『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

『おそうじリトリート』感想

2014-10-06 | 2014年

エラブウミヘビ(通称「イラブー」)
エラブウミヘビは、動物界脊索動物門爬虫綱有鱗目コブラ科エラブウミヘビ属に分類されるヘビ。有毒の特定動物ではあるが、人に危害を与えることはほとんどない(ウィキペディア)


イラブー汁は琉球王国の宮廷料理の流れを汲む、沖縄の伝統料理。
かつては捕獲したイラブーはすべて王国府に納めることになっていたらしく、おいそれと口に出来るものではなかったという。
「伝統的に神事に携わるノロにのみ、産卵のために上陸したものを採捕する漁業権が許されてきた歴史を有する」(ウィキペディア)。
滋養強壮効果も高いといわれ、濃厚、かつ口にした瞬間から身体が熱くなるほど。



そして、今回の『久高島おそうじリトリート」の感想をいただきました。

初参加のAさんの感想。


「久高島リトリート、大変お世話になりました。ありがとうございました。

とても濃厚な4日間でした。
沖縄から戻って、その夜に仕事に行きましたが(笑)、疲れ知らずで自分でも驚きです!

そして、ざっくりとした感想ですが…。
思い付いた順ですので、文に統一性はありませんが(笑)

・いつも、不思議なことが起きると、いろいろと怖がってパニックになっていたのですが、今回は田村先生やクロノさんがいらっしゃったので、ある意味安心して、恐怖を捨てていろんな不思議体験?!をすることができました。
・これまで、いかに自己中な祈りをしていたかを思い知り、恥ずかしくなりました。
・久高島で、バラバラだったパズルが1つ1つはまっていく感じがしました。
・エゴの解体とともに、整理整頓ができた感覚でした。
・はっきりいって、私が久高島リトリートに参加させていただけたことが、いまだに奇跡に思えていますが、魂がのびのびとしていて、まるでエゴの解体作業を楽しんでいるようでした。
・最終日の音楽のテーマは、私も興味をもてるようにと先生が用意してくださったのかなと、、、勝手に解釈しています(笑) ありがとうございます(笑)
・これまでの悩みなど、ちっぽけに思えてきました。

まだまだいろいろと感想は出てきそうです。改めてお送ります。

ありがとうございます。」


そして、上記の感想をいただいたその翌日の夜…

…今お送りしているメールは、感想ではないのですが…。ご報告を。

今日、ついに、未知なる扉が開きました。

それも、先生の久高島リトリートのメニューを通して、学んだことが、繋がります。

久高島でエゴの解体作業に取り組んでいなかったら、このチャンスを逃していたかもしれません。

物事、いろんな見方がありますが、先生のおっしゃるように、正解はなく、また、宗教やその他、垣根を超えて、自分自身がどうあるべきか、ストンと体感しました。

久高島リトリートに導いてくださった先生、神様に、本当に感謝しています。

私のことを私というしかありませんが(笑)、その「私」には、自我が入っていない「私」。
これから先、音を奏でるときの心構えが180度かわりました。

人間関係とか、仕事のこととか、どうでもいいというより、その心配などが、あまりにも小さいものに思えてきました。
むしろ、それよりも、はるかに高く広いところで、自分のワークをすることができそうです。
内なる神としっかりとリンクすることができました。



…というメールもいただけました。

Aさんの飾り気のないキャラクターは、今回の『おそうじリトリート』での抜群のスパイスとなっていました。
忙しいスケジュールを縫うように御参加いただきましたが、さまざまな「オミヤゲ」を手にされたようで、何よりです。

また、リトリート最終日、那覇での夜にはグルメ隊長となって大活躍いただきました


こちら「むとう」で…

「石垣牛のあぶり握り」など

豊富なメニュー、ボリュームも味もみな大満足。
個人的には、自家製のコーヒー泡盛もオススメ…



また、東京から沖縄に移住されたNさんも「元気な姿を先生に見せたかった」と、顔を出していただきました。
バスで一時間の遠路をわざわざ…ありがたい限りです







『おそうじリトリート』終了!

