『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

『清祓いワーク』報告

2010-12-30 | 2009-2010年
2010年も終焉間近の12月27日。
初めての試みとなる『清祓いワーク」を執り行った。


場所は、サロン・ド・クロノ
今回は、いわゆる「コラボ・ワークショップ」というよりは、クロノさんがご自身で
開催されている「クロノス@ワークショップ」というカテゴリーの特別バージョン。

サロンに入ってみると、そこは丁寧にしつらえられた、神事の空間



さて、、、

11月にリニューアルしてからこちらにおいでになった方々は、ドアを開けた
その瞬間のワタシのイデタチに、驚かれていた。

それまでのワタシのイデタチは、おおむね黒系の作務衣。
しかし、現在は真っ白の作務衣。

そして、なかに入って更に驚かれる。
セッションスペース全体が、あたかも「神社」のようになっていることに。



詳しいことは年が明けてからのブログに書くが、ひとことでいえば、ワタシは今年、
「神職」、つまり神主さんとなっている。
そして、サロンのクロノさんもそう。

今回の『清祓いワーク』というのは、ただの物真似やコスプレでは、ない。
それ相応の勉強をした二人による、厳然とした「神事(カミゴト)」。


古(いにしえ)から伝承される祭祀の作法。
それは、いうなれば「畏敬の想い」の形式化されたフォーマット。

『清祓いワーク』では、とてもそのすべてを体現することはできないが、
その「カタチにならない想い」をベースに、そして知らず積み重ねられた
罪(つみ)穢(けが)れ(気枯れ)というエネルギーを自然へと還すという、
そこに特化させていただいた。

このアプローチは、これまで自身が研鑽してきたエネルギーワークの成果を
随所に組み込み、オリジナリティ溢れる内容だったと、思う。


面白いことに、祓いを行った当事者であるワタシ。
実は、その数日前から首が廻りにくかったのですが、終わったあとにはその
痕跡がほとんど無くなっていました。

御参加いただいた皆様同様、ワタシまで祓われているとは・・・。
祓戸四柱さま、アマテラスオオミカミさま、オオクニヌシさま、
本当に感謝いたします。。







そして、


来年からが『TAMURATIC錬達舎』は本格始動となります。

こちらにもありますが、クロノさんとご一緒させていただいて

・『神社おそうじ隊』とその関連活動

というカタチで、「チーム神道」として動いていこうと思います。



また、

・『均整指南』

として、ワタシの整体技術のベースである「身体均整法」の基礎的講座を、開催いたします。
詳細は、年明けに。





ともあれ、
本年もご縁いただけました皆様。

本当にお世話になりました。


新年は4日から開始となります。
また引き続きご縁をいただけましたら、幸いです。


では、
良いお年をお迎えください。






2010.12.14 コラボ茶会『ストレス・ハーモニー』報告

2010-12-17 | 2009-2010年
2010年最終となるコラボ茶会。

「ストレス」というのは、一般にイメージされるものは、たとえば心理的なガマンなどの
ネガティブな事柄ではないだろうか。

でも、実際にはそれだけをいうのではない。
たとえば、晴天のなか歩いている時にいきなり雨が降ってきたり、さっきまで温かい陽気
だったのが、急に寒くなったりすることも、心身にとっては「ストレス」となる。

そういう曖昧になりがちなことをしっかり確認するところから、「ストレス・ハーモニー」は
始まる。。。



今回、二回目の「ストレス・ハーモニー」。
前回受講いただいた方のご要望により、半年ぶりに開催となった。


「心」を、丸いボールと仮定してみよう。
そのボールは、何もなければ丸く、ツルツルとしている。

しかし、何かの対象がそこに当たったとき、その程度に応じて凹む。
その凹みは、その「心」の弾力の如何によって、あるいはその対象の内容によって
力強く戻ることもあれば、凹んだままなかなか戻らないこともあるだろう。

「ストレス」には、必ずその対象となる「ストレッサー」がある。

人は、いわゆる「ストレス」状態にある時、往々にしてその「ストレッサー」を
特定し、「それが悪い」と決めつけに走ることがある。

「あんなところに石があるから、ぶつかった」
「あの人のいい加減なところが、とってもストレス」

などと、「自分自身」ではなく、そう思うに至った対象そのものを。


でも、よくよく考えると・・・

その石があっても、全然苦でない方も多いことだろう。
その人のいい加減さは、ある人にとって癒しなのかもしれない。

そうすると、その対象自体には、「あれが悪い」という定義は成立しなくなる。
では、本当に自分に「ストレス」を与えているものは、はたして…。



対象も、自分の思いも、実は関係ない。

『ストレス・ハーモニー』は、誰かや何かを悪いもの、とするメソッドではない。
文字通り「ストレス」そのものをハーモニー(調和)する方法。


サロン主宰・クロノさんのブログにもあるように、対立概念では、ない。
本当にいつもありがとうございます。



さて、そして、、、

今回受講のみなさま。
そして、いつも受講いただいておりますみなさま。

本当にありがとうございました。

来年、コラボ茶会はさらにパワーアップする予定です。

またお目にかかれますことを、願っております。










備忘録 最終回(グルメ編)

