『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

11月指南塾

2016-11-16 | 2016年


今回の4期指南塾は、前回同様「呼吸法」、そして「瞑想」。

基本的に、4期指南塾のコンテンツは、僕自身が実際に実修し、研鑽してきたものをベースにしています。
もちろん、そこには実践の中で気づいたことなどから創意工夫が加わっていたり、よりシンプルなやり方にしているものもあります。
いづれにしても、形式的でなく、実際の効用的な面を大切にしています。

このコンテンツ群を、分かりやすくいえば「セルフケア」という言葉になるでしょうか?
ただ、僕個人はあまりこの言葉を好んでは使っていません。
なぜなら、「セルフケア」というと、どうしても「〇〇になりたくない」的な守りの発想から行いがちですが、これってよく考えるとまだ起きていない将来に不安を観ている、ということになるのですよね。
この現代人にありがちな「不安」に焦点を当てたビジネスは枚挙にいとまがないけれど、僕はあんまりそういうのに興味が湧かないからです

「不安」はあってもいいし、無くそうとしなくてもいい。
むしろ、「私はいま不安なんだ」というその気持ちを「無い方がいい」「あるとイヤだ」という拒絶感などで観ないことで、素直な感情が誤魔化されてこんがらがってしまうものです。
そういう誤魔化しではなく、「この不安は、何が不安なんだろう」「なぜ、こんなにイヤなんだろう」と理智的な視野でその現象をつぶさに観察することができれば、その「不安」はその形をそのまま残すことはできません。
まあ、いま何となく流行っているマインドフルネス的ですが、実際にやってみたらわかります。



後半は「整体・経絡」をテーマとして、より発展的な整体施術のトレーニング。

たとえば、僕が今でも参考にさせて頂いている体系の一つに野口整体がありますが、その創始者・野口晴哉師(故人)はその著書で「故障のあるところを皆修整してしまうのを整体と思うのは間違いだ」と言っています。
「人体の自然に従って人間を活かす技術」が整体なのだ、と。

経験や知識などの不足により焦りが生まれ、その焦った心で人体を観る。
焦りは視野や思考の狭さを生むので、どうしても全体を大きく眺めるということが出来にくくなります。

何をするにも順序があり、その順序をかっ飛ばして何かを行おうとしても、思ったように事は運ばないものですよね
治癒という現象も同じで、ある身体的不具合が変化して消えていくのも、それはそれなりの順序のようなものがあります。
施術する側に不安があった場合、自分の不安から早い治癒を望む(そうなってくれないと困る)からあれこれ手数をやってしまいがちですが、それは総じて反作用を生むものです。

起きる事は起きるままに。
施術する側は、その瞬間自分の為すべき事をただ為すのみ、ですね。




終了後は、一足早い忘年会
ご参加いただいた皆様、ありがとうございました



10月指南塾

2016-10-31 | 2016年


第4期指南塾も、7回目。

食物は、断食が健康法や難病の起死回生に活用されることからもわかるように、必ずしも日々摂取しなければ生命の灯が消える、ということはありません。
水は、食物ほど断つわけにはさすがにいきませんが、ある程度の一定期間摂取しなくとも、生命の灯が消えることはありません。
しかし、呼吸は、1日はおろか数分、その活動がストップされると、瞬く間にその灯は消えてしまいます。

今回は、「呼吸」をテーマとした内容でした。
いわゆる呼吸法も、意識の仕方や呼吸筋の使い方などを知るのと知らないのとでは、やはりその効能に雲泥の差が生じるものです。

口や鼻などから摂取した空気を、肺で外気と血液の間で酸素と二酸化炭素の交換を行う、この一連の行程を「外呼吸」。
そして細胞組織における同様の交換を「内呼吸」といいます。
「内呼吸」は、細胞呼吸ともいわれます。
一般にいう「呼吸法」はこのうち外呼吸のことで、その手段として大きく腹式と胸式に二種類があります。

