『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

3年経過の『神社おそうじ隊 見参!』

2013-11-09 | 2013年
『神社おそうじ隊 見参!』活動開始から、来年(2014)2月で丸3年を迎えます。
開始当初より「いつまで続くのか」と思われ、その名称から、理解不能な、ある種の奇異な印象をもたれること多々であったこの活動も、過ぎてみればあっという間の3年でもありました。

今回は、この3年をカンタンに振り返りつつ、ひとつの「節目」としての記事をブログに残しておくのもまた一興かと思い、つらつらと書いてみます。


まずは、2011年活動開始から今日まで、この『神社おそうじ隊 見参!』に参加し、一緒に各地を参拝していただいたすべての皆様に、心より感謝いたします
特に、向かう先々で「ご当地隊」としてプランニングから案内、場合によっては車出しまでお世話していただいた方々には、本当にありがたくってありがたくって…感謝してもしきれないです
皆様一人一人と御縁いただき、その協力あってこそ3年間継続できたのだと、思っております。
この「御縁」は、『神社おそうじ隊 見参!』活動当初からの大切なキーワード。
私も副長も、表層的なお付き合いはできない(しようと思わない)タチなもので、メリットデメリットでお付き合いは継続できません。
そういう意味でも、本当に御参加いただいた皆様との出会いは、貴重な「御縁」の賜物だと思っております。
もしよろしければ、今後とも何とぞ宜しくお願いいたします

…さて、
この3年、日本全国各地をけっこうなペースで「見参!」させていただいてきました。
伊勢、出雲(2度)、熊野、奈良、山形、滋賀、京都、福島、茨城、長野、愛知、広島、…
また、神奈川県内でも、横須賀、鶴見、寒川、大山、津久井、鎌倉…
そのほか、私個人では福岡や宮城などなど、副長に至っては…把握できない。。。

これらも、そこに出向くことで様々な「繋がり」を発見することもしばしば。
「繋がり」とは何か?…と問われれば、それはもちろん「日本」各地の、不可視的なフィールドでの多様多彩な「繋がり」に他なりません

…実をいうと、私は神職となるべく勉強を始める以前には、いわゆる「神社」へ鳥居をくぐって入ることすら心理的に憚られていました。
それまでは武術、あるいは仏教や密教の方面ばかりで、寺で「のうまくさんまんだ…」とか真言(マントラ)唱えたり、瞑想したりはするものの、「パンパン」と二礼二拍一拝することなど、正月くらいという…まあ、いまの一般的なレベルでしか「神社」との関わりはありませんでした。

そして、勉強を始め、神職としての資格をいただくこととなりました(本庁系列ではない「教導職」でいう「中教正」、興味あれば検索してみてください)。
そうなってはじめて、いや、より正確には全国を巡拝するようになってはじめて、この「日本」という国の持つ本当のオモシロさと奥深さ、神秘性に気づくこととなりました。
もちろん、それ以前にもいわゆる「裏側」に関しては詳しくもあり、胎蔵界と金剛界とか、密教的な世界観を知った当時の私は「あ~、やっぱ空海っておもしれぇ」などと思ったものですが、「神社」をそういう眼で巡拝させていただけばいただくほどに、その「おもしれぇ」は広く深くなっていく…感じがします。

あ、ここではっきり申し上げておきたいのですが、『神社おそうじ隊 見参!』は、いわゆる「パワースポット」巡りのツアーでもなければ、ただ単に「ワタシ」を満足させるためのツアーでもなければ、「この地が穢れているから浄化せねば」的なおせっかい(勘違い?)なツアーでもなければ、いわゆる「スピリチュアル」を売りにしたツアーでもなければ、もちろんそもそも「ツアー(観光)」でもありません。
よく誤解されていたり、歪曲して理解されていたり、勝手に思い込まれていたりするようですが、そもそも、違うのです
私も副長も、これらの観点から巡拝したことは、ただの一度もありません。
なので、いわゆる「スピリチュアルツアー」として魅惑的なキャッチコピーを付記したりすることもなければ、何かを啓蒙したりしたこともないはずです。
たまに「スピリチュアルツアー」的な方々から同じことをしているくらいに思われたりするようですが、それは大きな勘違い。

当初からのコンセプト。
それは、「ご利益」を求めるものでも、「何かを変えて」と願うものでも、「パワーがあるから」低頭するものでも、「このカミサマを浄化してあげよう」というおせっかいな気持ちをいっているものではありません。
「いのり」とは、純然たる想いの発露…その「いのり」を内に宿せしヒトという存在は、誰もが神性を体現する「社(やしろ)」でもある。
瑣末なことに心を悩ます矮小な存在といくら自らを嘆いてみても、あるいはワタシほど価値のあるものなどないのだといくら尊大に構えてみても…そのことに変わりはありません。
そういう自らという「社」に「調和」がもたらされ、それがひいては自分自身、あるいは周囲環境との「協調」が円滑となり、最初から独りではない森羅万象一切との「共生」の元に存在していることに(心から)気づく。
『神社おそうじ隊」の「おそうじ」というのは、こういう一連の流れを指した言葉であり、それ即ちコンセプトでもあります。

