『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

本年もありがとうございました

2018-12-30 | 2018年
2018年12月 大分『Tamuratic. Beautyセミナー』


於 ゆふいんフローラハウス

姿勢について、参加者のみなさまそれぞれに確認頂いている場面。
いわゆる「よい姿勢」というのは、必ずしも「まっすぐ」であるワケではなく、また左右や上下のバランスが均等であるワケでもありません。

ただ、目安となる目に見える基準はあります。
その基準を、ここでは確認しています。

ここで行われる手技技術は、「矯正」といった趣ではありません。
料理などでいえば、素材の力を引き出す。
それは素材に頼るのではなく、そのかたに潜む能力を発揮できる環境を技術的に整えることで、自然に引き出されていくのです。

無理もなく、またカチッとした矯正技術ではないので、数日間は変化し続けます。
働きたがっている細胞のハート(?)に火がつけば、体は勝手に望む方向にシフトしていくものです。



また、今回は…


古事記や日本書紀におけるハイライト、天岩戸神話の舞台である高千穂に初上陸できました
この模様は、また「和ノ道プロジェクト」などにも挙げるかと思いますが、とり急ぎ動画をYouTubeにいくつかアップしておきました。
こちらのページになります

九州において、お世話になりました皆々様。
本当に手厚くさまざまな手配その他面倒みて頂き、感謝しております。
まずは、謹んで御礼申し上げます




来年から、「Tamuratic.塾」など、本格的に伝える方向に動いていきます。
それは、整体、セラピーやヒーリングに限らず、これまで学び得たコンテンツの全方面においてそのように動いていくつもりでいます。

それでは、本年ご縁頂きました全ての皆々様。
本年もありがとうございました






コア・セッション 2018年12月

2018-12-29 | 2018年
コア・セッション 2018年12月(ゆふいんフローラハウス




「コア・セッション」は、2017年まで「空の整体」といっていました。


いろいろな概念がこの世界にはあります。
人間が生きていて、瞬間も休むことなく生体は活動するというのがこの世界の現実ですから、脳内では絶えず電気信号が発生し、さまざまな情報が生じては消えていく運命にあります。
その絶え間ない電気信号が、「自分」という錯覚や、「自分以外」という幻想の供給源です。

自分や自分以外という概念を、「概念」と気づく。
その瞬間に、問題も悩みも瓦解し、ただ「それ」だけだと判明することになります。
いわば、本当の意味での「解放」。

「コア・セッション」は、その「解放」を意図して発想されました。
過去世も未来世も、パラレルワールドも、概念。
ただ、あるままにあることを感得することで、すべてが自然なのだと認識されることでしょう。






『Tamuratic. Japan スクール』について

2018-12-10 | 2018年
「いま」という時代は、次々と新しい技術、新しいスキル、新しい発想が雪崩のように誕生し、そしてまたたくまに消費され、そのほとんどは淘汰されてしまう時代です。
昨日まで最新と思っていたものが今日には古くなってしまい、バージョンアップを図る必要に迫られる…こうした変化の激しい現代において、大切なことは何なのでしょうか?

発想力?
情報の処理能力?
アイデア?
人脈?
健康?

…いづれも、確かに大切なのかもしれません。
けれど、こうして列挙してみると、どれも単体ではありえないものばかり。

豊かな発想力の源には、発想が湧き水がごとく溢れ出るような水脈となるものが必要でしょう。
インプットされる情報を高度に解析し処理するには、それ相応のCPUが必要です。
アイデアにしても、頭に流れるソレを「アイデア」と知るには、無数のアイデアに日常触れておく必要があるでしょう。
人と人の繋がりが「人脈」という言葉になると、そこには何かしらの「意図」が見え隠れします。
「健康」という概念ほど曖昧なものはないですが、現代における「健康」というのは、莫大な経済を生む土壌でもありますよね。


