『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

2013.12.11~12 『神社おそうじ隊 見参! 讃岐ご当地隊』その5

2014-01-23 | 神社おそうじ隊 見参! 2013年

『冠纓(かんえい)神社』

高松空港に降り立って、まず最初に見参させていただいた神社です。
しかし、「讃岐編」の最終記事とさせていただいた背景には、それ相応の理由があります。

…今回ばかりは、できますればどなたも最後まで読んでいただきたく。


『冠纓(かんえい)神社』は、別名「かむろ八幡宮」とも呼ばれ、四国では金刀比羅宮と並ぶ歴史的由緒ある古社。
創建は861年と伝承にはあります。
御祭神は、

帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと) 
品陀和気命(ほむだわけのみこと) 
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)

社叢は、香川県自然記念物に指定され、面積3万3千平方メートルにクスノキ、スギ、モミの大木に、マツ、ツクバネガシ、ツブラジイなどが茂り、中下木にモッコク、イヌマキ、ヤブニッケイ、マンリョウなど百二十種類に及ぶ植物が群生する。


御神木・かむたま龍樟樹。

陰陽師・安倍晴明は、讃岐の出身である、という説もあります。
この神社に神主として奉職していたとの伝承が残っています。

龍王神社。

こういうことも…。



厳島神社。

宮池。


…と、ここまで一見すると普通の神社。
しばらく小雨降る境内をあちこちと移動しつつ「由緒ありそうだけど、なんだかサビシいな…」と思っていると…そこに神職(女性)の方が登場。
「あ、ご朱印を」…と例によって副長のお声がけ。
「はいはい…あなたたち、神社くわしい?」

…ここから、社務所内でお話を伺うことになったのです。


こちらは、神職・Tさんのお手製。
「風の神様の息吹を参拝してくださる皆様に感じていただけるように…」と、ほとんど「一人」での作業。
カンタンに見えるかもしれませんが、実際これは大変です。
全身にいくつもの病を抱えながら、尽きぬ想いの成せるワザ。

「日本一の夫婦大獅子」
県指定無形重要文化財でもある。

一昨年逝去された、宮司であったご主人は地元・香川県では400年以上、それ以前の場所でも450年以上続く神職の系統であったという。
その宮司なき後、この神社を一人で切り盛りされ昨年には、

秋の大祭も、開催されています。


社務所でお伺いしたお話は、いわば「神社」の苛烈なる現実を目の当たりとするものでした。
その詳細をいまここでは述べることはできませんけれど、近い将来また別の機会を設け、紹介できればと考えています。

それにしても…と思う。
歴史は、いわゆる「勝者」の歴史であることは通説。
そこでは敗者、つまり征服された側の言い分というのは抹消されていくことになります。
正しい正しくない…は問題ではなく、「勝った者が正しい」のですね。
それは日本だけでなく世界中、あらゆる国でいえることではないでしょうか?


神社を知れば、日本がわかる…といわれます。
それは単に伝承やご由緒、御祭神などを知る、ということではありません。
その背景に想いを馳せ、根源を考えるところから、本当に「知る」ことは始まるのだと、私は思います。


また、収益が上がることでその「経営」が成り立つことは、一般の企業も神社も変わりません。
いわゆる「パワースポット」巡りというのは、そういう意味ではありがたいことなのでしょう。
昨年は伊勢、および出雲での遷宮を迎え、一見すると神社界は大いに盛り上がっていた…ような雰囲気がありました。
けれど、それはやっぱり全体の中での一部で、いわば「ブランド」力のある神社のみ、その恩恵に預かれるというのが現実だったのではないでしょうか?
聖地で浄化…といえば聞こえはいいものの、「パワースポット」というイメージの中でのそれは、やはり「ブランド」のバッグやおサイフを手に入れてほくそ笑む心情と、何ら変わるものはないように思います。




神職・Tさんは、「来年一月いっぱいでこの神社から出ることになっている」と、この時点では云われていました。
先日副長が神社へ連絡したところ、「急に出ることはなくなった」ということでホッと一安心
ただ、出ること自体は覆ることはなさそうですが。。。





地球新生神宮。



…さて、
今年の2月で、『神社おそうじ隊 見参!』は、活動を始めて丸3年を迎えます。
この間、実にさまざまなカミサマに御縁をいただき、さまざまな経験をさせていただいてきました。
また、御参加いただいた皆様には、改めて感謝させていただきたいと。
特に「ご当地隊」としてさまざまにお力をいただいた皆様には、本当にお世話になりました。

ほとんど「神社」というもののもつ意味や意義を知らない状態から始め、早くも3年の月日が流れました。
この3年で、ようやくその「輪郭」くらいは、朧げながらつかめたようなそうでもないような…。


