『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

2016.5.10-11 『神社おそうじ隊 富士見参!』・5

2016-05-31 | 神社おそうじ隊 2016

『北口本宮冨士浅間神社』

「景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊ご東征の折、足柄の坂本(相模国)より酒折宮(甲斐国)へ向かう途中で当地「大塚丘」にお立ち寄りになられ、そこから富士の神霊を親しく仰ぎ拝され「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と仰せになりました。よって大鳥居が建てられ、大塚丘に浅間大神と日本武尊をお祀りし、当社の創建となりました。」
(「北口本宮冨士浅間神社」ホームページより抜粋)

ご祭神 コノハナサクヤヒメノミコト ヒコホノニニギノミコト オオヤマヅミノミコト

「吉田の火祭り」で知られる神社。
摂社である諏訪神社とで行われ、その祭りの際には、約3メートルの大松明70本~80本余りが焚き上げられるといいます。

また「冨士」の「冨」の字がウ冠ではないことにも色々諸説あるよう。
調べてみたら、オモシロイですよ

  


雨の小降りになった頃…


『不二阿祖山太神宮』

に到着。

主祭神
  元主一大御神様(元旦神) 別名 元主天御中主大御神様
  御親元主国万造主国常立大御神様
配神
  天照主日大御神様
  天照主月大御神様
  伊都能売大国魂大国主大御神様
  (五男三女大国魂大国主大御神様)
皇祖、人祖の神々様・八百万神々様

「『不二阿祖山太神宮』は、この神道の精神と、不二山に残されていた不二 神仙道の奥義・教えをもって、人類恒久平和を祈り、未来の子供達へ、素晴らしい地球を残す為に、日本の古き良き文化伝統を伝え拡げていくことを目的としています」
(「不二阿祖山太神宮」ホームページより抜粋)

参拝の方法にも独特の作法があり、境内の空間にも独特の気が満ちていました。
ほぼ崇敬会によるご奉仕で成立していて、この日受付されていた方にその説明を受けることができました。

「日本(霊の元) 大元、日本の元 「古神道」の教えを伝え続ける」



今回の「富士見参」は、ここまで。
雨のなかでの巡拝となりましたが、最後の最後に…



富士山は、その姿を現しました。


日本一の霊山といわれ、万葉の昔から「四方の霊験所」(「梁塵秘抄」)の一つに挙げられていた富士山。
にもかかわらず、古事記や日本書記にはその記述はありません。

また、はじめに参拝させていただいた「富士山本宮浅間大社」の千木・鰹木(ちぎ・かつおぎ)。
「千木」とは、神社の社殿の屋根の両端に交叉してそそり立つ木々のこと、「鰹木」とは、屋根の頂点に棟に直角に何本か配置されている木々のことです。
これらは、実はそれぞれ、様式に二種類あります。

千木には内削ぎと外削ぎ、鰹木には偶数と奇数という種類です。

社殿建築の原則として、千木が内削ぎの場合鰹木は偶数。
千木が外削ぎの場合は、鰹木は奇数です。

これはそのまま、

「内削ぎ・偶数=女神」「外削ぎ・奇数=男神』

を祀ることが原則になっています。

「富士山本宮浅間大社」の千木・鰹木は、というと・・・



外削ぎ・奇数なのですね。
現在主祭神とされているコノハナサクヤヒメノミコトは、女神・・・さて。


神社には、このようなことが、ままあります。
少し視点を変えるだけで、色々と気づくこともあります。
古代からのメッセージや暗号、というと、それだけで「アヤシイ」をイメージをされることもありますが、こういった原則にすら適合しない大きな神社は、実はたくさんあります。
「神社」とは、本来どういったものなのか…参拝の際、ちょっとだけアタマをそういうモードにしてみられると、近所の「神社」の思わぬ姿が見えてきたりする…かもしれません。






今回、ご参加いただいた皆様、
本当にありがとうございました
また、雨の中本当にお疲れ様でした

今回の「富士見参」は、出雲から参加の御二方なしには実現はしなかったかもしれません。
体調の整わないなかご参加いただいたTさん、そして、今回の「富士見参」実現を強力に後押しいただいたFさん。
いつもありがとうございます

また、広島からご参加いただいたKさんは、道中の運転、ならびに様々な気遣いをいただきました。
いつもありがとうございます




2016.5.10-11 『神社おそうじ隊 富士見参!』・4

2016-05-31 | 神社おそうじ隊 2016
2日目。
昨夜から降り出した雨が、日をまたぎさらにその雨脚を強めました。
その状況のなか、副長から「是非に」と提案されたのは・・・