この原則的な二種類とその組み合わせによる二種類、そしてそれらの身体的作用を応用した幾つかのバリエーションを、実践・練習していただきました



午後は、「整体」。




数種類の検査法と、それに応じた各種の技術。
これまで積み重ねてきた知識や経験が、ここにきてつながりを持ち始めてきている方もいるのではないでしょうか

技術はシンプル、しかし応用は無限に拡がります。
その拡がりは、基礎がしっかりしていればいるほど、幅も奥行きも深さも出るものです。




9月の指南塾

2016-09-27 | 2016年


第4期指南塾も、6回目。

「体」を単に「体」、つまり「物質」として認識しているのと、たとえば量子的概念を用いて波でもあり粒子でもある、と認識するのとでは、その用いている方法や技術が同じでも、現れてくる現象はやはり違ってきます。
人間の意識の在り様で現れてくる現象が変わる、それは、たとえば「自分は病気である」と想っていればそのように、「自分は健康である」と想っていればそのように現れる、ということでもあります。
これは別に「病気」「健康」ということのみならず、「成功」「失敗」「充実」「不足」…ということでも、同じですね

今回から、「体」のみならず「心」の側からのアプローチに入りました。
様々な角度からの体験を通じて、「体」と「心」についての認識を深めていっていただけたなら、幸いです


また、午後は「経絡・経穴」について。



それぞれの経穴(ツボ)には、それぞれの表情もあれば印象もあります。
ヒビキとして、深さとして、あるいは「何かを云っている」ように、感じ取る方もいるでしょう。
いづれにしろ、その経穴の主張らしきものがつかめれば(腑に落ちれば)、全身どの部位でも「取穴」できるようになります。

・・・というか、本来誰もが感じとっているものですから、

じっくり遠くの雨音に耳を澄ますような
あるいはアリの巣をのぞき見るような

気持ちで、その経穴に寄り添ってみられたら、よいかもしれません
きっと、経穴の方から喚ばれるように感じられる瞬間が、やってきます

『TAMURATIC.』活動再開のお知らせ

2016-09-14 | 2016年
先日お伝えしておりました「夏期休業」を終え、本日9月14日より活動を再開いたします。

アメリカ・テネシー州での丸々2週間の瞑想リトリート。
目を閉じている時はもちろん、目を開けている時も常に瞑想にあるという方法なので、要するに1日中ずっとそのまま
マインドの根底に潜む根深いストレスを積極的に解放、というよりは、ずっと「そこ」に浸り続けていることで自然にそれらのリリースが起きてくる、といった感じの方法なので…かなり緩むんですよね



自然公園のような森の中に佇む、会場。
教師養成コースが行われており、瞑想教師を目指す方々はここで半年間、共同生活を送りながらカリキュラムを消化していきます。


ほぼ毎朝、このような朝食が用意され、各自が自分のペースで食します
夕食は基本的に全員同じ時間に食べますが、他はフリーでした。


養成コース参加者以外にもアメリカ全土から、多い時は40名程度が、ここでの時間を過ごします。
来ては去り、また来ては去り…

夜にはミーティングが行われます。
それには、例外なく全員参加が要求されます。
その日起きたこと、感じたこと、感情や思考の痕跡、時に起きる諍い、涙、笑い…。
日本ではナアナアで済ましたり、あえて突っ込むことをしないようなことも、妥協なく追求し明らかにしていきます。

「自分」というペルソナを根底からヒッペ返されていくそのサマは…終わってみれば愛に満ち、鮮やかでとても美しいものです。
その過程にこそ、このコースの真骨頂があると思えるほどに。

一度形成してしまった「自分」という幻想は、日が経つにつれ習慣化していきます。
社会的なステータスや、誰からも愛されるキャラ、自分自身が素晴らしいと思い込んでいる「自分」…また、多くの罪を犯した「自分」や誰からも愛されない「自分」、愛される価値などない「自分」…こうした全ての「自分」という幻想に、誰もがどれほど興味を持ち、惹かれ、安住しているか…。

以前の養成コースで教師となって、今回リトリートに参加していた方々のうち、何名かの方々にお話を伺うことができたのですが、みなさん一様に“「自分」が剥がれ落ちる”という表現を用いていたのが印象的でした。


