『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

『宇佐・宗像見参!』(2014.10)の衝撃 その2

2015-05-07 | 神社おそうじ隊 2014

『八幡総本宮 宇佐神宮』

4万社といわれる「八幡」の総本宮とされる。
八幡大神(応神天皇)・比売大神・神功皇后を祀る。

向かって左より順に一之御殿、二之御殿、三之御殿。
一之御殿に八幡大神(応神天皇)
ニ之御殿に比売大神(多岐津姫命・市杵嶋姫命・多紀理姫命)
三之御殿に神功皇后

という配置。

神社において、「どういう配置に祀られているか」というのは、ある面において決定的な意味を持ちます。
この配置を確かめた時に、「そうなんだ」と軽く衝撃を受けたのは、言うまでもありません。
ちなみに、ニ之御殿の比売大神は、「その1」にも記述した宗像三女神と同一神。
さらにちなみに、宇佐神宮では、「四拍」、つまり4回の拍手が作法とされ、ニ之御殿を最後に拝するのが作法となっています。



『摂社・大尾(おお)神社』
大尾山頂上に鎮座。

神護景雲3(769)年、女帝・称徳天皇(孝謙天皇)の寵愛を受けていた僧・弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が皇位を狙い、「道鏡を皇位に就かせたならば国は安泰である」とする宇佐八幡大神のお告げを奏上します。
その真相を確認するため派遣されたのが和気清麻呂(わけのきよまろ)。
宇佐に着いた清麻呂は、大尾社に坐す大神に祈願し、禰宜・辛嶋勝与曽女(ヨソメ)より『わが国は開闢より君臣の秩序は定まっている。臣下を君主とすることは未だかってない。天つ日嗣(皇位)には必ず皇統の人を立てよ。無道の者は速やかに払い除けよ』との神託を受け、道鏡の奏上したお告げは偽りであることを看破した。

これが、世にいう「道鏡事件」です。
この事件を契機とし、特に皇位に際しての八幡大神の下す託宣は、皇位継承の正当性を示すものとして重要視されるようになった…とされます。

この下方正面に、和気清麻呂公を御祭神とする


和気清麻呂公を御祭神とする『護皇神社』はあります。

この逸話には、宇佐神宮という社の「性質」がよく反映されていますね。
そう、神社にも「性質」というものがあり、それはその神社の「神社」たる所以そのもの、といってもいいものです。
大きな神社であれば、大体の場合において発展の経緯みたいなものが「由緒」として残されています。
もちろん、それをそのまま鵜呑みにすることはオススメはいたしませんが、そこから類推していく材料になることは確かです。



2011年2月に初発、震災後すぐの4月に伊勢にて「番外編」として、日本全土を股にかける巡拝の歩みは始まりました。
あるひとつの「答え」が浮かび上がるまでに丸4年という月日を重ねてきたわけですが…ひとつひとつ、地道に検証していくことの大切さを、今にして実感しています。

それもこれも、これまでご参加いただいてきた皆様のお陰というほかはありません
慎んで御礼申し上げます。

そして、
そろそろ、フェーズが変わったなというところ。

ここから、「おそうじ隊」は新たな展開へと、動き出します。
今月末、『宗像・長州』が、その境目でもあり、皮切りであるかもしれません。
どうなっていくのか、はっきりいって隊長である私自身も予想はできませんが…愉しみです






『宇佐・宗像見参!』(2014.10)の衝撃 その1

2015-04-29 | 神社おそうじ隊 2014
2011年2月に活動を開始した『神社おそうじ隊 見参!』。
「敬意と感謝」を届けゆく、という活動当初からの行動原理はそのままに、回を重ねるごとにその「質」は、より洗練され、よりピュアさを際立たせてきているように、私には感じられています

傍目には、ただただ様々な地域の、有名無名を問わず「神社」を参拝しまくっている…
そう見えるかもしれません。
けれど、それを主催している本人たち(私と副長)、そして、(たぶん)ご参加いただいている方々はみな、それこそ大マジメに、見参させていただいてきました。

