『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

「脳血管」と「身体」の関係

2010-04-30 | 2009-2010年
ここ最近の来訪者の方々の傾向で、特に目立っていたのが

「脳の血管」

に、何らかの変調、あるいはその兆候がみられていた方が
多かったことです。

というと、現代では

「最先端の医学的機器などないのに、そんなのわかるワケない

という、ご意見をもたれる方も多いのかもしれませんが、こういう変調も、
「身体」を観察することができれば、それを「ソレ」と認識するのは、そんなに
難しいことでは、ありません。


ここ最近多かった、というのは、ひとつには季節的なこともあるでしょう。

東洋医学的には、春は「肝気」が上がる時期。
「身体」的にも、気は上に上がりやすくなります。

「気・血・水」というのは、同時並行的に働きますので、当然「血」も
上に上がりやすくなるのです。

そこに、現代的なライフスタイル、ひらたくいえば脚や体よりも、腕や脳を
使うことが多いことも関係しているでしょう。



さらに、「身体均整法」や「(野口)整体」的な観点をいえば、上に気が
上がりやすい「身体」のタイプ、という考え方があります。
ごくカンタンにいえば極端につま先、あるいはカカトに重心がかかって
いる傾向が強いと、そうなりやすいタイプ、と考えられます。
さらには片側カカト、片側はつま先というタイプの場合も、腎臓との
関連から、そうなりやすい、と考えられます。


遺伝的要素、さらには運命論などまで視点を広げればもっと見方は広がる
でしょうけれど、私の場合はそういう方向にはもっていきません。

いま「身体」に起きていること。
それを眼で、指で、感覚で読むこと。

その「読み」のあとに、いま必要なアプローチをさせていただきます。

いま「身体」に起きていることは、その「身体」が的確に表現しています。
その表現は、大きくは「身体」のカタチ(体型)、動き(動作制限)に
現れます。
より精緻なレベルでは、表情、皮膚の色、話し方などの無意識的なしぐさ、
そして、体表に現れるさまざまな種類の「硬結」と呼ばれるもの、などです。


「脳の血管」関連の変調には、「身体均整法」にも「(野口)整体」には
実に多くの発見が遺されています。

たとえば、左側の股関節やその周辺、「背骨」の上部などにそれは反映されます。







ゆがみについて 2

2010-04-28 | 2009-2010年
『ゆがみ』

という言葉には、どうやら

「まっすぐでなければいけない」
「ゆがんでいてはいけない」
「ゆがんでいては異常である」

というネガティブなココロを想起させる何かがあるようです





たとえば「背骨」からは、全身に「脊髄神経」が伸びています。
この「脊髄神経」は、植物でいえば根っことなる部分で二分割されていて、

一方は、筋肉や靭帯などに
一方は、内臓や皮膚などに

それぞれ枝を伸ばし、全身にネットワークされています。

それぞれの枝は、それぞれに脳からの情報を必要な部位に伝えたり、あるいは
それぞれに入ってきた情報を脳に伝えたりしています。


このように枝の役割はそれぞれに分割されてはいます。
ですが、その大元の根っこは同じですから、当然ながらそれぞれの情報はクロスし、
根っこでは共有されることになります。

つまり、

筋肉や靭帯の状態は、内臓や皮膚に関連した神経にも情報は伝わり
内臓や皮膚の状態は、筋肉や靭帯に関連した神経にも情報は伝わる

ということです。

この自然のメカニズムがありますので、たとえば肝臓が疲れたり、胃の調子が
良くなかったりという場合でも、背中や肩にコリやハリが生まれるのです。




いうまでもないことですが、『ゆがみ」というのは、

「生体のある部分の過緊張や過度のゆるみ」

が生じているということ。

「過緊張」というのは、ひらたくいえば「コリ」や「ハリ」のことです。
「過度のゆるみ」というのは、この「コリ」や「ハリ」の延長上にふつうは起きます。
わかりやすくいうと、疲れ過ぎてグッタリした状態



では、その「コリ」や「ハリ」がなぜ生じるのかといえば、その理由はいろいろと
考え方はあるのでしょうけれど、私個人は、ごくシンプルに捉えています。
それは、ほとんどの場合

それが『必要』だから

生じるのです。

腕が疲れれば、当然腕の筋肉は「コリ」「ハリ」を訴えます。
胃が疲れれば、それに関連した背中などの筋肉には、「コリ」「ハリ」が生まれます。

ほとんどの場合、このように必然的な理由があるから、『ゆがみ』は起きるのです。

こう考えると、『ゆがみ』というのは、どちらかといえばポジティブな身体反応では
ないかと思うのは、私だけでしょうか




そして、ほとんどの『ゆがみ』は、日常的にごく自然にリセットされます。
疲れが解消されれば、存在する理由などなくなるのですから、当然です。


ですが、ごく自然にリセットされない『ゆがみ』という場合。
その背景には、ライフスタイル、さらにいえばそれを形成する無意識的なしぐさ、さらに
いえば、そのしぐさを形成する思考や感情のパターン……。


などに、つながっていくことになります






2010.04.17/『ビューティー』茶会 報告

2010-04-19 | 2009-2010年
3回連続講座の2回目。
今回は、『ヤセるのはカンタン』の、その実践プログラムに突入しました

一般的にいわれている

「食事」に関するいろいろな理論/方法
「運動」に関するいろいろな理論/方法
「基礎代謝」「自律神経系のバランス」「ホルモンバランス」……などなど


まずは、これらに関しての「考え方」が大切
というところから、それは始まります。


具体的にいえば、これらの言説を「どう捉えるか」ということです




現在、あまりにも多くの『ヤセるための情報』が混在しているように、私には
思えます。
それは同時に、結果として「そうでなければいけない」感をどこか煽るように、
私には思えます。

それは女性なのですし(いや、ホントは男性も)「キレイになりたい」
という気持ちは、決して否定できるものではありません。
どちらかといえば、こうした気持ち自体は積極的に応援したいと思っています


でも、「キレイ」は、あるひとつのカタチしかないの?
どこかの誰かと同じでなければいけないの?

