『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

神田神社(神田明神)(『神社おそうじ隊 東京十社見参!』)

2015-10-13 | 神社おそうじ隊 2015

『神田神社(神田明神)』

「正式名称・神田神社。 東京の中心ー神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、築地魚市場ー、108町会の総氏神様です。「明神さま」の名で親しまれております。』(「神田明神」ウェブサイトより)

東京の方にとっては、いわずと知れた江戸総鎮守。
「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様。」、江戸三大祭りのひとつ、神田祭りは神田神社のお祭り。
(ちなみに、「深川」は富岡八幡宮、「山王様」は日枝神社)

ご祭神 一之宮 大己貴命  二之宮 少彦名命  三之宮 平将門命


 

水神社 小伝馬町八雲神社


 
大伝馬町八雲神社 江戸神社

 
浦安稲荷  三宿・金刀比羅神社

 
末廣稲荷神社 合祀殿


ここまでで、この日の「神社おそうじ隊」は終了。
ひとつひとつの神社にもゆったりとしたペースで、いまの「東京」を感じながらの巡拝路でした


「東京十社」ということで、ちょっとインターネットで調べてみると、実にさまざまな情報があります。
ほんの2~3年前にはなかったような巡拝の仕方や、最後にはここに行くとよい、といった情報まであることを参加者の方から教えていただき、「へ~」と思ったものです

「東京十社」自体、明治時代のそもそも企画モノであり、そうすることで得られるメリットというのは、時の為政者側にはあったことでしょう。
そこで、庶民には庶民なりの信仰の仕方というのが当然生まれ、そしてさまざまな説が流布していきます。

そもそも「神社おそうじ隊 見参!』というのは、そういう誰かの思惑やそれに伴う迷信の類、既成の概念から自由になろうよ、みたいなところから生まれたもの。
その類の情報は、そこから自分たちのアタマとカンを磨く材料として、尊重しつつ拝見もさせていただきます。
けれど、拘泥することもなければそのまま受け取ることもなく、ひとつの“情報”として、ですね
そしてこれは、単に「神社」という枠組みに限らず、他のさまざまな面でも同じです。



神田神社近くのカフェで、終了後に歓談、
参加者それぞれの「いま」も、そこで垣間見えます。

最後に、


御茶ノ水駅前『一口(いもあらい)太田姫神社』に参拝して解散。


ご参加いただいた皆様、お疲れ様でした。
ノンビリとした「おそうじ隊」も、たまにはいいかな、と思っていただければ何よりかと

次回「その2」は、年末敢行予定です
みなさまの奮ってのご参加、お待ちしております。






亀戸天神社(『神社おそうじ隊 東京十社見参!』)

2015-10-10 | 神社おそうじ隊 2015

『亀戸天神社』

《…古くはご本社にあたります九州太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」と称されておりましたが、明治6年に東京府社となってより亀戸神社と号し、昭和11年に現在の亀戸天神社と正称いたしました。》(「亀戸天神社」ウェブサイトより抜粋)

ご祭神 天満大神(菅原道真公)
相殿  天善日命(菅原家の祖神)

鳥居をくぐる心字池。
そこには、太宰府天満宮を倣ってかけられた3つの橋。
最初の太鼓橋(男橋)を生きてきた過去、次の平橋を現在、次の太鼓橋を希望の未来とした「三世一念の理」として、池と橋を人の一生に見立てている。
その先に、


御本殿は鎮座。
橋の中ほどには、

弁天社。

幸運を招く

鷽の碑


五歳菅公像


神牛


本殿東側に鎮座される御嶽神社のその裏に

  
龜井戸跡やおいぬさま
願掛け時に塩を供えるらしく、頭部には塩がてんこ盛り…。

こちらは、現在…



スカイツリーのビュースポットとしても知られるらしい(初めて知ったけど)。




道中、

 
元祖くず餅「船橋屋」で、絶品かき氷
ちょうど暑い日でもあり、大いに堪能しました








富岡八幡宮(『神社おそうじ隊 東京十社見参!』)

2015-10-08 | 神社おそうじ隊 2015

『富岡八幡宮』

「富岡八幡宮は寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により創建されました。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて六万五百八坪の社有地を得たのです。世に「深川の八幡様」と親しまれ、今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」です。…」(「富岡八幡宮」ウェブサイトより抜粋)