たとえば、体を整える、心を整えるといったことでも、「いま」は、スキルやノウハウ、テクニックは探せばいくらでも身に付けることができます。
多くの才能ある方々が、それまである技術に創意工夫と新たな知見を加え、理解しやすいように体系化して世に問う。
その問われた体系、メソッドは、インターネットでもカンタンに検索できます。
また日本は、世界中からいろいろなタイプのノウハウやスキルが集まる場。
「こういうスキルないかな…」と思って探せば、困ることはあまりないように思います。

2011年から2017年3月にかけて、「指南塾」という形式で、主に日本的整体技術のノウハウを下地に、様々なスキルやテクニックを伝えてきました。
施術者を志す方から主婦、会社員、看護師、歯科医、会社社長…など、経歴も動機もまばらながら、その年ごとに、集まった方々のニーズに沿った形式に変えつつ、こちらの伝えたい意図はしっかり伝える…というもので、なかなかユニークな「塾」だった、と思います。

今回の『Tamuratic.塾』は、また少し違った形式になります。

スキルやノウハウというには、スマホでいえばアプリにあたります。
アプリですので、旧バージョンはすぐにアップデートする必要がありますし、現行のアプリよりさらに使える、似ているけれど新しいアプリもすぐに生まれます。
ニーズに合わせ、どんどん進化させていかなければ取り残される…アプリには、こうした宿命が課せられています。

まあ、確かに、時代とともに変えていかなければいけないコトというのはありますし、それは必要だろうと思います。
けれど、ソレをわざわざやる必要性は、ボクはあまり感じない。

では、OSのアップデートを試みるのか?…というと、ソレも違います。
MacOSもWindowsも、常にアップデートしていますよね?
必要ではあるけれど、項目としてはあくまでもサブ的要素に過ぎません。



変わらないもの。
人がヒトである以上は、決して変わることのないもの。
時代や流行に左右されないもの。



それを、ここでは「力(ちから)」といっています。
この「力」の土台の上にのってこそ、先ほどのアプリ、ノウハウやスキルは役に立つ。
これらノウハウ、スキル、テクニックなどは総じて「ワザ」と、ここではいっています。
OSですら、ここでは「ワザ」の範囲となります。

セラピスト、カウンセラー、整体施術者、ヒーリング、さまざまなリーディング…まあホントは、ビジネスにも大いに役立つのだけれど(笑)
すべての根底に流れる「力」を喚び起こす、そういうタイプの「塾」になります。


2019年4月より。
東京(横浜)および九州で始めようと思っています。

近日、募集始めるつもり。
お問い合わせはこちらより、お願いいたします。





大分・福岡出張、ありがとうございました

2018-11-29 | 2018年

大分では、ゆふいん「フローラハウス」での『Tamuratic. Beauty2』セミナー。
その様子、雰囲気は、上の動画で伝わるかな〜

そのあと、別府「玉響庵」でのセッション。

こちらでは瞑想会も開催させていただきました



そして、福岡(久留米)へ移り「縄文フェス」に参加。

会場となったサステナ食堂七虹さん(現「ひなぎく」)の「包丁納めの儀」も、斎主を勤めさせていただきました。


この後に『神社おそうじ隊 対馬見参!』






ご縁いただきました全ての皆様に。
謹んで御礼申し上げます





本心と擬心

2018-11-27 | 2018年
たとえば、ある女性は

「こんなの抱えてたら、そりゃあ男性なんて寄って来ませんよね」

といい、自分の腹部に潜んでいたマグマのような「何か」に、驚いていました。
この方は、結婚願望はあるものの相手には恵まれず(いや、より正確には目当ての男性には振り向かれず)、だいぶ以前から様々なカウンセリング、催眠療法などをハシゴしている方。



たとえば、また別のある女性は、

「これが本心なんですね、私の…」

といい、自分の中にある「自分を慰める気持ち」に気づきました。
この方は、3年くらい前から掃除や家事ができなくなり、「こんなんじゃいけない」とずっと自分を責め、にっちもさっちもいかない状況の方。
自分を鼓舞する、責めることには熱心でも、自分を慰めることには消極的で、そうしてはいけないとすら思っていました。