あるひとつの事象が、幾重にも重なりひとつの「真実」を導き出す…。
先日の『吉備見参!』のところでも少し書いたように、あまりにもあからさまだからこそ、見えなく、認識できなくなっていることというのは、実は膨大にあると思います。
「神社」というのは、ある面そういう事象の集積でもあり、それが神秘性の所以でもあるでしょう。

でもね、
本当の「神聖さ」というのは、とってもシンプルなことなのだなと、現時点で私は云っておきますね。
誰の目にも、それは明らかになっていること…のはず



たとえば、



『高宮祭場』
古代祭祀の形を今に継承しているとされ、宗像三女神降臨の地と伝わる。


「古事記」では「胸形」と表記される宗像氏は玄界灘付近の海域、および大陸との交易を支配していたとされる「胸形君(むなかたのきみ)」という海人族の末裔とされます。
御祭神、宗像三女神は、天照大御神から神勅を賜り、玄界灘に降臨した…ということになっていますが…まあ、そこはたいして重要ではありませんね。
日本全土に6000社以上とされる「宗像(宗形)三女神」を祀る神社の総本社、『宗像大社』で、どのような祀られ方をしているのか、まずは、そのあたりが大切になります。

ちなみに、三女神の一柱、市杵島姫神は、神仏習合の影響で弁財天と同一神とされます。
安芸の宮島、近江の竹生島、湘南の江ノ島は、「日本三大弁財天」として知られます。

全て、島…。
これだけでも、宗像三女神の真実の姿が、なんとなく目に浮かんではこないでしょうか?

ともあれ私は、個人的にグッと心に残った神社というのはいくつかあるのですが、ここ『宗像大社』はそういう神社となりました




かつて、口に出すことすらタブーとされていた「不言様(おいわずさま)」の沖ノ島。
未だ女人禁制の掟が固く守られ、年に一度の一般参拝の折には(もちろん男性だけ)海中で禊をすることが決まりとなっています。
今年、この年に一度の一般参拝に申し込んだものの、(一応の理由としては)希望者多数により見事落選。

まあ、まだ時機ではなかった…ということ。
いづれの機会に、上陸したいと思います



2014.8.26~28 『神社おそうじ隊 信濃国見参!』 その5(諏訪大社 守矢史料館)

2014-09-08 | 神社おそうじ隊 2014

『下社・秋宮』

『下社・春宮』

『上社・本宮』

『上社・前宮』

「諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社です。
信濃國一之宮。神位は正一位。全国各地にある諏訪神社総本社であり、 国内にある最も古い神社の一つとされております。
諏訪大社の歴史は大変古く古事記の中では出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきて、そこに国を築いたとあり、また日本書紀には持統天皇が勅使を派遣したと書かれています。
諏訪大社の特徴は、諏訪大社には本殿と呼ばれる建物がありません。代りに秋宮は一位の木を春宮は杉の木を御神木とし、上社は御山を御神体として拝しております。
古代の神社には社殿がなかったとも言われています。つまり、諏訪大社はその古くからの姿を残しております」
(「諏訪大社」ウェブサイトより抜粋)



夏の上諏訪(諏訪湖)では、7月末から8月最終日まで毎晩花火が観れます。

諏訪湖の湖畔に宿をとり、花火鑑賞…。

翌朝、『信濃国一宮・諏訪大社』四社を巡拝。
現在でこそこの四社は「諏訪大社」として総称されているが、上社と下社はそれぞれ由緒も発展の歴史も異なる。
上社では「山」を、下社では「木」をそれぞれ祀っていることからも、それは伺える。
その歴史的な紆余曲折は、どれほどのものか…。
数多ある神社の祭祀のなかでも、とりわけ奇祭としても知られる「御柱祭」「御頭祭」ほか、年間を通じての祭祀の数が極めて多いとされる諏訪大社。
この事は、その複雑に錯綜した歴史を如実に語っているように思える。





