『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

2013.11.4~6 『神社おそうじ隊 見参! 広島(安芸・備後)ご当地隊』その7

2013-12-28 | 神社おそうじ隊 見参! 2013年

『艮(うしとら)神社』
広島県尾道市最古の神社といわれる。
御祭神は、伊邪那岐神、天照皇大神、速須佐之男神、吉備津彦命。




伊予国一宮・大山祇神社を後にし一路尾道市へ。
参拝させていただいたのは…

『大元神社』
御祭神は、大元大御神(天常立尊・国常立尊・伊邪那岐命・伊邪那美命・天照大御神)。
尾道、向島の多くの神社仏閣が岩屋山頂上へ向け建てられているともいわれている。


その山頂には、巨石(磐座)群。
神仏混淆の様子。

眼下には、尾道市街。


市街に入り、「艮神社」へ向かう。


千光寺山ロープウェイ山麓駅のすぐ横に艮神社はあります。
…というよりは、神社の境内の真上をロープウェーは走っているのです。

この辺り一帯の鎮守のカミ…ということですが…。。。





映画「時をかける少女」や「ふたり」のロケが行われたことでも知られる。
続いて、

この長い階段の先に…


『御袖天満宮』
御祭神は、いわずと知れた菅原道真公。
映画「転校生」で、階段を転げ落ちるシーンのロケが行われたことでも知られる。

俗に「尾道三部作」といわれる映画は、そういえばすべて観ているな、と。
ショパンの「別れの曲」が全編に流れる「さびしんぼう」…懐かしい。





…と、中心に宮島(弥山・厳島神社)を置いた今回の「広島(安芸・備後)ご当地隊」は、この尾道で終了。
御参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。
特に、ご当地隊として巡拝コースの選定から宿泊ほか、八面六臂に動いていただいたご当地隊・Kさん。
いろいろとお気遣い大変だったかと思いますが、パワフルに乗り切っていただけました。
本当にありがとうございました。
愛犬・ロロさんにもよろしくお伝えください


さて、来年の見参予定地。
具体的に日程が出ている地もあれば、そうでない地もあります。
もし積極的に「ここには参加するから○○にしよう!」という方あれば、とりあえずご意見は伺いますので、お気軽にご連絡ください
詳細は→『神社おそうじ隊 見参!公式ブログ』

さて、本年(2013年)最終見参地は『讃岐・阿波』(香川県と徳島県)でした。
12月11日・12日に無事見参を終了しております。
新年最初のこのブログは、この『讃岐・阿波』編から始まります

では、本年もありがとうございました。
来年も、何とぞよろしくお願いいたします。



2013.11.4~6 『神社おそうじ隊 見参! 広島(安芸・備後)ご当地隊』その6

2013-12-27 | 神社おそうじ隊 見参! 2013年

伊予国一宮 伊予国総社 大山祗神社(大三島宮)

御祭神は、大山積神。

翌朝。
さまざま考えられた参拝ルートのなかで、今回御縁いただいたのは「大山祗(おおやまづみ)神社」。
全国にある山祇とつく神社(大山祇神社)の総本社です。
山に行くと、必ずといっていいほどお目にかかるカミサマ、ですね。

…ちなみに、「伊予(いよ)国」というのは現在の愛媛県一帯。
「安芸・備後」だけではなく、「伊予」へもわずかながらの見参となりました。



社殿脇を抜けていくと、「奥ノ院」があるという。
そこまで歩いていくと…すでにすたれ果てた寺(?)があった。

その手前に、


天然記念物・生樹の御門


この大樹(楠)の下を通り抜けられるように穴が空いていました。
もちろん、通り抜けましたよ…何回も


午前中、ここまでですでにお昼。

今治市役所大三島支所前・「よし川」で、定食を。

この後、いよいよ備後編に突入となります。







2013.11.4~6 『神社おそうじ隊 見参! 広島(安芸・備後)ご当地隊』その5

2013-12-24 | 神社おそうじ隊 見参! 2013年

安芸ノ国総鎮守・『速谷神社』

延喜式所載の安芸国三社(速谷神社、厳島神社、多家神社)のなかで、速谷神社のみ醍醐天皇の延喜五年の「延喜式神名帳」にて、「名神大社」に列せられ、国家鎮護の神社として毎年月次、祈年、新嘗の三祭に神祇官の奉幣にあずかっていたという。
安芸・備後のみならず山陽道全体で最高の社格を誇っていた。
(「速谷神社」ウェブサイト参考)

