第15号 大泉寺 盛岡市本町通一丁目14番1号
本堂は文政年間に再建といわれる。独特の宝形式反り屋根と、車寄せ屋根は起り(むくり)破風になっており、この建物の特徴となっている。大泉寺には木造阿弥陀如来坐像、木造十一面観音菩薩立像、紙本着色阿弥陀三尊来迎図屏風があり、盛岡市指定文化財となっています。
本堂
山門
おかんの墓
案内板によると「福岡城主九戸政実が南部信直に亡ばされ、家臣畠山重勝は自刃、その1人娘おかんは家来の三平と夫婦になって盛岡へ来た。夫は盛岡城築城の人夫となって働いていたが、工事中重症を負い再び哀れな運命に追い込まれた。組頭である高瀬軍太はかねてから気品の高いおかんに思いをよせていたが、三平の災難をきっかけにますます露骨になり、夫の運命にも危機が追ったので、困ったおかんは夫を殺害するなら従うと組頭を欺き、その夜、返送して夫の身代になって貞死した。軍太はまもなく仏門に入り、遺族の生計を助けた。現在の墓碑は、いまなおカンカンと不思議な音がするといわれている。」と書かれている。
墓石を叩くための石が置かれており、石が置かれている部分は、叩かれたために、自然のうちにくぼみができている。多くの人々がこの墓石を叩いてきたのでしょう。
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啄木の歌
天地(あめつち)にすがる袖なしおのづから手は汝(なれ)にゆく、あはれ盃
釧路新聞 明治41年2月21日 釧路詞壇(8首、その5)
署名 匿名であるが啄木の作品として扱われている
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啄木の歌
天地(あめつち)にすがる袖なしおのづから手は汝(なれ)にゆく、あはれ盃
釧路新聞 明治41年2月21日 釧路詞壇(8首、その5)
署名 匿名であるが啄木の作品として扱われている
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