「下社・秋宮」
二重楼門造りの拝殿と左片拝殿及び右片拝殿が横に並ぶ。
安永十年(1781)春に立川和四郎初代 富棟の棟梁で落成。



「下社・春宮」
「春宮と秋宮の社殿の建替が諏訪藩に依って計画された時に同じ絵図面が与えられたと見え、大きさこそ違いますがその構造は全く同じ…」(「諏訪大社」ウェブサイトより)





「上社・本宮」
現在修理中の幣拝殿。今年いっぱいはこのようであるらしい。





「上社・前宮」
現在でも「御頭祭」の行われている十間廊。








それぞれの「一之御柱」。




『御頭御社宮司総社』
諏訪大社御祭神・建御名方神以前からの諏訪土着の神「ミシャグチ神」を祀る。
ちなみに、「ミシャグチ」の呼称は多様にあり、定まっていない。


『神長官守矢史料館』を見学。
守矢家は中世より諏訪神社上社の神官の一つである「神長官(じんちょうかん)」を明治時代まで勤めてきた家柄。

「空飛ぶ泥舟」を、大祝・諏方家の墳墓から眺める…。


ちなみに、昨年の「諏訪見参」の様子はこちら



今回の『神社おそうじ隊 信濃国見参!』はここまで。
御参加いただいた皆様、本当にお疲れさまでした


まずは、ご当地隊を務めていただいたOさんご夫妻。
思えば、御主人に「久しぶりに戸隠に行きたい」というお話を聞いた時から、今回の「信濃見参」は始まっていました
年齢的には私の方がだいぶ下なのですが、とても腰も頭も低く丁寧に他者と接されるその姿勢には恐縮することしきり。
御一緒できましたこと、本当に感謝しております。
ありがとうございました
そして、奥様は昨年の「諏訪」、そして「出羽見参!」月山登拝以来のご当地隊。
何というか…まかせて安心
今回はご主人様も同行ということもあり、安心度もグッとアップだったように、思います。
また、お願いすることもあるかもしれませんが…、その節には何卒宜しくお願いいたします

さらに、今回初参加のMさんにもご当地隊を。
Mさんは私の主宰する「指南塾」塾生でもあります。
あちこち巡拝するので疲れたかな~、と思っていたら、「とてもオモシロかったですぅ」と言っていただけ、一安心
今後ともよろしくお願いいたします。。

そして、同じく初参加のKさん。
忙しいなか御参加頂けましたこと、心より嬉しく思っております
あまり直接お話できなかったのがちょっと心残りでもありまして…よければまたの御参加を、お待ちしてますね

…ここまでは長野県を地元とする皆様。
本当に感謝しております


さて、遠く鳥取県と島根県から御参加いただいた御二方。
いつもながらありがとうございます
体調の優れないなか戸隠の山中まで来られたTさんには、是非とも元気になって戻っていただきたいと今回は祈念しておりました
戸隠~諏訪までのご神気も、意識の奥深くまで作用していることでしょう。
また、Fさんには、今回ありがたくもだいぶお酒をいただきました
次回お会いできました折には、私がつがせていただきますね

そして、指南塾生Tさんは茨城からの参加。
ちょこちょこといろいろな場面でお気遣いいただき、ありがとうございます
前回は家族全員車での御参加でした。。
今回はあまり疲れることもなかったようで、何よりでした

そして、副長。
副長の八面六臂の活躍あっての「おそうじ隊」
いつもありがとうございます




このあとの「おそうじ隊」の見参地

まずは九月『おそうじリトリート』
そして、十月はいよいよの『宇佐』となっております。

お問い合わせはこちらから
お申し込みはこちらからお願いいたします。





2014.8.26~28 『神社おそうじ隊 信濃国見参!』 その4(善光寺三社+一社 皆神山)