そんなこんなで、2週間。
蓄積していたストレスも随分抜け、アタマも気持ちも軽くなりました

本日より、活動再開いたします。
何とぞよろしくお願いいたします





『TAMURATIC.』ウェブサイト リニューアルのお知らせ

2016-08-05 | 2016年
9月末くらいまで、要するに丸20年経過したのちにアップしようと思っていたのですが・・・
そういうこだわりも、もうどうでもいいかと思いまして・・・

『TAMURATIC』

リニューアルしました。
サイトにも掲示してありますが、予約機能は、まだ試験中なので機能しませんのでお気をつけください
ちなみに料金は、予約機能が稼働後の料金です。
それまでは現行のままですので、了解ください。

これからいくつかの記事を入れていくことになります。
ただ現時点で外枠というか、概要はこれで伝わるかな、と。

スマホでももちろん快適に動作すると思いますが、PCでの閲覧もオススメです



では、よろしくお願いいたします。












子供さんの熱と心身の関係について

2016-08-01 | 2016年
今年の9月で、おかげさまで開業から丸20年が経過します
20年という月日は、人間の生という枠組みの中で考える場合、決して短い期間ではないですよね。
まずは、どうにかこうにかやってこれたことに、心から感謝したいと思います。

そして、この20年というのは、世の中的に見てもかなり移り変わりの激しい時期だったように、思います。
これはいろいろなところで言っていますが、20年前は「気」や「チャクラ」「オーラ」なんて、口に出すだけでもいわゆる“イタい”人扱いでした。
まあ、いまでも、ある層から上の世代ではこの傾向はあまり変わってはいないようです。
けれど、そういう世代の方々すらも、自分たちの「常識」の外にある様々な事象に触れることも、その気持ちさえあれば容易な時代ではありますね。



さて、僕自身、この20年という年月が経過するいまを、一つの「節目」だな、と捉えています。
極めて個人的に、ですけれど
2014年末に、生というものへの気づきとともにあるアイデアが浮かび上がった時もそう思ったのですが…
それが熟成するまでにこれくらいの時間は必要だった、ということでしょうか…うん、そういうことにしておこう

これまでの方針、施術の在り方、対応の仕方…あらゆる面で、ですね。
いまの、この施術空間(一応、オフィスと呼んでいる)の在り方なども、です。



そういうなかで、たとえば小児、お子さんの施術、心身のケアというものを、よりキメ細やかにやっていきたい、という思いが一つにはあります。
これは長年、温めてきたプランの一つでもあります。
もちろん、これまでもお腹の中にいる頃(胎児)から赤ちゃん、幼児、小学生…と、様々なシーンで調整の機会はいただいてきました。
さらにキメ細やかに、ということですね。



僕の整体技術のベースは、身体均整法、そして野口整体という、日本的整体のなかでも知る人ぞ知る二大潮流にあることは、このブログをこの時点で読んでいただいている方々はご存知かと思いますが、このどちらも、小児への手当て、施術の技術というものが数多く組み込まれています

野口整体は、妊娠・出産・子育てまでを一つの現象と捉えますし、さらにいえば妊娠前と産後の女性への心身両面へのアプローチも一つのごとく捉えます。
身体均整法には、よりテクニカルというか、各症状や身体現象を「歪み」という角度から捉え、多くの操法(技術)が存在します。

たとえば、「熱」という身体現象については、整体も均整もだいたい同じことを言っています。

“小児は、下痢、便秘、中毒、怪我、切り傷、骨折、肝炎、カタルなどどんな病気でも体温が上がり、熱が伴う。そして健康体でも病身でも、全機能は成長促進に向かって働いている”
“小児の病気を治すコツは、成長促進の機能を阻まないことにある。すなわち、熱は成長促進のためのエネルギーであるから、これをコントロールすることが大切で、危険でない方向へ誘導することがコツである”
(以上、身体均整法「小児均整操縦術」より抜粋)

整体の場合、大人でも熱が出たらより出させる方向に誘導します。
整体は、基本的に病気を使って人間を丈夫にしようという発想なので、熱=天然の燃焼機能を活かさないはずはありません。
…もちろん、その身体の状況を見計らって、危険のないように、というのが基本です。