2014-09-26 | 2014年

ニラーハラー(ニライカナイ)からの来訪神が毎年旧暦の4月と9月、島に訪れる時に船が停泊するとされるイシキ浜の早朝。


沖縄全般でいう「ニライカナイ」は、久高島では「ニラーハラー」と呼ばれている。
ニラーの「ニー」は根っこ、始原、「ラー」はあちら、彼方を意味し、ハラーは神歌に頻出する繰返しの言葉で、意味はニラーと同じ。
あの世、つまりニラーハラーは死ぬと還っていくところでもあり、同時に生まれ出てくるところでもある。
この世にもたらされたものは、ニラーハラーにその源はあると考えられているという。



台風の少ないはずの今年(西暦2014年)。
…にもかかわらず、直前まで台風で飛行機が飛ぶのかどうかという状況にあった初の『おそうじリトリート』。
全日程を通じて、強烈な湿気と突然やってくる龍神の挨拶(雨)に何度もドギマギするも、終わってみればそれもまた愉快な思い出。
太古から続く久高島の自然と、そこに関わるすべての縁起に、まずは深く感謝いたします。




参加者の皆様。

祭祀を担う主体は女性であり、島人にとっての守護神は母神である…。
この島において『おそうじリトリート』を開催することができたのは、ひとえに皆様のおかげさま。


今回御参加いただいた皆様の恩恵のもと、安心してすべての過程を終えることができました。
皆様がこれから生きていくうえでのさまざまな場面で、今回提示させていただいたことが活かされていくことを心より願っております。

本当にお疲れさまでした。
そして、ありがとうございました。



首里城・玉陵・そして…

2014-09-19 | 2014年

『玉陵(たまうどぅん)』(世界遺産)

「玉陵は、1501年、尚真王が父尚円王の遺骨を改葬するために築かれ、その後、第二尚氏王統の陵墓となりました。墓室は三つに分かれ、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋となっています。創建当初の東室は洗骨後の王と王妃、西室には、墓前の庭の玉陵碑に記されている限られた家族が葬られました。全体のつくりは、当時の板葺き屋根の宮殿を表した石造建造物になっています。墓域は2.442㎡。 沖縄戦で大きな被害を受けましたが、1974年から3年余りの歳月をかけ、修復工事が行われ、往時の姿を取り戻して今日に至っています。」(那覇市ウェブサイトより抜粋)。






玉陵入り口にある「奉円館(ほうえんかん)」内。
玉陵史料が展示されています。





『首里城』(世界遺産)

「…首里城は国王とその家族が居住する「王宮」であると同時に、王国統治の行政機関「首里王府」の本部でもあった。また、各地に配置された神女(しんじょ)たちを通じて、王国祭祀(さいし)を運営する宗教上のネットワークの拠点でもあった。さらにまた、首里城とその周辺では芸能・音楽が盛んに演じられ、美術・工芸の専門家が数多く活躍していた。首里城は文化芸術の中心でもあった。」(国立沖縄記念公園オフィシャルサイトより抜粋)

1945年の沖縄戦で灰と化した首里城は、1992年に県民の悲願とともに沖縄の本土復帰20周年を記念して復元された。
正殿は復元されたものの、全体(面積約5ヘクタール)のほんの一部に過ぎないという。


守礼門(しゅれいもん)。
古代中国の皇帝の「琉球は礼節を守る」という伝えより、この名称が付いたという。

龍樋(りゅうひ)。
首里城第一の泉で、龍の口より水が湧いている。
水門や管のことを「樋(ひ)」という。

首里森御嶽(すいむいうたき)。

御嶽(うたき)とは、聖地あるいは拝所のことをいい、首里城には最も神聖といわれる10カ所の拝所「十嶽(とたけ)」があったという。




弁財天堂。
建物は当初1502年に朝鮮から贈られた方冊蔵経(ほうさつぞうきょう)を納めるために建立、1609年薩摩侵入により破壊、 1629年に修復されたという。