2014-09-06 | 神社おそうじ隊 2014

『湯福神社』
善光寺三社(三鎮守ともされる)の一社であり、戸隠神社の守り神である戸隠三所権現の一社ともされる
御祭神は諏訪の神・建御名方神、風鎮祭の神として奈良・龍田大神(「4月・大阪春の陣」にて参拝)、地域の神を祀る。
健御名方命(お諏訪さま)の荒御魂を祀る神社として知られる。

梶の葉。



『健御名方富命彦神別神社』
信濃国水内郡には、「健御名方富命彦神別神社」は三社あり、そのいづれが「延喜式」に記載された名神大社なのか、現在おいても不明。
御祭神についても、「健御名方富命」、建御名方命の御子神(「彦別神」)、両神を祀る説があるという。




地主大神。

千幡社。

木匠祖神社。





『武井神社』
善光寺三社の一社。
御祭神 建御名方命
相殿神として前八坂刀売命・彦神別神


松尾社。

猿田彦大神。

雷電の力石。



『妻科神社』
善光寺三社の一社。
善光寺鎮座以前の水内神として諏訪大社の県内に最も古い分社のひとつ。

御祭神  八坂刀売神
建御名方神の妃神とされている。
相殿   建御名方命   彦神別命






湯福神社・武井神社・妻科神社・健御名方富命彦神別神社の四社持ち回りで、寅年・申年に御柱祭を行なっている。
そのため、この四社の境内には御柱が立っていた。
また、この四社は、地図に照らすと善光寺を四方で囲うような位置にある。
これは善光寺にとっての「結界」なのか、はたまた逆の意味なのか…。




ランチは、お酒と味噌の醸造元「善光寺外苑 西之門よしのや・レストランさくら」にて(味噌コロッケ)。
食前酒に純米大吟醸の蔵元ならではサービス…酒盃が並んでいるのは皆様の分も頂いたから…

「清酒工場見学」もできる(副長は見学したらしい





皆神山・皆神神社神門。

『侍従神社』
御祭神 侍従大神・大宜都比売命


クロサンショウウオの産卵地といわれる池のほとりの弁天社。

天満宮。

天地カゴメ之宮。
隣に石碑あり。
「(前文略)…天地カゴメ之宮は、上に元津御祖大神、また、ヒマラヤから国常立大神の元津神霊を宮 の御大将と迎え、日之出大神はじめ天地八百万の神々、竜神眷族、モーゼ、キリスト・ギ リシャ神話の神々に至るまで参集され、現在は伊都能売神業にあり。此度神々 守護のため宮の建立を許され、ここに謹んでお受け致した次第を印す」



『熊野出速雄神社』

御祭神 出速雄命 伊邪那岐尊 伊邪那美尊 速玉男命 予母都事解之男命
配祀  舒明天皇 古人大兄皇子

「熊野出速雄神社は皆神山上にあり、一般に皆神神社として知られている。熊野出速雄神社はその本社に相当し、出速雄神ほか計7神を祭神として祀る。中世以降、熊野系の修験道の聖地として栄え、「熊野三社権現」と呼ばれたが、明治維新の神仏分離令により、山伏は還俗し、社名を「熊野出速雄神社」に改めた。」(長野市文化財データベースより抜粋)


『富士浅間神社』
御祭神 木花咲耶姫命

皆神山の東側山頂。
境内中、最も高い位置に鎮座。


その裏手は…こうなっています。






「岩戸神社』
御祭神 天照大御神
皆神山の南側中腹の古墳。




その上方に別の社殿。

ここで、

ここから信越本線・篠ノ井駅へ。
駅にて、今回のご当地隊を務めていただいたOさんご夫婦、Mさん、また戸隠、この皆神山をご一緒いただいたKさんと別れ、諏訪へ。
このあとの“その5「諏訪」編”で、参加者の皆様への感謝をさせていただきたいと思います