僕自身の経験でいえば、熱が出ているからと大事をとって熱さましを飲ませて無理やり寝かせようとする。
これ、あんまりよくない対応の代表例なんですが、まあこれで下がって元気になればそれもいいでしょう。
けれど、ここで一旦下がってまたぶり返し、下がってぶり返し・・・を繰り返すようだと、ちょっと不安ですよね?
熱という現象だけを切り取って、そのお子さんの身体で行なわれている全体を見ない場合、このようなことが起こりがちです。

また、熱は下げていい場合もあれば、そうでない場合もあります。
これをごくシンプルにいえば、「下げた方がよい」熱というのは、それによって衰弱や消耗が甚だしい場合です。
反対に、高熱でも動き回れたり、ご飯もモリモリ食べるような熱ならば…下げる必要、ありますか?
いづれにしても、「下げる」という発想ではなく、「その熱という働きを全うさせる」という発想でいることが肝要かと思います。


後頭部への蒸しタオル、愉気(手当て)、足湯やお風呂の活用…
整体的な手当てでは、家庭でできることはたくさんあります。
ただこれらも、そのお子さんの状況によりどうすればいいかは変わるので、詳細はここでは省きます。
方法だけ得ても、その運用の仕方次第で出てくる結果も変わりますので。

また、均整ではどのような場合も「歪み」に着目します。
その歪みを調整することで、多くの場合熱は好転します。
なぜなら、成長促進を促すために出る熱であるのなら、その機能を阻む要因(歪み)が消失すれば、熱を出す必要も無くなるからです。



熱も、生きている身体の、大切な機能。
それを精一杯の力で引き出している子供の体の、その要求を全うさせさえすれば、いつしか熱も冷め、平穏さを取り戻すものです。

それが、自然というものなのでしょうから。



『TAMURATIC.』夏期休業のお知らせ

2016-07-29 | 2016年
来る

8月23日(火)〜9月13日(火)

の期間、『TAMURATIC.』の施術はお休みいたします。
また、この間メールの返信もできませんので、重ねてご了承下さいますよう、お願いいたします。

お休みとは書いていますが、ただ「休む」わけでは、ありません。
アメリカの、ある瞑想リトリートに2週間ほど参加させていただくのです。

昨年に続き、今回が2度目の参加となります。
今回は学ぶことも多く、忙しい(というか、濃い)日々になるかも、しれません。



何はともあれ、以上のような予定になっております。
その前後のご予約は、ただいま受付中です

この期間、ご不便おかけする方もおられるかと思いますが…
ご理解のほど、よろしくお願いいたします。

第4期指南塾 第4回(7月)

2016-07-16 | 2016年


「姿勢」というと、一般には立位、立った状態での姿勢をイメージされることでしょう。
身体均整法における「十二種体型」、整体における「体癖」などに説かれる身体論でも、主に立った状態での姿勢をいっています。

今回は、たまプラーザにある「スタジオ シャンテ」さんを会場にお借りしました。
前面に鏡が張られていますので、「立つ」ことを検証するにはもってこいの環境でした。

ナチュラルに立った姿勢と、一般にいう「よい姿勢」。
胸を張り、顎を引き、膝裏を伸ばした直立の姿勢...
私たちのほとんどは、子供の頃よりこうした姿勢を「よい姿勢」と教育されてきました。

では、その姿勢をとった時と、ナチュラルに立った姿勢、果たしてどちらが機能的(この場合は動きやすいかどうか)でしょう?
それは、想像しただけでもなんとなくお判りになるでしょう。
けれど、実際にやってみれば、さらに体感として納得ができます

「よい姿勢」とは、一体、誰にとって「よい姿勢」なのか…
そういったことも考えながら、「立」に関してレクチャーさせていただきました。


また、スタジオでの後半は、「急処」についての講義。
古くから伝承されてきた武術の知恵は多方面に及びますが、その一端として「急処」を、自らを活かすための術(すべ)として活用することがあります。
今回は下肢の二箇所を取り上げました。



午後。
『TAMURATIC.』に戻り、1〜3期生の方々は、今回は「整体」。



「整体」というのは、「痛みや病のない状態」のことをいっているのではない。
そのあたりの真意は、つかめましたでしょうか?


