『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

『神社おそうじ隊 出雲見参! 2016』参加者募集のお知らせ

2016-10-09 | 神社おそうじ隊 2016


2011年、2012年と、過去2度に渡る『神社おそうじ隊 出雲見参!
『神社おそうじ隊 見参!』活動開始からまもない時期に、日本の(裏の)歴史の中で大きな意味を持つ「出雲」を巡拝できたことは、実にありがたいことでした

たとえば、そのあとの2012年秋に番外編として巡拝した「熊野」や、2014年夏の「諏訪」などは直接的にそのルーツは「出雲」に繋がります。
2013年春の「奈良」においても、また、今年の夏の「京都・裏出雲」においても、もちろん同様です。
そして、一般的な認識からすれば、どこでどう深くつながるのかなかなか分かりにくいであろう「吉備(岡山)」は、随所にその繋がりの深さを垣間見ることができました。

「おそうじ隊」の本意は、あくまでも自らの「おそうじ」
歴史の、いわゆる「謎解き」は全く本意ではないとはいえ、その場に実際に身と心を運ぶことで必然的に巻き起こる「?」や「!」。
それが翻って自らの潜在意識に転換をもたらすことの妙は、やはり、その「場」に降り立ったその時の自らの意識、そしてそこに纏わる集合的意識の為せるワザ、といえるのかもしれません

さて、今回は、

『出雲国二ノ宮 神在の社  佐太神社』

での神迎神事をメインに、出雲大社ほか各神社を巡拝いたします。
佐太の神在は、文献上最も古くから行われている…との記述もあります。
2012年にこちらの神社を参拝させていただいた際に、実に様々な不可思議を体感しました。
今回の「神在神事」、個人的にも興味深いところです。
また、船が出航可能であれば、佐太大神生誕地とされる加賀の潜戸(かかのくけど)へも見参いたします。
時期的に晴天であることと、風が凪であることが出航の条件だそうなので、そこは当日になってみないと分かりませんが

 



よろしければ、ご参加ください



期日:11月20日(日)〜22日(火)

『神社おそうじ隊 見参!』についての詳細はこちらを参照ください。
お問い合わせは tamuratic@tamulab.info
お申し込みは  こちらからお願いいたします。




2016.7.6 『滋賀・京都プチ見参!』 その2

2016-07-20 | 神社おそうじ隊 2016
  
『大将軍神社』(東山)

 
『大将軍神社』(北区・西賀茂)



『御靈神社(上御霊神社)』

平安遷都に際し、延暦13年(794)桓武天皇が平安京の守護として崇道天皇(早良親王)の御神霊を祀ったのが起源とされ(詳細は不明)、その後仁明、清和天皇時代をへて7柱が合祀。
現在の祭神は、

崇道天皇(早良親王。光仁天皇の皇子)
井上大皇后(光仁天皇の皇后)
他戸親王(光仁天皇の皇子)
藤原大夫人(藤原吉子、桓武天皇皇子伊予親王の母)
橘大夫(橘逸勢)
文大夫(文屋宮田麿)
火雷神(以上六柱の荒魂)
吉備大臣(吉備真備)

御霊信仰、古来より疫病や災厄除の霊社として知られる。



『下御霊神社』

当社は平安時代に冤罪を被り亡くなられた貴人の方々の怨霊を御霊(ごりょう)として、その当時からお祀りしてまいりました神社です。疫病災厄を退散し、朝廷と都をお守りする神社として崇敬されてきました。
(「下御霊神社」ウェブサイトより抜粋)

御祭神

本殿
 吉備聖霊(きびのしょうりょう)
 崇道天皇(すどうてんのう)     皇太子 早良親王(さわらしんのう) 桓武天皇同母御弟
 伊豫親王(いよしんのう)         桓武天皇皇子
 藤原大夫人(ふじわらのだいふじん)  桓武天皇夫人 伊豫親王御母 藤原吉子
 藤大夫(とうだいぶ)            藤原廣嗣(ふじわらひろつぐ)
 橘大夫(きつだいぶ)           橘逸勢(たちばなはやなり)
 文大夫(ぶんだいぶ)           文屋宮田麻呂(ぶんやみやたまろ)
 火雷天神(からいのてんじん)