…今回の「讃岐編」。
温暖であることを予測していた身には、けっこうコタえる寒さのなかでの巡拝となりました。
そうはいっても、今回のご当地隊・Kさんのポイントの絞れたご案内もあったこともあり、本当にギュッと詰まったありがたい道行きとなりました。
本当に、ありがとうございました。
またの機会にも、何とぞよろしくお願いいたします。




今年(2014年)の『神社おそうじ隊 見参!』は、昨年にも増してパワフルな予感。
神道の伝統では、私たち一人一人は「カミ」と直接に繋がっています。
その身と心は、まさに「カミ(神)」なるヤシロ(社)そのもの。
「神社」に触れるということは、連綿と続く私たち一人一人の魂のルーツに触れるということ。
その体験は、実際にその身と心を「そこ」に運ぶことで得ることはできます。

今年の現時点でのおおまかな予定はここにあります
よろしければ、ご一緒いたしましょう。



2013.12.11~12 『神社おそうじ隊 見参! 讃岐ご当地隊』その4

2014-01-13 | 神社おそうじ隊 見参! 2013年

『阿波ノ国一宮・大麻比古神社』

琴平を出て、この日朝一番に向かったのはこちら。
御祭神は、大麻比古大神と猿田彦大神。

「大麻比古大神とは、大昔阿波国を開拓した阿波の忌部氏(いんべし)の大祖先の神様です。
神武天皇の御代に忌部氏の子孫が阿波国に入り国土を開拓して麻とか楮(かじ)の種を播いて麻布とか木綿をつくり郷土の産業の基を開いて人々の福利を進められました。
その氏族は今の吉野川市 元の麻植郡を拠点として開拓をされましたが国土開発の事業が漸く成った後に御先祖の神様 天日鷲命(あめのひわしのみこと)をおまつりしました。この神社が今徳島市に忌部神社としてまつられており、この神様の御神徳をたたえて麻植の神と申して敬ってきました。
忌部神社の御祭神天日鷲命様の大先祖の神様が天太玉命(あめのふとたまのみこと)で此の神様を大麻比古神社と申し上げ郷土の守り神としてこの地におまつりしたのが大麻比古神社と伝えられています。

猿田彦大神とは天孫降臨(てんそんこうりん)の時その道案内の役をつとめられた神様で、昔大麻比古神社の裏に聳えている大麻山(おおあさやま)の峯にお鎮まりになっていましたが、いつの時代かはっきり判りませんが大麻比古神社に合わせまつられたと伝えられています。
猿田彦の神様は私共に親しみの深い神様です。おまつりの時、神輿(みこし)の先頭に立って天狗のお姿をして神輿の先導をされている神様で、人々や土地のまわりに立ち塞がり、災難や禍をもたらすものを祓い退けてくださる神様です。

大麻比古神社にまつられている二柱の神様を総称して人々は「大麻はん」と申し上げており、方除(ほうよけ)、厄除(やくよけ)、交通安全の御加護をお授けくださる神様として今も多くの人々から信仰されています。」
(大麻比古神社ウェブサイト Q&Aより抜粋)



ドイツ橋。
第一次世界大戦当時、捕虜となったドイツ兵により自国の土木技術を活かして造られた橋。
日独友好の架け橋として大きな役割をしてきたという。
「捕虜」という概念も、現在の一般的な認識のそれとは随分違うのでしょう。
事実は、端的に物語っている、ということでしょうか。


丸山稲荷社へ。

丸山稲荷社。
そして、この稲荷社と真向かいに向き合っているのが、

丸山神社。
土地神様である丸山神を祀る。
しかし、この配置…。




『忌部神社』
御祭神は、天日鷲命(あめのひわしのみこと)。
天日鷲命は太玉命に従う五柱の神のうちの一柱。
(天日鷲命→阿波忌部の祖 手置帆負命→讃岐忌部の祖 彦狭知命→紀伊忌部の祖 櫛明玉神→出雲玉作の祖 天目一箇神→筑紫・伊勢忌部の祖)
「古語拾遺」において、天照大御神が天岩屋にお隠れになった時に天日鷲命と津咋見神が穀(かじ)の木を植えて白和幣(木綿)を作った、とされている。

この時、12月12日の12時。

お昼。
讃岐といえば、うどん。
阿波といえば…


「中華そば西食」で、徳島ラーメンを堪能。
濃厚なれどスルスル入る。
女性陣も納得の味でした。


そして、讃岐に戻りまず見参させていただいたのは…

『白鳥神社』
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の魂が白鳥になって降り立ったといわれる神社。
御祭神は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト) 両道入姫命(フタジイリヒメノミコト) 橘姫命(タチバナヒメノミコト)となっている。