御祭神は、飽速玉男命(あきはやたまおのみこと)。
天孫降臨のときに附随した三十二神のうち、天湯津彦命五世の孫で、千八百年あまり前、すなわち十三代成務天皇の御代に安芸国造(くにのみやつこ)を賜い、広く国土を開拓され、国造り、村造りに尽力され、農耕殖産の道を進め、交通の便を開き、安芸国人の生活の基礎をかためられた神。
(「速谷神社」ウェブサイトより抜粋)




(ここのところ)毎回のことながら、予期せぬ出会いというものがあり…
神職の方と御縁をいただき、神宝館を拝観いたしました。





創建千七百有余年の古社であり、神楽の話など多くの(ここでしか聞けない)お話をいただいたのですが…
次回より、こうした機会には録音させていただこう…。

今回、ある意味では厳島神社以上に興味深い神社でした。
神社というのは、まったく外からではその実質は伺い知れないものです。。。



今回のもうひとつの目的。
それは、ご当地隊・Kさんのご実家にてご両親と愛犬・ロロさんの調整。


終了後、本日の夕食。

「田心」にて、美味しい料理と地酒を。
お酒に詳しい方ならば、すぐにわかる酒処・広島の地酒ラインナップ。
ほかにも、いろいろ…。




2013.11.4~6 『神社おそうじ隊 見参! 広島(安芸・備後)ご当地隊』その4

2013-12-23 | 神社おそうじ隊 見参! 2013年

「弥山(みせん)」
弘法大師の開いた弥⼭本堂や、厳島神社、御⼭神社などの古刹を擁 し、神が宿る山として古くから信仰を集めてきた宮島の主峰。
手つかずの 自然は「弥山原始林」として厳島神社とともに世界遺産に指定されている。 花崗岩が風化して生まれた奇岩怪石が形成する独特の景観で知られる。

山頂付近は、奇岩怪石だらけ。



「日本三景の真価は山頂にあり」



早朝。



ロープウェーで途中までは上れます。



弥山本堂


霊火堂・きえずの火。
大同元年(806年)、 弘法大師が弥山山頂で百日間に及ぶ求聞持(ぐもんじ)の秘法を修して以来、今日まで途絶えることなく燃え続ける霊火。


『御山神社』
厳島神社の奥宮。
弥⼭の頂上に近い見晴らしの良い場所に鎮座。ご祭神は本社と同じく三女神。
神仏分離以前には、弥山の守護神である、三⻤神(追帳鬼神・魔羅鬼神・時眉鬼神)もこちらにお祀りされていたという。




そこから、駒ケ林へ抜け

弥山山頂をこの角度から眺め

更なる奇岩怪石を堪能して下山。

途中、

厳島神社・摂社『瀧宮(たきのみや)神社』
を参拝させていただく。
台風の影響で発生した土石流で倒壊していたらしい社殿は、このように再建されていた。
御祭神は、三女神のひとり、湍津姫命(たぎつひめのみこと)が祀られています。




お不動さまやお地蔵さまを拝しつつ下山の歩を進め…

厳島神社・末社『粟島神社』にて、無事の帰還を感謝。
御祭神は少彦名命(スクナビコナノミコト)。

一安心したところで、

「あなごめし・ふじたや」で。絶品のあなごめしを堪能。


ふぃ~、隊員の皆様、そして副長、お疲れさまでした。



2013.11.4~6 『神社おそうじ隊 見参! 広島(安芸・備後)ご当地隊』その3

2013-12-18 | 神社おそうじ隊 見参! 2013年

安芸ノ国一宮・『厳島神社』
古代、漁民や沿岸の人々が弥山(みせん)を主峰とするその威容に神霊を感じ、島全体を御神体として畏敬したことに始まるといわれる。

祭神・市杵島姫(いちきしまひめ)命・湍津姫(たぎつひめ)命・田心姫(たごりひめ)命の宗像三女神は日本を代表する霊威神といわれる。
なかでも市杵島姫命は弁財天と同神とされるなど、人気も知名度も高い。
「海に浮かぶ宮殿」とも称されるその美麗な佇まいは、宮島の湧き立つような御神威と見事に調和し、本当に素晴らしい…。





現在御本殿以下、付属する建造物は全て国宝、または重要文化財に指定されているという。
世界文化遺産に登録されたのは平成八年。
富士山がついこの間というところから考えても、かなり早い時期に登録されたといえるだろう。