相殿

 霊元天皇(れいげんてんのう)


「御靈神社(上御霊神社)」「下御霊神社」とも、創建年代は明らかではないのですが、しかし、どちらも中世以来朝廷や貴族の崇敬が厚いことで知られています。
「御霊信仰」という言葉が日本にはありますが、この両神社は、まさにその「御霊」を「御霊」として祀る神社です。
京都の夏の祭りは、多くが「御霊会(ごりょうえ)」です。
華やかに、賑やかに、出店がたくさん出て、夏の風物詩で…というのは、あくまでも「祭り」の表面に過ぎません。
そうすることは、本当は何が目的であるのか・・・「御霊会」という言葉には、その意味が示されているように思います。




『平野神社』

式内社 官幣大社

平安京遷都頃まで創建が遡るとされる神社で、近年の研究によると、元々は桓武天皇生母の高野新笠の祖神(桓武天皇外戚神)として平城京に祀られた神祠であったが、それが平安京遷都に伴って大内裏近くに移し祀られたことに始まると推測されている。古代には皇太子守護の性格を持ち、平安時代には例祭「平野祭」において皇太子自らにより奉幣が行われた。また、多くの臣籍降下氏族から氏神として歴史的に崇敬された神社としても知られる。(Wikipedia)

【御祭神四座】
今木皇大神(いまきすめおおかみ) 源気新生、活力生成の神
久度大神 (くどのおおかみ)    竈の神、生活安泰の神
古開大神 (ふるあきのおおかみ) 邪気を振り開く平安の神
比賣大神 (ひめのおおかみ)   生産力の神

創建当時は1.5Km四方と、御所に匹敵する広大な境内を誇っていたといいます。
現在は東西で200メートル前後だということですが、それでも相当に広いのは事実。
全国的に「桜の名所」として有名で、毎年4月に桜花祭(桜祭神幸祭)が行われています。



京都の中心部を駆け足で巡拝したカタチになりました。
この日も、ご一緒いただいた皆様、本当にありがとうございました

京都(みやこ)は、やはり「都」です。
いづれじっくり、腰を据えて、巡拝したいと、思います





2016.7.6 『滋賀・京都プチ見参!』 その1

2016-07-18 | 神社おそうじ隊 2016

『建部大社 近江国一之宮』

式内社 官幣大社
御祭神 ヤマトタケルノミコト(日本武尊・倭武命)
8月に行われれる船幸祭で知られる。

前夜、滋賀・大津の瀬田の唐橋のすぐ近くのAさんのご実家にて、セッション。
美味しい鳥料理をいただき、そのまま現地に宿泊。
翌朝、京都に向かうその前に参拝。

相変わらず境内は掃き清められ、地元の方の参拝も絶え間ない。

一之宮というのは、一般的には「その地域(国)で最も社格の高い神社」といわれます。
しかし、こうして日本各地で参拝してみると、時に荒廃して「本当にここが一之宮なの?」という神社もあるし、また参拝者の多い「一之宮」では、時に不遜とも思える態度をとられることもままあります。

ただ淡々と、日々のお祀りに勤しむ。
『建部大社』を参拝させていただくと、その事の意味を感じさせていただきます。



『北野天満宮』

全国約1万2000社の天満宮、天神社の総本社。
菅原道真公をご祭神としてお祀りし、天神信仰発祥の地として知られる。


楼門と拝殿の間に建つ『三光門』
「星欠けの三光門」として天満宮の七不思議の一つに挙げられていますね。
副長のこの記事において、その不思議は解明。
星は、ウサギに挟まれていました。


   




『大将軍八神社』

「当社は平安京造営の際、陰陽道に依り大内裏(御所)の北西角の天門に星神 「大将軍堂」を建て 方位の厄災を解除する社として創建されたという。創建当初は陰陽道のお堂として建てられた為「大将軍堂」と称し江戸時代に入り 大将軍村の鎮守社として祀られる様になった。又、その頃からそれまでの北斗妙見信仰から太白精の信仰に移り暦神と習合して 「大将軍八神宮」とも称した。

祭神は古来の日本の神ではなく大将軍一神を祀っていたが、 明治時代に「神仏分離令」によって 神道を国教とし現在の形「素盞鳴尊、その御子五男三女神、並びに 桓武天皇を合祀」となり、御子八神と暦神の八神が習合して以後社名は「大将軍八神社」という。

祭神を素盞鳴尊とした理由は 、 1433年伏見宮貞成親王の日記「看聞御記」より、大将軍堂は1340年から約100年の間祇園社 (現 八坂神社)の管理下にあった。 八坂神社の祭神が素盞鳴尊であり、 その神格が大将軍神と似通っている事から関連付けられたと思われる。」
(「大将軍八神社」ウェブサイトより抜粋)




『今宮神社』

中御座 : 大己貴命(おおなむちのみこと)
東御座 : 事代主命(ことしろぬしのみこと)
西御座 : 奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)

「当社地には平安建都以前より疫神(えきしん)を祀る社があったといわれる。建都ののち平安京が都市として栄える一方で、人々はうち続く疫病や災厄に悩まされ、これを鎮めるため神泉苑、御霊社、祗園社など各地で盛んに御霊会(ごりょうえ)が営まれた。今宮社の紫野御霊会もその一つである。すなわち、一条天皇の御代正暦五年(994)六月、当社地の疫神を二基の神輿に齋いこめて船岡山に安置し、神慮を慰め奉って悪疫退散を祈った。これが紫野御霊会であり今宮祭の起源である。」(「京都神社庁」ウェブサイトより抜粋)

通称「玉の輿神社」。

あぶり餅、食べ損ねました…




2016.7.3〜5 『神社おそうじ隊 裏出雲見参!』その5

2016-07-13 | 神社おそうじ隊 2016

『竹野(たかの)神社・斎宮神社』

 

式内社。
第9代開化天皇に嫁いだ丹波国大県主由碁理(ゆごり)の娘「竹野媛」が晩年郷里に帰って「天照皇大神」を祀ったとされる神社。
摂社・斎宮神社には「竹野媛命」「日子坐王命」「建豊波豆羅和気命」が祀られています。

一つの説として、
いわゆる「元伊勢」伝承は、この竹野神社が丹後にあったがゆえに起こったのではないか、ともいわれます。
そして、この神社に代々仕えていた姫神たちこそが、「かぐや姫」のモデルである、とも・・・。


物語には、概ねタイプ、類型があります。
「かぐや姫」でいえば、誕生の特異性であったり、無理難題を提示して結婚の条件にしたり、といったことですね。

誕生の特異性に関しては、有名なところでは「桃太郎」などはすぐに浮かびます。
無理難題をふっかける、困難を克服して目標を達成するモデルは、現代の「成功」ストーリーとも通じますし、日本の、神社にまつわる物語でいえば、やはり「大国主命」のストーリーではないでしょうか?
スサノオがスセリビメとの結婚の条件として無理難題を次々と大国主命に出し、それをスセリビメのアドバイスによって克服していく…まさに、現代のハリウッドムービーにも通じるストーリーですよね。




『浦嶋神社』

式内社。
『延喜式神名帳』には「宇良(うら)神社」と記されている。
御祭神 浦島子(浦島太郎) 相殿 月讀命 祓戸大神

「この神社に伝わる浦島伝説は起源が最も古く、すでに八世紀にできた丹後国風土記・日本書紀・万葉集などに記載されている」(「浦島神社の栞」より)
浦島子は、開化天皇の後裔氏族、日下部首(くさかべのおひと)の祖先。

浦島の物語では、やはり常世(とこよ)の国、彼方にある理想郷、不老不死、ここではないどこか…ですね。



この地域は、「丹波」あるいは「丹後」。
この「丹」という文字のつく地名は日本各所にあります。
その共通項として、いずれも丹砂(タンシャ=硫化水銀)の産地であることを示しています。
つまり、「丹」という文字のつくこの地域は、それらの産地、それもかなり重要な鉱脈であったことが、格式の高い神社がこのように祀られていることからも伺えます。

そして、「出雲」。
「雲(クモ)」=「蜘蛛」、つまり「朝廷の意に沿わぬ人々」のことを指します。
つまり「出雲」とは、それらの人々が出るところ、発生する場所という意味とも解釈できます。

そして「出雲」、また丹生神社を一ノ宮とする「紀伊国」、丹生三社のある「吉野」などは、かつてのタタラ(日本古来の製鉄技術)場であった場所です。
鉄は、かつてはその国の命運を握る大きな利権。
そう考えると「大国主命」という名称の意味も、なんとなくわかるのではないでしょうか?

『出雲大社』とは、その「大国主命」を祀る社。
有名な「国譲り」により、出雲を治める王は、そこに祀られることになりました。



『天橋立』

遠くに見える「天橋立」。
日本海の宮津湾にあり、陸奥の『松島』・安芸の『宮島』とともに、日本三景とされます。
その形が、天に架かる橋のように見えることから『天橋立』の名が付いたそうです。



さて、今回の『裏出雲見参!』。
一般に京都で神社というと、洛中をイメージされることが多いかもしれませんが、実際にその外に目を向けると、さすがに都、日本の歴史がそのまま感じられるようでもありました。
もちろん、今回でその全てを看破したわけではありませんので、次なる機会があることでしょう。

ご参加いただいた皆様、忙しい中本当にありがとうございました
このすべてのご縁に、感謝いたします



…最後に、「うさぎ」
「うさぎ」は、「宇佐妓」、です。
因幡の白兎は、女性のこと。
このように解釈すると、また違った見方ができますね




2016.7.3〜5 『神社おそうじ隊 裏出雲見参!』その4

2016-07-12 | 神社おそうじ隊 2016

『加悦天満宮』

京都府北部・与謝野町加悦の、通称「ちりめん街道」と呼ばれるこの地域。
宿の女将さんに、「この辺りで神社といえばどちらでしょう?」とお聞きしたらば、まず挙がったのが天満宮。
祇園祭に流れをくむという地域最大の例祭「加悦谷祭」で知られる。



『吾野(あがの)神社』

式内社。我野媛(あがのひめ)を祀る。
天満宮の裏手、石段をさらに登りきった処に鎮座。
この御祭神の呼び名が、「加悦(かや)」の語源と伝わる。

 
『大虫神社/小虫神社』

「大虫神社」
式内社。
大己貴命 少童命 大田命を祀る。

「小虫神社』
式内社。
少彦名命 火産霊命 大山祇命を祀る。

両神社の鎮座地は野田川の中流域で加悦谷と称される地の東方台地上、大江山連峰の西山裾に位置する。加悦谷には国の史跡に指定されている蛭子山古墳や作山古墳などの古墳や遺跡が密集し、古代丹後地方における最先進地帯であったと見られている(Wikipediaより)。



『一宮神社』

彦火々出見命 天水分命 級長津彦命の三神を祀る。
宮津の籠神社が丹後国一ノ宮であるのに対し、こちらの神社は謁叡(あちえ)郷の一ノ宮であったと伝わる。
里人は、天分水命が籠神社と当社に祀られ、江戸期には神輿が府中(籠神社鎮座地)まで渡御したことから、籠神社の元宮であるといい伝えているという。


 
『乙女神社/藤社(ふじこそ)神社』

「乙女神社』
羽衣伝説発祥の地とされる磯砂山の麓に鎮座。
天女の娘が祀られ、参拝すると美しい女子が授かるとされる。

「藤社神社』
伊勢外宮の元宮候補地の一つとされ、祭神は保食之神。



『比沼麻奈為神社』
式内社。
御祭神 豊受大神
瓊瓊杵尊 天児屋根命 天太玉命

比沼麻奈為神社、藤社神社は、互いに元伊勢を名乗っています。


『月の輪田』
その昔、保食神が稲種を天照大神に奉った田と伝わる。
この「保食神(ウケモチノカミ)」は、豊受大神とされることも多いカミ。








2016.7.3〜5 『神社おそうじ隊 裏出雲見参!』その3

2016-07-11 | 神社おそうじ隊 2016
     

『綾部七社』

「綾部市旧市街にある七つの産土神社を巡拝する行事であり、明治36年5月24日(旧4月28日)の弥仙山(綾部市於与岐)における、二度目の天の岩戸開きの神事のお礼として、出口なお開祖が福知山の一宮神社と綾部の産土神社を参拝されたことに始まる。」(「大本」ウェブサイトより抜粋)


一応明記しておきますが、『神社おそうじ隊 見参!』というのは、特定の教義・教典を持つものでもなく、また、特定の思想を選取しているわけでもなく、特にどこかと関係が深いというわけでもありません
さらにいえば、どのような思想、教義であっても、否定も肯定もすることなく、ただそのままを尊重する、というスタンス(「八百万」やおよろづ)ですので、このブログで特定の団体や思想が仮にフィーチャーされたとしても、それは他の神社と全く同じスタンスでの掲載です。


上記、綾部七社。
写真の順番は、上段「笠原神社」「斎神社」、中段「熊野新宮神社」「若宮神社」下段「二宮・三宮神社」「八幡宮」。

大本には聖地が二箇所あり、発祥の地・京都府綾部市の「梅松苑」は祭祀の中心地。
そして、京都府亀岡の亀岡城跡にある「天恩郷」は宣教の中心地だということ。

当初、この両施設に立ち寄る予定などなかったのですが、今回ご参加いただいたTさんの機縁により、訪れることに。
実に濃密な空間の中で、時折、堰を切ったように降り出す雨、それがサッと上がるそのタイミングもまたオモシロく・・・。



夜。
『ちりめん街道 料理旅館 井筒屋』にて、宿泊。
日本海の海の幸と大江山の山の幸、こだわりの「丹後のバラ寿司」、堪能させていただきました。
 





2016.7.3〜5 『神社おそうじ隊 裏出雲見参!』その2

2016-07-09 | 神社おそうじ隊 2016

『丹後一宮 元伊勢 籠神社』
【別称】 籠宮大社(このみやたいしゃ)・元伊勢大神宮・伊勢根本丹後一宮・一の宮大神宮
【旧社格】 延喜式内・名神大社・月次・新嘗・案上之官幣大社・山陰道一之大社

数多ある「元伊勢」を称する神社の中でも、群を抜く社格と知名度。
ちなみに、「元伊勢」とは、「三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮(皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮))が、現在地へ遷る以前に一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社・場所」のこと。
ご興味ある場合、こちらを参照ください。

主祭神・彦火明命(ひこほあかりのみこと)は、天照大御神の御孫神で、邇邇芸命(ににぎのみこと)の御兄神。
別名として、天火明命(あめのほあかりのみこと)・天照御魂神(あまてるみたまのかみ)・天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)などがあります。
『神社おそうじ隊 見参!』としては、『ニギハヤヒ』という名称の方が馴染みがありますね。
2014年3月、「大阪春の陣」において、テーマとさせていただきました。


古事記、そして日本書紀の記述に基づけば、初代天皇は神武天皇。
しかし、それ以前にヤマトには統治者がいて、それがこの「ニギハヤヒ」というカミになります。
このこと自体は記・紀にも記述され、その意味では“正式”な日本史です。

そして、さらに記・紀の記述によれば、「ニギハヤヒ」は、その統治者の権利を神武に譲った、となっています。
それにより神武は、“初代”天皇、統治者となりました。
譲ったのだから、つまりは先代がいたことになるだろうに、初代…という矛盾が、「ニギハヤヒ」に纏わるミステリーの根幹にあります。




『元伊勢内宮・皇大神社』

旧村社。
祭神は天照大神。天手力男命、栲幡干々姫命を配祀。
丹後・丹波一円にかけ広く尊崇され、舞鶴あたりでは「元伊勢」といえばこちらを指すという。


『天岩戸神社』

祭神 櫛岩窓戸命、豊岩窓戸命、大宮売命、八意思兼命
神々が天下った地という岩戸渓谷に鎮座。



『元伊勢外宮・豊受大神社』

御祭神 豊受大神
丹後地方へ天下った農業の神様「豊受大神」を祀る。
伊勢神宮外宮の元宮といわれる。

三社で「元伊勢三社」とされています。


また、皇大神社から天岩戸神社へと向かう道中には、


神体山である日室ヶ嶽の遥拝所があります。
この場所から願い事をすると、一つだけ願いが叶う「一願さん」として知られています。
山頂に夏至の日に太陽が沈んでいく様が見れるそうです。


さて、今回は「裏出雲」がメインテーマです。
決して「元伊勢」巡拝では、ありません。

これもまた、「裏出雲」。
さてさて・・・。





2016.7.3〜5 『神社おそうじ隊 裏出雲見参!』

2016-07-08 | 神社おそうじ隊 2016

『丹波國一之宮 名神大社 旧国幣中社 元出雲  出雲大神宮』

「奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の出雲大社これなり。」(「丹波國風土記」)

京都府亀岡市の北東部に位置し、大国主命(オオクニヌシノミコト)と后神である三穂津姫命(ミホツヒメノミコト)を奉斎し(明治の制)、特にこの二柱を合わせ出雲大神、出雲大神宮(日本書紀)、出雲神社などと称へ奉られている。



さて、「裏出雲」。
「元〜」といえば「元伊勢」など、神社に詳しい方にとっては比較的一般的。
この場合は、大方ルーツ、系譜を意味しています。

しかし、「裏」、というと、ややどこか怪しい風情が漂うことになるからか、はたまた別の理由からか、あまり一般的に使用される言葉ではありません。
でも、「陰陽」もそうだけれど、「陰」なくば「陽」もなく、「表」があるなら当然「裏」があります。
本来一つであるものの対極的な相に過ぎないのですから、いってみれば“あたりまえ”

このこと、誰もが「わかってるよ〜」とは思うものの、実際にはあまりに“あたりまえ”過ぎて、そして、茫漠とし過ぎて、なかなか気づけないことのようですね。

ただ、そこにある事実。
ただ、そこにある真実。
そこには、“あたりまえ”に、「表」があれば「裏」がある。

思わぬ展開ばかりとなった、今回の『裏出雲見参』。
ご参加いただいた皆様、まずは、ありがとうございました





2016.5.10-11 『神社おそうじ隊 富士見参!』・5

2016-05-31 | 神社おそうじ隊 2016

『北口本宮冨士浅間神社』

「景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊ご東征の折、足柄の坂本(相模国)より酒折宮(甲斐国)へ向かう途中で当地「大塚丘」にお立ち寄りになられ、そこから富士の神霊を親しく仰ぎ拝され「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と仰せになりました。よって大鳥居が建てられ、大塚丘に浅間大神と日本武尊をお祀りし、当社の創建となりました。」
(「北口本宮冨士浅間神社」ホームページより抜粋)

ご祭神 コノハナサクヤヒメノミコト ヒコホノニニギノミコト オオヤマヅミノミコト

「吉田の火祭り」で知られる神社。
摂社である諏訪神社とで行われ、その祭りの際には、約3メートルの大松明70本~80本余りが焚き上げられるといいます。

また「冨士」の「冨」の字がウ冠ではないことにも色々諸説あるよう。
調べてみたら、オモシロイですよ

  


雨の小降りになった頃…


『不二阿祖山太神宮』

に到着。

主祭神
  元主一大御神様(元旦神) 別名 元主天御中主大御神様
  御親元主国万造主国常立大御神様
配神
  天照主日大御神様
  天照主月大御神様
  伊都能売大国魂大国主大御神様
  (五男三女大国魂大国主大御神様)
皇祖、人祖の神々様・八百万神々様

「『不二阿祖山太神宮』は、この神道の精神と、不二山に残されていた不二 神仙道の奥義・教えをもって、人類恒久平和を祈り、未来の子供達へ、素晴らしい地球を残す為に、日本の古き良き文化伝統を伝え拡げていくことを目的としています」
(「不二阿祖山太神宮」ホームページより抜粋)

参拝の方法にも独特の作法があり、境内の空間にも独特の気が満ちていました。
ほぼ崇敬会によるご奉仕で成立していて、この日受付されていた方にその説明を受けることができました。

「日本(霊の元) 大元、日本の元 「古神道」の教えを伝え続ける」



今回の「富士見参」は、ここまで。
雨のなかでの巡拝となりましたが、最後の最後に…



富士山は、その姿を現しました。


日本一の霊山といわれ、万葉の昔から「四方の霊験所」(「梁塵秘抄」)の一つに挙げられていた富士山。
にもかかわらず、古事記や日本書記にはその記述はありません。

また、はじめに参拝させていただいた「富士山本宮浅間大社」の千木・鰹木(ちぎ・かつおぎ)。
「千木」とは、神社の社殿の屋根の両端に交叉してそそり立つ木々のこと、「鰹木」とは、屋根の頂点に棟に直角に何本か配置されている木々のことです。
これらは、実はそれぞれ、様式に二種類あります。

千木には内削ぎと外削ぎ、鰹木には偶数と奇数という種類です。

社殿建築の原則として、千木が内削ぎの場合鰹木は偶数。
千木が外削ぎの場合は、鰹木は奇数です。

これはそのまま、

「内削ぎ・偶数=女神」「外削ぎ・奇数=男神』

を祀ることが原則になっています。

「富士山本宮浅間大社」の千木・鰹木は、というと・・・



外削ぎ・奇数なのですね。
現在主祭神とされているコノハナサクヤヒメノミコトは、女神・・・さて。


神社には、このようなことが、ままあります。
少し視点を変えるだけで、色々と気づくこともあります。
古代からのメッセージや暗号、というと、それだけで「アヤシイ」をイメージをされることもありますが、こういった原則にすら適合しない大きな神社は、実はたくさんあります。
「神社」とは、本来どういったものなのか…参拝の際、ちょっとだけアタマをそういうモードにしてみられると、近所の「神社」の思わぬ姿が見えてきたりする…かもしれません。






今回、ご参加いただいた皆様、
本当にありがとうございました
また、雨の中本当にお疲れ様でした

今回の「富士見参」は、出雲から参加の御二方なしには実現はしなかったかもしれません。
体調の整わないなかご参加いただいたTさん、そして、今回の「富士見参」実現を強力に後押しいただいたFさん。
いつもありがとうございます

また、広島からご参加いただいたKさんは、道中の運転、ならびに様々な気遣いをいただきました。
いつもありがとうございます




2016.5.10-11 『神社おそうじ隊 富士見参!』・4

2016-05-31 | 神社おそうじ隊 2016
2日目。
昨夜から降り出した雨が、日をまたぎさらにその雨脚を強めました。
その状況のなか、副長から「是非に」と提案されたのは・・・


『駒門風穴』

富士最大級にして最古の溶岩洞窟といわれ、内部は本穴291メートル、枝穴110メートル。
国指定天然記念物です。


内部は凸凹してはいるものの、照明は整備してあるため足元も見える程度に明るい。
ヒヤッとして、天然の冷蔵庫的な冷気はあるものの、夏であれば避暑にはちょうどよいくらいの塩梅。
雨の影響で滑るのではないかと思われたものの、それもほとんどなく、なかなかに快適でした




『富士山東口本宮・須走口登山道 富士浅間神社』

富士山本宮浅間大社、北口本宮冨士浅間神社とともに、現在「本宮」と称されている神社です。

「平安時代初頭、桓武天皇の時代・延暦21(802)年、富士山東脚が噴火した。当時の国司・郡司(朝廷の役人)は、恐れおののく住人のために鎮火の祈願を行うべく、富士山東面・須走の地に斎場を設け、鎮火祭を斎行した。すると、同年4月初申の日に噴火が収まった。この御神威を畏み、報賽するべく、平城天皇の時代・大同2(807)年に鎮火祭跡地・現在の御社殿の地に神をお祀りしたことが、当社の創建と伝えられる。」
(東口本宮 ホームページより抜粋)

主祭神 コノハナサクヤヒメノミコト
相殿神 オオナムチノミコト ヒコホホデミノミコト

5000坪といわれる境内は、周囲を鬱蒼とした樹木に囲まれ、晴れていたならば、どれほど清々しい境内であったことかと思わずにはいられないほどの、激しい雨の中の参拝となりました。
またの機会に、再拝させていただこう。。。