2014.8.26~28 『神社おそうじ隊 信濃国見参!』 その3(宝光社・火之御子社)

2014-09-03 | 神社おそうじ隊 2014

『宝光社』

御祭神 天表春命(あめのうわはるのみこと)
中社御祭神・天八意思兼命の御子神様であり、武蔵秩父国造の祖とされる。




270段余の石段。

石段途中にある境内社。

社務所裏の境内社。




『火之御子社』

御祭神  天鈿女命(あめのうずめのみこと)
ほか、天忍穂耳命、栲幡千々姫命、、高皇産霊命の三柱を祀る。
「火(日、ヒ)之御子」であるのなら、本来の主祭神は天忍穂耳命(あまのおしほみみのみこと)と思われるが…。


中社と宝光社の間辺りに位置する。

社殿脇に、小祠が祀られている。


2014.8.26~28 『神社おそうじ隊 信濃国見参!』 その2(戸隠中社・鏡池・天命稲荷神社)

2014-09-01 | 神社おそうじ隊 2014

『戸隠神社・中社』
奥社相殿として、1087年に現在地に鎮座。
「戸隠五社」とはいうものの、通常「奥社」「中社」「宝光社」で「戸隠三社」とするらしい。

御祭神 天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)
天照大神が天岩戸にお隠れになった時に、岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作ったとされる神。


境内の御神木(杉)



大鳥居。



諏訪神社。

天神社。

宣澄社。
天台宗大先達・宣澄阿闍梨を祀る。

日枝社。



鏡池
面積約40,000㎡。
湖面に四季折々の戸隠連峰のシルエットを鏡のように映し出すことから、その名がついたという。



『天命稲荷神社』
鏡池から徒歩で約10分ほどのところに鎮座。
戸隠修験道を継承する姫野公明という尼僧により、お告げを受け昭和37年に造営したという。



この日の宿は、『戸隠山宿坊 お宿 諏訪』
気の行き届いた館内と、美味しい料理と手打ちそば、お風呂も気持ちいい。

飲み比べセットも、地酒を中心に品揃えグッド♪






2014.8.26~28 『神社おそうじ隊 信濃国見参!』 その1(戸隠奥社&九頭龍社)

2014-08-29 | 神社おそうじ隊 2014


『戸隠神社』は、創建紀元前二百十年と伝えられ、奥社、中社、宝光社、九頭龍社、火之御子社の五社からなる。
かつては修験場としても名を馳せ、天岩戸伝説も残る。


東京から長野へと向かう道中、ドンドンと激しくなっていく雨。
最初の見参地である奥社・九頭龍社までは、駐車場から約30分を徒歩で山道を行くことになる…。
「大丈夫なのかな…?」と思いつつ、長野市内で今回のご当地隊でもあるOさんご夫婦、そして初参加のMさん、Kさんと合流。
水が道路を叩く音で話す声がかき消されてしまうほどの強い雨の中、戸隠山へ向かう。

有名な「七曲り」と呼ばれるヘアピンのカーブを抜け、白樺などが立ち並ぶ高原の自然の中に入る頃、その雨も小降りになり、やがてほとんど止んだ。
奥社駐車場に到着してみれば、それなりに人もいる。
これならば、もし快晴であったなら、人でごった返していたかもしれない…。

霊山・戸隠。
朝から降りしきる雨は、その静寂を深めるためであったのだろうか…などと、ふと思う。



まずは、参道入口・大鳥居脇の『奥社の茶屋』で、美味しいおそばを堪能。
「つけ麺」は、汁が温かくなっている。


大鳥居。

随神門。
ここを抜けると樹齢400年ともいわれる杉並木。







『九頭龍社』
御祭神・九頭龍大神
創始年代不詳とされ、天手力雄命が奉斎される以前の地主神。
奥社本殿の左に位置する。

ちなみに、戸隠神社の御神紋は「鎌卍」。
四本の鎌を卍型にかたどった物。
この「九頭龍社」の御神紋は、写真でもわかるように「菊(黒)」。
「戸隠五社」としながらも、「九頭龍社」は別枠、ということになるのだろう。