御祭神 応神天皇(誉田別命) 外8柱。

江戸の三大祭りとされる「深川八幡祭り」は、3年に1度本祭が開催されます。

境内は、


「大鳥神社・鹿島神社」「恵比寿社・大黒社」「金刀比羅社・富士浅間社」


歴代の横綱力士、そして強豪として歴史に残る大関・雷電爲右エ門を顕彰している「横綱力士碑」


八幡宮以前よりの地主神「七渡神社・粟島神社」


近隣の稲荷社五社を合祀した「永昌五社稲荷」


松尾芭蕉を祀る「花本社」

など、多様な境内社および石碑があります。

深川というのは、江戸有数のグルメタウンらしく、ここでランチに。
途中、

 
「住吉神社」ならびに境内社「車折神社・芸能神社」に参拝。

ひっそりと佇むように鎮座。
しかし、佃島の住吉神社の分社であり、地元では「八幡さま」に対する「住吉さま」として、篤く祀られているそうです。

そして、


「男鹿半島 本店」にて、海鮮丼
コスパ面でも、大納得のデラックス丼でした





芝大神宮(『神社おそうじ隊 東京十社見参!』)

2015-10-06 | 神社おそうじ隊 2015

『芝大神宮』

「当社は伊勢神宮の御祭神天照大御神(内宮)・豊受大神(外宮)の二柱を主祭神としてお祀りし、平安時代・一条天皇の御代に創建された約一千年の歴史あるお社です。関東のお伊勢(芝明神)さまとして崇敬されてきました。」(芝大神宮・御由緒書きより)

当初は飯倉山(現在の芝公園)の「飯倉御厨」という伊勢神宮の荘園に鎮座していたとされ、もともとは、単に「神明」あるいは「神明宮」と称していた。
明治維新で政府の意向により、現社名である「芝大神宮」を称すようになったという。



芝大神宮は、「芝神明のだらだら祭り」という、「日本一長い祭り」(by由緒書き)で知られています。
あと、名物・あま酒←いつもあるワケではないらしい…

また、


「生姜塚」もあります。
「古くは“生姜市”といわれ、祭礼の間、境内や神社周辺で盛んに生姜が売られていた」(由緒書きより)


そして、


守り猫として幸福を運ぶ、とネット界隈では評判のよう…おとなしく、人慣れしていて、とても眠そうなネコです



東京港区芝大門…境内からの風景。
オフィス街のど真ん中に鎮座されています。





品川神社・荏原神社(神社おそうじ隊 東京十社見参!)

2015-09-30 | 神社おそうじ隊 2015

『品川神社』

文治三年(1187年)、海上交通安全と祈願成就の守護神として、源頼朝により安房国・洲崎神社から天比理乃命(あめのひりのめのみこと)を勧請して祀ったのに始まると伝えられる。



都内最大(?)といわれる富士塚、通称「品川富士」にも登山。
入り口には猿田彦神社。


富士といえば、「浅間神社」も境内に。


御本殿。


品川神社といえば、「阿那稲荷」
上下社あり、下社は上社の真下に位置する。


この「品川神社」から徒歩で7、8分。
京急線「新馬場」駅のガードを抜けたあたりから参道になっており、目黒川に向かって歩くとほどなく着きます。




『荏原神社』
「…往古より貴船社・天王社・貴布禰大明神・品川大明神と称していましたが、明治8年、荏原神社と改称。旧荏原郡(品川、大田、目黒、世田谷)の中で最も由緒のある神社であったことから、荏原郡の名を冠した社号になりました・・・」
明治天皇により定められた「准勅祭社」のひとつ。

ちなみに、「勅祭社」とは、祭祀執行の際に、勅使が参向する神社のことで、正式には「勅使参向の神社」となります(参考・神道事典)。
「勅使」とは、天皇の意思を直接伝えるために派遣される使いのこと。
「准勅祭社」とは、社格でいえば「勅祭社」に準ずるものということになります。

品川神社を北の天王社、こちらを南の天王社と呼ぶ向きもある。






創建祭である貴布禰祭、六月は都内唯一の御神面神輿海中渡御が行われる天王祭、十一月は、大鳥祭。
龍神、スサノオ、酉の市。
なかなかの、揃い踏み。





『神社おそうじ隊 東京十社見参!』

2015-09-28 | 神社おそうじ隊 2015



『神社おそうじ隊 東京十社見参!』
十社のうちの五社を、快晴and満月スーパームーンのこの日、無事終了いたしました

品川神社→荏原神社→芝大神宮→富岡八幡宮→亀戸天神→神田神社

アチコチ寄り道(寄り神社)しながら、「まつり(祭り・祀り)」についての話など、たまにしか出ない神職らしきお話などさせていただきつつ、美味しいモノを食べ、飲み、笑う

「平日の昼間から…ダイジョウブなの?」と店主さんに心配されながら、食べたお昼は、お値打ち感満載の海鮮丼
そして、女性軍の全員が納得の、絶品かき氷
神社だけでなく、この面でも今回は“東京”の底力を満喫した感じです