では、いつもありがとうございます




施術感想

2016-06-23 | 2016年
いま、便宜上分けている施術の3つのコースのうち、「総合」に月に1度通っていただいている男性(40代)の方から、感想をいただけました
実直な方なので、ただそのままを表現されておられます。
今回「ブログで紹介してもよいですか」とのこちらの申し出にも、快くオーケーしていただきました。

ご縁自体はだいたい10年くらいになり、身体的な調整には年に数回通っていただいていました。
今年に入り、「一度総合を試してみたい」ということで、春先に一度。
そして、今月2度目の「総合」セッション。
いただいたのは、それから2週間ほど経過してからの感想です。

ありがとうございます

では、ここから…
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ここからは、最近の気づきです。

前回の調整のおかげで、
少しづつでも言いたいことは言えるようになってきました。
また、そのことによる周りの反応も変わってきています。

食事の時、無理に食べることは良くありました。
ある日、どうしても食べたくないなという時に
これは食べたくないのでいい、と言ったら
母はそれなら残していいよ、無理して食べなくても
という答えが帰ってきて少し、驚きもありました。
何か一言、嫌味を言われるのかな、ぐらいに思っていたことも
想像していたこともあり、なおさらでした。

父のもとで仕事をしていますが、
朝早く出勤するため、通勤途中で食事を取る予定でした。
しかし、その日にの朝に家で食事をすることに変更しました。
父は癖で、直前になって、やっぱりこうしよう、とします。
自分の中では少し心の準備が突然変更になったことにより
少し怒りがありました。
しかし、今日は家で食事をしていこう、申し訳ない、
と謝罪の言葉がありました。
謝罪の言葉があったことが軽く驚きでした。
父はなぜ変更したのか、その理由をまくし立てて
正当性を押し通す人だったので
さりげない謝罪の言葉だけでも意外でした。

自分自身も、食事中、手を滑らせて
ちょっと汚してしまった時、申し訳ない、と
謝罪の言葉が出せるようになりました。
自分も苦笑いというか、ヘラヘラしながら
なんとなくその場を逃げる癖があったので
変化に気づきました。
また、取引先で仕事をしている時も
細かい気になることも自己判断せずに質問するようになりました。
質問することへの恐怖から、まあこういうことでいいのだろうと
勝手に進めていることが多かったので
その点でも改善が進んでいるのかなと思います。

それから、英会話の通信講座をはじめたり、
願望実現のノートを始めたり、
先延ばしにしていたことを少しづつ、日課として
始めるようになっています。
具体的な行動を実践できているようになっていると思います。


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この方も、カウンセリングや心理療法を色々と経てこられています。
10年ほど前のご縁も、そうしたところからのご縁でした。
心理系のアプローチには慎重な方で、私も自分から「どうですか?」とインフォメーションしたワケではありません。

マインドフルネスなどの影響もあってか、「メタ認知」という、俯瞰的な視野から物事を眺め観る姿勢が知られてきています。
いま一般にいわれている「気づき」にも、実際には幾つかあるのですが、この「メタな視点に立って物事を眺める」=「メタ認知」的視点は、その最も理解しやすいものだと思います。
この「メタ認知」的視点で何が大切かといえば、実は自分が“いかに気づけていないか”に気づくこと、なんですね。
そのうえで、好き嫌いや正しい、間違っているといった自分的なモノサシでなく、ただ起きていることを起きているままに観ること。

この方は、こういったメタな視点は、10年前の時点ですでに育っておられました。
それもあってか、変化もそのまま喜べ、またそこに浮かれることもないのです。

感想、ありがとうございました





『TAMURATIC.』遠征のお知らせ

2016-06-20 | 2016年
来る

6月29日(水曜日)〜7月6日(水曜日)

の期間、横浜での施術はお休みいたします。
とはいっても、僕自身は全然お休みではありません。

福岡、広島、京都、滋賀

をこの期間中、転々とすることになっています。

まあ、内訳は、最初の3日間は様子見がてら実家に。
そのあと、広島で施術、そして京都は「おそうじ隊」。
最後、滋賀での施術で締めくくりとなります

実家も、様々な事情で全然休みではないので、実質ノンストップ
さてさて、どうなりますか…



何はともあれ、以上のような予定になっております。
この期間、ご不便おかけする方もおられるかと思いますが…
ご理解のほど、よろしくお願いいたします