そのためには、隊長や副長がカリスマ的になり、持ち上げられるような集まりであってはならず(まあ、なりようもないけれど)、
どこかからのメッセージや導きを目当てに参加者が集まるようであってはならず、
ましてや「願いが叶う」ことを喧伝して参加者を集めることなどあってはならず、
あくまでも自主的な想いからの集まりであること…
こういう意思と意志を一筋に貫いてきたことは、3年という月日が証明してくれているかな、と
これって、どこにもモデルを求めてもいなければ、「マネ」したものでもありません。
だいたい、そのテの「ツアー」マネてみたところで、自然消滅は目に見えてます。
有名でもなければ、何かの特異な能力や人脈で人を集めるのではないのだから…。

…と、まあ、『神社おそうじ隊 見参!』の立ち位置というかポジションというか、そのあたりは開始当初からいささかも変わりなく。
変わりないということは成長しないということではなく、最初から普遍的かつ本質的なトコロにいるのだと、好意的に解釈していただければありがたいですが、この点は私も副長も同じです。


この3年、こうしたコンセプトを根底に、実に多くの「神社」へ身と心を運ぶことができました。
その過程で、各地の神職の方々とも話す機会も増え、単に参拝だけに止まらない活動の広がりが生まれてきました。
そして、お話を伺い、「神社」というもの、ひいては「神道」への認識が広く深くなればなるほどに、その内奥を垣間みることの困難さにも、また気づきます。
それは、脈々と継承されし太古からの願いなのか、あるいは全く別の何かなのか…。

この3年で得た実感のひとつに、やはり日本の不可視的な世界、それを便宜的に「精神世界」としますが、その世界の奥深さは本当にどこまでもあるな、と。
現代ではさまざまなカタチで海外からのヒーリング・スピリチュアル的な思想、考え方、あるいは方法が輸入されてきています。
でも、「神社」を巡拝させていただけばいただくほどに、それらのエッセンスは、すでに日本に深く浸透していることを確認することになります。
とはいえ、ただ「観光」でそこを訪れたり、誰かの言葉をそのまま受けとめるだけの学び(?)では、到底「それ」には気づけない。
自分のアタマで考え、ハートで感じ、ハラで理解していく…その腹づもりが(本当に)できることを「準備ができた」と私は云っていますが、何かを理解するにも「教えてもらおう」では、わかることなどたかがしれています。
たとえば、「石の上にも3年」など、古来より「3」という数字は日本では尊重されてきました。
その意味も理由も説も多々あるようです。
こうした「数」の由縁は、「神社」にはあちこちに散見されますので、そういうモノを見つけていくところから始めていくのも、愉しいかも、しれません。。


そして、来年(2014)年。
『神社おそうじ隊 見参!』は、これまでさせていただいてきた事々を基に、いろいろな意味で活動の幅を拡大していこうかと、思っております。
また、それに伴い奥行きも深まっていくので、たとえば「勉強会」のようなプランも、ないではありません。
それには、私はまだまだ、あまりにも勉強が足らないので、今後とも精進あるのみ…です。

まずは、1月は恒例となりました「皇居参拝」
そして2月は「出羽・王祇祭」
そのあとも続々と「見参」予定地が挙がってきています(詳しくは「神社おそうじ隊 見参!公式ブログ」を参照ください…ちなみに、最近「公式ブログ」もリスタートしました


とりとめもない「節目」記事となり、読みにくいことこのうえないかもですが
何はともあれ、今後とも宜しくお願い申し上げます。









事始シリーズ(健康・美容・龍骨)

2013-09-05 | 2013年


事始(ことはじめ)シリーズとは

「事始」シリーズ(「健康」「美容」「龍骨」)を、それぞれ3ヶ月で1サイクル 、ちょうど年に4回ずつにしてお伝えしていきます。

それぞれ

「健康」になるための「健康法」はいらない(そもそもあるの?)
「美しく」なるための「美容法」はいらない(そもそもあるの?)
「強健」になるための「強健法」はいらない(そもそもあるの?)