この神社の本質は、どこにあるのだろうか…。


今回は、こちらでご祈祷を。
社殿内では撮影厳禁となっています。


宿泊先は、

「国民宿舎・みやじま杜の宿」。

そして、夜。
ライトアップされた社殿もまた美しく…。







翌朝は、いよいよ宮島の主峰・「弥山」に登拝。




2013.11.4~6 『神社おそうじ隊 見参! 広島(安芸・備後)ご当地隊』その2

2013-12-16 | 神社おそうじ隊 見参! 2013年

「広島平和記念資料館」に、展示されている腕時計。
1945年8月6日。
この、壊れた時計の指し示す時刻。

“広島上空で炸裂した原子爆弾は、閃光とともに火球となり、熱戦と爆風、放射線が「広島を破壊」した。巨大な「きのこ雲」が高さ一万七千メートルに達し、爆発の二十~三十分後から広い範囲で「黒い雨」が降った。爆心は広島市のほぼ中央。三キロ以内で約七万戸、建物の九十二%が破壊された。この日の朝、市内には三十五万人前後がいたと推定されている。年末までに軍人二万人を含め、約十四万人が死亡したとされる(一九七六年「国連への調査報告」)。しかしこれは被害の一部でしかなく、爆発後に近隣から入市した人や救援活動に従事した人たちにも、しばらくして脱毛、発熱、下痢などの諸症状や血液異常が現れ、死者が続いた。また、「七十五年は草木も生えない」という生物不毛説が流れて、原爆への恐怖感を市民に広げた。「原爆症」についての知識も当時は少なく、「奇病」「難病」として怖れられ、結婚や就職などでの「被爆者差別」も生み出した。放射性物質を撒き散らした「黒い雨」は、廿日市市など周辺七市町に降った。これらの地域の住民には、「内部被爆」による放射線障害などの被害がもたらされた。いまも原爆の後遺症や後被害によって健康と生活の不安に悩まされ、死に怯える被爆者は多い。(「観光コースでない広島」より抜粋)”



これほど密集していた市街地も、

一瞬で滅尽されてしまう…。



この資料館は、別名「原爆資料館」。
一九五五年(昭和三十年)に、原爆被害の実相を世界に伝え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に寄与するために建設されたという。

かつて廃墟と化した広島も、現在は駅を降りれば近代的なビルが建ち並ぶ。
戦後、高度経済成長の波に乗り急速な復興・発展を遂げたこの街の、「爆心地」の象徴である原爆ドームと、その前には原爆慰霊碑。


「安らかに眠ってください/過ちは/繰返しませぬから」
慰霊碑碑文として、刻まれた言葉である。





この日の最初の神社は、『熊野新宮神社』

御祭神として、伊邪那岐命(イザナギノミコト)・伊邪那美命(イザナミノミコト)を祀る。


そして、お昼。
まずは、やっぱりお好み焼きを。


『電光石火 廿日市店』
新世代のお好み焼き。

その後、フェリーで宮島へ。





沢山の人で賑わう島内では、早速鹿のお出迎え。

いよいよ、厳島神社へ。。。



2013.11.4~6 『神社おそうじ隊 見参! 広島(安芸・備後)ご当地隊』

2013-12-07 | 神社おそうじ隊 見参! 2013年


厳島神社の鎮座する宮島は、「安芸の宮島」とも呼ばれ、「厳島」は、「神を斎(いつき)祀る島」の意味から「斎島」となったものといわれています。

今回は、日本有数の名社ともいわれ、早い段階で世界遺産の登録地ともなった「厳島神社」で知られる宮島を核に、広島全体(安芸・備後)、さらには愛媛県にまで身と心を運ぶという、範囲でいえば過去最高(かもしれない)、相当にディープでレアな巡拝ロードとなりました

観光名所としても名高い「宮島」は、実は日本有数の霊地でもあります。
実際に足を踏み入れてみると…なぜ、厳島神社の鳥居は海にあるのか、なんとなくその答えがわかるような気がします。
ガイドブックや映像からは伝わらない、その本当の「力」。
やはり、まずはそこに身と心を置いてみることだなと、改めて



