『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

2015.12.22 『清祓ノ儀』のお知らせ

2015-12-16 | 2015年
「大祓(おおはらえ)」とは、

「古代・中世に行われた神事儀礼のひとつ。人が知らず知らずのうちに犯した罪や穢(けがれ)を除去し、それによって災厄を避けることを目的とした…」

…と、『神道事典』には表記される。

ここでいう「罪」とは、規範や秩序を犯す行為、また危険・不浄なものとして忌避すべき自然的凶事を含めた観念をも指すもので、具体的には神社祭祀などで奏上される「大祓詞」や、古事記、日本書紀などに天津罪・国津罪(農耕妨害、障害、殺人、不倫姦淫などの反社会的行為、病患、災禍など)として列記された事項のことをいう。

「穢」は、「汚れて悪しき状態。清浄の反対の観念。神道において忌まれる状態」とあり、「罪」が人為的であるのに対し、「穢」はどちらかといえば自然発生的な観念である。
汚濁が身につくと、社会・共同体に災いがもたらされると考えられている。

神道において特徴的なのは、「罪」は「祓」で、「穢」は「禊」で浄化できると考えられているところ。
そして、キリスト教でいう原罪という観念のように、人間は元来罪ある存在とは考えられていないところ。


「大祓」の「大」は社会、国家といった意味で、個人をというよりはむしろ社会全体の「罪」「穢」を祓うといったニュアンスが本来は強い。
『神祇令』という、律令制国家の公的祭祀の大網を定めた篇があり、そこには毎年六月十二月晦日(みそかび)に朝廷で天皇以下全官人、官人の家族までを対象として行われる二季の恒例大祓と、諸国で臨時に行われる臨時大祓とが載っているらしい。
そのほか、謀反、穢があったとき、大嘗祭など重要な神事の際などに朝廷で臨時に行われていたという。
恒例大祓の創始は、七世紀末とする説が有力…と『神道事典』にはある。


この「大祓」、一度、十五世紀に中途断絶したという。
近世(日本史では,後期封建制の時期の安土桃山・江戸時代をいうらしい)に入り再興されたが、中世以前とはだいぶ異なったものであったという。
明治になって、ある程度旧儀に則したものが再興された…とされている。


…ここまでが、一般的(公的)にいう「大祓」の基礎知識。
現在、日本各所の神社で行われている「晦日(つごもり)の大祓」も、明治以降に再興された規範に則り、行われる。



2015年12月22日。
冬至の日に行われる『清祓ノ儀』
北半球で太陽の高さが最も低くなるこの日は、暦の上でまさに「冬の至り(頂点)」。
季節の転じる境目、陰陽転換の境目ともいえます。
その大いなる転換の中にて行う、「祓」。

ここで行われる「祓」は、国家、社会といった単位のものではありません。
それらもまた、人の行為、ひいては想いのひとつの現れに過ぎないと、捉えます。

「罪」は「つみ」、「穢」は「けがれ」と、漢字ではなくひらがなとします。
文字というよりは、そのひとつひとつの「音」に本質がある、そう捉えます。

地、水、火、風…万物を構成する四元素。
コトバ(言霊)…。

形式以前、カタチ以前にある、「いのち」への感謝。
ここから、『清祓ノ儀』は、始まります。


よろしければ、こちらよりお申し込みください




ある日の施術(一般・調整)2

2015-12-12 | 2015年
30代女性。
今年中学生になった息子さんの、ある行動によりショックを受ける。
その行動というのは、フルコンタクト空手などでは日常的に見られるシーンではあるが、それが親子間で起きればショックだろう。
それは、あくまでも偶発的に起きたことで、日常的に行われていることではないにせよ…。

耳の後ろ辺り、頭蓋内面の熱感や痛みがひかない…
頚椎、首がムチ打ちのようだ…
そして…何よりショックで…

外部からの衝撃、打撃的なダメージというのは、肉体的に明らかな“刻印”を残す場合がある。
それは、受けた衝撃の大きさもさることながら、どの程度「不意」に起きたことか、という点が大きい。
つまり、《予想外》であればあるほど、身体的にも、そして心理的にもダメージは深くなる。
このケースの場合は、まさにこの《予想外》にあたり、さらには与えられた物理的ダメージに加え、親子間であることから心理的なショックも強い。

追突事故や転落、何かしらの打撃によるダメージというのは、大きく「打撲」として捉えられる。
起きた出来事はそれぞれだが、その際に起きる人間の反応というのに大差はなく、その反応がどの程度起きているのか…それによって、身体状況は決まる。