2010-12-13 | 2009-2010年
奈良に来てからずっと日中は歩き通しだったが、三輪山登拝で一応それも終わり。
この日は、いわゆる「観光」にあてた。


まず朝、地元で古くからある「アカダマ」という喫茶店に。
いわゆるカフェじゃなく、どちからといえば純喫茶調。






お昼は、「奈良の厳選した自然食材で作るタイ料理」という「RAHOTU」というお店に。

そこで食したのは、



奈良時代に伝わっていた古来の食材だけで作った薬膳ベジタブルカレー(ご飯も黒米)。
好みもあるとは思うが、私にはとっても美味しく思えた。
(奈良のうまいものに指定されているらしい)



飛鳥の蘇(そ)という、古代チーズ付き。
これも、美味しい。

お店の佇まいなど、今回でもっとも印象深く刻まれた。


その後、方々歩き回り、おやつ時に入ったのが「心樹庵」というお茶の店。
こちらで「極上大和茶」と干し柿をいただいた。




そして、夜は「酒処 蔵」という、これまた地元で古くからある居酒屋に。
おでんの大根など、写真は取り忘れたがひとつひとつが実に味わい深く美味しい。。
隣になった方は80歳くらいのご老人だったが、実にエネルギッシュだった。


しかし、ほとんどのお店で温かい対応だったな。。。




翌朝。
この日は奈良を後にする日。
朝早くに、春日大社を訪れ、お世話になりましたとご挨拶し、そのまま京都に。

京都駅地下の、「イノダコーヒー」でランチを済ませ、、、。

早速カフェ探し。
美味しいケーキを求め放浪。。

放浪の最中、有名な錦通りに遭遇。
すごい活気だった。

錦八幡宮



そして、非常に美味しいケーキにたどり着いたが、、お店の名前を失念。。。。



こんな感じ。
ちなみに、ケーキはモンブラン。。


もちろんグルメばかりではなく、祇園に近いことが歩いているうちに判明したので、
そのまま「八坂神社」へ。








さて、
これにて私の2010年奈良(ほんの少し京都)の旅は、終了。

ひとことでいえば「歩かされた」日々だった。
しかし、それが良かったのだろう。
内側から湧いてくる元気が、戻る頃には舞い戻ってきていた。


誰とも話さず、誰に気遣う必要もなく、ただただ歩くことにより、自然と
ウォーキング・ハイとでもいう状態になる。

その時に得られた感覚。

そして、三輪山にて得られた感覚。

おそらく当初の予定のごとく山ごもりしていたら、ああした感覚に出会うことはなかっただろう。


生きていることは生かされているということ。
理屈以前にあるこうした理法を、はからずも体感することもできた。


多くの大きな神社や、その親戚筋にあたる中小の神社を廻り、ご挨拶させていただいた。
すべて自分の脚で、手間を惜しまず。
来年以降の私の方向性に、この経験は少なからず反映されていくことだろう。


今回ご縁いただいたすべての人々、物事、空間、そして神様方。
そのすべてに深き感謝の想いを届けつつ、この「備忘録」を終えたいと思う。


ありがとうございました。








備忘録 その5

2010-12-09 | 2009-2010年
ここまでの三日間。
おそらく、実際的な距離はそうでもない(せいぜい40キロくらいかな?)とは
思うのだが、やはり普段長距離を歩くことがないためか、脚はすでに棒のように
なりながら、「山の辺の道」を歩いていた。

石上神宮を出発して、どのくらい経過したろう。

ほとんどの道が舗装されていて、厳しい山道などごく一部。
それでもやはり、身体は汗でぐっしょりになっていた。


あと少し…
あと少しで到着する…

道すがら要所要所にある目印に「大神神社」の文字を見つけ、棒になった脚に
エネルギーは補充されたようだ。




そう思い始めた矢先に、「大神神社」の摂社でもある『檜原神社』に到着。





こちらは、元伊勢伝承などで知られる神社。
これは奈良を後にしてから知ったのだが、この前日にお伺いさせていただいた『多神社』も
その意味で関係しているらしい。



何だか心がホッとする。
三輪山登拝できるかどうかという時間であるにも関わらず、少しゆっくりしてしまった。

私が参拝した際に宮司さんは奥に引っ込んでおられたので、大きな声でお呼びして
ここでは御朱印をゲット。。



ここからはノンストップで歩き、「大神神社」に到着。
時間も午後1時20分くらいだったので、まずは一安心。。
(登山できるのは午後2時まで)