『駒門風穴』

富士最大級にして最古の溶岩洞窟といわれ、内部は本穴291メートル、枝穴110メートル。
国指定天然記念物です。


内部は凸凹してはいるものの、照明は整備してあるため足元も見える程度に明るい。
ヒヤッとして、天然の冷蔵庫的な冷気はあるものの、夏であれば避暑にはちょうどよいくらいの塩梅。
雨の影響で滑るのではないかと思われたものの、それもほとんどなく、なかなかに快適でした




『富士山東口本宮・須走口登山道 富士浅間神社』

富士山本宮浅間大社、北口本宮冨士浅間神社とともに、現在「本宮」と称されている神社です。

「平安時代初頭、桓武天皇の時代・延暦21(802)年、富士山東脚が噴火した。当時の国司・郡司(朝廷の役人)は、恐れおののく住人のために鎮火の祈願を行うべく、富士山東面・須走の地に斎場を設け、鎮火祭を斎行した。すると、同年4月初申の日に噴火が収まった。この御神威を畏み、報賽するべく、平城天皇の時代・大同2(807)年に鎮火祭跡地・現在の御社殿の地に神をお祀りしたことが、当社の創建と伝えられる。」
(東口本宮 ホームページより抜粋)

主祭神 コノハナサクヤヒメノミコト
相殿神 オオナムチノミコト ヒコホホデミノミコト

5000坪といわれる境内は、周囲を鬱蒼とした樹木に囲まれ、晴れていたならば、どれほど清々しい境内であったことかと思わずにはいられないほどの、激しい雨の中の参拝となりました。
またの機会に、再拝させていただこう。。。





2016.5.10-11 『神社おそうじ隊 富士見参!』・3

2016-05-31 | 神社おそうじ隊 2016

『村山浅間神社』

富士根本宮とも称される。
「浅間神社は、神仏分離によって境内社富士浅間七社を相殿として造られた。中座に木花開耶姫、左座に大山祗命、彦火々出見命、瓊々杵命、右座に大日霊貴(天照大神)・伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀っている。」
(「静岡県富士宮市ホームページより抜粋)


樹齢1000年といわれるご神木の大杉。

富士講が生まれた地ともいわれ、富士修験の中心的聖域であったらしい。
その当時の勢いが、風格として感じられた。


また、個人的に、この神社は非常に印象深い思い出ができた
動きたくても動けない、という…







『須山浅間神社』

富士山南麓に位置する。
須山口登山道の入り口にあたる。
境内全体が、樹齢400~500年以上のスギの巨木に覆われていた。

社伝では、日本武尊による創建とされている。


周囲をグルッと囲む川の流れ。
浅間信仰の本来の在り方が窺われるような気も、いたします。




初日はここまで
名古屋方面から車で参加のMさんは、この日だけの参加でした。
初参加でしたが、どこかで会ったことがあるかのような遠慮のない気風。
けれど、そこかしこに意識を張り巡らせ、気を遣われていたり…

またのご参加、お待ちしております
ありがとうございました




第4期指南塾 第2回(5月)

2016-05-16 | 2016年
本日2つ目の記事です。
『指南塾第4期』は、「体操」「健身養生」「立ち方・座り方・歩き方」「瞑想」など、様々な角度から「心・身体・気」を捉え、日常に根ざした様々なエクササイズやトレーニングしていきます。

“行住坐臥”。
日常の立ち居振る舞いには、その人物の、おおまかな意味でのすべてが現れます。

普段何気なく行っている動作、たとえば、後ろを振り返る、落ちているモノを拾う、イスから立ち上がる、電車から降りる、ご飯を食べる・・・など、あまりにも日常的で、目を瞑っていても出来てしまうようなこれらの動作だからこそ、その人物の、その人物たらんとするために習慣づけた『クセ』が、顕在化するものです。

また、よく「姿勢をよくすることは、人間の健康状態始め、人生のあらゆる場面において大切である」ということがいわれます。
この20年、身体均整法、野口整体などに携わってきた身としては、確かにそうだと思います。

しかし、ただ外面的に、矯正的に「姿勢」をよくするという意味では、私は全く考えてはいません。
また、いわゆる学校教育での「起立、礼」に代表されるような、一律的な、背筋をピンと伸ばした「姿勢」が、いわゆる「よい姿勢」であるとは、毛頭考えてはいません。

その人その人、個々人それぞれに「よい姿勢」というものがあり、それは、年代や状況によっても変わるもの。
内面からの、滞る事なき意志の反映として、迷いや憂いのみえない、滔々と統一した意識の流れが、ごく自然に伝わってくるような・・・「よい姿勢」とは、そういうものではないでしょうか?