といったところをスタートにしつつ、進めていきます。

ヒトは学習する動物であると、いわれます。
得た知識をもとに、さまざまな「固定観念」を形成し、自分自身を周りと適応させできるだけ生きやすい環境を造るように、あらかじめプログラミングされているようです。
しかし、それは同時に、得た知識や観念に縛られやすいという意味でもあります。

こうした「呪縛」「思い込み」から心を解き放つ。
そのいわば「事始(ことはじめ)」となりますことを…。




今年(2013年)4月より開始した「事始」シリーズ

上にもあるように、3ヶ月で1サイクル、「健康」「美容」「龍骨」と月替わりで年に4回ずつの構成となっており、先月(8月)には「健康事始」の2回目を行いました。

「健康事始」は、文字通り「健康」を真っ正面から扱いつつも「健康法」ではないという、何ともパラドキシャルな内容。
日本の四季の変遷に応じて身体も微妙に移り変わります。
春夏秋冬、それぞれの身体の「表情」というものを、その身体の持ち主であるあなた自身に理解していただくことを主眼にしつつ、その時季に起き易い身体的トラブルへの対応も「体感・体験」していただきます。

今月(9月)は、『美容事始』。
前回(6月)「ぽっこりお腹解消」をメインコンテンツに、いわゆる「美容」に役立つ内容をレクチャーさせていただきました。
ここでもやはり「美容法」という概念ではなく、より本来的な身体と心のハタラキを主眼にしつつ、瞬間的に変化する身体の「外容」、の不可思議さ、そして「外容」に深く影響する「内容」の根幹的な大切さを「体感・体験」していただきました。

今月のメインコンテンツは「脚」
「O脚・X脚」「太い・細い」などを始めとした審美的観点から「脚」を見つめつつ、瞬間的に変化する「外容」と、その根幹にある「内容」を「体感・体験」していただければと、思います。
日時は9月20日・10時半~12時半


身体への興味と関心も、まとめてザックリいえば「健康かどうか」「長生きできるかどうか」「いつまでも若々しくあることができるかどうか」「キレイでいたい(なりたい)」「ナニモノにも屈しないカラダでありたい」…といったいくつかの要素に集約できてしまいます。
少し突っ込んでいけばいくほどに心理的要素が強くなっていくのですけれど、世の中的にはそれはあくまでも「身体」を舞台としている以上は「身体」の事になるようです。

そこで、来月(10月)は『龍骨事始』

“「自然で癖のないカラダ」へ自らを導くための、身体的叡智の活用”
を主眼として、「運動」という概念を根底から捉え直していく…といった、何とも一見小難しそうな内容。
でも、そこで展開されている内容は、実はいたってシンプルです。

「カラダを変えるにはココロから」「ココロを変えるにはカラダから」
このあたりに興味のある方でしたら、ワクワクの内容かと、思います。

日時は10月21日・10時半~12時半


「事始シリーズ」は、すべて「サロン・ド・クロノ」様にて、開催させていただいております。
お申し込みはこちらへお願いいたします
また、内容などのお問い合わせは、すべてこちらから、お願いいたします





2013.8 茨城セッション

2013-08-27 | 2013年
いわゆる「出張」によるセッションというのは、いつ以来だろうか…?

開業当初、まだ「整体」という言葉がいまほど一般的でない時代(一九九六年)。
当時「身体均整法」の過程を修了した「均整師」としての資格を得たばかりの頃には、機会あれば「出張」に出かけていました。

人脈もなく、どこかへのコネもなく、何かへのツテもなく…
ましてや開業しても運営していくだけの資金など、あるワケもなく…
「やっていく!」という身の程知らずなやる気と、その身の程知らずを支える若さだけが、ありました。



現在「指南塾」の二期生であるTさんに、「先生、茨城に来てください」と依頼されました。
…塾生だからといって、カンタンに「OK」したワケでは、ありません。

「来訪者は八人以上」
「交通費は全額お願いします」

というのが、私から今回出した条件。
その二つの条件の満たされたことで、今回の『茨城セッション』は実現しました



朝、渋谷から湘南新宿ラインで小金井行きに乗車し、電車に揺られ約二時間。
降車後、車でお迎えに来ていただいたTさんに連れられ、そこから約四十分。
この日のセッションは、Tさんの自宅サロンにて。

100本を越えるボトルのなかから4本のボトルを選び、そのボトルの示す意味を読み解き潜在意識のドアをノックするオーラソーマやタロットによるセッションを普段されていることもあり、そのお部屋は場が調えられ、いつでもセッションを開始できる準備もしていただいていました。


セッション中に感情の解放が起き泪された方や、思いがけず過去の打撲の影響があり、そのまま放っておくとちょっとマズかったかな…という方、医学的には「難病」とされている方、姿勢のバランスを良くしたいという方…など、夜までに九名の方と御縁をいただくことができました。

横浜での普段のセッションでも同様に思うことですが…。
この現実世界で、時間と空間を共有するということの、どれほどに希有なる機会であることか…思えば思うほどに有難いことなのだな、と。
…まずは、今回御縁いただけました皆様、お一人お一人に、心よりの感謝をさせていただきたいと思います。
本当に、ありがとうございました