ともあれ、拝殿にご参拝。
さすがに有名な神社だけあって、参拝に訪れる人も多い。

そして、そそくさと「狭井神社」へ。
こちらの神社の境内に、三輪山の登拝口がある。

霊泉と名高い薬井戸が、拝殿の左横にある。
このご神水は飲むことが許されているので、私が訪れた時も、たくさんの人が
我先にとお水を汲んでいた。

拝殿にご挨拶させていただき、いよいよ登山開始。




中では、飲食・写真撮影などは禁止。
三輪山は、山そのものが神なのである。

唯一許されている、狭井神社のご神水を社務所で購入し、登り始めた。。。


標高467.1メートル。

大きな危険のない程度に整備されてはいるが、急坂が続く。
また、雨が少し降っていたこともあり、ややぬかるみ、滑りやすくもなっていた。

だいたい270メートル辺りに、滝がある。
そこに滝行のための施設(といっても脱ぎ着できる程度)があった。

さらに登っていくと、大きな岩の集積されたような場所に。
そこが、中津磐座(なかついわくら)であった。
ここから、さらに100メートル登った先に、目指す地点がある。



やはり、標高400メートル程度とはいえ、そして神なる山であるとはいえ、「山」である。
「山」としての厳しさが、そこには厳然として存在していた。



ようやく、目指す場所

『奥津磐座』

に、到達。

そこには人影も、気配もない。
ただ、雨模様の空と、大きな岩が鎮座されているのみ。


「…ここか…」

と思い、今日ここに来れたことに感謝し手を合わせた刹那、

ポツポツ

と、雨が降ってきた。


何を伝えているのか…
その時、私の胸にある感覚が起こり、そして過ぎ去っていった。。





ほどなく、雨は止んだ。
降りていく間には、晴れ間すら雲間にのぞいていた。。。





備忘録 その4

2010-12-01 | 2009-2010年
前日の予報では、この日は穏やかな晴れ、ということだった。
確かに朝は、穏やかにお日様が差していた。

しかし、

「たぶん降るな…」

と思っていたら、、、やっぱり。。。




電車→タクシーにて、最初の目的地に直行。





『石上神宮』






何というか、静謐ななかにピンと張りつめた、でも柔らかい…
何というか、神話がそのままここに顕現されているのかというような…


この拝殿の後ろは禁足地(入ってはいけないところ)になっている。
しかし、明治七年に当時の宮司の方が政府の許可を得て発掘をしたらしい。
ご神体とされる神剣が、そこに埋めてあるとされて伝えられていたからだ。

そのいい伝えが本当であると実証しようとしたのだが、そのいい伝えの通り
地下一メートルのところに、曲玉など多数の玉類とともに、埋められていたという。。





その『石上神宮』の脇から伸びているのが、「山の辺の道」。




日本の歴史に登場する最古の道とされるこの道を歩いて、三輪山に向かう。

歩き始めてちょっとすると、空が暗くなってきた。
…と、ほどなく雨が、小降りながら降ってきた。
「たぶん降るな」と思いつつも、雨具は持たずに出た私。
寒いわ濡れるわで、途中、道すがらの屋根で雨宿り。。。

降ったり止んだりの雨。
しかし、気にしていては三輪山に登拝できないため、先を急ぐ。



この日は天候の影響なのか、はたまた普段もそうなのかはわからないが、歩いている人も
決して多くなく、道端には家々が立ち並ぶも、そこでも人を見ることは少なく。。

そうしたなか、多くの寺院の跡や無数とも思われる古墳群、古い神社が点在している。

たとえば、





こちらなども、ごく静かに、道の途中に鎮座されている。




大和平野を見渡しながら、曲がりくねった道々をひたすら、歩く。






やがて、次なる目的地に到着。





独特の三つ鳥居が、印象的なこちら。


ここから、今回の佳境へと、突入していく。。。





備忘録 その3

2010-11-23 | 2009-2010年
その日、奈良は朝から雨模様だった。



この日は、電車で少しいったところにある、駅名でいえば『笠縫』『田原本町』という
地区を歩き回る日。

まったく土地勘もなければ、ガイドブックなどにもほとんど情報のない処。
そういうなか雨はあまり嬉しくないな…と思いつつ、その半面にあるどこか
「今日は雨に降られない」という妙な確信のもと、雨具を携帯せず出発。