『戸隠神社・奥社』

御祭神・天手力雄命(アメノタヂカラオノミコト)
いわずと知れた「天岩戸伝説」の神であり、天の岩戸をお開きになった神。
岩窟といった風情で、上からかぶさるような勇壮な気が感じられる。

その本殿脇にひっそりと佇む祠(写真真ん中くらい)。
「戸隠大神」の社殿脇でもあり、この祠は御神体に鎮座している。



2014.6.11 『神社おそうじ隊 見参! 広島ご当地特別編』 その2

2014-07-02 | 神社おそうじ隊 2014
「ご当地特別編」。
その土地で生まれた、育った、あるいはとても縁の濃い方々を「ご当地隊員」と『神社おそうじ隊 見参!』では呼ばせていただき、現地ナビゲートをお願いしつつ御縁深き神社を巡拝させていただきます。
それは、とりもなおさずそこに集う人々すべての根源(ルーツ)へと繋がることにもなります。

この「広島ご当地特別編」は、これまでに何度も各地をご一緒いただき、前回の「広島見参!」でも「ご当地隊」を務めていただいたKさんの、御縁深き社を主な参拝地となりました。
しかしやはり…思い込みや慣習などの枠組みを超えた処には、制限も隔たりもないものです。
ただ、そのまま社殿を前にする…カミやホトケ以前に、そういう心持ちが大切なのかも、しれません。


『草津八幡宮』(広島市西区)
一帯の総氏神。
「…このため各町の氏神社や地域内の神社の『ご本社』とも、又、歴史も最も古いので『元社』(もとしゃ)とも呼ばれて来ました」
(「草津八幡宮」ウェブサイトより抜粋)

御祭神

品陀和気命(ほんだわけのみこと)
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)
帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと)
[相殿神] 
宗像三女神(むなかたさんじょしん)
多紀理姫命(たぎりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
市寸島姫命(いちきしまひめのみこと)

素盞嗚神(すさのおのかみ)
倉稲魂神(うがのみたまのかみ)
金刀比羅神(ことひらのかみ)






境外末社

『庚午(こうご)神社』(広島市西区)

御祭神

天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)
大国魂神(おおくにたまのかみ)
八幡大神(はちまんのおおかみ)
大年神(おおとしのかみ)
埴山姫神(はにやまひめのかみ)






『鷺森神社』
正殿 市杵島姫命 金比羅命





『龍宮神社』



石段最下段脇にネコが左右に…狛犬の代わり?




『備後国総社・小野神社』(広島県府中市)

御祭神  押姫命(おしひめのみこと)→吉備津彦命の祖母とされる。
     吉備武彦命(きびのたけひこのみこと)


熊野神社

稲荷神社/砂留荒神社

艮神社

高龗神社/大山祇神社

総社神社(写真真ん中)






『二本木荒神社』(福山市)

ヘソの緒荒神。





『大瀧神社』(福山市)
名水で知られる。






『木野宮神社』(府中市)
「小野神社」より遥拝できる。

御祭神 日本武神 景行天皇皇子















2014.6.11 『神社おそうじ隊 見参! 広島ご当地特別編』 その1

2014-07-01 | 神社おそうじ隊 2014

『備後国総鎮守・御調(みつき)八幡宮』

広島県三原市、和気清麻呂の姉和気広虫(法均尼)が流された地であり、西の吉野ともいわれ、しだれ桜の名所として知られる。
御祭神 応神天皇







広大な敷地に、隆盛時の名残を伺わせる。
再訪した折には、時間をとって拝したい。



『備後国一宮・吉備津神社』(福山市)