どちらも、こうして言葉にすると「へえ、そういう方もいるよね」という感じだけれど、本人にとっては切実で、泣くに泣けないような状況にあります。

たとえば、「葛藤」という言葉があります。
その意味は、対立や相反する欲求などのサマを表し、英語でいえば「コンフリクト」という単語があてはまるかと思います。
心理的な悩みのなかでも、この「葛藤」というテーマは大きなものの一つです。

けれど、
セッションをしていて思うのは、
本当は「何」と「ナニ」が、対立していたり、衝突しているのかを、多くの場合人はまるでわかっていない、ということ。

普通にカウンセリングしていて、何年も時間がかかったり、その挙句に何も変わらない、解決しないということがけっこうあるのも、そりゃそうだろうと思います。
ほとんどの人は、自分の本心=本当に思っていること、考えていること、感じていることなど、わからない。
それを意識的なアプローチで引っ張り出そうとしても、なかなか難しい。
だから催眠療法、ヒプノセラピーのような手法も生まれるワケですが…。
トランスが万能ではないのは、やっている方はご存知でしょう。

素直で、従順で、人に相談することに慣れている…そういう方なら、そもそもこじれることは少ないし、自分の本心への抵抗も少ないでしょう。
こういう方は、普通にカウンセリングするだけで解決するだろうし、結果も早く出るでしょう。
ただ、その結果というものが、本当に「本心」からのものかどうかは…なんともいえないけれど。


そうでない方、あるいは、それでは掘り返せない何かを感じている方。
そういう方が、『Tamuratic.』には来ます。


また別のある女性は、家族への恐怖感をずっと抱えていました。
血の繋がりがないこともあるし、幼い頃から虐げられてきたこともあるでしょう。

こういう場合、その恐怖は潜在意識のなかで何層にもなっています
一度消えた恐怖感は、『Tamuratic.』の方法では、決して戻ることはありません。
表面が消えない限り、深層にあるものはは表出できない(気づきにあがらない)ように潜在意識ではなっているようで、このような場合はずっと奥に潜んで、適切な時機に浮上してきます。
表出しないというだけで「ない」ワケではありませんから、本人はずっとキツい。

ここでいう「消える」は、単純にネガティブな感情をポジティブにしたり、書き換えたり、ということではありません。
記憶自体はそのまま残るけれど、ただ残っているだけになります。
それを「問題」としたり、「悩み」のタネとしたりすること自体が、無くなってしまうということです。

ただ、記憶自体は残っていますので、それを基に新たに「問題」「悩み」として創り出すことはできます。
「一度消えたものを創り出すような人はいないだろう」と思うかもしれませんが…現実はいつも想像を超えています。

人間というのは、シンプルです。
表面をいくらデコレート(これを「擬心」といっています)したところで、ナマの心(「本心」)は誤魔化せません。
その綻びは、必ずどこかに(身体、精神、仕事、家庭、お金、人間関係など)に、カタチをとって現れます。

でも、人間は、多くの場合自分の心を誤魔化していることに、気づけません。
潜在意識の構造が、おいそれとは気づけないようになっているからです。
この発見が、現在「コア・セッション」といっているメニューの始まりでした。

ここから、果てしない旅だった…。。。





『ボイジャータブレットの秘密』

2018-10-14 | 2018年
神社おそうじ隊、見参!』など、神職としての仕事もご一緒させていただいているクロノアユミさんが、このたび本を上梓されました。


1冊は献本いただきました。謹んで御礼申し上げます。
もう1冊は、興味のある方に手に取っていただく用にアマゾンで購入。



クロノさんは、2008年くらいだったか、都内で活動されていたある密教の阿闍梨のオフィスで催された講習会で初対面。
その時から今に至るまで、その一種独特の眼力と旺盛なバイタリティは変わらない。

「一種独特…」というのは、モノやコトの本質というか、その対象となるモノの真の価値そのものを、まるで最初から解っていたかのように見抜いてしまう性質を持ち合わせている。
それは、この世界の物質的なものでも、感覚的なものでも、霊的、宇宙的なものでも同じ。