龍潭(りゅうたん)。
1427年に造られた人工の池。


…お出迎えいただき光栄です。






2014年10月17日 『For Life』セミナー : 第1回 「地に足つけるスピリチュアルの講座」

2014-09-10 | 2014年



○はじめに

日本の大きな書店に「精神世界」というコーナーができるようになったのは、1970年代後半あたりと思われ、その頃にはすでに超心理やオカルトといった項目のものが種々雑多に置かれていたようです。

1980年代になると、タワーレコードなどの海外発の音楽ソフト(当時はレコードか 笑)販売チェーンが日本進出を果たしはじめ、音楽の分野でいわゆる「ニューエイジ」という言葉が聞かれるようになります。

1990年代になると、クリスタル、アロマ、ハーブといったグッズが「カラダにいい」「気持ちがいい」「癒し」などのイメージとともに広まり始め、2000年代にはインターネットの普及もあり急速にそのイメージも固定、いまやどこにいてもこれらのグッズはクリックひとつで世界中から購入できる時代となりました。



さて、「スピリチュアル」。

現代日本における「スピリチュアル」という言葉の内実は、上に示してきた流れとは無関係ではありません。
現代日本の「スピリチュアル」は、このライン上から逸れることなくここまで流れてきた…というのが、今回の「地に足つけるスピリチュアルの講座」の、いわば前提となります。
(この「逸れることなく」というところは大切です)

このことをキチッと把握し、「時代」というものをその外側から概観するような視座にいなければ、本来の意味での「スピリチュアル」などわかりようもない、とすらボクは考えています。

ハイヤーセルフ、アセンション、オーラ、エーテル体アストラル体…こうしたことにくわしくなり、ガイドの声を聴いたり、メッセージを受けとったり、ライトワーカーと認証されたり…ということが「スピリチュアル」なのではありません。

それ以前。
もっと大切なことを、お伝えしたいと考えています。



○「地に足つけるスピリチュアルの講座」とは?

さて、今回のこの講座は『For Life』という、「TAMURATIC」十八年の総決算的セミナーの記念(?)すべき第1回目となります。
「地に足つけるスピリチュアルの講座」と謳っていますが、実はこのテーマはボク自身、いつか開催しようと何年も前から温めていたテーマでした。

「温めていた」、というのは、実のところは2つの意味での「時期」が揃うのを待っていた、というのが実際のところ。
それらが感覚的にも実際的にも揃わない限りは「時期尚早」だと、思っていたのです。

ちなみにボクは、1996年から整体オフィスを開業し、現在までに主に日本の伝統的な手技療術(霊術もね)、アメリカやヨーロッパのヒーリング、催眠、潜在意識に関わるあれこれ、心理学、エネルギー心理学…etcなど踏襲し、咀嚼吟味し、ボクなりのカタチに理解してきたつもりでいます。
ヒーリングに関しては、たとえば、日本発でアメリカを経由し一時期日本でブームになったヒーリングシステムのあるマスターには、「あなた、もはやこのテクニックいらないでしょ」と云われたりしていますが、それなりにどっぷりその「世界」には浸かってきた自負もあります。

こういうボクが「時期尚早」だとずっと思ってきた「スピリチュアル」の深遠なる世界。
それは決して現実と乖離した、フワフワとしたものではありません。

むしろ反対。
この現実を、しっかりと自分の足で歩いていくための確たる智慧だと、ボクは思っています。
だからこそ、より深く、より根本から学ぶ意味も意義もあるのだし。

そういうことで、この講座はテクニック、いわゆる「引き寄せ」「願望達成」「ヒーリング」などの方法や手段をお伝えする講座ではありません。
それらは、本来ひとつのエッセンスを用途ごとに細分化したものに過ぎないのですから。
「地に足つける」ために必要なのは、そうしたテクニックではありません。