御祭神 吉備津彦命(きびつひこのみこと)
相殿神 大日本根子彦太瓊命(おおやまとねこひこふとにのみこと)
    細比売命(くわしひめのみこと)
    稚武吉備津彦命(わかたけきびつひこのみこと)





秋葉神社/四所神社

十麻里二柱(とまりふたはしら)神社

乳房神社

真名井神社

山雷(やまいかづち)神社

式内社・多理比理神社

稲荷神社

十二神社

御池・厳島神社(かつてはここで禊ぎをし、浄めたのちに一宮(いっきゅう)さんにお参りした「一宮さん」は吉備津神社のこと)



『備後国一宮 素盞嗚神社』(福山市)

御祭神 素盞嗚尊 (すさのおのみこと)
    奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)
    八王子命 (はちおうじのみこと)




蘇民神社/疱瘡神社

戸手天満宮




備後国には、一宮が二つ。
それがこの二社であり、車であれば目と鼻の先の距離にある。


ちなみに、お隣の備中国には、同じ名称の「吉備津神社」、更に備前国は「吉備津彦神社」が同じく一宮として崇敬されている。
このあたりに、「神社」の、ひとつの意味が見え隠れしている。




2014.6.8~10 『神社おそうじ隊 隠岐国見参!』 エピローグ

2014-06-26 | 神社おそうじ隊 2014


『美保神社』・拝殿

御祭神 三穂津姫命(みほつひめのみこと)
高天原の高皇産霊神の御姫神、大國主神の御后神
事代主神(ことしろぬしのかみ)
須佐之男命の御子孫、大國主神の第一の御子神
御創建・開創 神代
各地のゑびす社三千三百八十五社の総本社とされる。

2011年9月以来の「美保神社」。
個人的に、各地で参拝させて頂いてきた神社の中でも、とりわけ御縁の深さを感じる神社のひとつ。
七類港からはほど近いということもあり、移動前に「是非拝したい!」ということで、参拝。






向かって右側の「左殿(大御前、おおごぜん)」に三穂津姫命、向かって左側の「右殿(二御前、にのごぜん)」に事代主神をお祀りしています。大社造の二殿の間を「装束の間」でつないだ特殊な形式で、美保造または比翼大社造とよばれており、建築用材の大半は美保関周辺に自生していた松を使用し、屋根は檜皮(ひわだ)で葺いています。
現在の本殿は文化10年(1813)に再建され、国指定の重要文化財です。(「美保神社」ウェブサイトより引用)





※神社において左右の概念は、神様を基準としています。したがって、向かって右側が「左殿」、左側が「右殿」となります。(同ウェブサイトより)

四月七日・青柴垣
十二月三日・諸手船

神々の国・出雲の中でも、一際存在感の際立つこの神社の二つの特殊神事の持つ意味は、深い。





…ここから、島根・松江を経由して一路広島へ。
四名(プラスワンちゃんお一方)ほどの方の、身体の調整をさせていただくために。

松江では、松江城近くの「島根県物産観光館」で、地元・Tさんオススメの限定の日本酒を購入。
そのまま尾道松江線の松江自動車道へ。

広島への道中、雲南吉田IC近くにある道の駅「たたらば壱番地」に。
聞けば、Tさんと御縁も関わりも深き施設があるという…。

ここでは、

出雲山内 鶏卵の里  『ままたまご』の、絶品「ままたまごプリン」を。
斐伊川上流域山あいの麓の養鶏場、平飼い有精卵の卵黄をふんだんに使ったそのプリンは、これを食べるためだけにもう一度ココに…と思わせる逸品でした。
(ソフトも♪)



今回の「隠岐国見参!」はTさん、そして隠岐にルーツを持つFさんなしには繋がり得なかったであろう御縁。
出発前には多くのパンフも送っていただけ、本当にお世話になりっぱなしでした。


本当に、ありがとうございました。





夜。
調整後、広島市内「田心」へ。

地酒を嗜みつつ、ひと時心身をゆるめ…翌日に備えます。