また、来訪者の方々の応対その他、実際の技術的な部分以外はすべてTさんにおまかせでした。
九名(当日来れなくなった方を含めたら十一名)ものヒトを集めるというのは、もちろんプロモーター的センスの賜物でもあるのでしょうけれど、やはりそこには人柄というものがなければ、なかなかそうそう集まるものではないでしょう。
送迎含め、本当にお世話になりました。
ありがとうございます

そして、「おそうじ隊」でも何度もご一緒させていただいたご主人様には、お昼、そしてセッション終了後の打ち上げタイムでもお世話になりました。
夏休み中で在宅していた一粒種、H君共々、本当にありがとうございました

九月も再度、茨城へ向かいます。
その節は、また宜しくお願いいたします。



さて、
以前よりアタマには浮かんでいたことですけれど…これを機に、「出張セッション」を本格的にしていこうかと、思っています
全国どこでも、所定の条件さえ整えば…ということで。
少し煮詰めて、近々「メニュー」とします。。。





導く心 召し使える心

2013-07-31 | 2013年
よき治療家 生く可きを生かし 死ぬ可きを死なしむ。
殺す可きに会はず。
治るべきを治らしめ、治らざるに会はず。
常に楽々悠々 いつもすらすら動いて自づから静か也。
気張らず 努めず 焦ること無く
その息乱れること無き也。

ー野口晴哉 『治療の書』よりー




私が独立して歩み始めた頃、1996~7年位に初めて『治療の書』を読みました。
その時、最も印象に残った部分です。
この書によって、自分がこれから立とうとしている処がどういう処なのか、教えられました。
「生く可きを生かし 死ぬ可きを死なしむ」…この一節は、今でも私の心に折に触れ浮かび上がってきます。

「整体」というと、ごく一般的な認識では「腰の痛みを改善する」「肩凝りを楽にする」というイメージを抱かれていることでしょう。
そして、そこに従事している、あるいは仕事とすべく奮闘努力している方々の、おそらくほとんどはこのような意識でいることと思います。

私の認識も、当初はそういうものでした。
人体への興味、普遍的神秘への興味…それが、初めの動機といえば動機になるでしょう。
しかし、より根源的には、何度か死にかけている経験もあってか、「生と死」、に関心があったようにも、思います。

そして、出会ったのは『身体均整法』(以下、「均整」)
愛媛県・松山市の亀井進師範(故人)によって創始された、手技的体育療法でした。
「均整」は、日本の整体におけるひとつの極点と専門誌でも評されるほどの豊富な内容と体系を含み、人体のほぼ全領域に渡る手技が伝えられています。
最初にこの「均整」に出会えたことは、いまにしても幸運であったな、と思っています。

そこには、「均整」創立当時の最新のアメリカやヨーロッパの手技療術のエッセンスが散りばめられていましたし、同時に日本で脈々と伝えられる武術の活法的な見方や技術の一端も、書として遺されていました。
それはすなわち、「生死」を対象とする技術の一端がそこにはあったということ、です。
解剖的知識や生理学に単に立脚するのではなく、実際の生きた人間の営みからそれらを眺めるような見地に最初から立てたのは、やはり「均整」を学べたことが大きいと思います。

1996年、独立。
ほどなく、縁あって「整体」に出会います。

…そこで私は、先ず、死ぬか死なないかということを観ます。
そのために、一番早く変化する場処を見つけました。
私の一番最初に知ったのはそれなのです。
死ななければ治る。
死なない者は生きている。
生きていればよくなる。
駄目な者は死ぬ。
それなら、生きていることと死ぬことのどこに差があるだろうか。

ー『整体法の基礎』ー



私は、開業当初は、いわゆる難病ウンヌンという方々によく出会わせていただきました。
世間的な常識と現実はこれほどに違うのだと、自らの浅学非才を嘆く場面も、多々経験させていただきました。
いわゆる「キレイゴト」は、木っ端微塵に打ち砕かれました。

相手の方に同情したり、「してあげたい」という欲求のままに技術を施す。
こうしたことの、いかに愚かなことかを、この頃に経験として学びました。

治療するの人 相手に不幸を見ず 悲しみを見ず 病を見ず。
ただ健康なる生くる力をのみ見る也。


…病もまた同じ。
のり超える力導く者の前には 病も老いることも また無き也。
あるはただ生命の溌剌とした自然の動きあるのみ。
その故に治療する者は生命を見て病を見ず、活き活きとした働きを感じて苦しむを見ず。
苦しむを見 悲しみを見 病めるを見るは、それをのり超える力を喚び起こすこと出来ぬ為なり。