テクニックは、それをテクニックたらしめる「原理」「原則」が必ずあるもの。
そうしたところに立ち返って、「スピリチュアル」を自分自身やその大切な方々、もっといえばこの世界を生きるすべての方々のために役立てられるよう、理解していただきたいと思っています。

…なので、ただ話を聞くだけでなく、いろいろワークもあり、アタマも使います。
それを厭わない人にこそ、来ていただきたいと思います。






…久しぶりの『サロン・ド・クロノ』様とのコラボ
2008年から続いてきた「ワークショップ」ではなく、今回からは「セミナー」という位置づけといたしました。
何が違うのかといえば…まあ、ちょっとお勉強色が濃くなるくらいにお考えいただければ

とはいえ、

『For Life』と冠したこのセミナーは、文字通り“「人生」のために”、を意図したもの。
それは他でもない、あなたの生きる「人生」のこと。

「スピリチュアル」というテーマですが、この言葉については、様々なイメージがあることでしょう。

崇高さ、気高さ、神秘的…
あるいは
アヤシさ、いかがわしさ、胡散臭い…

あなたのイメージは、いかがでしょう?
日本においては、こうした真反対のイメージが凝縮し、ある意味で混沌としているためか、たとえば最近とある心理学のセミナーで「瞑想している…」と言葉にしただけでも「このヒトはスピ系」、とカテゴライズされることまである始末(実話)。
そのあとに「スピリチュアルってよくわかんないよね~」…う~ん、では今の「スピ系」区分はナニ?と思ったものですが、早いハナシこれが現状なんでしょう。


今回の『For Life』セミナー第1回目に「スピリチュアル」をテーマとしたのには、ボク自身の最近のこうした経験(他にもある)とともに、それがあらゆる意味で、人間の「人生」にとって大切なことだからです。

キッチリと、「地に足つける」生き方をしたい。
そういうあなたにこそ、「スピリチュアル」の理解は大切です。

御参加、お待ちしております。




☆お申し込み→サロン・ド・クロノから
☆お問い合わせ→TAMURATICへ
☆期日→2014年10月17日 10:30~12:30
☆参加費→8000円



波上宮にて三歩下がる…

2014-08-20 | 2014年

琉球国一宮『波上宮』
旧官幣小社
沖縄(琉球王国)総鎮守

御祭神  左神座 伊弉册尊 速玉男尊 右神座 事解男尊
     相殿 竈神(火神) 産土神(鎮守神) 少彦名神(薬祖神)

琉球八社(琉球王府より特別な扱いを受けた八つの神社)の筆頭。
他の七社は、沖宮・識名宮・普天満宮・末吉宮・安里八幡宮・天久宮・金武宮。
このうち、安里八幡宮のみ八幡神、それ以外は熊野神を祀る。

この八社にこれらの神々が配置される、ということは…


鳥居脇、右手には護国寺。
孔子廟もあったようですが、確認せず…。。





狛犬なのか、シーサーなのか…


二礼二拍し手を合わせる。
その刹那、何かに猛烈に押され三歩下がった…。

再拝を期す。




ぶつかり合う〈エゴ〉と〈エゴ〉

2014-08-16 | 2014年

琉球祖神・アマミキヨが降り立ったとされる「ヤハラヅカサ」


沖縄の海、空、砂浜…。
そこにいると、いわゆる〈我〉が抜け落ちていくような感覚を覚えます。
まあ、もちろん〈我〉=〈エゴ〉というのが本当に抜け落ちていくのではなく、噴出する必要がないから起動しないだけ、なのだけれど…。

ボクも、アナタも、〈エゴ〉の塊。
それは間違いない。
「ええ~、一緒にしないでくれる
…なんて怒るアナタもいるかもしれない。
けれど、それは間違いない。

なぜなら〈エゴ〉というのは、“「アナタ」を「アナタ」たらしめているもの”そのものなのだから。





身体の姿勢を例にとってみましょう。
身体の姿勢というのは、個人の性格や生理的特性、思考傾向などと深く結びついています。
こうした方面の研究としては、身体均整法の「十二種体型」や整体の「体癖」などがあります。