そして、日本一低い山として知られる「御山」を登頂。




境内地・松原の中に「御山」はあります。



『水主神社』
水主と書いて「みぬし」と読む(地元では「みずし」と呼ぶそう)。
讃岐最古の式内社(創祀は宝亀年間)。
祈雨の霊験により社号を贈られたという。








『宇佐神社』
御祭神は應神天皇(八幡神)。
配祀神として、仲哀天皇・神功皇后。




境内一帯は、香川県立亀鶴(きかく)公園とされ、桜の名所となっているらしい。
この奥に亀鶴古墳群。


そして、最後に。
時間ギリギリで見参させていただたのは…


『讃岐国一宮・田村神社』

倭迹迹日百襲姫命
五十狭芹彦命 (吉備津彦命)
猿田彦大神
天隠山命 (高倉下命)
天五田根命 (天村雲命)

…以上五柱の総称を田村大神とされている。

実は、当初こちらは一宮でもあり、ともかくこちらには見参せねば…と思っておりました。
しかし…今回、「神社」という概念に新たな認識が加わった出来事もあり、余剰的にできた時間での見参となりました。



アミューズメントパーク的な建造物が多く見られる境内。



次回で、「讃岐編」は最終回となります。



2013.12.11~12 『神社おそうじ隊 見参! 讃岐ご当地隊』その3

2014-01-11 | 神社おそうじ隊 見参! 2013年

ご当地隊氏神様・『日枝神社(土佐神社)』
今回ご当地隊を引き受けていただいたKさんの氏神様。


いわゆる明神鳥居の上に三角形の屋根(破風と呼ぶそう)が重なった山王鳥居。
山王鳥居といえば、その総本社(日吉大社)には、2012年の夏、見参させていただきました


土佐国一宮・土佐神社と御縁の深い神社であるようです。


この日のお昼は、


やっぱ、これでしょ
讃岐うどん『山越(やまごえ)』
ご当地隊・Kさんも、「まずはココ」と太鼓判。
「うどん県」としても知られる讃岐(香川県)。
釜から上がったばかりの出来立て麺に生卵を絡めて食す「釜玉」の元祖といわれます。
やはり満員で、寒空のなか外で食べましたが…いや、やっぱりウマいです
写真は、「かけ」と「釜玉」、トッピングのコロッケと天ぷら。
ペロッといけちゃう…。





三豊市『賀茂神社』

京都・山城の賀茂大社の分雲を祀る。
地元漁民たちが海中から引き上げたといわれる注連石で知られる。

樹齢300年、天女が下って羽衣をかけたような姿から「羽衣の松」と呼ばれている。


近隣には『鹽竈神社』も。

このあとに、氏神様~金毘羅山へ。


金毘羅山参拝で、一同全身が震えるほど冷えてしまったところ、俳聖蕪村も逗留していたという琴平・「橋本屋旅館」の、あたたかいおもてなしとお風呂で、身も心もほっこり。
女将さんがたった一人ですべてを切り盛りしているという…。
やはり、「サービス」と「気遣い」の違いというのは、端々にこそ感じるものですね。


朝食。
往時は40軒以上あった昔ながらのこうしたお宿が、現在は10数軒。
大資本系のホテルは、増えているそうです。
女将さんも、「私の代でおしまい」といわれていました。。。



2013.12.11~12 『神社おそうじ隊 見参! 讃岐ご当地隊』その2

2014-01-08 | 神社おそうじ隊 見参! 2013年

『厳魂(いづたま)神社(金刀比羅宮・奥社)』
金刀比羅本教・厳魂彦命を祀る。
海抜421メートル、本宮583段の石段を上る(ちなみに石段は全1368段)。



本宮脇を抜け、この鳥居をくぐり…

『白峰神社』

『菅原神社』などを参拝しつつ…

最後のこの石段を上り切ったその先に、「厳魂(いづたま)神社」…。

「厳魂神社」からの眺望。
この日、天候不順でもあって、このあと雨に…。

本宮まで下山、約30分。
その時には夜景が。

上とほぼ同じ場所で、1時間ちょっと前に撮影したもの。
讃岐富士も見えます。



境内社『三穂津姫社』
本宮と渡殿で繋がっている。
本宮御祭神・大物主神の后の神、三穂津姫の神を祀る。

今回、万感の想いをもってこの社殿の前に立ち、参拝させていただきました。

この身の在る世界の意識の外。
そこには、どれほどの宇宙が広がっているのだろう。
人がいまこの世界を生き、また命は悠久の流れのなかを生きていることの奇跡。
刹那のなかに永遠を垣間観ることあらば、その奇跡もまた必然と識ることになるのだろう…。