ある神社では、


このニャンコに出会えるのはラッキーだというニャンコにしっかりご挨拶し

ある神社では


亀がゆる~く甲羅干し


各神社の詳細は、近日ご報告

ご参加いただいた皆様はじめ、実体の参加はなくともエアでご参加いただいた皆様、またその背景に関わるすべての縁起に感謝です
いつもありがとうございます


たにし飴、活躍してました
ありがとうございます





長門一宮・住吉神社~齋八幡宮 (2015.5 『神社おそうじ隊 見参!』)

2015-09-24 | 神社おそうじ隊 2015

『長門一宮・住吉神社』
旧社格は官幣中社。

大阪の住吉大社、博多の住吉神社、そしてここ長門國一宮・住吉神社で“日本三大住吉”とされる。
大阪の住吉大社は、住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)の和魂を祀り、長門では荒魂を祀る。

住吉三神とは、伊邪那岐命が海に入り禊をした際に生れた筒之男三神のこと。
古くから清祓の神、また、航海や海上安全の神として崇敬されています。

   



 

本殿は、5つの千鳥破風付き一間社を合の間とともに一列に連ねた九間社流造。
国宝。


  
見事な大楠。

今回、印象的な神域ののひとつ。
霊威というか、静かで力強いけれど、妙に落ち着きがある…。




『齋八幡宮』
御祭神 神功皇后 仲哀天皇 應神天皇

 
鎮座地は、下関中心部より響灘沿いの国道191号線の海岸線。
矢玉川河口、矢玉漁港を見下ろす高台に位置する。

近隣の住民の方々に教えてもらい、ようやく到着。。。
長く近くに住んでいる方ですら、この神社の名称は知らず(存在は知っていたけれど)。。




このあと、宿に。

 





2015.5 『神社おそうじ隊 宗像・長門(山口)見参!』赤間神宮・亀山八幡宮

2015-09-23 | 神社おそうじ隊 2015


『赤間神宮』

源平合戦最後の地・壇ノ浦での合戦の際、幼くして(8歳)入水した安徳天皇を祀る。


水天門は、龍宮造といわれています。

   

壇之浦の合戦で滅んだ平家の大将・平知盛をはじめ平家一門の武将を祀っている「七盛塚」や、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の怪談で有名な「耳なし芳一」の「芳一堂」なども。


『大連神社』
赤間神宮の境内東側、紅石山麓に鎮座。

壇ノ浦の漁師たちは釣、亡くなった平家一門に威儀を正して正座で釣りをする、という伝説がある。
昭和20年まで、中国・大連市にあり、戦後に当時の赤間神宮宮司により引き揚げられ祀られた神社だということ。
ご神体を背負ってこられたという。


同じ境内に、『紅石稲荷神社』も。




『亀山八幡宮』
市内50カ町の氏神様として崇敬される「関の氏神』。赤間神宮からほど近い。
下関市の中心地に祀られ、御祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・仁徳天皇。
「亀山」の名称は、当時島の形が亀に似ていたとも、宇佐の八幡様がお祀りされている山が亀山だからともいわれている。

  
境内社 宮地獄神社(息長足比売命(神功皇后)・勝村大神・勝頼大神)、熊鷹稲荷神社(倉稲魂命)

そして、「亀山」ならば当然ながら・・・

 

そして、


ふくの像もあります。
下関では「ふぐ」を「ふく」と呼び、幸福を呼び込むとして親しまれているそうです。
昭和21年、時の総理大臣伊藤博文公が下関でふく刺しを賞味し、その美味なるをもって全国で食用禁止が解禁された(らしい)。




壇ノ浦。










 

2015.9.28 『神社おそうじ隊 東京十社見参!』のお誘い

2015-09-22 | 神社おそうじ隊 2015




なぜ、いま東京十社…

現在の「東京十社」は、

「1975年(昭和50年)、昭和天皇即位50年を奉祝して関係神社が協議を行い、准勅祭社から遠隔の府中町六所宮と埼玉県鷲宮町の鷲宮神社を外し、23区内の10社を巡る「東京十社巡り」が企画され、七福神巡りなどとともに観光的な要素を濃くして現在に至っている。」(Wikipediaより引用)

まあ、早い話が企画モノ、ですね
でも…
ボクは、たとえば国会前に膨大な人間のエネルギーが集結する、いまこの時に「東京十社」を巡拝する。
これって、けっこう大切なことかもしれない、と思っています。

企画モノ、とはいっても、やはり錚々たる社ばかり。
毎日、どれほどの「いのり」がこれらの神社で成されていることか…。

政治的な云々とか、経済的な中心だからとか、そんなことはどうでもいい。
ただ、こうした現在の状況をみていえるのは、やっぱり、いまこの時代の“東京”って、特別なんだな、ということ。