ー『治療の書』ー


相手の事を慮る…。
慈しみの眼で見つめる…。

これらは、確かに大切なことだと思います。
けれど、「本当に」そうであるのと、「そういうつもり」であるのは、全く違う。

他者の不幸への同情のなかに、自らへの憐れみを見ていないだろうか…。
さすれば、それは一体、「誰のための」慈しみなのだろうか…。

「導く者」であろうとするのであれば、その点を常に留意すること。
それはすなわち、基本的な「嗜み」であるように、思います。




私にとっての「整体」というのは、こういう立脚点に立っています。
また、こういうものでもない限り、興味も関心も持てず早々と飽きてしまったことでしょう。

また、一般的なイメージから「お客様」的な意識で来られる方も当然おられますし、それはそれで必要なければかまわないとも思っています。
そういう方は、実際「あんまり困っていない」ことが多いですし、強いてこちらが「先生」然とするのも必要も感じませんし、そういう態度も好きではないので。

ただ、根本的に、私は「導く者」であるのであって、「召し使える者」ではありません
相手の方の言いなりになって、それでその方のなかに何が生まれるのでしょう。
この点をはき違えないこと大切かと、思います。

「病」とは、その心にこそ潜んでいるのですから…。。。




…以上、「指南塾三期生」募集の前に、ちょっとだけ書いておこうとメモ代わりに
ここまで読んでいただき、ありがとうございました




「信頼」ごっこ ~五大に響きあり~

2013-07-24 | 2013年
昨今、「言葉」が軽い…。
あなたは、そう感じることはありませんか?



たとえば、「先生」という言葉をフィーチャーしてみましょう。
この言葉の持つ意味の重さ、というのは、いまから20年~30年、あるいはそれ以前は現在よりもずっと重かったのではないでしょうか?
まさに「師」というイメージをそこに含んでいた、というか、その存在にどこか畏敬の念を抱かせる存在にこそ、ふさわしい言葉であったように、思います。
しかし、現代においては、もはや「便利語」化してしまった言葉のひとつかもしれません。

不肖このわたくしも、「先生」と呼称される立場ではあります。
そう呼ばれるようになってからだいぶ経ちます…けれど、未だにどこかむずがゆい。
「わたくしは、そう呼ばれるに足る人物となったのであろうか』…このように無意識的に内省しつつ、常に足元を見つめ続けています。



さて…

「あなたに眠る無限の愛を…」
「無限の叡智への絶対の信頼と魂からの覚醒を…」
「超越した知性への飛翔により、深い愛を…」


…的なフレーズのウェブサイトや何かの雑誌などのコマーシャルを、見たことはありますか?
特に、ネット時代になってから、だいたい2000年代後半あたりから格段に増えたように思いますけれど…いかがでしょうか?
それまでももちろん、たくさんあったのでしょうけれど、「一般的に」みかけるようになったのは、だいたいそのくらいではないかな、と。
いわゆる精神世界系・自己啓発系はいうに及ばず、セラピー・ヒーリング系や占い系でも、こうした「手法」は使われますね。

心理的なアクセスを多様に使い、感情を揺さぶるマーケティングというのは、アメリカなどではもはや常識(というか、もはや古いかも)なので、そのあたりの「手法」を巧妙に盛り込んでいるウェブサイトは増加したなと、数年前あたりから思っていました。
買わせるための「手法」、売るための「手法」というのは、相当なレベルで随分前に確立されているので、それを日本に持ち込んだだけですから、何の不思議もありませんね。
それ自体は、ごくフツウのことです。

ただ、
それによってなのか、また別の理由によってなのか…実際は多様な要素が複合的にミックスして作用しているのでしょうけれど、先ほどの「言葉」を扱ううえでの、ひとつの「言葉」の持つ「意味の重さ」という面でいえば、明らかに変質したなと、個人的には感じています。


「あなたを心から信頼しているわ」
「君を自分の命にかえて守り抜く」
「あなたとわたしは前世からの絶対の信頼関係…」


…こういうことを、「軽く」言えてしまうようになった、ように、感じているということです。



わたくしも、立場上「先生」と呼ばれ、来ていただく方のなかには

「先生を心から信頼しています

ということを伝えていただくことも、あります。
もちろん、そう伝えていただく方のなかには、長くお付き合いいただいている方もいますし、そう思われていることで、足元を見つめ続けていく確たる力にもなるもので、とてもありがたいなと、常々感謝しております。
しかし…なかには、その方の意にそぐわぬ言動(たとえば、キビシめの指導)によって、ヘソを曲げてその後パッタリ…ということも…まあ、一度や二度ではありません。

そうした方々にとっての「心からの信頼」というのは、早い話

「私の期待を裏切らないヒトであるうちは…」

というフレーズをアタマにくっつけることで成り立つのでしょうから、まあ、それはそれでよいかな、と。




古来、日本では「言霊」という発想がありました。
口に出した言葉は、現実に何らかの作用をする、とされていました。

日本の神々は、「~ミコト」と尊称します。
その「ミコト」は、「御言」あるいは「御事」である、とも考える説もあります。
神職の唱える祝詞は、言葉を媒介として神により唱えられた時空を現出させる(折口信夫)とも…。