ヒトのいわゆる「個性」を、『色』としてみます。
その『色』の混ざり具合は多様ではあるけれど、中心となる『色』は、そう多くはありません。
その中心となる『色』は、ほとんどの場合身体に反映されており、姿勢はその顕著なもの。
そういう眼でみれば、ヒトの〈エゴ〉って、むき出しなんですよね。

たとえば、「何かにつけて好き嫌いが激しい」というヒト。
こういうヒトの特色として、姿勢的にはギスギスしたやせ型、という場合は少なく、どちらかというと丸っぽいことが多い。
言い換えると、ギスギスしたやせ型のヒトの「好き嫌い」と、丸っぽいヒトのそれは質、というか内容が違います。
「内容」というのは、たとえばアタマで考えて「好き」か「嫌い」を判別するのと、理由もなく感情的に「好き」「嫌い」となるか、というように。

「理性的で品のある話し方をするけれど、プライドが高い」。
こういうヒトというのは、往々にして一般的には男女に関わらず「まっすぐ」な姿勢をしている方が多いですね。
それでもってメガネをクイッ、みたいなイメージでしょうか。

骨格や筋肉の質感、シルエット、身体の幅、骨盤や肋骨の形態…身体から得られる情報は、実に膨大です。



身体の姿勢=「アナタ」を「アナタ」たらしめているもの=〈エゴ〉。
どんなに表面を取り繕っても隠しようがないのだから…堂々としていればいいのです

また、ちょっと心理学にくわしいヒトならご存知でしょうけれど、いわゆる身体症状も〈エゴ〉と関連します。
…というよりは、ほとんどのソレは〈エゴ〉そのもの
〈エゴ〉と〈エゴ〉がぶつかり合っていたりして、ソレは表面化するのですから…。
そんなだから、前回のエントリーの1、で書いたようなことが起きるワケですね。

「宙道(そらみち)」の、そのひとつの側面は“自分で自分を苦しめているエゴに気づける”方法です。
もちろんそれだけでなく、多様な側面がありますが…これを実用化するまで…ん~、長かったぁ…
原理は単純なんだけど、ね…。


私は1996年に開業して現在までやって来ているワケですが…最近は思います。
そもそも

「治そう」「変えよう」「どうにかしなくちゃ…」

という心そのものをどこかに捨てきってしまえば、ツルッと八方丸ごとうまく収まるのではないのだろうか、と。
これについては、いまのところまだ「そうかもな~」くらいなので、なんともいえませんが…。




ではでは。
いつもありがとうございます




宙道(そらみち)実践例

2014-08-11 | 2014年
1、男性(手技療法家)

トライアスロンに出場するほどの体力と、スキー、スノボなどアクティブな北海道在住の男性。
スノボでジャンプした際に雪へ頭から滑落し、頸椎を痛める。
このようなことは、一度や二度ではなく、過去何度も起こしている(もちろん無意識的に)。
今回は、それを契機として鬱、および統合失調的な症状が頻出するようになった。
「このままでは自殺…も考えます」
元々は東京の方で、身内との葛藤も強い。

当初、「首をなんとかして欲しい」ということで、その訴え通りに通常の打撲操法、ダメージ抜きなどを施すも、ほとんど変化なし。
身辺事情も知っていたことから、親御さんについてのアプローチを試みるも、ほとんど変化なし。
つまり、これらは「本当の問題=焦点」ではない、ということになる。

…しかし、このアプローチによって「本当の問題=焦点」が浮き彫りに。
かいつまんでいえば、それは過去の恋愛に端を発し、その後「受け入れてもらえない」ことから生じた感情。

