『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

腎臓と心臓と熱中症と脳梗塞と…

2010-08-31 | 2009-2010年
先日、めったに観ない某ニュース番組の中で、この猛暑の影響により、
脳梗塞を発症する患者が多いということを特集していた。

気温が高いことにより汗をかく。
それにより血中に含まれる水分が減少し、血液の粘り気が増す。
そのことにより血管がつまりやすくなる…という解説だった。

また、その数日前には重度の熱中症になると体温調節機能が壊れ、
この暑さのなか何枚も重ね着をしたり、逆に暑さをほどく感じたり
するという特集もしていた。
実際にこのようなケースの高齢者の取材もしていた。




実は、夏場の「脳梗塞」と「熱中症」は、初発段階ではなかなか見分けがつかない。
「この暑さのせいかクラクラする…」と思い、「熱中症」になりかかっているなと
思っていたら、その数日後に倒れてしまうことだって、ないとはいえない。



「脳梗塞」とは、「脳出血」「くも膜下出血」などと並ぶ『脳血管障害』の一種。
ほかの2つは「出血」だが、「脳梗塞」は「血管がつまる」ことにより起きる。
これらは、高齢者がなるもの、冬場になるものというイメージがあるが、実際は
そうでもなく、たとえばこの夏のような暑い盛りにビールを大量に飲むと、その
ビールによる利尿作用により、寝ているときに脱水状態となる…。
そして、翌朝…というケースもあり得るのだ。

「突然目の前が暗くなる」「手足がしびれた感じがする」「急に言葉が出てこなくなる」
「ろれつが廻らない」などは、医学的にも脳血管系の代表的な前駆症状とされる。
十分、注意が必要だろう。




さて、

「脳血管系」の異常が増えているな…と、日々身体を調整していくなかで感じたのは
だいたいお盆の前あたりだったろうか。
そのあたりから、

「頭がボッとする」
「なんだか疲れが抜けない」
「身体に力が入らない」

など、口にする方は増えていた。。。


人は、意識的に自覚するしないに関わらず、季節や気温の影響を受ける。
実際に、8月の頭には秋の気配が浸透してきていたので、もう誰しも身体的には「秋」。
しかし、周囲環境的には相変わらずの暑さが続いている現状。


クーラー、冷たいもの…こうした影響は、いつもの夏よりも切実に、身体に反映される。

通常、夏には「消化器」、つまり胃や肝臓、腸などを主たる調整ポイントを考える。
しかし、この夏は、何だかそちらに気がいかない。

胃や腸の疲れはもちろんある。
しかし、それよりもまず手をつけておかなければいけない器官が、目につくからだ。



それが「心臓」を中心とした循環器系。
そして、血液浄化器官としての「腎臓」。

汗をかくことで、血中の水分が失われることは先に書いた。
それにより、必然的に循環器系すべてに無理がいく。

また、出た汗すべてが乾いたタオルで拭ける環境にある方など、ほとんどいないだろう。
たとえば、汗をかいた状態のまま、スーパーなどに買い物に行くことも多いと思う。
そうすると、出た汗は衣服だけでなく、身体表面から再吸収されることになる。

再吸収される「汗」…実はこれがかなりのクセモノ。



この現象を、ひとくちに「汗の内攻」という。

この「汗の内攻」という現象は、いわゆる「クーラー病」の元ともいえる。
汗というのは、本来身体の種々の老廃物を出すもの。
それが再吸収されるのだから…身体的にはたまらない。

むくみ、だるさ、筋肉の妙な痛み…などから、咳や喉の痛み、下痢など、多種多彩な
体調の変動を起こすことで、どうにか秩序を保とうとする。。。
夏場の止まらない咳なども、意外とこのような影響から、という面もある。

いづれにしても「排泄したい」という身体からの欲求…。
そういう見方もあるということを、知っておかれると良い。



こうしたことを視野に入れつつ、また脳に上がって降りにくくなっている血液が
降りていくような身体環境を形成しつつ、調整をしていた。





ともあれ。

まずはこまめな水分摂取と、「汗」の内攻に注意。
そして、温かい飲み物もたまには摂取して、足湯や脚湯をしておく。
それだけ注意しておくだけでも、体調は良い方に変わる。







