いま、便宜上分けている施術の3つのコースのうち、「総合」に月に1度通っていただいている男性(40代)の方から、感想をいただけました
実直な方なので、ただそのままを表現されておられます。
今回「ブログで紹介してもよいですか」とのこちらの申し出にも、快くオーケーしていただきました。
ご縁自体はだいたい10年くらいになり、身体的な調整には年に数回通っていただいていました。
今年に入り、「一度総合を試してみたい」ということで、春先に一度。
そして、今月2度目の「総合」セッション。
いただいたのは、それから2週間ほど経過してからの感想です。
ありがとうございます
では、ここから…
ーーーーーーーーーー
ここからは、最近の気づきです。
前回の調整のおかげで、
少しづつでも言いたいことは言えるようになってきました。
また、そのことによる周りの反応も変わってきています。
食事の時、無理に食べることは良くありました。
ある日、どうしても食べたくないなという時に
これは食べたくないのでいい、と言ったら
母はそれなら残していいよ、無理して食べなくても
という答えが帰ってきて少し、驚きもありました。
何か一言、嫌味を言われるのかな、ぐらいに思っていたことも
想像していたこともあり、なおさらでした。
父のもとで仕事をしていますが、
朝早く出勤するため、通勤途中で食事を取る予定でした。
しかし、その日にの朝に家で食事をすることに変更しました。
父は癖で、直前になって、やっぱりこうしよう、とします。
自分の中では少し心の準備が突然変更になったことにより
少し怒りがありました。
しかし、今日は家で食事をしていこう、申し訳ない、
と謝罪の言葉がありました。
謝罪の言葉があったことが軽く驚きでした。
父はなぜ変更したのか、その理由をまくし立てて
正当性を押し通す人だったので
さりげない謝罪の言葉だけでも意外でした。
自分自身も、食事中、手を滑らせて
ちょっと汚してしまった時、申し訳ない、と
謝罪の言葉が出せるようになりました。
自分も苦笑いというか、ヘラヘラしながら
なんとなくその場を逃げる癖があったので
変化に気づきました。
また、取引先で仕事をしている時も
細かい気になることも自己判断せずに質問するようになりました。
質問することへの恐怖から、まあこういうことでいいのだろうと
勝手に進めていることが多かったので
その点でも改善が進んでいるのかなと思います。
それから、英会話の通信講座をはじめたり、
願望実現のノートを始めたり、
先延ばしにしていたことを少しづつ、日課として
始めるようになっています。
具体的な行動を実践できているようになっていると思います。
ーーーーーーーーーー
この方も、カウンセリングや心理療法を色々と経てこられています。
10年ほど前のご縁も、そうしたところからのご縁でした。
心理系のアプローチには慎重な方で、私も自分から「どうですか?」とインフォメーションしたワケではありません。
マインドフルネスなどの影響もあってか、「メタ認知」という、俯瞰的な視野から物事を眺め観る姿勢が知られてきています。
いま一般にいわれている「気づき」にも、実際には幾つかあるのですが、この「メタな視点に立って物事を眺める」=「メタ認知」的視点は、その最も理解しやすいものだと思います。
この「メタ認知」的視点で何が大切かといえば、実は自分が“いかに気づけていないか”に気づくこと、なんですね。
そのうえで、好き嫌いや正しい、間違っているといった自分的なモノサシでなく、ただ起きていることを起きているままに観ること。
この方は、こういったメタな視点は、10年前の時点ですでに育っておられました。
それもあってか、変化もそのまま喜べ、またそこに浮かれることもないのです。
感想、ありがとうございました
実直な方なので、ただそのままを表現されておられます。
今回「ブログで紹介してもよいですか」とのこちらの申し出にも、快くオーケーしていただきました。
ご縁自体はだいたい10年くらいになり、身体的な調整には年に数回通っていただいていました。
今年に入り、「一度総合を試してみたい」ということで、春先に一度。
そして、今月2度目の「総合」セッション。
いただいたのは、それから2週間ほど経過してからの感想です。
ありがとうございます
では、ここから…
ーーーーーーーーーー
ここからは、最近の気づきです。
前回の調整のおかげで、
少しづつでも言いたいことは言えるようになってきました。
また、そのことによる周りの反応も変わってきています。
食事の時、無理に食べることは良くありました。
ある日、どうしても食べたくないなという時に
これは食べたくないのでいい、と言ったら
母はそれなら残していいよ、無理して食べなくても
という答えが帰ってきて少し、驚きもありました。
何か一言、嫌味を言われるのかな、ぐらいに思っていたことも
想像していたこともあり、なおさらでした。
父のもとで仕事をしていますが、
朝早く出勤するため、通勤途中で食事を取る予定でした。
しかし、その日にの朝に家で食事をすることに変更しました。
父は癖で、直前になって、やっぱりこうしよう、とします。
自分の中では少し心の準備が突然変更になったことにより
少し怒りがありました。
しかし、今日は家で食事をしていこう、申し訳ない、
と謝罪の言葉がありました。
謝罪の言葉があったことが軽く驚きでした。
父はなぜ変更したのか、その理由をまくし立てて
正当性を押し通す人だったので
さりげない謝罪の言葉だけでも意外でした。
自分自身も、食事中、手を滑らせて
ちょっと汚してしまった時、申し訳ない、と
謝罪の言葉が出せるようになりました。
自分も苦笑いというか、ヘラヘラしながら
なんとなくその場を逃げる癖があったので
変化に気づきました。
また、取引先で仕事をしている時も
細かい気になることも自己判断せずに質問するようになりました。
質問することへの恐怖から、まあこういうことでいいのだろうと
勝手に進めていることが多かったので
その点でも改善が進んでいるのかなと思います。
それから、英会話の通信講座をはじめたり、
願望実現のノートを始めたり、
先延ばしにしていたことを少しづつ、日課として
始めるようになっています。
具体的な行動を実践できているようになっていると思います。
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この方も、カウンセリングや心理療法を色々と経てこられています。
10年ほど前のご縁も、そうしたところからのご縁でした。
心理系のアプローチには慎重な方で、私も自分から「どうですか?」とインフォメーションしたワケではありません。
マインドフルネスなどの影響もあってか、「メタ認知」という、俯瞰的な視野から物事を眺め観る姿勢が知られてきています。
いま一般にいわれている「気づき」にも、実際には幾つかあるのですが、この「メタな視点に立って物事を眺める」=「メタ認知」的視点は、その最も理解しやすいものだと思います。
この「メタ認知」的視点で何が大切かといえば、実は自分が“いかに気づけていないか”に気づくこと、なんですね。
そのうえで、好き嫌いや正しい、間違っているといった自分的なモノサシでなく、ただ起きていることを起きているままに観ること。
この方は、こういったメタな視点は、10年前の時点ですでに育っておられました。
それもあってか、変化もそのまま喜べ、またそこに浮かれることもないのです。
感想、ありがとうございました