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昔話として「桃太郎」を知らない人は(たぶん)いないでしょう。
その「桃太郎」伝説の本拠地、岡山県は、その昔は「吉備ノ国」と云っていました。
「吉備(きび)」は、現在の岡山県全域、および広島県の東部までを含む国であり、備前・備中・備後・美作と4つの国に分割されるまでは一つの国だった…。
今回、『神社おそうじ隊 見参!』として、ここ「吉備」を見参することにしたのは、「ある神社」とのご縁が大きい。
…といっても、その神社は有名でもなければ、とある別の神社の「境内社」に過ぎないので、わざわざ調べなければまず行き着くこともない、小さな神社。
しかし、この神社を契機として「吉備」を調べ出すと…いや、はっきりいって、こんなにも奥深いとは、よもや思ってもいませんでした
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参拝する神社の、その先々で触れる神威の勢いとともに、行けば行くほど先が見えなくなっていくような…そういう妙な感覚がありました。
3日間の行程のうち、半分は雨、それもけっこう強く降られましたし、大陸からやってくる黄砂の影響も尋常ではありませんでした
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しかし、不思議と「また訪れたい」と思わずにはいられないという…オモシロき国・吉備
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ご神縁、感謝いたします。
1、宗忠神社
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黒住教の教祖 黒住宗忠を祀る神社。
《…「心に悪いと思うことを決して行わず、善きことのみを実行する」との厳しい目標を自らに課して"神になる"道を歩んだ宗忠でしたが、数えて33歳の時、かけがえのない両親が流行病でわずか1週間の内に相次いで亡くなり、その悲しみがもとで当時不治の病といわれた肺結核に侵され、2年後には明日をも知れない状態に陥りました。
死を覚悟した宗忠は、文化11年(1814年)1月の厳寒の朝、幼いころから両親とともに毎朝手を合わせてきた日の出を拝みました。
この"最期の日拝"の祈りの中に、宗忠は知らず知らずのうちに大変な親不孝をしていたことに気づき、せめて心だけでも両親が安心する人間に立ち戻らねばならないと大きく心を入れかえました。
この世との別れの日拝は、新たな"生"への祈りに転回したのです。この心の大転換により、宗忠の暗く閉ざされた心の中に陽気な感謝の気持ちがよみがえり、その結果わずか2カ月で不治の病を完全に克服しました。
その年の11月11日、この日は昔から「一陽来復」と称され、物事が新たに始まる時とされてきた冬至の日でした。安永9年の冬至の朝に誕生した宗忠が、死の淵を乗り越えて34回目の誕生日をこの日迎えたのです。…》(宗忠神社ウェブサイトより引用)
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ご祈祷も受けさせていただきましたが、大変清々しい祓いでした。
2、備前一宮・吉備津彦神社
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昼食時に降り出した雨は、「吉備津彦神社」に到着した辺りで本格化。
雨の境内は、かつての「吉備ノ国」へとタイムスリップしたかのような錯覚を起こす要素に、満ち溢れていました。
御祭神・大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)→比古伊佐勢理毘古命のこと。
元々は「気比(きび)太神宮」と呼ばれていたそうです。
備前国が吉備国から分割された折に、この吉備の中山の東の麓に奉斎されたようですね。
「吉備の中山」には荘厳な磐座が数多く祀られており、神の山として人々からの崇敬を集めている山であり、別面からみれば豊富な鉄の産地として知られています。
歌の枕詞に「真金吹く~」とあれば「~吉備の中山」へ続く、とされるほどだった、そうです
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「鉄」資源が産出するか否か、は、その国の行く末に深く関係します。
それはいまでも、そう大きくは変わっていない…ですけれど。。
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『温羅神社』
鬼神とも、百済の皇太子だっとも、さまざまな説のある「温羅」を祀る神社。
「吉備津神社」のところで、詳しく。
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『卜方神社』
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『子安神社』
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『天満宮』
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『亀島神社』
神池に浮かぶ亀島に鎮座する水の女神。
ここから、吉備中山を登山。
備前側から、といいつつも、入ったのは宗忠神社の本部脇。
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「穴観音」「ダイボーの足跡」
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『元宮磐座』
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『鏡岩』
雨の中、人は誰もおらず、ただ深々とした静寂の中での参拝となりました。