2010.8.26 Tコラボ茶会 『スパイン・リーディング2』報告

2010-08-30 | 2009-2010年



この回から、多少「本格的」な内容となっている。

とはいえ、ひとつひとつ正確に、いわゆる変位(歪み)を間違えずにつかむ、
ということではない。
あくまでも、「慣れる」という段階から、「読む」という段階への移行をさす。

少ない時間ながら、参加者の方々それぞれに独特の感性があり、またアカデミックに
学ぶ場合にありがちな制約のほとんどを廃しているからか、それぞれの方の個性に応じた
ユニークな「読み」が行われていたと、思う。

難しい専門用語や、「これはこう」という決まりごと。
そうした枠組みをできるかぎりなくすことで出てくる個性。



ひとつひとつの「背骨」と「内臓」の関わり。
そして「感情」との関わり。

それが単に「背骨」を触れるだけで、相応につかめるということ。


実感いただけたことと、思う。




通常の「ワークショップ」では、この「ステップ2」まで。
これ以降は、「アドバンス」で行うことになる。


こちらで、ご紹介いただいている。
いつもいつも、本当にありがたい。。。。





「感情」はフワフワ浮いている

2010-08-23 | 2009-2010年
最近、おそらくはこの5~6年で「感情」をターゲットとしたアプローチが、
あちこちで散見されるようになった。



「感情」というと、それは目に見えないものであるところから、それまでは
どちらかといえば心理的アプローチの類に入っていたと記憶している。

しかし、ここ数年で巷に伝播しているアプローチは、「身体」を介した手法が多い。

それは、キネシオロジー(カイロプラクティックを源流とする、Oリングテストを始めと
した筋力テスト、筋肉反射的診断手法を特徴としている)、またそこにルーツを置いた
TFT、EFTなどの「タッピング」系手法の流入などをみても明らかである。
(「タッピング」というのは、指先でツボをトントンと叩く動作のこと)

このような欧米系の手法の特徴は、分析的であり、直接的であるということ。

実際の臨床から出た結果のデータを集積して症例をパターン化していき、その症例に
応じた解決法というのが、システムとして決定している。

これは、いわゆる「西洋医学」の手法と原則的には同じ。
つまり、「この症状にはこのクスリ」という、ダイレクトに「症状」に直結した
アプローチがこれらの手法の強み、といえるだろう。

言い換えれば、

厳然として個人の心に存在する何か(たとえば何かのトラウマ)というものがあり、
その何かに“ピッタリ”と当てはまった処方の場合であれば、これらの手法は強い。
つまり、「あるカタチをとって出来上がったもの」であれば、それを壊し、消滅
させる力がある、ということだろう。

しかし、そうでない場合は…いかがだろう、か。



実は、身体均整法にも「身体」と「感情」を関係づけた表記というのは、多い。
たとえば、胸椎の○番が凹んでいれば心理的には落ち込んでいる、、、というように。

それもそのはずで、身体均整法と同時期に隆盛を誇った野口整体の創始者・野口晴哉氏
は、もともとは精神療法で有名だった方。
身体均整法創始者・亀井進先生は、「精神身体医学」なども研究されていたようで、そのほか
その当時のメジャーな手法は貪欲に取り込んでおり、野口先生とも交流があった。

…となれば、ないわけが、ない。


そういう視点から観れば、「身体」と「感情」の結びつきは、ごく当たり前のこと。
というよりは、「心」は「身体」がなければ活躍する舞台はないのだから、「身体」に
その諸相が反映されるのは当然のこと。


しかし、本来「身体」は、ある固定した「感情」以前にある漠然とした欲求が姿を現す場

たとえば「怒り」という「感情」も、身体の内側の化学反応によって瞬間的にエネルギー(気)が
凝り固まって出来上がるもの。

「ここで怒ってはいけない」という意思によって、内側に起動したエネルギー(気)を抑えこめば、
その抑えこんだエネルギー(気)は、どこかに出口を探す。
それがたとえば、どこかの「痛み」「コリ」の原動力となっている場合も、、ないとは、いえないだろう。