いわゆる施術の現場では、窮地にある心と身体を安全地帯に置くような事がとりあえずは優先されます。
しかし、この『指南塾』の場では、これから窮地に陥ったとしても、泰然自若として焦ることなく適切な判断ができる、その土台を築きつつ、個々人の今の問題や悩みを軽く、あるいは無となっていくようなプログラム構成となっています。

そのすべての礎は、やはり目に見えるこの“身体”です。

2016.5.10-11 『神社おそうじ隊 富士見参!』・2

2016-05-16 | 神社おそうじ隊 2016

『山宮浅間神社』

「浅間大社社伝によれば、景行天皇40年(110)に日本武尊が浅間大神を山足の地より遷した場所とされる。富士山を直接拝む古代祭祀の形を残しており、ご祭神を祀る本殿はない。元浅間大社摂社で、旧村社。」
(「富士山本宮浅間大社」ご由緒書きより)

『富士山本宮浅間大社』の元宮であり、「山宮」と通称される。
御祭神は木花佐久夜毘売命と現在ではなっているが、そもそもは「浅間大神」を祀る。


晴れていれば、この先には富士山が・・・


富士山を神と崇める浅間神社は、「せんげん」ではなく、本来は噴火する山を指す言葉「あさま」であった、といいます。
山梨県の甲斐国一宮である浅間(あさま)神社は、その名をそのまま伝えています。






『白糸の滝』



そのほとんどが富士山の湧き水である「白糸の滝」。
年間を通じて水温12℃、毎秒1.5トンの湧水が流れ出ているといわれます。

圧倒的でありつつも威圧的ではなく、どこか柔らかい。
かつては富士講の巡礼・修行の場であったというものの、流れ出る水量に反比例して、どこまでも静寂が広がるかのような・・・。
ずっと、そこにいたくなる…。


「白糸の滝」へ行く道すがらには、勇壮な響きの『音止の滝』も。


「白糸の滝」は、世界遺産としての富士山の、「信仰の対象」としての普遍的価値を証明する、大きな構成要素であるといいます。
こちらを参照ください)





2016.5.10-11 『神社おそうじ隊 富士見参!』・1

2016-05-12 | 神社おそうじ隊 2016

『駿河国一宮・富士山本宮浅間大社』

富士山。

標高3776メートル。
文字通りの日本最高峰であり、そのなだらかな稜線と雄大な偉容は、日本人の精神の奥底にまで浸透している、といってもよいのではないでしょうか。
2013年にユネスコの世界文化遺産登録がなされたことは、記憶に新しいところです。

その「富士山」は、実は活火山であり、過去2000年の間に確認できるだけで43回の噴火活動を起こしています。
その畏敬の念が信仰へと流れていくこともまた、自然なこと。

全国に1300社を数える浅間神社の総本宮とされるのが『富士山本宮浅間大社』。
富士山を御神体とし、主祭神を木花佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)とするこの古社は、垂仁天皇(紀元前)の時代に山裾に浅間(あさまの)大神を祀ったのが始まりとされます。
伝承によれば、現在社殿のあるこの地には、806年に坂上田村麻呂により遷されたということ。
この本殿は、高さ13メートル、国の重要文化財であり、全国でも稀な二重の楼閣造となっています。
天下統一を果たした徳川家康により、戦勝祈願の奉斎として本殿・拝殿他30余棟が造営されたそうです。
その多くは、寛永や安静の大地震で失われたものの、この本殿は浅間造(せんげんづくり)と呼ばれ、その由縁をそのまま伝えています。


今回の『神社おそうじ隊 富士見参!』は、この『富士山本宮浅間大社』をスタート地点とし、2日間かけて巡拝を重ねていきました。
奇しくも、雲天、そして荒天。
初夏というのに、まるで台風でも来たかのような荒れ模様のなかの『富士見参!』となった今回。


神社には、実に多くのミステリーがあります。
伝承も、ちょっとその奥を垣間見れば、すぐにたくさんの矛盾があることに気づきます。

例えば…
なぜ、女神に戦勝祈願…さて?






過去の施術・1

2016-05-02 | 2016年


たとえば、どのような鎮静効果を持つ薬を処方されても症状が改善、どころか全く軽減することすらなかった肋骨が折れんばかりに続く咳が、瞬間でピタッと止まることもあります。

これも、たった一度、それも特定の個人だけならば、

“そんな偶然、あるかもしれないね

…で、済ませてしまえる話かもしれません。

しかし、それも数名単位になると、多少

“偶然…がそんなに続くかな

というくらいの気分には、なるでしょうか?