自己防衛、自己保存本能という基本設定、プログラム。
ここから起きる反応により、ある特定のパターン的な筋緊張が、脊柱起立筋(および、その深層筋)に生じる。
不意に起きた、突発的な「打撲」の場合、自覚できない領域での「恐怖」反応が起き、筋肉はロックされ硬直するので、必然的にそのロックを外し、「恐怖」反応をもうする必要がないと心が納得するように身体を施術していく。

身体的な反応、そしてロックされた硬直が緩解。
心身相関の理論からいえば、心理的なショック、ダメージも、この時点でほとんど解きほぐされていることになるのだが…実際の現場では、

「その時のことを思い出すと…」

となる。
人間には“記憶”というメモリー機能があるのだから、そうそうカンタンにはいかない。

怒り、悲しみ…起きた出来事への、感情的な解釈やこだわり…。
これらを、さまざまな角度から“HINOMOTO”という技術で解放していく。



「来た時とは明らかに別人だわ~」

本来明るい、この女性のキャラクターが発揮してきた頃、この日の施術を終了。
時間的には、来てからお帰りになるまですべて含め、トータルで1時間ちょっと。



一般・調整コースの、日常の一コマ。



ある日の施術(一般・調整)

2015-12-07 | 2015年
今年80歳になる女性。
ずっと北海道で暮らしてきたけれど、ここ数年で冬の厳しさや動くことが大変になり、神奈川に移住されることに。

初来訪時、歩くのも大変なほどで、車で連れてこられた娘さんの手を借りつつ上がってこられた。

ご本人の性格は明るく、にこやかに話され、小柄ではあるものの、この世代の方らしく骨格的にしっかりとした体格をされている。
そうでなければ、この現状では今時なかなか平気ではいられないだろうな…そういう状況だった。

左右とも足のむくみがひどく、夜もあまり眠れないという。
腰や膝の痛みがあり、特に膝が大変。
目がかすんで、文字がうまく読めない。

…おおまかな施術の希望はこんなところだが、過去には何度か内臓の手術をされていることもあり、いろいろと気になるご様子だった。


施術開始。
まずは最初のプロセス、「観察」から入るのがベーシック。

仰臥位(仰向け)になっていただき、各部位の状態を調べる。
この姿勢をとること自体に問題はないようで、まずは一安心。
状態によっては、仰向けになること自体が大変な場合もあるので、注意が必要だ。

下肢。
足関節周囲、経絡でいう胆経や胃経、内転筋、膝立位にして膝を左右に倒す…など、いくつかのポイントを確認する。

腹部、胸部。
経穴、あるいは整体や身体均整法に伝わる腹部反応点やライン、独自に見つけた反応点などを確認する。
これで何をしているかといえば、内臓器官の状態を調べているのだ。

頚椎の歪みや頭部の位置などを確認。


そして、伏臥位(うつ伏せ)。

特徴的だったのは、右側の脊柱起立筋の膨隆。
明らかに左側とは高さや硬さが違い、それは同行された娘さんでも確認できるほどだった。

各脊椎の平衡性(バランス)、可動性(動き)、強弱性(強さや弱さ)を、指先で探る。
1S、2S、3S4Sの各ラインも同時に観察する。
標準的には頚椎7個、胸椎12個、腰椎5個、仙椎5個、尾椎とある脊椎は、それぞれが脊髄神経を介して関連する筋肉、関節、内臓があり、その状況によって関連する器官の現状を知ることができる。
それを指先で探り、必要な調整を施すことになる。

腓腹筋やヒラメ筋(ふくらはぎ)を触ると、やはりそれなりに痛みがある。
しかし、鈍ってはいない。

伏臥位のまま、下肢の徒手による筋力テストをいくつか行う。
大きな歪みもなく、それなりに力はいることを確認できた。


ここまでで、だいたい5分くらい。

「観察」により得られた情報を基に、今日行う施術内容をプランニングする。
このプロセスを「設計」というが、だいたいは「観察」しながら決まっていくので、ここには時間はほとんど必要ない。



そして、「調整」

ボクの場合、「過去どんな病気をしたか」や「どういう大変な思いをしたか」というのは、一応参考までにお聞きすることはするが、ほとんど重要視しない。
なぜかと端的いえば、それはあくまでも「過去」であり、「いま」にないことだから。
一応聞くのは、たとえば医学的な手術で失われた内臓があったり、切った箇所があったりすると、それだけで起きる反応が変わったりするから。
そういう意味で、現在服用している薬には、注意が必要だ。