奥社からの帰路、石段を一段一段降りていくごとに暗くなっていく境内。
雨も、徐々に、しかし確実に強くなっていく…。
強く降り出した雨のなか、まさに「ここ!」という流れのなかでこのお社の前に。
…というよりは、「呼ばれた」としかいえないようなタイミング。


全員で再度の参拝。
ありがとうございます





2013.12.11~12 『神社おそうじ隊 見参! 讃岐ご当地隊』その1

2014-01-04 | 神社おそうじ隊 見参! 2013年

『金刀比羅宮』

新年明けましておめでとうございます
まずは、本年も何とぞよろしくお願いいたします。

さて、本年最初のこのブログは、「讃岐・阿波」見参
思いがけず寒さキビシいなかでの巡拝となりましたが、一泊二日の行程のなかで、やはりギュウギュウと濃縮された「おそうじ隊」となりました。

初日の午後。
夕暮れも間近になってからの、「こんぴらさん」参拝。

「さぬきのこんぴらさん」は本宮まで785段、奥社までの計1368段にも及ぶ石段で知られます。
1368段、もちろん登って奥社でも登拝させていただきました



街の中心部からこのように威容を誇る。
香川県仲多度郡琴平町の象頭山(ぞうずさん)、この中腹に、鎮座されています。
象頭山は瀬戸内海国立公園・名勝天然記念物に指定され、南側半分を象頭山、北側半分を大麻山(おおさやま)(標高616m)と呼ばれています。
象の目の位置辺りに御本殿、耳の位置辺りに奥社にあたるという説もあります。


参道付近の様子。
なんというか、この辺りで何だかとても嬉しくなりました。
神社、参道…その賑わいから醸されるチカラに、心が躍っていたのでしょうか。。。


だいたい、こういう感じの、少しキツめの石段が延々と続く…。
そう思っていれば、あまり心配なく登拝できる…でしょう…たぶん。


大門を入ると、大きな傘をさして飴を売る5軒の店。
この5軒は、「五人百姓」といわれ、古くから金毘羅大権現の御神事に経済的な援助を惜しまなかったことから、特権的に神域での商いを許可されているそうです。


こんぴら狗の銅像。
桜馬場西詰銅鳥居の横に、こんぴら狗の銅像があります。イラストレーターの湯村輝彦さんのデザインです。
江戸時代、庶民は旅行を禁止されていましたが、神仏への参拝の場合はその限りではありませんでした。数ある神社仏閣のなかでも、伊勢神宮への参拝の旅は特別で、庶民にとって一生に一度の夢であり、「お伊勢参り」と言われました。それに並び「丸金か京六か」と言われ、讃岐の金毘羅大権現(今の金刀比羅宮)と、京都六条の東西本願寺への参拝の旅も人生の一大イベントでした。
当時、江戸を中心とした東日本の各地からこれらの社寺への参拝の旅は大変なことで、当人に代わって旅慣れた人が代理で参拝に行くことがありました。これを「代参」と言いました。旅を途中で諦めることにした人が、道中で知り合った旅人に旅費と初穂料(お賽銭)を託し代参してもらうこともあったようです。 金毘羅大権現への代参で有名なのが森石松です。清水次郎長(山本長五郎)の代わりに参拝し、預かった刀を奉納したと伝えられています。
実は、代参をしたのは“人”だけではなかったのです。「こんぴら参り」と記した袋を首にかけた犬が、飼い主の代参をすることもあったのです。 袋には、飼い主を記した木札、初穂料、道中の食費などが入っていました。 犬は、旅人から旅人へと連れられ、街道筋の人々に世話をされ、目的地にたどり着いたのです。
金毘羅大権現へたどり着いた犬も、そんなのどかな風習により、立派に務めを果たしたのでしょう。この「こんぴら参り」の代参をした犬は、特に「こんぴら狗」と呼ばれたのです。

(「金刀比羅宮ウェブサイト」より抜粋)


神馬。


『旭社』
旭社の御祭神は、天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・伊邪那岐神・伊邪那美神・天照大御神・天津神・国津神・八百万神。
神仏分離以前に創建された社殿。重要文化財です。


この石段を登り切れば御本殿。


…と、鳥居をくぐり御本殿に参拝するまでに、実に重層的な道程となっています。
そのうえ、更に奥社…
でも、ワクワクはずっとずっと潰えることなく、灯し続けていました。

次回は、その奥社と、三穂津姫社。
サッと晴れ渡ったらと思うと、急に雨が降ってくるという天候のこの日。
実に、思い出深い参拝となりました。