「いい!」と感じたものは直観的につかむ。
そして、そこを基点に縦横無尽にこの宇宙を語り尽くす。

そのクロノさんにとって、「Voyager」というツールは「宇宙言語翻訳ツール」=「自分の言葉を翻訳するツール」として願ってもない媒体、ようやく自分の言葉をノセて語るに足るツールなのだろう。
「Voyager」を手にしたその時から、もともとイキイキとしていたその発散するエネルギーが、2乗3乗されて輝きを増したように思う。

本の内容は、講座で語っていることをそのまま本という形にしたものらしい。
実際に読むと驚くのは、数回の講座でこれだけの情報が口から飛び出しているのだということ。
(ホントは、この3倍くらいのボリュームになるらしいが、出版の都合で削られたらしい…ボソッ)
タロットカード1枚を軸に、この世界、宇宙に遍在するあらゆる情報が出現してくる。
それは、特定の「〇〇」という名を名乗る霊的な存在が語らせるような規模ではなく、あたかもこの宇宙そのものが語らせているかのように思えてくる。

これから、この本は色々なところで「タネ」として使われることだろう。
それもまた、情報を発信する側としては冥利に尽きるというものではあるだろうけれど…。



特に、現代を生きる男性に、個人的にはオススメ。
往往にして直線的になりがちな男性脳には、もってこいの刺激となるだろう。


購入はアマゾンのみでできるそうです(こちら





北海道出張、ありがとうございました

2018-09-21 | 2018年
整体施術者としてデビューしてから4、5年は、「出張」をメインとしていた時期がある。
これにはさまざまな理由があるが、一番大きなものは、「通えないほど大変な状況にある方の施術」を熱望していたからだった。
さらにいえば、俗にいう「場数を踏む」ことを強く欲していた。

実際、待っているばかりではなかなか目の前に現れないような方々の施術をする機会に恵まれた。
ある程度経験や知識を得てから…と、普通は考えるような「重い」症状の方々。

膠原病といわれ、ずっと薬を飲み続けているも歩けなくなってしまい、その当時(22年前)車イスで生活していた男性…
大腸ガンで3回開腹手術をし、肝硬変やどこかの膜の癒着やら、多くの病気を持っておられた女性…
更年期で飲用した精神系の薬の、その後遺症で苦しんでいた女性…

などなど、思い出深い。
これらの方々は、医療でも実質的にサジを投げられているような方々だった。



さて、今年は久々に「出張」づいている。
これは以前のような「場数を踏む」的なものではなく、単純に「来て欲しい」という要請があるということ。
とはいえ、ただ「来て欲しい」だけでは動かない。
そこには、それ相応の条件がある。


今回は、



北海道、札幌在住のNさん。
3年前に引退された元・開業医の方(80代)。
ご息女は長野県で歯科医をされていて、指南塾に3期生として来ていただいていた。
今回、そのご息女の強い希望により実現した北海道出張。

ご両親ともずっと体調が悪く、特にお母様が肩の腱断裂と医療で診断されていて、大変不都合だという。
さらには下肢のむくみ、顔の神経マヒなど多彩な症状を訴えられていた。

ご両親ともの施術を3日間、計3回。




元医師のご家族ということもあり、こういった施術は初めての経験だったらしい。
受け容れていただけるのか…と思ってはいたけれど、結果的には心身ともにだいぶ楽になり、気に入っていただけたご様子だった。



2018年9月6日の北海道胆振東部地震の影響は様々だった。
新千歳空港では、出発、到着階は稼働しているものの、グルメなどのフロアは軒並み営業停止。
私の行く前日も揺れたようで、札幌でも節電状態だった。
歯科医の方のご子息は、北海道の医療系大学に通っている。
札幌駅からすぐの所に住んでいるらしいのだが、その当日は全面停電で、スマホの充電が切れれば外部との連絡もできないような状態。
コンビニは入場制限がかかり、長蛇の列ができていたという。