また、「いま」ということでも、「病名」にはあまり拘泥しない。
なぜなら、「病名」は医療の、医療基準によって決めることで、いってみれば現状を指し示すひとつの指針、ラベルに過ぎないからだ。
「調整」するのはただそこに在る身体であって、病名ではないのだから。
もちろん、現状を知る参考にはなるし、無視するということもないけれど、それ以上の意味はない。

どちらかといえば、「病名」というレッテルを医師から診断されてもらうことによる「私は~なのだ」という心理的なとらわれの方が、症状そのものよりやっかいだったりする。
それをここでは「とらわれ」といい、気まぐれに「呪縛」と呼び直すこともある。


なるべく痛みのない、楽な姿勢、動き、押圧の感覚を意識する。
呼吸や気のリズム、間合いなども同様に。
仰臥、伏臥の両姿位での、動作や痛みの変化を確認しながら、丁寧に。


この時の「調整」は、だいたい10分程度だったと思う。

時間の長い短いに本質的な意味は全くないのだけれど、受ける側からすれば、施術時間はあまり長くない方が楽だろう。


ご本人が気にされていたむくみや痛みの、変化を「確認」して終了。
起きた瞬間に、「軽い!」と驚かれたことで、その状況も推し量れる。

どうにか歩けるくらいであったのが、帰りには割合楽に歩いているように見受けられた。




2週間に1度の施術で、本日、3度目の施術日。
入ってきて早々に、「ここ4日ほど、連日外出してあちこち歩き回ってます…けど、多少疲れるくらいでどこも気にならない」とのご報告。
仰臥位や伏臥位の「観察」でも、ほとんど反応点に痛みもなく、また手足も軽やかに動いていた。



一般・調整コースの、日常の一コマ。






改めて、よろしくお願いいたします!

2015-12-05 | 2015年
このブログになってから、今日で丸々6年の月日が流れました(最下部までスクロールしてください)、

そして、こちらのブログはそれ以前。
2008年の11月から、開始してるんですね
改めて読み返してみると、さまざまな意味での変遷を確認することができます。
この頃は、ちょっとした文章でも2時間くらいかけ、必死になって書いていました…懐かしいような、思い出したくないような…

ともあれ、
これだけの月日、ブツ切りではあっても継続してこれたのは、ひとえに読んでいただいている方々がいるからですね
ボクはそもそも、日記みたいなモノは1週間も続かないタイプでしたので、ホントにそう思います。。
ブログ上で恐縮ですが、本当にありがとうございます



さて、
昔のブログを久しぶりに開いてみて、

「そういえば、このブログにはあまり症例や、どんな人が来ているかなんて、書いてないな~

と、改めて思いました。

まあ、そもそもは意図的にそうしたワケで
ある頃から、いろいろとあって、いわゆる症例や来訪者の方々のことなど書くことを止めました。

ボクの行っている施術の内容や、詳細に触れるのも、止めた。
こちらの方は、日々、というか一人一人ごとに深化(“進化”なんて、いわないよ)が激しく、とても言葉にできないな、という実感がずっと続いていたからなのだけれど…
それも、ここ最近である一定の段階まできたなと、実感するに至りました



これらも、そろそろ解禁でいいのかな、と。
ずっと引っ込んでいたので、ネットの中ではすでに浦島太郎状態かもしれないけれど…まあ、すぐに若返るし


カンタンに前フリだけしておくと…
ボクのところでは、一般的な整体のイメージ、腰、肩、首、背中、膝、骨盤…といったパーツは当然のこと、胃、腸、腎臓、肝臓、肺…といった内臓の調整もさせていただいています。
また、頭蓋の調整も、オステオパシーやカイロプラクティック、またその他の頭蓋調整とは一線を画す方法で行っています。
整体といえば、関節や筋肉、という時代はとうに終わっています。
現代的な、医学的にも原因不明のような症状であっても対処できなければ、これから先は淘汰されていくばかりです。
そういう時代になることを十数年前から予見し、準備してきました。

そして、大きな特徴のひとつとして、心理、思考、感情の調整を、身体と同時に行います。
世界中探してもどこにもない、ここでしか体験できない方法です。
相当根深いトラウマやPTSDのようなものでも、明確に変化を体験できます…というか、そうだからこそ、ハッキリと変化を体験できます。


では、そういうことで。
時々、いろいろ書いていきます。

ただ、事実だけを淡々と…

このブログ、これからもよろしくお願いいたします