また、弘法大師・空海は『声字実相義』において

五大にみな響きあり
十界に言語を具す
六塵ことごとく文字なり
法身これ実相なり

と、深遠なる言語の本質を顕しています。

言葉は、霊。
文字であれ、音であれ、と。


口から音となって発される「言葉」。
その響きは、その瞬間から宇宙を漂い、何らかの作用を促すということです。

「愛しています」
「信頼しています」
「命をかける」

…わたくしはやはり、こうした「言葉」は大切に、それこそ「心からの言葉」として使っていきたいと、思っています。
幼い子どもや、いきがっていたい年代ならばともかく、「ごっこ」で使うような「言葉」でもない、と。


さて、あなたは、どのように思われますでしょう、か?


近況・お知らせ

2013-07-13 | 2013年
どうやら今年は、暑い夏
気づけば、既に七月も半ば…このブログの更新も、随分と久しぶりのような気も、いたします



先月敢行し、好評のなかフィナーレを迎えた『神社おそうじ隊 見参! 福島ご当地隊』
このあと、十月に予定している「出羽」までは「おそうじ隊」はないかと思いきや、やはりというか何というか、来月、八月の七・八日で「諏訪」へ見参!と相成りました。
信濃ノ國一之宮・諏訪大社はじめ、謎多き「諏訪」という地。
実に愉しみです(ちなみに、こちらは締め切りました)

そして、「指南塾」
最近めっきりこのブログでも報告しなくなっていますけれど、しっかり毎月活動しております
一期生と二期生では、テキストも内容も全く違うという、何とも趣のあるこの塾。
求めるもの、それを求める心性、塾生の皆様の個々の特性…少人数制であるがゆえの利点として、こういったところに配慮しつつ、その都度軌道修正していくことでジンワリ内側に浸透してくよう、毎回工夫…しては、いますけれど…さてさて、いかがなものでしょう
「手技」に特化した塾、のつもりではありましたが…この先どう変容していくのか、ワタクシとしてもワクワクです

ちなみに、この「指南塾」。
名称を若干変更し(とはいっても「塾」は同じ)、来年四月からの「三期生」の募集を、来月から始めます。
気になる方がもしおられましたら、よければ愉しみにしてみてください


また、ウェブサイトも、近々充実させていきます。
手を入れ始めるとどうしてもこちらにかかりきりになってしまうので…まだ記事の入っていないページもあれば、更にテコ入れを必要とするページも…たくさんあるな…
いろいろプランはあるのですけれど…。
私は、何かを創案した矢先から次々新しい展開が浮かんできたりする傾向があるもので、ガラッといきなりいろいろ変わることもあるかもしれません。
けれど、本質的なところは変わりようもありませんので…どのように描き出されていくのか、気を長~くして眺めていただければ…幸いです

それと、いづれ…それもそう遠くない未来に…ブログを増やそうかと思っています。
そのブログでは、ここ数年の臨床での印象深い出来事や、研究の一端、心理のことなどをテーマとしていこうかと。
「錬達叡叡」ではあまり書くこともなかった様々を、綴っていくのもよいかなと思っております。
始めましたら、このブログでお知らせさせていただきます。


では、今日はここまで。
いつもありがとうございます。






2013.5.11~13 指南塾@仙酔島合宿 その後2

2013-05-31 | 2013年

原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)
建立の目的
「世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を、平和都市として再建することを念願して設立したもの」
碑文
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」(雑賀忠義)
翌朝(五月十四日)。
朝、この公園にてスタート。



広島のランドマークのひとつでもある、「広島アンデルセン」にて朝食。
…「爆心地から東方360mに位置し、爆風によって大破、さらに火災によって全焼。爆心側の西壁は大半が崩壊し、北壁は亀裂を生じ屋根の半分が落下。この建物の破壊が徹底的であり印象的であったため、一時は、被爆地ヒロシマの象徴としてこの建物を残すか、産業奨励館(現原爆ドーム)を残すかの議論が交わされました。」(「広島アンデルセン建物の歴史」より抜粋)


朝のセットを美味しくいただきながら、今日の予定は決まっていきます。




『空鞘稲生(そらさやいなお)神社』
御祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、宇気母智神(うけもちのかみ)、和久産巣日神(わくむすびのかみ)。
五穀のカミサマですね。


境内末社「稲生(いなり)神社」。

同じく境内末社「幸(さち)神社」。

境外摂社「西本川濱恵美須神社」。



『比治山神社』
別表神社。
御祭神は、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)を主祭神とし、少名毘古大神(すくなひこなのおおかみ)、建速須佐之男大神(たけはやすさのおのおおかみ)、市寸島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)、車折大明神(くるまざきだいみょうじん)。