被災された方々にはお見舞い申し上げます。




セッションにおける〈 時間 〉について

2018-09-04 | 2018年
ようやくウェブサイトの更新もできた。
こちら
ここ数年、あまりウェブサイトを丁寧に読み込む人というのは少なくなったように感じる。
そういうこともあって、内容をどうするかサーチしたり検討したりしていて、結局「なるべくシンプルに、でも伝わるように」を念頭において作ることにした。
実際は、書きたいことはヤマほどあっても、医師でもない私には書けるものでもなかったりする。
術前術後みたいな写真や広告も規制されている昨今、たとえ相談者様の感想でも、掲載には気を遣う。
事実をそのまま語らずに事実を伝えるには…という妙なテクニックがいるんだな、これからは。


さて、
『Tamuratic.』でたまにある問い合わせの内容の一つに「時間の長さ」がある。

「何分くらいかかりますか?」「長くやってもらえるんですか?」「すぐ終わりますか?」…など、ご自分の整体を受けた経験や、初めての場合はマッサージなどの「〇〇分〇〇円」というイメージから聞かれることもあるようだ。

こういうところにも、いいとか悪いとかでなく、人それぞれの思考のクセみたいなものが出るなと、感じる。
この場合では、

・「マッサージ」「指圧」といった業態と「整体」などは同じグループ
・他でそうなのだから、ここでもそうだろうという先入観
・「時間を長くやってもらう」ことが希望、あるいは「短くサッと終わらせてもらう」ことが希望
・いづれの場合も、「時間」が、一つのキーワードになっている

というように。

「時間」を、価値の一つとして考えている方は多い。
それはそれで価値の持ち方であり、人によってちがうのは当然といえば当然。
ただ、『Tamuratic.』のセッションに関しては、「時間」の長短というのはあまり意味を持たないので、その点は明記しておく。
短ければ数分、長ければ一時間を超える場合もある。
それは、「時間」が基準でなく相手の方の「度」が基準になるからだ。

整体には、「機・度・間」という概念がある。
「時間」は、その全てに関連があるが、特にといえば「度=度合」というカテゴリーに分類されるだろう。

少し引用すると、

「操法の技術もとより処を得て押さえ放す事なり。その処に指がピッタリ当たっているか、その指が型によって用いられあるや見定めること必要なるもただ格好のみ見て度のこと見究むるに非ざれば、実際に操法を用うる人見出だせざるなり。
度とは強弱也長短也遅速也多少也。時間長く操法しておれば丁寧なつもりの人あるも時をただ多く費やしているは度を知らぬ也。度のこと知らず自分の満足のために時間多く費やしていても之丁寧なるに非ず。当てずっぽーなる也。度を知りて長き時間を費やさねば不安なるは技鈍き也。一秒間の長さが瞬く間に過ぎ去る人也。一秒を活かして捉え得ねば十分間も一時間も活かし得ぬ也。時を活かし得ぬ人二時間三時間操法を繰り返してもお互いに疲れるだけのこと也。
度を過すことを怖れて弱く長く操法している人あるも同じこと也。度の適を得ねば効無き也。
操法ということ長ければ親切と思い弱ければ丁寧と思い短ければ鮮やか思い強ければ自信あると思う人あるも度の適を得ざれば長くも短くも強くも弱くもまた中位なるも不可也…続く」
(「整体操法 中伝」より引用)

言葉使いも古いので少し読みにくいとは思うが、なんとなく言いたいことはつかめるだろうか?
ちなみに、文中「処」というのは、たとえば「急処」というような使い方をする。
わかりやすくいえば整体版の「ツボ」で、「ツボ」と同じ場所の場合もあるがそうでない処もある。

また、私事で恐縮だが、最近、病院で身内が亡くなった。
その時に、同じ野口先生のこの文章を思い出した。

「治療術というと何かすることだと思っている人が多いが、治療術ということは何かすることだけではなくて、何もしないことも治療術なのである。そしてその何もしないことの方が大切な治療術なのである。何もしないということが最高の治療術であることを知っている人もいるもいるが、何もしないということを治療術とする技術があることを判っている人はまことに少ない。何もしないということと、何もしないということを治療術とすることとは違うのである。この違いが判らねば何もしないということを治療術として活かすことはできない」(「治療の書」野口晴哉)