確か、2003~4年であったか(僕は、施術を逐一記録として残すことをしないので、時期は多少アヤしい…)。
当時、少年野球に励む小学6年生だった彼は、学校で多少イジメに遭ったりしていた時期でした。
生来の喘息に加え、皮膚にも湿疹が出るなど、身体症状もかなり深刻に出ており、ちょうど彼の弟がいわゆる受け口(下顎が上顎よりも出た形状の口)で施術に来ていたこともあり、縁あって僕に相談の依頼がありました。

まあ、そのイジメの問題自体は、彼自身の問題の捉え方やその一人一人への思いの在り方が変わったらば、ほどなく終焉を迎えました。
その終焉を迎えた後か迎えない時期だったかは思い出せないのですが、もっとも大変だったのは、実は喘息の症状でした。

母親が「〇〇が死んじゃう」とパニックを起こすほどの、強烈な発作が連日起きる。
いまであれば、その起きるメカニズムもその度合いも意味はわかりますし、対応もできます。
けれど、その当時はボクも一般的な医学知識と身体均整法や整体の知識と技術で対応するしかなく、毎回対症的にアプローチして、とりあえず楽になってもらう、ということしかできませんでした。

ただ、この時期すでに芽生えていた、ある発想はありました。
その発想が、確信に変わる出来事が、ほどなく起こりました。



当時、彼の母親から聞いた話では…

その日は日中、彼が激しい咳をしていたそうです。
折しも、その日は少年野球の練習日。
彼は野球は好きなものの、喘息のある子どもにありがちな面倒くさがり屋のところも強烈にある子でした。
時折、症状を出しては休むこともしばしば。

そのあたりの事情も知っていたボクは、彼の母親にはこのように伝えてありました。

「発作が出て『行かない』と言ったら、首に縄つけてもいいから練習に行かせてください」

…こう言っても、なかなかできる母親はいないのですが、その方は忠実に実行しました。
結果、どうなったか?

「もういい

と激しく憤慨して、練習に一人で向かったそうです。
その瞬間まで、激しく、まさしく肋骨が折れんばかりであった咳は、その瞬間にピタッと止まったまま・・・。
…帰りは、憤慨しながらも普通に帰ってきたそうです

「ホントに、ピタッと止まったんです

そう、驚きとともにご連絡頂いたことを、今でも覚えています。




これ以降も、思春期を迎え、何かあるごとに喘息発作は起きるものの、それ以前の激しさには遠く及ばない程度。
野球も、高校、大学とピッチャーでキャプテンを務めるなど、気まぐれながら、要所要所を押さえる持ち前の性格で、楽しいキャンパスライフを送れたようです。
その成長に合わせるかのように、喘息の発作は起きなくなっていきました。

その彼も、大学卒業後、某大手薬品の製造・卸の会社に就職。
連日深夜まで働くも、充実した日々を送っているようです。

(余談ですが…
喘息やアトピーを激しく発症することができるヒトは、それだけに体力があります。
経験のある方はわかると思いますが、咳をすると、けっこう体力使いますよね?
腹筋が痛くなるし…。

ボクは、発作時のその一連の身体的現象を、「運動」と捉えています。
彼には小学6年から大学卒業まで、一貫して発作が起きた時はその「運動」をが速やかにピークを迎えるよう、アプローチしていました。
その結果、人一倍根本的な体力が身についていることは、間違いないところです。)




…このことがあってから、ボクの「喘息」という現象への認識は、それまでとは変わりました。
というよりは、「病」という現象への認識そのものが変わった、といってもよいかもしれませんね。
おぼろげながら思っていたことが確信に変わった、といってもいい。




つい昨年も、上の彼と同様かそれ以上に激しい咳をして来室する男性(30代)も、その場でピタッと止まりました。
彼も、どのような薬も効果を発揮することはない方で、どのような治療も効果がない、とボクに自慢していたほどでした

もちろん、ボクにとってピタッと止まることは確信なので当然の現象。
…とはいえ、一般的には“偶然”といわれてしまうのでしょうけれど

その後、少なくともボクの前で、その男性が咳をすることはありません。
いや、「できなくなった」という方がより適切でしょうか



さて、最後に書いておかないとですが…

施術は、一般にいう「治療」ではありません。
また「病の治癒を目的とした治療行為」は、医師でもないので致しておりません。

どのような「病」も、結局は自分自身の力でのみ治るものです。
そのキッカケが、薬であろうと、暗示であろうと、何か特別なスピリチュアルエネルギーであろうと。

そのあなた自身の力をサポートする一つ、キッカケの一つが「施術」です。


どのような理解しがたい現象も、そこにはそれが起きるなりの理由があり、メカニズムがあります。
起きることのすべては必然的に起きるのですから、当たり前ですね。
その必然は、ほんの一瞬、たった一つの言葉で起きることもあるでしょうし、何十回もの回数と多くの技術を要するのかもしれません。

もちろん、何も起きないことだって、必然ですね。
これは、どのような奇跡的な治癒であれ、ヒーリングであれ、同じことですが。




では