今回、まず最初の巡拝地は、「広島平和記念資料館」
ご当地隊・kさんのご友人・呉市在住のOさんも「行ったことがない」ということで、まずは見参!となりました。


資料館内から撮影した、平和記念公園。

2013.10.17~18 『神社おそうじ隊 尾張(愛知)見参!』その4

2013-12-03 | 神社おそうじ隊 見参! 2013年

『尾張大國霊神社 国府宮』

御祭神は、尾張大國霊神(おわりおおくにたまのかみ)
尾張地方の國霊神(くにたまのかみ)であるという。

「尾張地方の総鎮守神、農商業守護神、厄除神として広く信仰されております。当社は奈良時代、国衛(こくが)に隣接して御鎮座していたことから尾張国の総社と定められ、国司自らが祭祀を執り行う神社でありました。このことから通称「国府宮」として広く知られております。」(尾張大國霊神社 国府宮ウェブサイトより抜粋)



この3年の間の『神社おそうじ隊 見参!』で大切にしてきたことのひとつは、「その國・地域・地区で大切にされてきたカミサマへの感謝」ということ。
いわゆる「一宮」というのは、多くはその國で最も格式の高い神社、ということになってはいます。
ここ尾張では、この日の午前中に「一宮」とされる二社を参拝させていただきました。
そして、午後の最初は尾張地方の國霊神(くにたまのかみ)。
「国府宮(こうのみや)」とされることからも、その重みが伝わります。

ちなみに、尾張(愛知)というと、一般的には「熱田神宮」を思い浮かべることでしょう。
「熱田神宮」は、実は「三宮」ということになっています…。




そして、今回最高のインパクトを参加者の皆様に与えた…


『田懸神社』


「豊年祭」は「天下の奇祭」として知られ、日本はおろか世界各国からも参拝者が押し寄せるという。

…と、ここでカメラの充電がゼロに。
ここからが、この神社の真骨頂でしたが…かえすがえすも残念。

御祭神は、御歳神(ミトシノカミ)、玉姫命(タマヒメノミコト)。
御歳神(ミトシノカミ)は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)の孫で、大歳神(オオトシノカミ)の子。
玉姫命(タマヒメノミコト)は、尾張地方開拓の祖神である大荒田命(オオアラタノミコト)の王女。
どういう合祀かは不明なれど、地域にとって大切な神社であることは一目瞭然。




そして、


『尾張二宮・大懸(おおあがた)神社』

近江八幡・賀茂神社の岡田宮司は、こちらの「大懸神社」の宮司様と同期だということ。
そのご縁で、神職の柴垣さんに境内を丁寧にご案内していただきました。
現在の牧野宮司が先代の溝口宮司、飯田宮司と共に尽力されたことで、それ以前廃れていた「大懸神社」は再生を果たしたということです。
いかにご神威あろうと、やはり現実を突き動かすのは、人の行動なのです…。

尾張開拓の祖神大縣大神を祀る当社は、古来より朝廷を始め衆庶の崇敬篤く、尾張の二宮様として親しまれ、事業繁栄・開運厄除の守護神として仰がれております。
 当神社の御鎮座は古く、社伝によれば御祭神 大縣大神は、始め濃尾平野を見下ろす本宮山の頂に鎮座されておりましたが、垂仁天皇27年8月(紀元前3年)に現在の地に新宮を営み御遷座されたと伝えられております。延喜式神明帳には名神大社として登載され、大正7年11月に國幣中社に列せられました。
 現在の御社殿は、尾張藩主2代目徳川光友公が寛文元年(1661年)に再興された建物で、尾張造の構造様式を正確に伝へ、特に御本殿は「三棟造」・「大縣造」と称され他に類をみない特殊な様式を構え、国の重要文化財の指定を受けております。(「大懸神社ウェブサイトより抜粋)



「摂社 姫之宮」
古来より女性の守護神として称えられる御祭神の神裔 「玉比売命(たまひめのみこと)」を祀る。


本殿裏手には、良縁成就の「むすひ池」
ここでは、ほぼご当地隊・Kさんが活躍でした。。。

(ちなみに、上記3枚はipadにて撮影…。)


さて、今年も残りわずか。
今年最後の『神社おそうじ隊 見参!』は…

12月10・11・12(火・水・木)香川見参!

となっています。

また、年末恒例となりました
12月17日(火)清祓ワークを執り行います。
2013年への感謝の意宣りをご一緒に。
参加受付中です。

更には、
2014年1月7日(火)皇居見参!→受付中 
12月10日までに参加表明&住所年齢をお知らせください。

「参加したい」、お問い合わせなどは

こちらまでお願いいたします


来年も、現時点ですでに盛り沢山…。
近日、予定アップいたします。