「手を尽くす」ということが、何か履き違えられている。
そう思わざるを得なかった。
とはいえ、

「今は世の中の全体が何かすることの方に偏っている。それは人間の生きているはたらきを故意に無視することから治療ということが考えられている為であろう」(「治療の書」)

この傾向は、この書が書かれた昭和26年より、何も変わらない。
というより、もはや意識できないほどに偏った、ともいえるかもしれない。。。








2018.9.9〜10 『神社おそうじ隊 岡崎見参!』参加者募集中

2018-08-17 | 2018年



伊勢神宮の鬼門。
鬼門を守護するとされる寺は、伊勢市に存在します。
けれど、正確には「北」方角だといいます(でも、大変に立派なお寺で、そのうち参詣したい)。

さて、日本では(世界でも)古来より「数字」が裏表問わず大きな意味を持ってきました。
神社に限らず、全国津々浦々、よくよく考えれば「なるほど!』と掌を打ちたくなるような、「数」のミステリーは無数に存在します。

たとえば、家紋で使われる亀甲紋。
家紋のなかでも別格とされ、出雲大社や香取神宮など大きな神社で使われています。
バリエーションは様々あるが、「六角形」ということに変わりはありません。

その、特別な数字である「六」。
「六」に関係する地名が数多く存在し、それが南西から北東に向かって列をなしている場所があります。

それが、愛知県岡崎市です。


伊勢神宮の鬼門方向には、長野では諏訪大社。
裏鬼門(南西)にあたる位置には、熊野三社。
それぞれ日本でも有数の由緒をもつ神社です。

鬼門とは、陰陽道の概念で、鬼の出入りする方角のこと。
一般には、避けなければいけないとされていますが、さて本来は…。

「六」は、魔除けの数字。
伊勢神宮周辺には、「六」をモチーフとした様々なモノが点在しています(石灯篭など)。
鬼門方角にあたる岡崎市に、そういった「仕掛け」を施していないとは、実際ちょっと考えにくい。

ちなみに、岡崎市は、スサノオを祀る神社が数多く存在するそうです。
ボクなどは、これを知って「やはり」と思ってしまいました

古くからある「神社」には、すべて、何らかの謂れがあります。
その本当の詳細は、実際に足を運んでしか読み解くことはできません。

ということで、9月。
『神社おそうじ隊 岡崎見参!』です。



お問い合わせはこちら
お申し込みはこちらからお願いいたします。

8月24日まで、受付しております。



大分出張、ありがとうございました

2018-07-31 | 2018年
先週は、まるまる1週間、大分県(別府市&湯布院市)に出張。
二大温泉地でのセミナー、セッション、そして清祓…は、東京・横浜の都市圏でのそれとは、やはりひと味もふた味も違うなと。
気候、風土、そこで紡がれてきた歴史、その土、水、風で育った人々…
日本というのは、人、モノ、食ほか、あらゆる面で地域性があり、SNSなどで日々の様子からある程度のプライベートまでカンタンに知れる時代となってはいるものの、そんなことに関係なく、脈々と伝わっていくもの(ソウルだね)があるなぁ…と、改めて感じた次第。

湯布院でのお宿(セミナー開催地)は、「フローラハウス」
これほどの田園風景に出会えるお宿は、そうそうないのではないかと。
まさに昔からの風景が、鮮やかに広がります。
温泉も素晴らしく、湯船に浸かりつつ見る由布岳は壮観そのもの。

また、別府では「玉響庵」
こちらでセッション(施術)をさせていただいています。
主宰のまちこさんは、私が開いていた私塾「指南塾」の一期生。
素敵な新居を、ご主人の故郷である別府市に建てられ、その真新しいスペースを使ってください、ということで実現した大分出張。

また、大分☆WING HEARTのAkiko Isogawaさん
日常が忙しいなか、大分市と別府市、湯布院市を車で飛び回るバイタリティ。
ご紹介頂いた方も多く、また、送迎そのほか、さまざまにサポートして頂きました。



謹んで御礼申し上げます。
次回の予定も決まっており、今後の展開も楽しみです