できたら、“東京”にまったく関係ない方々にも来ていただきたいけれど、さて、どうなりますか…


お申し込みや当日参拝予定の神社などは、こちらに
どうぞ、よろしくお願いいたします






2015.8 春日大社・御蓋山本宮神社特別登拝(「神社おそうじ隊 見参! 特別編」)

2015-08-20 | 神社おそうじ隊 2015



『春日大社/第六十次式年造替』
『春日大社では、一年三百六十五日、二千二百回以上のお祭りが奉仕されています。
 そうした中での至高最上の祭典が『式年造替』です。

 式年とは「定まった一年の年限」、造替とは「社殿を造り替える」という意味。
 神さまがお引っ越しされることを「遷宮」といいますが、春日大社では本殿の位置は変えずに
 建て替え、あるいは修復を行うため「造替」といいます』(「春日大社・式年造替パンフレットより抜粋)



《春日大社》は、神護景雲2年(768)に、称徳天皇勅命により創建されました。
国家および国民の守護神であり、藤原氏の氏神として朝廷からの手厚い保護を受け続けた、全国3,000社以上ともいわれる春日神社の総本社です。
その神域は現在でも、御蓋山全域および飛火野と呼ばれる芝原や雪削の沢などを含め32万坪にも及ぶといわれます。

今回登拝した御蓋山は、「万葉集」や「古今和歌集」でも詠まれているなど、その霊験の高さで知られています。
春日大社創建以前より神奈備山として崇敬を集めていた山であり、創建後に狩猟伐採などが禁止となったこともあり、ほぼ手付かずの原始林となっています。




…僕は、2010年に、一度この御蓋山原始林の遊歩道に入っています。
(その当時の記事はこちら
この当時は、まだ神職としての勉強の真っ最中の頃でした。

そこから約5年の歳月を経たワケですが、この5年の間に神職資格を得て、2011年からは『神社おそうじ隊 見参!』という活動を始めました。
今回の春日大社の式年造替のこと、本宮神社登拝のことを知るにおよび、何かがグルっと一周したようにも思えました。
それならばと、即参加を決めての今回。





ニノ鳥居前で受付。

その後、「感謝と共生の館」にて、事前説明。
水谷神社→大宮参拝→若宮参拝→本宮神社遥拝所より入山→本宮神社→春日山遊歩道より下山→水谷神社に報告→直会
という流れ。


若宮神社
御祭神   天押雲根命(アメノオシクモネノミコト)

870年以上、途絶えることなく続けられてきた「おん祭」は、この若宮神社の例祭です。
この例祭は、興福寺の庇護も受け、大和国万民の祭りという特別な意味合いをもっているそうです。


 

この前日のゲリラ豪雨が、嘘のような快晴。
禁足地でもあるため、登山用の整備などされておらず、足場の悪さなどが心配されましたが、杞憂に終わりました。
先達となった春日大社の権禰宜の方の、「さ~んげ、さ~んげ、六根清浄」の掛け声と共に、本宮神社へと向かいます。



『春日大社 摂社・本宮神社』

御祭神

武甕槌命(タケミカヅチノミコト)
経津主命(フツヌシノミコト)
天児屋根命(アメノコヤネノミコト)

標高295メートルの御蓋山浮雲峰に御鎮座になり、延喜式内社「大和日向神社(やまとひむかいのかみのやしろ)」に比定される神社。
創立不詳。古伝では、まずこの浮雲峰に武甕槌命は降臨。そこからまもなく西の麓の本殿がある現在地に遷座された、とされている。
約10メートル四方の磐境の上に社殿はある。




下山後、摂社・「水谷神社」に感謝の報告。

御祭神  素戔嗚尊(スサノオノミコト)
     大己貴命(オオナムチノミコト)
     奇稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)

八坂神社からの御分霊。
北方ないし東北の方からの厄神を和め、鎮めるために鎮祭された。



直会では「中旬の献」が供された。
古儀の一つであり、宮中と春日大社でのみ行われる重儀だということ。


「禁足地」とは、「足を踏み入れてはいけない場所」という意味ではなく、本来「そこから出てはならない」という意味。
今回、その禁を解いたということは…何か、大きな変化が霊的な意味でも行われている…という考え方もできますね。

1300年以上の時を経て、開かれた神域…。
その神秘性は、解禁となった今後どうなっていくのか…個人的には、注目です。

 
平安貴族は、鹿を見ると神の使いということでお辞儀をしていたそうです。




今回、この機会をいただいた春日大社、並びにご先達いただいた権禰宜さま始めすべての皆さまに、感謝いたします。
また、今回急にも関わらず、呼びかけに応えていただいた参加者の皆さま。
本当にありがとうございました。


参加者Aさんから、記念写真をいただきました。
ありがとうございます!