「楽になりたい」
この言葉を口にする時、それが身体的な痛み、辛さなどからの解放を望んでいることもあるでしょう。
あるいは、日々の生活でアップアップしていたり、心身の疲労が蓄積していたり、ぶつけようのないフツフツとした不満や怒りがリミットを迎えていたりといったタイミングである場合もあるでしょう。
いづれにしても、「いまの状況、状態から脱出したい」という気持ちの表れであることに変わりはありません。
身体的な痛み、辛さの場合は、そこでみられる姿勢は様々になります。
胃や腹部の内臓器であれば、その部位をかばうようなポーズを自然にとります。
ギックリ腰のような運動器系の苦痛であれば、その痛みが出来るだけ感じられないようなポーズを、無意識的に選択するようになります。
精神的な悩み、苦しさである場合は、まずアゴが前に落ち込んだようになってきます。
この場合、もともと前屈傾向のあるタイプの方の場合はより前方に突出したように見えるし、そうでなくもともと背筋がまっすぐなタイプの場合はややアゴが浮いているように見えてきます。
呼吸は自然に浅くなるので、必然的に肩や背筋は緊張気味になり、あまり動きが感じられなくなります。
いつも「そのこと」を考えているので、目は自然に下を向きます。
こうなると意識の焦点は自分の内面に集まるので、外を見ていても見ていないような、定まっているようで定まっていないような感じの目線になります。
一概にこれらがすべてではありませんが、特にギュッと蓄積した思いが詰まったような状態にある方は、多かれ少なかれこのような姿勢になります。
身体的な痛み、辛さの場合は、施術のうえでの対象は明確です。
「(この痛み、辛さから)楽になりたい」ということなので、それに応じた施術をさせていただくことになります。
ところが、精神的な悩み、苦しさの場合は、多くの場合対象は明確ではありません。
というか、ほとんどの場合ご本人は何から楽になりたいのか、わかってはいない。
『コア・セッション』をさせていただいていて思うのは、誰かを責めたり、不満をぶちまけたりすることがそもそもできず、そのエネルギーを自分を責めることに転化し、それによって苦しんでいる方が多いということ。
こういう方のほとんどは、感受性が繊細で、マジメで、仕事もテキパキとこなすし責任感も強い、世間でいうところのいわゆる「いいヒト」であることが多い。
こういう方は、たとえば恋愛においても自分の主張をパートナーに譲ってしまうことが多く、この「譲る」という点で、そのパートナーとの共依存関係を築いていたりします。
このような関係性は、うまくいっている間はいいけれど、「譲る」側のキャパがパンパンになったり、譲ってきた自分自身が成長(自立)してきたりすると、その関係はけっこう脆いものです。
あるいは、これまで譲ってきたきたことを譲らなくなったら…。
そして、こういった関係性の場合、往々にして男性側が支配的になります。
二人の間では自分が王ですから、意識的にせよ無意識的にせよ高圧的なふるまいをするようになります。
こうなってくると、付き合い始めた初期の優しさや気遣いなどはあまり期待できない…というか、そうした行動の背景には何か(言うこときかせようとか)の狙いが含まれると思った方がよいでしょう。
これは、女性が王である場合でも同じですけれど。
「楽になりたい」
というつぶやきの背景には、複雑な事情が絡んでいる場合がほとんど。
そのコア(核)となる心理はいつだってシンプルなのですが、ヒトはストーリーの中で生きている以上、なかなかそのストーリーを自分で紐解くのは難儀なものです。