邇保姫(にほひめ)神社
御祭神は、爾保都比売神(にほつひめのかみ)を主祭神とし、帯中津日子神(仲哀天皇)・息長帯日売神(神功皇后)・品陀和氣神(応神天皇)を配祀。
もともとこ仁保は島であり、約千六百年前頃に、神功皇后がこの海道を通られ、邪気払いのため白羽の矢を射られそれが香護山に当たった…という創建の由来。
邇保都比売神は、神名から丹生都姫神と同神とされる。




ここから、一気に広島県呉市まで。


『亀山神社』
主祭神
帯中津日子命 (十四代仲哀天皇) タラシナカツヒコノミコト
息長帯日売命 (神功皇后)     オキナガタラヒメノミコト
品陀和気命 (十五代応神天皇)  ホンダワケノミコト

相殿神
高御産巣日神   タカミムスビノカミ
奥津比賣命   オクツヒメノミコト
奥津日子命   オクツヒコノミコト
萬幡豊秋津師比賣命   ヨロズハタトヨアキツシヒメノミコト
久久能智神   ククノチノカミ
火之加具土神   ヒノカグツチノカミ
宇気母智神   ウケモチノカミ
天吉葛神   アメノヨサヅラノカミ
伊賀古夜比賣神   イガコヤヒメノカミ
  
軍港都市として栄えた呉市の『氏神様』として尊崇されている。
呉湾を一望に見晴らす高台に鎮座。




…たまにあることだけれど…
境内に入った途端、強烈に足を捻り、挫きました。

塾生の方々にはふだんから口にしていることのひとつに
「足捻って挫いても、その瞬間から数分なら造作なし」
というのがありまして…

有言実行、自分で処置してほどなくフツウに歩けました。
だからといって、捻らないにこしたことはありません




ここから、一気に江田島に。




目指したのは、西能美島の夫婦岩と呼ばれる巨石。
ところが、行ってみたらば…


崩壊していました・・・
以前のままであれば、この上に数段重なり、とても常識的には考えられないような造形をしていたのです…が。。。

もうひとつの目的地。

入鹿明神社
ご祭神は、上津綿津見神ほか二柱。
創建に関していろいろな伝説がありますが、なかでも「一匹の鹿が榊の枝をくわえて厳島からこの地へ来たことから、里人が社を建て厳島明神を祀った」というものが有名、ということ。





帰路に着くなか、参拝させていただけたのが…


『江田島八幡宮』
数千年以前からここに鎮座していたと推測される神社で島の総氏神。
御祭神は、帯仲津日子命(仲哀天皇)、品陀和気命(応神天皇)、息長帯日売命(神功皇后)
相殿として、鷹宮大神(たかみやだいじん)、厳島明神、熊野権現








古鷹神社。



帰路はフェリーで。



…ということで、今回の「合宿プラス広島・江田島巡拝」は無事終了。
ここでも、運転と案内をしていただいた広島在住Kさんに、まずは感謝を
フツウは一日ではまず行かないだろう、と思われるようなこの道行き。
Kさんのエネルギッシュさがなければ、こうはならなかったでしょう。。
本当に、ありがとうございます。

また、同行となった二名の方々も、予想通りのタフさと好奇心
ヒトというのは、機会さえ与えられれば、いかようにもタフになれるのだな、と改めて…
ありがとうございました


ちなみに、今回の合宿参加者の皆様
合宿の「裏のテーマ」は、あのテキストにすべて顕れておりますので、よろしければ再度眺め、裏のテーマについて想いを巡らせてみてくださいね

みなさま、本当にお疲れさまでした
そして、ありがとうございました



2013.5.11~13 指南塾@仙酔島合宿 その後1

2013-05-27 | 2013年

『高諸神社』(福山市)。
御祭神は、須佐之男命 と通称「おつるぎさん」と呼ばれる劔比古神。













合宿終了後、広島市内への移動途中に参拝させていただいた神社。
鎮座地は今でこそ内陸であるが、元々は島であったという。
創祀は伝承によれば白鳳五年(676)、式内社でもある古社である。


そして、Kさんのご実家へ到着。
そこで待っていたのは…


ロロさん。
横浜から遠隔では何度か交流させていただいていたものの、実体では初の対面
おとなし~く、受けていただけました。
そして、

チンチラのかーちゃん。
身内がみな亡くなってしまい、だいぶ寂しかった様子。

人間から動物といわれる彼女たち。
気による生命エネルギーへの介入。
自己治癒能力による改善度合は、たぶん人間のソレより数倍高いような気もいたします。
ヒトの場合は、痛みや疾病のその大部分をアタマで形成しますが、動物はそのアタマで生きていないからでしょうか…。

