たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

盛岡第一高等学校の啄木歌碑

2021年09月05日 | 啄木歌碑

啄木は明治31年3月、盛岡高等小学校を卒業し、同年4月、盛岡尋常中学校(後に岩手県立盛岡中学校に改称)に入学しました。担任教諭は数学の冨田小一郎先生です。2年次には野村胡堂、3年次には金田一京助がおりました。盛岡中学は大正6年、盛岡市上田の地に移転、現在は岩手県立盛岡第一高等学校となっています。

 

(18)盛岡第一高等学校の啄木歌碑



   盛岡第一高等学校の啄木歌碑


  学校の図書庫の裏の秋の草
  黄なる花咲きし
  今も名もしらず
           啄木

 





  盛岡第一高等学校

 

当時の盛岡中学跡には、現在、岩手銀行本店が建てられており、そこには、次の啄木歌碑が建立されています。



(19)盛岡中学跡の啄木歌碑


   岩手銀行の啄木歌碑


  盛岡の中学校の
  露台の
  欄干に最一度我を倚らしめ
          石川啄木

  岩手県立盛岡中学校濫觴の地
 


また、盛岡中学の図書庫跡地は岩手医大循環器センーになっており、玄関わきに次の啄木歌碑が建立されています。
 
 
(20)盛岡中学図書庫跡の啄木歌碑
 
 
 

岩手医大循環器センター玄関前の啄木歌碑


  学校の図書庫の裏の秋の草
  黄なる花咲きし
  今も名もしらず
          啄木
 
 
 
盛岡中学では宮澤賢治も学んでおり(明治42年4月入学)賢治の次の碑も建立されています。
 
 
宮澤賢治の碑
 
   宮澤賢治碑
 
 
  生徒諸君に寄せる
  諸君はこの颯爽たる
  諸君の未来圏から吹いて来る
  透明な清潔な風を感じないのか
 
 
盛岡第一高校から道路をはさんだところが岩手大学で、かって、この地に啄木の妻・節子の家がありました。岩手大学では、節子が産湯につかった井戸に屋根と蓋を設け、その蓋に啄木と節子の歌を刻みました。
 
 
(21)岩手大学構内の啄木・節子の碑



 
 啄木と節子の歌の碑(井戸の蓋)
 





       ある日、ふと、やまひを忘れ、
  牛の啼く真似をしてみぬー
  妻子の留守に。
             啄 木  

  ひぐるまは焔吐くなる
  我がうたにふと咲き出でし黄金花かな

             節 子 
 
 




 
 

最新の画像もっと見る