あるひとつの「感情」が生成されるには、実に膨大なるエネルギー(気)が使われる。
これは言い換えれば、あるひとつの「感情」はすべて、自分自身が生成している、ということ。

自分が固めなければ、「感情」はそもそもフワフワ浮いているもの。

だったら、あれこれ理由づけして固めて「身体」に刻印してしまうよりは、固まる以前に対処
してしまえば、、、いい。
仮に固まってしまっても全然良いが、固まる以前の方がはるかに楽。



それは、誰でも、自分でできること。
だって、誰でもみな「身体」があるのだから。。。


そのうち、またこの「ワークショップ」、やろう。。。





八咫烏

2010-08-16 | 2009-2010年



八咫烏(「やたからす」、あるいは「やたのからす」)


『古事記』では高木神が、『日本書紀』ではアマテラスが神武天皇の引率者として
天より遣わしたとされる烏。
『古語拾遺』には、賀茂県主の遠祖八咫烏は、神武天皇の行幸を導いたとある。
『新撰姓氏録』には山城国神別、天神、鴨県主の条に、神武天皇を導くために
鴨県主(同じく賀茂県主)の祖である神魂命の孫、鴨健津之身命が大烏となって
引率し、この功により八咫烏の名が起こったとある。
『続日本紀』三には、慶雲二年(七〇五)九月に八咫烏社を大倭国宇陀郡に鎮座した
とあり、『延喜式』神明帳、宇陀郡の条の八咫烏神社がこれにあたる(「神道事典」)



先ほど、熊野の行ってきたというMさんからお土産を頂いた。

それが写真の『からす煎餅』。

色々と突っ込みドコロあり(包装とか)
イラストの烏、伝承にあるように、足が三本あります。

最近では、日本サッカー協会のシンボルマークにもなっているので、
知っている人は知っているかもしれません、ね。



そのほか蘊蓄知りたい方は、こちら


Mさん、いつもありがとうございます。
ブログにアップできたので…あとで美味しくいただきます



シーソー現象

2010-08-14 | 2009-2010年
随分前、確か8月の頭には、「秋」を感じた。
こんなに気温が高いのに変だ…と思うかもしれないが、人間が感覚するしないに
関わらず、季節は動いているし、感覚するしないに関わらず、体調も瞬間ごとに
変化している。
「いきなり具合が悪くなった…」というけれど、実際には厳然とした身体のしくみ
があり、そのしくみに沿った流れで現象(症状)となっていくことが、ほとんど。
「感覚」とは、そういう意味ではいい加減だな…

…外のセミの声に、何気なく耳を傾けながら、こんなことを考えた。。





『シーソー現象』

「シーソー」というと、子ども時代を懐かしく思い出す方もいるかもしれない。
しかし、ここでは語尾に「現象」という言葉がついている。
さて…??

まず、「シーソー」を思い浮かべてみて欲しい。

長い板の中心に支点があり、その両端にそれぞれ座れるようになっている。
そこに人が座り、上下運動を楽しむ遊具…それが「シーソー」である。
近年ではめっきり目にする機会も少なくなってしまったが、かつてはよく
遊んだという記憶がある方も多いのではないだろうか?


両端が交互に上下運動をする。
その様をたとえに使った言葉が、ここでいう『シーソー現象』である。




仰向けあるいはうつ伏せになって、両脚を真っ直ぐ伸ばしたまま片方づつ
上方にゆっくりと挙げてみる。

あまり明確に左右の差が出ない方もいるが、多くの場合、左右どちらかの脚が
挙げにくかったり、重く感じたりするもの。
それは何らかの不調時であれば顕著で、どちらかの脚が重く、硬い。



たとえば、右脚が重ければそちら側を患側、重くもない左脚を健側とする。
そうすると身体機能(働き)的には右脚は落ちていて、それと比して左脚は
健常であることを意味する。

このように、下降している部位があればそれと交互的に上昇している部位がある。
そのような関係性を指して「シーソーになっている」といい、このような身体原理を
『シーソー現象』と、身体均整法では表現している。