このあと、ご両親、そして地元のご友人の「均整ノ術」セッション。
何かしらのお役に立てたのでしたら、幸いです。

ご友人に、今夜の宿まで車で送っていただき(ありがとうございます)…。


広島市中区の「人有喜 蔵」で、今夜に感謝。
料理もお酒も、グッドでした

宿への帰路途中、『白神社』に参拝。
これもまた御縁。


そして翌日…「やっぱりこうなるな…」という、案の定の行程に…。


2013.5.11~13 指南塾@仙酔島合宿 その4

2013-05-25 | 2013年

広島県福山市の鞆の浦は、瀬戸内海に張り出した沼隈半島に位置し、旧き街並を色濃く残し、史跡も数多く残っています。
シンボルでもある「常夜燈」(とうろどう=燈籠塔)は、「安政六年己未七月」(1859年)に建造され、港町の海上安全を支えてきたといいます。



最終日、早朝。
朝6時からの一番風呂に。
海水を汲み上げて沸かした「海水風呂」は、思いのほかベタつきもせず、大変に気持ち良い案配でした。


焼き魚を始めとした朝食を食べ、

最終日ということもあり、余興も兼ねたちょっとしたワークを。

このワークで、合宿は(とりあえず)終了。
みなさま、本当にありがとうございました。

チェックアウトをすませ、島を出る前に山登り。

中弥山山頂には、住吉神社の祠が。

無事、全員船に乗り、鞆の浦へ。

初合宿。
ふだんの日常とは、まったく異なる気の佇まい。
祭りの最中ということもあり、静寂という感じではなかったにせよ、いわゆる喧噪とはかけ離れた異空間。
「合宿」というと、思わずどこかの体育会系的なあれやこれやを連想されることもあったかと思いますが、私的にはそういう「合宿」にするつもりは毛頭なく…。

次回以降は、さらにさらに趣向を凝らしていきたいなと、思っております。
…まあ、あれば、ですけれど



新幹線まで、あとしばし。
時間の許す限り、鞆の浦散策…。


こうした町並みがそこかしこに溢れていました。

90才のご婦人が焼かれている「お好み焼き」、まさにソウルフード。

826(天長3)年に弘法大師・空海によって開基されたと伝えられる『医王寺』
鞆湾の全景を一望できる高台の上にあります。

医王寺に向かう坂の途中にある鳥居。
プレハブの建物は挟み、祠が残ります…。

鳥居と道を挟んだ場所にある『ギャラリー&カフェ さらすわてぃ』。

コーヒーと自家製ケーキのセット。
女性陣は、作家ものの器や洋服で大わらわ…。

…といったところで、今回の合宿は無事終了しました。
帰りの新幹線にもみな間に合ったようで、何より。。。


そして、
私は、広島在住の塾生さんのご家族&ご友人の「均整ノ術」セッションのため、一日延泊。
…そこに、「そういうことなら…行きましょう」という2名の方とともに、広島市内までの帰路は巡拝ロードに。



ここから、神社巡拝のスタートとなりました。。。


2013.5.11~13 指南塾@仙酔島合宿 その3

2013-05-23 | 2013年


『鯛網』
外洋で冬をすごした鯛は、初夏産卵のため鞆の浦沖へやってくるという。
その鯛を、江戸時代初期から伝わる、船団を組んで桜鯛の群れを一網打尽にするという漁法。

漁師の方と一緒に網をひけるなど、イベントとして盛りあがっていました。
ちょうど合宿に重なり、また瞑想中に「エイサッ!」「ヨイショッ!」という声が重なるなど、さまざまに印象深く心に残りました。


朝の散歩。
軽く気功的なエクササイズを山中にて。



また、昼食前には仙酔島名物でもある「江戸風呂」を全員で体験。
江戸時代のお風呂を再現したという洞窟蒸し風呂で、毎朝3時から松の薪をしっかりと焚きあげ、その余熱ではいるものです。
そのほか胎内風呂(高濃度塩水風呂)や薬草風呂もありましたが、やはり極めつけは「世界一の大露天風呂」
これは、要するに二つの洞窟で毛穴が開いた状態で海(瀬戸内海)へそのまま入るのですが、、、最初はビックリするほど冷たい
しかし、しばらくすると慣れてきて、自然そのまま、海水の流れに身を任せることに…。
指南塾生一同、みな(?)ニコニコして「世界一の大露天風呂」を愉しみました。




この日は、話の流れから『美容』系技術の実技。
6月の「美容事始」でも実践する「皮下脂肪吸収」、そのほか「バストアップ」「ヒップアップ」など、それはそれは大盛り上がり







そして、乾杯。




この日は、鯛のかぶと塩茹で。
かぶと煮よりこちらが好み…という声も多数。
ウマいの一言。

海ホタルは観れませんでしたが、


野生のタヌキの…親子なのか夫婦なのか…と会うことができました。

夜も更けてくると、やっぱり…


島の夜は穏やかに過ぎ、二日目を無事、終えることができました。。。