『地水火風空』

【TamuraTech Japan】のブログ

3年経過の『神社おそうじ隊 見参!』

2013-11-09 | 2013年
『神社おそうじ隊 見参!』活動開始から、来年(2014)2月で丸3年を迎えます。
開始当初より「いつまで続くのか」と思われ、その名称から、理解不能な、ある種の奇異な印象をもたれること多々であったこの活動も、過ぎてみればあっという間の3年でもありました。

今回は、この3年をカンタンに振り返りつつ、ひとつの「節目」としての記事をブログに残しておくのもまた一興かと思い、つらつらと書いてみます。


まずは、2011年活動開始から今日まで、この『神社おそうじ隊 見参!』に参加し、一緒に各地を参拝していただいたすべての皆様に、心より感謝いたします
特に、向かう先々で「ご当地隊」としてプランニングから案内、場合によっては車出しまでお世話していただいた方々には、本当にありがたくってありがたくって…感謝してもしきれないです
皆様一人一人と御縁いただき、その協力あってこそ3年間継続できたのだと、思っております。
この「御縁」は、『神社おそうじ隊 見参!』活動当初からの大切なキーワード。
私も副長も、表層的なお付き合いはできない(しようと思わない)タチなもので、メリットデメリットでお付き合いは継続できません。
そういう意味でも、本当に御参加いただいた皆様との出会いは、貴重な「御縁」の賜物だと思っております。
もしよろしければ、今後とも何とぞ宜しくお願いいたします

…さて、
この3年、日本全国各地をけっこうなペースで「見参!」させていただいてきました。
伊勢、出雲(2度)、熊野、奈良、山形、滋賀、京都、福島、茨城、長野、愛知、広島、…
また、神奈川県内でも、横須賀、鶴見、寒川、大山、津久井、鎌倉…
そのほか、私個人では福岡や宮城などなど、副長に至っては…把握できない。。。

これらも、そこに出向くことで様々な「繋がり」を発見することもしばしば。
「繋がり」とは何か?…と問われれば、それはもちろん「日本」各地の、不可視的なフィールドでの多様多彩な「繋がり」に他なりません

…実をいうと、私は神職となるべく勉強を始める以前には、いわゆる「神社」へ鳥居をくぐって入ることすら心理的に憚られていました。
それまでは武術、あるいは仏教や密教の方面ばかりで、寺で「のうまくさんまんだ…」とか真言(マントラ)唱えたり、瞑想したりはするものの、「パンパン」と二礼二拍一拝することなど、正月くらいという…まあ、いまの一般的なレベルでしか「神社」との関わりはありませんでした。

そして、勉強を始め、神職としての資格をいただくこととなりました(本庁系列ではない「教導職」でいう「中教正」、興味あれば検索してみてください)。
そうなってはじめて、いや、より正確には全国を巡拝するようになってはじめて、この「日本」という国の持つ本当のオモシロさと奥深さ、神秘性に気づくこととなりました。
もちろん、それ以前にもいわゆる「裏側」に関しては詳しくもあり、胎蔵界と金剛界とか、密教的な世界観を知った当時の私は「あ~、やっぱ空海っておもしれぇ」などと思ったものですが、「神社」をそういう眼で巡拝させていただけばいただくほどに、その「おもしれぇ」は広く深くなっていく…感じがします。

あ、ここではっきり申し上げておきたいのですが、『神社おそうじ隊 見参!』は、いわゆる「パワースポット」巡りのツアーでもなければ、ただ単に「ワタシ」を満足させるためのツアーでもなければ、「この地が穢れているから浄化せねば」的なおせっかい(勘違い?)なツアーでもなければ、いわゆる「スピリチュアル」を売りにしたツアーでもなければ、もちろんそもそも「ツアー(観光)」でもありません。
よく誤解されていたり、歪曲して理解されていたり、勝手に思い込まれていたりするようですが、そもそも、違うのです
私も副長も、これらの観点から巡拝したことは、ただの一度もありません。
なので、いわゆる「スピリチュアルツアー」として魅惑的なキャッチコピーを付記したりすることもなければ、何かを啓蒙したりしたこともないはずです。
たまに「スピリチュアルツアー」的な方々から同じことをしているくらいに思われたりするようですが、それは大きな勘違い。

