『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

お知らせ

2017-01-24 | 2017年
個人的に、2017年は変化の多い一年となりそうです。

その一つ。
まず、年明けから年初にかけてウェブサイトをリニューアルしました。

『空(くう)の整体』

20年の学びと経験、そして気づきの一つの到達点。
「整体」と銘打ってはありますが、セッションにより及ぼされる範囲は「体」に限定したものではありません。
身体心理療法、身体心理エネルギー療法…僕個人としては、ホントは「療法」「セラピー」というイメージですらないので、まあなんでもいいです。

特徴としては、「戻らない」「好転反応もない」「危険がない」など。
近日、このブログに、このあたりのことについて書く予定です。





二つ目。

前回の記事で「神社関係の記事をこのブログに投稿するのは最後」と書きました。
そうすると、必然的にそれらの記事を投稿する場所が、必要になります。

それがこちら。

『和道プロジェクト公式ブログ』

今後、おそうじ隊、及び神社関連の記事はすべてこちらに投稿いたします。
すでにいくつかの記事が入っています
もしよろしければ、『和道プロジェクト公式ブログ』の方も、よろしくお願いいたします



以上、よろしくお願いいたします。









2016.11.19〜22『神社おそうじ隊 出雲見参!2016』その9

2017-01-10 | 出雲 2016



あまりにも明らかだからこそ、わからないこと。
いつもそこにあるからこそ、気づけないこと。
そういうモノやコトは、実は日常にもたくさんあります。


たとえば、正月などには神社や仏閣に参拝…このような習慣になっている現代の日本人は、一般的に神社参拝時には「二礼二拍一拝(礼)」します。
賽銭箱の前などに作法が書いてあることも多くあるし、みんながそうしている。
なんとなく、そういうものだと思って、していますよね?

誰もが一度は「なぜ、それが決まりなのか?」と思うことはあるでしょう。
でも、そう思うと同時に「その決まりには何かの意味がある」などの思考が出てきてます。
そして、それ以前の一瞬の疑問を打ち消し、ないことになってしまう。

この「なんとなく」の疑問はずっと頭の片隅に残りつつも、特に自分にとって意味があるワケでもなく、特に自分にとって利益不利益をもたらすワケでもないように思える性質の疑問であるので、多くは放りっぱなしにしてしまいます。

たとえば、出雲大社(いづもおおやしろ)では「二礼四拍一拝(礼)」が作法です。
出雲大社だけでなく、同じく「四拍」を作法とする有名な神社としては、宇佐神宮、熊野神社、弥彦神社などがあります。

この違いの意味を、たとえば出雲大社では

「・・・4拍手をする理由ですが、当社で最も大きな祭典は5月14日の例祭(勅祭)で、この時には8拍手をいたします。数字の「8」は古くより無限の数を意味する数字で、8拍手は神様に対し限りない拍手をもってお讃えする作法です。ただし、8拍手は年に1度の例祭(勅祭)の時のみの作法としています。平素、日常的には半分の4拍手で神様をお讃えする4拍手の作法としていますが、お祈りお讃えするお心に差はありません。」(出雲大社ホームページ/よくある質問より)

と、説明していますが・・さて。

もちろん、ネット上では無数の「推測」はなされていますが、「数字」だけに、奥は深い。
「礼」と「拝(礼)」との間に「拍」を置く…そういえば、この理由も、はっきりと明確にはされていませんね。
…というよりは、そもそも日本においては、「神社に参拝する」、ということの真の意味すら明らかでないのだから、仕方ないのかもしれません。

ちなみに、二拍に制定されたのは、戦後です。




出雲には「美保神社」という神社があります。
今回は参拝しておりませんが、出雲を知るうえで重要な神社の一つです。

御祭神は、三穂津姫命(ミホツヒメノミコト) 事代主神(コトシロヌシノカミ)。
ミホツヒメノミコトは、高天原の高皇産霊命の御姫神で、大国主神の御后神。
コトシロヌシノカミは、大国主神の第一の御子神にして「エビスさま」として、現代でも親しまれています。
このコトシロヌシノカミは、御皇室における宮中八神のうちの一神として、国津神としては唯一祀られています。

コトシロヌシノカミの御神紋は、三つ巴です。

出雲大社と同じ四拍、宇佐神宮・二之御殿、比売大神の御神紋も、三つ巴。
ちなみに、二之御殿とはいいつつ、社殿は一之御殿と三之御殿の中央に位置します。
神社において、この中央に位置するということの意味は、けっこう深かったりします。
比売(ヒメ)というと一般に女性を指す、という認識がありますが…この認識自体、一体いつからなんでしょう?

また、琉球王朝の神紋も「三つ巴」。
ちなみに、「契丹古伝」に記された、ユーラシアに降臨した東大神族(しうから)の天祖、琉球の始祖の名は「スサノオ」
「おそうじリトリート」「沖縄見参」、久高島でも、いろいろお話伺いました。




今回も参拝させていただいた、「佐太神社」の御神紋。

「扇地紙」「輪違」「亀甲」。
どこをどう見て龍蛇神の尻尾の斑紋なのかはわかりませんが、神社の公式ガイドでは「扇」はそうなっています。
そして、「輪違」「亀甲」は鱗と・・・。
少し前までは、正中殿の扇は、佐太神社神宝の「御檜扇」を 象ったもの、という見解だったそうです。
では、なぜそれが「神宝」なのか?というと、なかなかわかりにくい。

けれど、

「扇」は、女性器そのもののシンボル。
「輪違」は、Vesica piscis(ヴェシカ・パイシス)=偉大なる母。
「亀甲」は、亀=玄武(尻尾は大蛇)=六芒星。
(ちなみに、出雲大社の御神紋も「亀甲」、出雲の主な神社には「亀甲」が使われています)

としてみると、如何でしょう?
佐太神社のイメージも、だいぶ違ったものになるでしょうか?

佐太神社の神迎神事は、秘音。
この神事こそ、古より変わることなく伝承されている神事です。
ここにおいては、〝なぜ「秘音」でなければならないのか?〟
それは内容なのか、それともそのコトバなのか・・・

古代、祭祀は国において最も重要なる行事であったといわれます。
現代においては「迷信」「形式の継承」というイメージで片付けられてしまうようになっていますが・・・さて、その本質に些かの変容はないと思っているのは、私だけでしょうか?




この『神社おそうじ隊 見参!』の、5年間のここまでの活動において、実にさまざまな気づきがありました。
日本という国がどういう国で、なぜこれほどに多様で、バラバラなのにすぐに統制がとれ、普段いくら自分勝手でも何かの際には他者を慮ることができるのか・・・などなど。
そのすべてをここに明らかにするには、あまりにも「・・・」なのでできませんが、上記の記述から、ある程度察していただければ幸いです。

そして、「出雲」はやはり、いろいろな意味で鍵となることも今回改めて感じ得ました。
特に、奥出雲はオモシロイ。

ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました
関東からだけでなく、広島や大分からも参加者のありましたし、また地元のお二人には2011年、2012年に引き続き、今回もご当地隊として下見や宿泊先の決定などに尽力いただきました。
本当にありがとうございました




さて、今回でこのブログへの神社関係の記事の投稿は最後になります。
これからは「神社おそうじ隊 見参! 公式ブログ」へのアップとなりますので、もしよろしければそちらを御覧ください。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました