『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

2015.8 春日大社・御蓋山本宮神社特別登拝(「神社おそうじ隊 見参! 特別編」)

2015-08-20 | 神社おそうじ隊 2015



『春日大社/第六十次式年造替』
『春日大社では、一年三百六十五日、二千二百回以上のお祭りが奉仕されています。
 そうした中での至高最上の祭典が『式年造替』です。

 式年とは「定まった一年の年限」、造替とは「社殿を造り替える」という意味。
 神さまがお引っ越しされることを「遷宮」といいますが、春日大社では本殿の位置は変えずに
 建て替え、あるいは修復を行うため「造替」といいます』(「春日大社・式年造替パンフレットより抜粋)



《春日大社》は、神護景雲2年(768)に、称徳天皇勅命により創建されました。
国家および国民の守護神であり、藤原氏の氏神として朝廷からの手厚い保護を受け続けた、全国3,000社以上ともいわれる春日神社の総本社です。
その神域は現在でも、御蓋山全域および飛火野と呼ばれる芝原や雪削の沢などを含め32万坪にも及ぶといわれます。

今回登拝した御蓋山は、「万葉集」や「古今和歌集」でも詠まれているなど、その霊験の高さで知られています。
春日大社創建以前より神奈備山として崇敬を集めていた山であり、創建後に狩猟伐採などが禁止となったこともあり、ほぼ手付かずの原始林となっています。




…僕は、2010年に、一度この御蓋山原始林の遊歩道に入っています。
(その当時の記事はこちら
この当時は、まだ神職としての勉強の真っ最中の頃でした。

そこから約5年の歳月を経たワケですが、この5年の間に神職資格を得て、2011年からは『神社おそうじ隊 見参!』という活動を始めました。
今回の春日大社の式年造替のこと、本宮神社登拝のことを知るにおよび、何かがグルっと一周したようにも思えました。
それならばと、即参加を決めての今回。





ニノ鳥居前で受付。

その後、「感謝と共生の館」にて、事前説明。
水谷神社→大宮参拝→若宮参拝→本宮神社遥拝所より入山→本宮神社→春日山遊歩道より下山→水谷神社に報告→直会
という流れ。


若宮神社
御祭神   天押雲根命(アメノオシクモネノミコト)

870年以上、途絶えることなく続けられてきた「おん祭」は、この若宮神社の例祭です。
この例祭は、興福寺の庇護も受け、大和国万民の祭りという特別な意味合いをもっているそうです。


 

この前日のゲリラ豪雨が、嘘のような快晴。
禁足地でもあるため、登山用の整備などされておらず、足場の悪さなどが心配されましたが、杞憂に終わりました。
先達となった春日大社の権禰宜の方の、「さ~んげ、さ~んげ、六根清浄」の掛け声と共に、本宮神社へと向かいます。



『春日大社 摂社・本宮神社』

御祭神

武甕槌命(タケミカヅチノミコト)
経津主命(フツヌシノミコト)
天児屋根命(アメノコヤネノミコト)

標高295メートルの御蓋山浮雲峰に御鎮座になり、延喜式内社「大和日向神社(やまとひむかいのかみのやしろ)」に比定される神社。
創立不詳。古伝では、まずこの浮雲峰に武甕槌命は降臨。そこからまもなく西の麓の本殿がある現在地に遷座された、とされている。
約10メートル四方の磐境の上に社殿はある。




下山後、摂社・「水谷神社」に感謝の報告。

御祭神  素戔嗚尊(スサノオノミコト)
     大己貴命(オオナムチノミコト)
     奇稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)

八坂神社からの御分霊。
北方ないし東北の方からの厄神を和め、鎮めるために鎮祭された。



直会では「中旬の献」が供された。
古儀の一つであり、宮中と春日大社でのみ行われる重儀だということ。


「禁足地」とは、「足を踏み入れてはいけない場所」という意味ではなく、本来「そこから出てはならない」という意味。
今回、その禁を解いたということは…何か、大きな変化が霊的な意味でも行われている…という考え方もできますね。

1300年以上の時を経て、開かれた神域…。
その神秘性は、解禁となった今後どうなっていくのか…個人的には、注目です。

 
平安貴族は、鹿を見ると神の使いということでお辞儀をしていたそうです。




今回、この機会をいただいた春日大社、並びにご先達いただいた権禰宜さま始めすべての皆さまに、感謝いたします。
また、今回急にも関わらず、呼びかけに応えていただいた参加者の皆さま。
本当にありがとうございました。


参加者Aさんから、記念写真をいただきました。
ありがとうございます!








『2015.5 神社おそうじ隊 宗像・長門見参』 ~戸上神社・和布刈神社~

2015-08-07 | 神社おそうじ隊 2015

『戸上神社』

北九州市門司区、地域最高峰・戸上山(とのえさん)麓に境内、山頂に上宮。
天御中主神、伊邪那岐神、伊邪那美神、他十七柱を祀る。

  

境内には、喜代茂稲荷ほか鎮座。


近隣の『瀧ノ観音寺』

 




晴れ渡る空のなか、九州最北端、千八百年の歴史を有するとされる…

『和布刈神社』に。

「和布刈(めかり)」とは、「ワカメを刈る」の意味。
第十四代仲哀天皇九年神社創建以来の神事である「和布刈神事」は、毎年旧暦元旦の午前三時頃、松明、手桶、鎌を持ち三人の神職が神社の前の関門海峡に入りワカメを刈り神前に供える。
昔は、刈り取ったワカメを朝廷や領主に献上していた。


社殿前には、関門海峡。

このように海への入り口が…。
おだやかな波と天候に誘われ、海際まで降りたらば…

御祭神の第一座として、比売大神、別称宗像三女神を祀る神社。
海の神様であるのだから…全身に海水を浴び、ご挨拶いただきました。





暑い時期の過ごし方

2015-08-04 | 2015年
犬や猫など、動物を観察していると、暑い時期には努めて日陰にいようとし、また、お腹を冷たい地面に当てるなどしています。
そうやって、自分にとって快適な〝涼〟をとり、本能的に自らの快適さを損なわないよう行動しているようですね。

日本の夏は、多くの地域で高温にして多湿の傾向があります。
そこへもってきて、いわゆる猛暑日(真夏日)は、1950年代と現代を比較していくと、年を追うごとに増加。
たとえば、こちらのグラフ
都市化の影響、ヒートアイランド現象など様々いわれますが、生活環境が変化すればそれに応じ何かが変わるのもまた必然でしょう。

まだ世の中がノンビリしていたころは、暑い夏には日陰でスイカでも食べ、その季節に寄り添うようにしておけばよかったかもしれない。
けれど、一年中、同じリズムで暮らすことを強いられる現代的ライフスタイルの最中に生きていては、なかなかそれもムズカシい。

さて、そろそろ「夏バテ」という言葉が当てはまってくる時期。
整体的にいえば、呼吸器機能の停滞、腎臓の疲れのために循環機能に低調が起きる時期、と概ね考えます。
ただ、上のリンクのグラフにも反映されているように、かつての暑さと現代の暑さは、その質が違います。
また、そこに暮らす私たちの体も、まったく同じではありません。

このところ、「今年は暑すぎて…」という言葉を、来訪いただく方々ほとんどが口にされます。
そこで、これからの「暑い時期の過ごし方」、です。

まず、お風呂は上手く活用しましょう。
暑いからといってシャワーだけでは、やはり疲れは抜けません。
たとえばクーラー環境のなかで1日過ごすことの多い事務職などの方は、なおさら1日の終わりにサッと少し熱めのお風呂に入ることで、体内に留まる冷気を放出することができます。
また、熱めのお風呂は、交感神経を活性化し、さっぱりと、心身を「シャンッ」とすることに役立ちます。
肉体的に疲労した、気分的にくたびれた…そういう方には、なるべくぬるめの湯に浸かり、頭をポーッとすることをオススメします。
ただ、よく汗をかいたあとは、塩分と水分を補給しておきましょう。
最近では経口補水液なども出ていますが、これらでもいいし、昔からの知恵でスイカなどに塩をかけて食べてもいいかもしれませんね。

お風呂については、活用のアイデアはいろいろあります。
また折にふれ、ご紹介できればと思います。

そして、汗。
体温調整機能としての汗は、体内の老廃物排出を促進します。
特にこの時期は、汗は積極的に出すことが整体ではいわれていますが、ただ問題とされるのは「汗の内攻」という現象。
「汗の内攻」とは、出るべき汗が急に冷えたことで引っ込んでしまい、それにより皮膚・筋肉が縮み汗腺が開かなくなり、汗が出にくく泌尿器や呼吸器の負担が増すこと。
言い方を変えれば、汗から排泄された毒素を再吸収してしまうということです。

たとえば、うだるような暑さのなかからいきなり駅前のカフェに入る。
そうなると、出た汗はクーラーの冷気で冷えながら皮膚から再吸収されてしまい、「汗の内攻」となってしまう…ということ。

これについては、なるべく首近辺の汗を中心にこまめに拭くことでしょう。
外からの冷気を吸収しやすいのは、足、そして首です。
クーラー環境に長くいるような場合は、サンダルでも靴下は必須ですね。

また、冷たいものはよくないから、といいます。
その気持ちもわかりますし、それが本当に体の声ならばよいのですが、そうではなく冷えることへの「怖れ」だけで、冷たいものを避けるのは考えもの。
温かいものばかり摂取していても、それがたとえ常温であったとしても、多飲すれば内臓は疲労します。
汗が出れば当然水分を欲しますが、温かいものや常温ばかりで、結果的にそれで内臓の機能低下が起きてしまっては…さて、どうなんでしょう。

昔の常識は、現代ではそのままでは通用しません。
もはや、のどかな夏、ではありません。
しかし、ライフスタイルは多様化し、そのぶんアイデアに満ちたモノは溢れています。
冒頭の動物の例でもあるように、人間も、本能的に避暑するために日陰を求め、涼しい場所を求めるものです。
デパート、スーパー、コンビニ、ショッピングモール…そうしたモノや場所も上手に活用しながら、クーラーも、冷たい飲み物もアタマから拒絶することなく、うまく活用する…もちろん、適度に(笑)。

夏バテ&夏の冷え…
という括りだけでなく、どういう場所のどういう季節、どういう状況においても、アイデアや創意工夫は大切。
というよりは、「本来そこでどうあることが自然なのか」は、考えるより先に示されているのだから、そのままいけばよいだけ…なんだけどね。。






『おそうじリトリート2015』 開催!

2015-08-01 | 神社おそうじ隊 2015


昨年の開催地、「神の島」といわれる久高島の空と海。
琉球開闢(かいびゃく)の祖・アマミキヨが天から舞い降り、国造りを始めたとされるこの島で、じっくり「自分」とお付き合いいただきました。

今年は場所を「伊計島」に変え、開催いたします。

実施  2015年9月28日~10月1日
場所  伊計島
募集  2015年8月29日まで
参加費 3万円
(交通費、食費などは含まれません)

※9月28日那覇空港に13時集合(昼食は事前に)。
※那覇空港から伊計島~伊計島から那覇空港までが「おそうじリトリート」となります。
※交通の便、宿泊施設、申し込みはおそうじ隊隊長・クロノの方まで、お問い合わせください。
※ただし、リトリートの主眼や内容を事前にご理解いただき、そのうえで参加希望を受理するかどうかは僕が決めます。


《おそうじリトリートとは?》

今回は、

☆「自分という何か」との付き合い方
☆何かを始めようという時に出てくる「抵抗」の解除
☆内的な「気」の修養

という3つを主なテーマとしつつ、講義と実践をミックスしながら日々を重ねていきます。
その特徴は、終始【無言】。
エクササイズの時だけ、レクチャーの時だけ、ではなく、特定の時間以外は【無言】で過ごしていただきます。


このリトリートは、あくまでも通常の『神社おそうじ隊 見参!』の延長線上にあるものです。
(「おそうじ隊」そのもののテーマは、概ねこちらのコラムになります)

通常の「おそうじ隊」では、場所と人、個と全というスタイルでの「おそうじ」でありエネルギーワークになります。
このスタイルは、少なくとも意識的には「ただそこに行くだけ」でいいわけです。
けれど、それは反面、こちらから能動的に自分自身に働きかけてはいないという意味でもあります。

リトリートというのは、その「働きかけてはいない」という側面に、あえてスポットをあてます。
「働きかける必要はあるのか?」という疑問を、ここで持つ方もいるでしょう。
もちろん、それが必要だと感じない人には、全く意味も意義もない話ですので、そういう方にこのリトリートは必要なし、です。

よくありますが、「自分と向き合う必要がある」「向き合いたい」と、そう言いながら人に答えを求める方。
あるいは、過度に向き合うことを自らに強いて、まるでその内なる自分と格闘するかのような方もいます。

いま、問題だと思っているそれは、果たして本当に問題なのか?
あるいは、本当に〝問題〟なのは、何なのか?
そのあたりが明確にならず、あくせく喘いでいる方も、たくさんおられます。

僕自身、日々のセッションのなかでそういう方々とお付き合いさせていただくなかで、たとえばよくいう「気づき」を云々しても、そもそもその「気づき」を〝「気づき」〟として認識すること自体、ムズカシい話なのだなと、実感しています。

そういうこともあり、年に一度くらい、そういう方々にじっくり僕の伝えうるものを伝える機会を持つのもいいかな、という思いと、「おそうじ隊」のテーマが矛盾しないことも相まって、「リトリート」というスタイルをとらせていただく次第。

〝【無言】で過ごすことにどんな意味があるの?〟という方もいるでしょう。
けれど、それは、ともかくやってみたらいい。
自分のなかで大切だと思っているものが本当に大切なのか、思ってもいない自分がそこで出てきて驚くことになるかもしれない。

それもすべて、「自分といういま」の現れ。
ただ、それだけのことです。


 
久高島の猫とイラブー。
場所を伊計島に移した今年は、さて、どのような出会いがあるか…。

太陽の燦々と輝く海と、どこまでも青く広がる空。
太古より脈々と伝承される無窮の叡智、〝自然、宇宙と一体である〟ことをこれほど実感しやすい場は、そうそうないでしょう。

ご縁ある方のお越しを、愉しみにしております。