このような原理を応用して、たとえば右脚が不調であり、左脚がそれとシーソーに
なっているのであれば、左脚を調整することで右脚の復調を図る、こともできる。




ここでは、わかりやすく左右の脚を例にしたが、必ずしも「シーソー」の関係に
なっているとは限らない。
けれど、仮にそうであったとすれば、左右の状態の懸隔が大きいほど、鮮やかな
変化が訪れることになる。



人間の「身体」は、実に巧妙精緻なしくみを、そもそも備えている。。。
いつも、そう思う。



15年目のカタルシス

2010-08-05 | 2009-2010年
1996年9月。
東京郊外のとある場所に、仕事場と住まいを兼用するマンションを借りた。


もとより東京で育ったワケでもなく、近隣に知り合いがいるワケでもない。

近くに大きな公園があり、当時まだ他の仕事と兼業であったため、都心に出やすい
環境の良い場所であるということ…それだけの理由で決めた場所だった。
始めた当初、人的なネットワークなどほとんどなく、現在のようにインターネットが
普及しているワケでもない頃。
まっさらから始めるのだから、場所などどこでも関係なかったのだ。

ごくわずかな紹介頂く機会を、ただただ逃さぬ…というだけだった。

そこで2年を過ごした。
兼業し、生活費の半分を別の仕事によって捻出しつつ、身体のゆがみを整えること
を実践できる、それ自体に喜びを見出していた日々だった。。。




1999年2月。
横浜市青葉区に移転。
この地に住む方々に縁ができ、移転した方が活動の場が広がるという見込みが
あったからだった。

…移転後、紹介頂く機会も増えた。
ほどなく『手技施術者』としての活動がメインになり、兼業ではなく専業となることが
できた。

そこにいたる道程は決して平坦ではないのだが、それはひとつの世界で10年以上活躍
できている人物であるならば、おそらくは皆、それぞれに経験することだろう。



さて、

「10年以上」

と先ほど書いたけれども、これは昔ながらの職人的世界観の中では、一人前と
それなりに認められるのに、ひとつのボーダーラインとなる年数といえるだろう。

「職人」という言葉に先入観あるならば、『スペシャリスト』としても良い。



たとえば日本料理の世界では、板場修行としておおむね

坊主(追い回し)、八寸場(盛りつけ、野菜)、脇板(魚の助手)、脇鍋(煮方の助手)、
焼場(焼もの)、向板(刺身を引く)、煮方(煮もの)、立板(料理長代理)、花板(料理長)

と進んでいくといわれる。

これほどキチンと段階を踏む店も今は少ないのかもしれないが、これを一通り経験する
だけで、10年はかかることになる。

そして、一通り経験したあと、そこからが本当の意味での出発となる…。




いまだからいえることだが、私は最初の10年はともかく「修行」のつもりで、
どのような状況、どのような状態の方であっても積極的に引き受けてきた。

それは、私の環境が、上に書いたような理想的な育成システムなど存在しておらず、
ともかくそうすることでしか「腕を磨く」ことができなかったからだ。

勉強する環境は、縁あって恵まれた。
しかしここでいう「腕を磨く」とは、実際の現場に身を置き、自らを看板として活動すること。

そうすることでしか、「腕を磨く」ことはできない…
遮二無二だった当時は、そう考えていた。





来月半ばには、活動を開始してから15年目を迎える。
粗忽で無愛想、人当たりも決して良くはないこの私がどうにかここまでやってこれた。

それはやはり、出会わせて頂いたすべての方のおかげ…
…と、こう思えるようになったのも、実は最近のこと。。。



10年目あたりまでは、口ではカッコの良いことを言いつつも、どこか

「オレがやってるんだ」

という意識が強かったと思う。
その頃を思えば、開かないドアを力づくで開いていくような、そういう道の歩き方を
していた。
逆風に、自ら望んで向かっていくような… 。。。




そこから先。
本当の意味での「出発」をできたと思えるようになってから、ようやく「感謝」と
いう言葉を、思い出したのかもしれない。






これまで出会わせて頂いたすべての方々に…
深く深く感謝を…。