まずは『笠縫』。


降りたところ、周囲には目印やら地図やら、案内板みたいなものは何もなく…。
駅長さんは常駐されているようなので、そこで行き方を聞いて向かった。


歩く事だいたい30分。

この日の最初の目的地はここ。








地元では『多神社』として親しまれているというこちらの神社。

「大和屈指の大社」でもあり
「本殿が奈良の指定文化財」でもあり
「土地は弥生時代の集落遺跡」でもあるのだけれど…

誰も、いない。。

すぐ横に立派な社務所兼お屋敷があるのに…
門は閉まってる。。

敷地は広いので、きっとお祭りなどの際には賑やかになるのだろうな、と思いつつ
しっかりご縁いただいたことに感謝をしつつ参拝させていただいた。



そのまま引き返し、急いで駅の反対側にある次の目的地へ。
今度は、更に駅から離れた場所にあるようだった。




…歩くこと一時間。
途中で『天然たい焼き』の文字に惹かれるままにたい焼き食べたので、そのぶん
時間はかかったものの、どうにか到着

『須賀神社』



そして、「今日ここに来たのはこのためか』と思わずにはいられない
なんとも愛らしい狛犬たち




ご挨拶をすませ、そのまま一路駅に。。。
隣駅の『田原本町』に向かった。

電車に乗っですぐ、「ザーッ」という音。
雨が降り出した。。。

しかしその雨も、駅の改札を出た途端にピタッと止んだ。



次の目的地へ。
地元の方々に聞きながらいこうと歩き出したところ、あるとは思わなかった観光案内所が。
中に入って尋ねたところ、「あら~」と、とても嬉しそうに、親切に教えていただいた。。

でも、やっぱり「道知らないとなると、、1時間くらいかかるかな」とのこと。
「自転車借りていけば…」とのオススメもいただいたが、今回は歩くことに意義があるのでと
丁重にお断りさせていただき、早速向かった。

平地でなだらか。
国道らしい大きな道路を過ぎると、広々とした田園風景。
そのなかに、最近出来たらしい考古学ミュージアムなどが点在していた。
たまに車は通るけれど、歩いている人はほとんどいない。。。
やはり、あの案内所で聞けてよかった。。。


そうこうしながら、だいたい1時間弱。

到着したのが、『村屋神社』。











ご由緒にもあるように、この翌日に参拝させていただく『大神神社』とも関係が深い(「別宮」とされる)。

こちらは、一応「用事あれば社務所にご連絡」と張り紙が。
そうあるので遠慮なくお電話させていただき、御朱印をいただいた。

こちらの神社ほどのご由緒であっても、御朱印を申し込まれることは稀だそう。。。

神社の置かれている現状を、肌で感じた一日であった…。。。




さて、この日の晩ご飯




「巾着うどん」

珍しモノ好きな方には、良いかもと。。






備忘録 その2

2010-11-20 | 2009-2010年
懐かしいような
どこかずっとずっと昔から知っているような…

高速バスから街に降り立ち、ふっとそんなことが心をよぎった。



心身の休養と修養。
この一見相反するようでもあるふたつの目的。
その目的を意図して、私の心が選択した地、「奈良」。

その奈良の中心部にあるのが、「春日大社」。


「春日大社」

時の権力と強く結びついたこの神社は、やはり強い武神の気勢を放っておられた。
一帯に広がる神域・原始林とともに在るその佇まいは、そこに鎮座されておられる神々の
威風そのものともいえるだろう。



そして、午後には世界遺産でもある原始林へ。


千年以上に渡り、大切に守られてきた神域。
日の光もまばらに、鬱蒼とした木々たちが静寂をつくっていた。



歩を進めるごとに、街の音はどんどん消えていく。
都市圏にいてはなかなか望めない、静寂。
街から少し奥に入れば、ここにはある。
奥まった処には、鶯の滝が。






森林ならではの生気とともに、奈良の表裏の両面を知り尽くしているであろう
歴史の重みを、深々と感じつつ若草山頂上へ




久しぶりに長時間歩き通しだったこともあり、少し疲労感を感じつつ宿へ。。。





さて、今日のグルメ

原始林探索の前に、一旦繁華街へと向かった。

「ならまち」


長い歴史を感じさせるこの界隈。
いまは、ガイドブックを持った方々を多く目にする人気スポット、らしい。
町家カフェなど、評判のお店はことごとく入れず、あちらこちら歩き回り、
ようやく入れた『お好み焼き パルコ』
「牛すじねぎ洋食焼きランチ」というのをいただいた。
やはり、関西のお好み焼きは美味しい。。