当初からのコンセプト。
それは、「ご利益」を求めるものでも、「何かを変えて」と願うものでも、「パワーがあるから」低頭するものでも、「このカミサマを浄化してあげよう」というおせっかいな気持ちをいっているものではありません。
「いのり」とは、純然たる想いの発露…その「いのり」を内に宿せしヒトという存在は、誰もが神性を体現する「社(やしろ)」でもある。
瑣末なことに心を悩ます矮小な存在といくら自らを嘆いてみても、あるいはワタシほど価値のあるものなどないのだといくら尊大に構えてみても…そのことに変わりはありません。
そういう自らという「社」に「調和」がもたらされ、それがひいては自分自身、あるいは周囲環境との「協調」が円滑となり、最初から独りではない森羅万象一切との「共生」の元に存在していることに(心から)気づく。
『神社おそうじ隊」の「おそうじ」というのは、こういう一連の流れを指した言葉であり、それ即ちコンセプトでもあります。

そのためには、隊長や副長がカリスマ的になり、持ち上げられるような集まりであってはならず(まあ、なりようもないけれど)、
どこかからのメッセージや導きを目当てに参加者が集まるようであってはならず、
ましてや「願いが叶う」ことを喧伝して参加者を集めることなどあってはならず、
あくまでも自主的な想いからの集まりであること…
こういう意思と意志を一筋に貫いてきたことは、3年という月日が証明してくれているかな、と
これって、どこにもモデルを求めてもいなければ、「マネ」したものでもありません。
だいたい、そのテの「ツアー」マネてみたところで、自然消滅は目に見えてます。
有名でもなければ、何かの特異な能力や人脈で人を集めるのではないのだから…。

…と、まあ、『神社おそうじ隊 見参!』の立ち位置というかポジションというか、そのあたりは開始当初からいささかも変わりなく。
変わりないということは成長しないということではなく、最初から普遍的かつ本質的なトコロにいるのだと、好意的に解釈していただければありがたいですが、この点は私も副長も同じです。


この3年、こうしたコンセプトを根底に、実に多くの「神社」へ身と心を運ぶことができました。
その過程で、各地の神職の方々とも話す機会も増え、単に参拝だけに止まらない活動の広がりが生まれてきました。
そして、お話を伺い、「神社」というもの、ひいては「神道」への認識が広く深くなればなるほどに、その内奥を垣間みることの困難さにも、また気づきます。
それは、脈々と継承されし太古からの願いなのか、あるいは全く別の何かなのか…。

この3年で得た実感のひとつに、やはり日本の不可視的な世界、それを便宜的に「精神世界」としますが、その世界の奥深さは本当にどこまでもあるな、と。
現代ではさまざまなカタチで海外からのヒーリング・スピリチュアル的な思想、考え方、あるいは方法が輸入されてきています。
でも、「神社」を巡拝させていただけばいただくほどに、それらのエッセンスは、すでに日本に深く浸透していることを確認することになります。
とはいえ、ただ「観光」でそこを訪れたり、誰かの言葉をそのまま受けとめるだけの学び(?)では、到底「それ」には気づけない。
自分のアタマで考え、ハートで感じ、ハラで理解していく…その腹づもりが(本当に)できることを「準備ができた」と私は云っていますが、何かを理解するにも「教えてもらおう」では、わかることなどたかがしれています。
たとえば、「石の上にも3年」など、古来より「3」という数字は日本では尊重されてきました。
その意味も理由も説も多々あるようです。
こうした「数」の由縁は、「神社」にはあちこちに散見されますので、そういうモノを見つけていくところから始めていくのも、愉しいかも、しれません。。


そして、来年(2014)年。
『神社おそうじ隊 見参!』は、これまでさせていただいてきた事々を基に、いろいろな意味で活動の幅を拡大していこうかと、思っております。
また、それに伴い奥行きも深まっていくので、たとえば「勉強会」のようなプランも、ないではありません。
それには、私はまだまだ、あまりにも勉強が足らないので、今後とも精進あるのみ…です。

まずは、1月は恒例となりました「皇居参拝」
そして2月は「出羽・王祇祭」
そのあとも続々と「見参」予定地が挙がってきています(詳しくは「神社おそうじ隊 見参!公式ブログ」を参照ください…ちなみに、最近「公式ブログ」もリスタートしました


とりとめもない「節目」記事となり、読みにくいことこのうえないかもですが
何はともあれ、今後とも宜しくお願い申し上げます。









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