焦点が定まれば、あとは早い。
これを認識し、「宙道」を試みたことで、頸椎損傷かと思われたどうにもならない首の硬直も寛解。
胸には呼吸が入るようになり、本来の快活さもその場で感じられるようになった。



ちょっとした「しこり」。
それが、どこまでも自身を苛み、苦しめる。
けれど、その「しこり」を何年も持っているのは、もちろん自分自身。

スキーやスノボで雪の中に滑落していくことも、これからは激減することだろう。



変わるときは一瞬で変わる。
これが心の造り出す現象の、特徴です。




2、女性(音楽家)

プロとしての自覚に溢れ、向上心も探究心も旺盛なメジャーな舞台で活躍する演奏者である女性。
そうであるからこその、悩みもある。

「宙道」で、空間把握や未来創造…etcを行った。

「空間把握」というのは、ひらたくいえば場との共鳴。
「未来創造」は、この時は「ふたつの道のうちどちらかを選択しなきゃいけないのか?」というテーマであったので、それを「宙道」してみた…結果は、「どっちも突き進んでいい」と出た。
ご本人のバイタリティーとキャパシティにもよるだろうが、迷いに決断を促す場合には、どちらかを捨てる…以外の選択肢も、往々にしてあったりする。

その後、現場での実感や変化を来訪の際に報告いただいたり、メールで送っていただいたりしている。





…そのほか、恋愛相談や将来の問題、難病奇病など、バシバシ実践中

詳しくは「宙道」を読んでみてくださいね。



安座間のフェリー発着所のネコ


『おそうじリトリート』追記

2014-08-09 | 2014年

ニラーハラーからの来訪神が島に訪れるときに船が停泊する場所とされる「イシキ浜」

「…人々は、魂の不滅を信じ、魂の帰る場所、そして再生する場所を海の彼方のニラーハラーに想定し、そこから守護力をもって島の聖域にたちかえる母神の存在に守護をたのんでいる。この「母たちの神」は、〈生む〉〈育てる〉〈護る〉という母性の有り様のなかで形成された、つまり、内発的、自然的で、生命に対する慈しみがベースになっている〈やさしい神〉である。この久高島の祭祀世界を深く見ていくなかで、私は、母性原理の神のもつ根本的な意味を考えさせられることになった。」 (「日本人の魂の原郷・沖縄久高島」より)


島にいるだけで、知らぬ間に抜け落ちる感覚。
それは、たとえば〈時間〉、たとえば〈自己〉〈他者〉の狭間、たとえば〈一般常識〉…。

そうなって、はたと気づく。
それらはすべて、単なる〈概念〉に過ぎないのだということに。



…神人(カミンチュ)であるお婆(名は伏せる)の、深き憂い。
そのひとつには、来島者が島の「入るべからず」の神域へ立ち入ること。

たとえば、神社の境内には「禁足地」とされる神域があることを知っているだろうか?
この「禁足地」にも、

「入ってはいけない」

という意味と、もうひとつ、

「出してはいけない」

というふたつの意味があることを、知っているだろうか?
その本質がどちらにあるかは、その神域における「禁足地」の性質と意味を知る事が大切になってくる。
いづれにせよ、「禁足地」とされるには、それはそれなりの理由がある。

島全体が聖域とされる、久高島。
そのなかでも、「決して立ち入ってはならない」とされる場所がある。
この島におけるそれは、明らかに「入ってはいけない」を意味し、その理由も明確である。

私個人のことをいえば、この島での「入ってはいけない」神域には、近づくこともできなかった。
そしてまた、おいそれと近づいても決して本当には触れられぬ「何か」がそこにあることも、わかった。

前回の募集で、

◎「オモシロそう」「楽しそう」「聖地で癒されたい」という方
◎「私が聖域に祈りを届けねば…」「誰よりも私の平和の願いを奉じないと…」などの方

はお断りと、釘を刺したのはこのようなことからでも、ある。

前提として、島の伝統や風習に畏敬の念を保ちつつの、三泊四日のリトリート。
三泊は、確かにみじかく、わずかな期間である。
けれど、ここでもまた〈時間〉という概念を超越しうることに、気づくことだろう。





島の自然や宇宙観を直に感じたい、漆黒の闇果てなき静寂に身を浸したい、三泊程度のリトリートなら是非、という方…
また、いわゆるスピ系を自認する方や、心理学を渡り歩くも悩み深まっていくばかりの方、セラピーで行き詰まっている方…
こうした方々にとっては、もしかしたら何かを打破しうるキッカケとなるリトリートとなる、やもしれません。

一応、再掲しておきます。

実施  2014年9月22日~25日
場所  久高島(天候などの影響により三泊目那覇の可能性あり)
募集  2014年8月22日まで

※9月22日那覇空港に12時集合(昼食は事前に)。
※那覇空港から久高島~久高島から那覇空港までが「おそうじリトリート」となります。
※交通の便、宿泊施設ほかは副長・クロノの方まで、お問い合わせください。
※申し込みも上のフォームからお願いいたします。ただし、受理するかどうかは私が決めます。
※リトリートの内容は、さまざまな「エゴ」の解体、そのうえでの天の神、地の神、海の神…一切への感謝を身震いするほどに体感・体験すること、という方向で検討しています。









『おそうじリトリート』開催! 

2014-08-01 | 2014年
奄美群島、沖縄群島、宮古群島、八重山群島を総称して「琉球弧」と呼ばれる。
これらの島々には、理想郷・ニライカナイへの信仰があり、死者の魂(マブイ)が行く他界と考えられるその場所は、他にニーラ、ニルヤハナヤ、ニリヤ、ニッジャなどとも喚ばれているという。


久高島は、沖縄本島南部地域、知念半島から東へ約6キロ、島の周囲は約8キロの南北に細長い隆起珊瑚礁の島。
琉球開闢の祖神が降り立った「神の島」として琉球王府からも崇められ、島全体がそのまま聖域とされている。
現在においても、島から草木一本持ち出すことは許されてはいない。
海も草木も砂も土地も、すべては神様からお借りしているもの。
それらは誰のものでもないのだから。



ハビャーン(カベール岬)からの朝日。
琉球の始祖・アマミキヨが降り立ったという伝説の残る場所。
竜宮神のお鎮まりになられている場でもある。




先般、久高島を訪れました。
魂(マブイ)の奥深くまで浸透していくような、そこでの体感と体験を経て…今回は通常の「おそうじ隊」というよりは、『おそうじリトリート』というスタイルで、再度久高島へ向かおうということになりました。

今回の募集では、

◎「オモシロそう」「楽しそう」「聖地で癒されたい」という方
◎「私が聖域に祈りを届けねば…」「誰よりも私の平和の願いを奉じないと…」などの方

こうした方々は、まず最初の段階でお断りとさせていただきますので、そのあたりは事前にご了解ください。
リトリートゆえに、日常から離れ自分自身のことにかまける時間、としての意味も持ちますが…大切なのはその「中身」です。
この「中身」の意味を感じとっていただける方々と、時間を共有したいと思います。



では、募集要項。

実施  2014年9月22日~25日
場所  久高島
募集  2014年8月22日まで

※9月22日那覇空港に12時集合(昼食は事前に)。
※那覇空港から久高島~久高島から那覇空港までが「おそうじリトリート」となります。
※交通の便、宿泊施設ほかは副長・クロノの方まで、お問い合わせください。
※申し込みも上のフォームからお願いいたします。ただし、受理するかどうかは私が決めます。
※リトリートの内容は、さまざまな「エゴ」の解体、そのうえでの天の神、地の神、海の神…一切への感謝を身震いするほどに体感・体験すること、という方向で検討しています。


「食事処 とくじん」前でくつろぐ猫。
こんな感じで、猫や動物、草木が安心してそこに在る島。



何とぞよろしくお願いいたします。