思っていたよりも、延々歩きづめだった初日。
さっと原始林を見て戻る予定であったのが、降りていくまでに5時間かかった。
まあ、あちこち回り道したからでもあるが、、、。



さて、翌日は、ガイドブックなどにはほとんど収録されない神社へ向かった。

何でなんだろう。。。







備忘録 その1

2010-11-16 | 2009-2010年
夜遅く、東京を発った。

深夜。
乗り馴れない高速バスという乗り物に揺られつつ、今自分はどのあたりを
走っているのだろうと、ふと眼を覚ました時に、思う。

やはり乗り馴れないからだろうか。
息苦しさに、何度も眼を覚ます。

それほどにすべての窓は完璧にカーテンによって閉ざされ、
それほどにギュッとした密閉感に溢れていた。

しかし、その感覚も朧げ。
やはり皆、これから向かうその行き先への想いに満ちあふれているのだろう。
どこか高揚した、嬉しげな気も、溢れていた。



朝6時半に、到着。
ほぼ時間通りであった。


早速、その夜泊まるホテルに荷物を預け、最初の目的地へと足を運んだ…。







バスの到着した先は、奈良県。
ここが、今回の私の魂の彷徨の行き着いた地。

当初、関東のある地域の山に籠る予定でいた。
しかし、よくよく調べると、その目的の山がどうやらその時期にはすでに
山を閉じてしまっているということが判明。

そこで、視野を日本・海外問わず…というスタンスまで広げ、私は今回
どこに行くことが必要なのか…という感じで、気で調べていった。

そうすると、まずは「日本」で良いとなった。
では、「日本」のどの地域かと調べると…「関西」と出る。

では、「関西」のどこ…と調べると、「奈良」の一点にのみ、反応。


ということで、「奈良」に行くことは決定した。

さて、では、「奈良」のどこに…と調べる。
私個人としては、どうせ行くなら吉野とか奥に行きたいな…と思っていたのだが…
全然かすりもしなかった。。。。。


まずは、「奈良市」
そして、「天理市」
そして、「磯城郡」

この三カ所のみ、であった。

「…なんでなんだろう。」
「他の二つはともかく、だいたい磯城郡って、どこ?」

というのが、その時の私の率直な感想。


もともと私は、あまりこのような方法で自分の行く先を決めることはなかった。
このような方法とは、わかりやすくいえば「感覚」と「直観」で決めるということ。
ムダを嫌い、余計な時間を使うようなことを嫌い、手間を少なく利を多く…と
考えるタイプで、あった。



しかし、今回はそういう「私」は横に置き、
そうでない「私」を起こしてみた。


さて、その顛末が、この備忘録。

不定期にしばらく、ここに綴っていくつもり。
いろいろな情報(たとえばグルメ)も、独断と偏見で掲載予定。




まずは、最初の目的地。



(クリックすると拡大します)

すぐわかる方にはすぐわかるこの鳥居の先にある神社から、スタート。










今日から活動再開させていただきます

2010-11-15 | 2009-2010年
『TAMURATIC練達舎』の活動スペースのメンテナンスとリニューアルと、
私自身のメンテナンスとパワーチャージを無事満了することができ、

本日より、活動再開させていただくことができました。

これも、快く休業にご協力いただいたすべての皆様のおかげです。
ありがとうございます。



休業期間中の魂の彷徨などは、このブログにてこれから数回に分けて
ご報告させていただきますので、何卒宜しくお願いいたします。




お知らせ

2010-11-02 | 2009-2010年
改めてお知らせです。

『TAMURATIC錬達舎』は、

11月3日~14日の間、休業させていただきます。

以前にもお知らせいたしましたように、このスペースのメンテナンスとリニューアル、そして
私自身のメンテナンスとパワーチャージをさせていただく期間となります。


私はこの十五年、お盆やゴールデンウィークに休んだことはなく、数日間連続の休業といえば
お正月のみ。
そのお正月も、本当に「休み」となったことはありません。

今回この長期間の休業をとるというのは、私にとってはある意味「冒険」。
どういう流れとなるか、楽しみでもあります。



ともあれ、皆様のご協力あってこうして無事休業期間を過ごさせていただくことになりました。
謹んで御礼申し上げさせていただきます。

本当にいつも、ありがとうございます。



再開後の再会、心より楽しみにしております。