
調子が良ければ良いなりに変化し、悪ければそれなりの状態をとります。
オトナの身体もそうではないのか…といわれると、オトナもそうではありますが、まあ
いろいろとこんがらがって現れますので




ここでいう「小児」とは、年齢でいえば大体3歳位から11~12歳位の間を
指しています。

このくらいの「小児」たちの起こす体調不良は、ほとんどの場合、「成長」のプロセスとして
の症状であり、何かのつまづきや葛藤などから起こるものも多くあります。

こう親御さんに申し上げてみると、

「ええ、子どもでも何か葛藤したりするのですか?」
「成長プロセスで具合悪くなるなんて、変です」

と反応されることも多いですが
そういう場合は「自分の子どもの時を思い出してみると、少しわかりませんか~」と、
明るく応対するように、しています。。



さて、それで…
今日は「おねしょ」について、少し。

たとえば、身体均整法では、「夜尿症」の項にて

1、左脚の可動制限
2、伏臥位(うつぶせ)で踵をお尻につけようとするとつかない
3、また、その時にお尻が浮いてしまう
4、左肘を肩につけるように曲げてつかない
5、脳下垂体
6、精神性

と大きく6つに分類しています。

これまでの経験上、「おねしょ」で困っているお子さんは、概ねこのどれかの傾向をもっています。
ピッタリ当てはまっている場合は、それに応じたアプローチ技術を数回施させていただければ、
まずは落ち着きます。
もちろん、ほかに医療的な処置が必要かどうかなどの見極めをしつつ、これといって
異常がなければ、ですけれど。


また、「おねしょ」には『6、精神性』の要素が大きく関わります。
多いのは、自分の下に弟や妹ができた場合にしてしまうもの。

かまってもらえないことへの反発。
いいしれぬ寂しさ、孤独感。
理性では「兄、姉であること」を受け入れながらも、深層に潜む羨望。

…など、人が人である以上あらかじめ備わるこれらの心理は、理性の薄れた就寝時には
起動してしまうもの、でしょう。

それは、誰にも責められるものでは、ないように思います。

私の場合、アプローチ技術はもちろん綿密な観察のうえで施させていただきます。
とはいえ、やはり大きな比重を占めるのは、親御さんの在り方。
そちらも同時に、アプローチとなりますね



「おねしょ」もまた、成長のプロセス。
考え方によっては「自分」と「自分以外」の関係性を学ぶ、よい機会ともいえます。

…意外と、やっているお子さん自身はあっけらかんとしていることも多いですよ、ね
そういう場合、「しちゃいけない」という強制は、それこそしちゃいけません、よ、ね

そのときは親御さんもまた、関係性を学ぶよい機会…になのかも、しれません。。。







2011.5.26 Tコラボ茶会「『慈悲』と『いのり』のワーク」報告

2011-06-01 | 2011年
たとえばそれが、

体調不良
病気

といった場合であれ、

人間関係
お金関係

といったことであれ、あるいは

就職
進学

といったことであれ、

何かの信仰があるなしに関わらず、手を合わせ「何か」に祈ったことのない人など、
ある一定の年齢以上の方であれば、たぶんほとんどいないのではないでしょうか。

そうそう、
いまやごっちゃになってしまっているけれど、「信仰」と「いのり」は本来的に
まったく別のもの。




私は、基本的に身体的・心理的なアプローチをさせていただく時でも、またこのように
ワークショップという形式でさまざまな事をご指導させていただく時でも、声に大にして
何かのメッセージを伝える、といったことはほとんどありません。

どちらかといえばその対極。
こちらから「問いかける」ような方向性、だといえるでしょうか。



しかし、今回はちょっと違ったかも、しれません。



「いのり」。

たぶん、この世界は、さまざまな「いのり」に満ち溢れている。

雨が何日も降り続いたあとの快晴。
そのとき、いったいどれほどの人々が空に感謝を捧げるのだろう。

寒々とした冬の、木の葉のひとつもついていない木々。
春になり、青々とした葉が主張し始める頃、いったいどれほどの人々が心に喜びを
迎え入れ、その瞬間生きている実感を得ることだろう。


このように想ったとき、「いのり」は、何も特別なことではなく…。

確かに、

「こう祈れば願いがかなう」
「こう唱えれば○○に作用する」

というような方法もありますし、そういうことにも私は随分詳しいつもりです。

でも、「祈り」を「いのり」として捉え直してみた時に、そうした「方法」をご指導
させていただく気には、私はなりませんでした。



「慈悲」という、人間のいわば根幹にあるもの。
それは、自と他を分かつあらゆる判別を超えた先にある波動。

この波動を養い、高め、引き出し、そして「いのり」…。



ダイレクトに、まっすぐただただ行った今回のワーク。
「指南塾」に来ていただいている皆様、そして2回目参加のAさんはどのように
感じられたことでしょう。

願わくは、日々生きていくどこかで、こうした「いのり」を…まあ、みなさん
いわなくても実践されていることでしょうけれど



また、今回もこちらの要望に素敵な花々をご用意いただきました、サロン主宰クロノ先生
相変わらずのみごとな中国茶ともども、感謝しております





また次回…

あ、6月は『神社おそうじ隊 見参! 横須賀』「清祓いワーク』です。
こちらについても、近日記事をアップいたします。


ご興味ある方、お気軽にメールにてお問い合わせください。

info@tamuratic.com