もちろんそれは同じであっても良いのでしょうけれど、
そこに「納得」や「確信」がどれだけあるの?

ではそれは、本当に「キレイ」ということなの?

というほのかな疑問が、いつもありました。



ですので、「ビューティー」というテーマで私がワークショップを
実施するのなら

「キレイ」ということへの、新たな見方・考え方を、その方ご自身が
ご自身なりに発見していくような…

カタチばかりの「ビューティー」でなくて、もっと深いところから
ごく自然に「ビューティー」へと向かうような…

内側に自然と「ビューティー」な波動が備わっていくような…


ものを今回はやりたいなと思い、けっこう創案には時間をかけました


ですので、多種多様な「気・心・身体」のメソッドが、オモテにもウラにも
ギッシリ満載です


次回がラストとなります。

ご参加いただいております皆様。
今回の「宿題」を、なるべくこなされて
来月、またお会いいたしましょう


また、今回もサロン主宰のクロノさんには、たくさんお世話になりました。
いつもありがとうございます。





2010年4月11日 東京均整会 定例勉強会

2010-04-12 | 2009-2010年
「東京均整会」というのは、『東京均整学院 均整指導教室』卒業者で
構成されています。


その「定例勉強会」が、昨日、東京都板橋区の大山にて開催されました
私は、その講師をやっています。
(参考)


今回のテーマは『募穴応用の手技鎮痛処方』という、中国医学でいう
「経絡(けいらく)」を応用したテクニック。

もちろん、「均整師」は「鍼灸師」ではありませんから、「針」などは
使えません
とはいえ、その「理論」はいかようにも応用できるものです。
そういうことから「経絡」を活かしたテクニックというのは、「身体均整法」
には、数多く遺されています。


今回は、身体前面に点在する「募穴」という経穴(ツボ)を活用し、種々さまざまな
身体の調整を図ってみました。

具体的には

肝臓・胆嚢・腎臓・膀胱・肺・大腸・心臓・小腸・脾臓・胃・生殖器・
ホルモン系・脳……

などを対象としています。

このテクニック自体は、「身体均整法」を学ぶものは誰しも知ってはいますが、
そこに少し料理でいえばスパイスを効かせたり、あるいは新たなダシを入れて
さらなる妙味を生み出す…ということも可能なのです。



本当は、ブログに写真掲載するため、自分のデジカメを持参する予定でしたが、
思いっきり忘れてしまい……文章のみの紹介となりました。。。

次回こそは……




ゆがみについて

2010-04-08 | 2009-2010年
たとえば、

「首が右側に倒れにくい」
「左に首を回すとひっかかる」
「右側に首を回すと息がしにくい」
「前方に首を倒すと気持ち悪い」

などの、身体的な違和感を感じることはありませんか?

このように、ある一方向には快適に動くけれども、その
反対方向へ動かすと、何かしらの違和感を感じる…という場合、
その「身体」は、

〈ゆがんでいる〉

と、捉えることができます。


また、厳密に調べてみると、ほとんどの人に耳の高さや肩甲骨の
左右の位置、骨盤の位置などの差異を発見することができます。
それは、何か違和感を感じているいないにかかわらず、です
(もちろん、生まれつきの場合や病気である場合はあります)

言い換えれば、違和感を感じることがほとんどない、つまり、
日常的には何ら支障がない程度の〈ゆがみ〉は、多かれ少なかれ
ほとんどの人にある、と経験上は言うことができます。




たとえば、

歩いていて、信号待ちなどをしたとします。
そして信号が変わって青になり、歩き出します。
この時、最初の一歩、歩き出しの脚は同じではないでしょうか?

家で座っていて、女性であれば横座りをする方も多いでしょう。
この時、どちらか一方はやりやすいけれど、もう一方はやりにくい…
ということは、ないでしょうか?


〈ゆがみ〉というのは、人によりその多くは「パターン」化されています。
それは、ライフスタイルと密接に関わっています

どのような環境で、何を考え、何を知り、何を食べるのか…
それら全体の反映が、その「パターン」を形成する、という面もあります


骨盤、肋骨、足首、手首、肘、股関節、頭蓋骨……
肝臓、腎臓、膵臓、胃、腸、肺……
「身体」は、これら部分の集合体であり、連動してはじめてその働きを
全うすることができるように設計された「身体」。

このような関係性から、ある一カ所の〈ゆがみ〉は、即全体へ影響します。
それは、時に微細に、時に著しく。




どのような〈ゆがみ〉も、それ単独で生まれるものでなく、常に「身体」の
すべて、周囲環境すべてとの関わりのなかから生まれるもの。

あらゆる出来事を反映する「身体」。
その反映の痕跡が〈ゆがみ〉。


そう考えると、〈ゆがみ〉には大きな意味が、あるのです、、ね