旧井弥商店 盛岡市上ノ橋町1番48号
本町側から上ノ橋(かみのはし)を渡ると左側に盛岡正食普及会の店舗がありますが、ここが旧井弥商店です。明治末期に井弥商店店舗として建てられた土蔵造りの建物です。 壁が黒いのは防火のために黒漆喰で仕上げているからだそうです。昭和45年の火事により一部修復されているようです。



旧井弥商店前の通りは、盛岡天満宮から、まっすぐに進むと、旧井弥商店前、上の橋、本町、岩手大学前、一里塚のある川徳アネックス前、岩手県交通松園営業所前を通り、四十四田ダムまで続いています。約10kmほどです。
この通りには啄木歌碑がたくさんあり、私は「啄木歌碑通り」と呼んでいます。

天満宮の歌碑
病のごと
思郷のこころ湧く日なり
目にあをぞらの煙かなしも

天満宮阿形の狛犬の歌碑

天満宮吽形の狛犬の歌碑

天満宮きつね像の歌碑

中津川に架かる上の橋(かみのはし)
上の橋の手前を右折し100mほど進むと富士見橋があり、欄干に啄木の歌が刻まれています。

富士見橋欄干の啄木の歌
上の橋に戻り、橋を渡って左折すると市役所があり、市役所裏の河川敷に啄木歌碑があります。

河川敷の啄木歌碑
再び上の橋に戻り、まっすぐ進んで行き、岩手医大のところの信号を左折すると、医大循環器センターがあり、玄関前に歌碑があります。また、センター隣の岩手銀行にも啄木歌碑があります。岩手銀行は啄木の母校盛岡中学の跡地であり、循環器センターは盛岡中学の図書庫の跡地です。

医大循環器センター前の啄木歌碑
なお、当時の図書庫は、宮古市の方に移転され寄生木(やどりぎ)記念館として利用されていましたが、役目を終え、現在、盛岡市に移転中と聞いております。

盛岡中学当時の図書庫

岩手銀行にある歌碑
盛岡の中学校の
露台の
欄干に最一度我を倚らしめ
再び信号に戻り、本町をまっすぐ進むと右側に盛岡第一高等学校があります。元の盛岡中学で啄木の母校です。校門わきには啄木の歌碑があります。

盛岡一校の啄木歌碑
盛岡第一高校と道路を挟んで岩手大学があり、農学部の温室脇の井戸の蓋に啄木と妻節子の歌が刻まれています。ここは節子が育った家の跡地で、岩手大学では井戸を復元して二人の歌を井戸の蓋に刻みました。

岩手大学農学部の温室脇の井戸

井戸の蓋に刻まれた啄木・節子の歌
本町側から上ノ橋(かみのはし)を渡ると左側に盛岡正食普及会の店舗がありますが、ここが旧井弥商店です。明治末期に井弥商店店舗として建てられた土蔵造りの建物です。 壁が黒いのは防火のために黒漆喰で仕上げているからだそうです。昭和45年の火事により一部修復されているようです。



旧井弥商店前の通りは、盛岡天満宮から、まっすぐに進むと、旧井弥商店前、上の橋、本町、岩手大学前、一里塚のある川徳アネックス前、岩手県交通松園営業所前を通り、四十四田ダムまで続いています。約10kmほどです。
この通りには啄木歌碑がたくさんあり、私は「啄木歌碑通り」と呼んでいます。

天満宮の歌碑
病のごと
思郷のこころ湧く日なり
目にあをぞらの煙かなしも

天満宮阿形の狛犬の歌碑
夏木立中の社の石馬も
汗する日なり
君をゆめみん
汗する日なり
君をゆめみん

天満宮吽形の狛犬の歌碑
松の風夜昼ひびきぬ
人訪はぬ山の祠の
石馬の耳に
人訪はぬ山の祠の
石馬の耳に

天満宮きつね像の歌碑
苑古き
木の間に立てる石馬の
背をわが肩の月の影かな
木の間に立てる石馬の
背をわが肩の月の影かな

中津川に架かる上の橋(かみのはし)
上の橋の手前を右折し100mほど進むと富士見橋があり、欄干に啄木の歌が刻まれています。

富士見橋欄干の啄木の歌
岩手山
秋はふもとの三方の
野に満つる蟲を何と聴くらむ
秋はふもとの三方の
野に満つる蟲を何と聴くらむ
上の橋に戻り、橋を渡って左折すると市役所があり、市役所裏の河川敷に啄木歌碑があります。

河川敷の啄木歌碑
中津川や
月に河鹿の啼く夜なり
涼風追ひぬ夢見る人と
月に河鹿の啼く夜なり
涼風追ひぬ夢見る人と
再び上の橋に戻り、まっすぐ進んで行き、岩手医大のところの信号を左折すると、医大循環器センターがあり、玄関前に歌碑があります。また、センター隣の岩手銀行にも啄木歌碑があります。岩手銀行は啄木の母校盛岡中学の跡地であり、循環器センターは盛岡中学の図書庫の跡地です。

医大循環器センター前の啄木歌碑
学校の図書庫の裏の秋の草
黄なる花咲きし
今も名もしらず
黄なる花咲きし
今も名もしらず
なお、当時の図書庫は、宮古市の方に移転され寄生木(やどりぎ)記念館として利用されていましたが、役目を終え、現在、盛岡市に移転中と聞いております。

盛岡中学当時の図書庫

岩手銀行にある歌碑
盛岡の中学校の
露台の
欄干に最一度我を倚らしめ
再び信号に戻り、本町をまっすぐ進むと右側に盛岡第一高等学校があります。元の盛岡中学で啄木の母校です。校門わきには啄木の歌碑があります。

盛岡一校の啄木歌碑
盛岡の中学校の
露台の
欄干に最一度我を倚らしめ
露台の
欄干に最一度我を倚らしめ
盛岡第一高校と道路を挟んで岩手大学があり、農学部の温室脇の井戸の蓋に啄木と妻節子の歌が刻まれています。ここは節子が育った家の跡地で、岩手大学では井戸を復元して二人の歌を井戸の蓋に刻みました。

岩手大学農学部の温室脇の井戸

井戸の蓋に刻まれた啄木・節子の歌
ある日、ふと、やまひを忘れ、
牛の啼く真似をしてみぬー
妻子の留守に。
啄木 歌集「悲しき玩具」より
ひぐるまは焔吐くなる
我がうたにふと咲き出でし黄金花かな
節子 文芸雑誌「小天地」より
牛の啼く真似をしてみぬー
妻子の留守に。
啄木 歌集「悲しき玩具」より
ひぐるまは焔吐くなる
我がうたにふと咲き出でし黄金花かな
節子 文芸雑誌「小天地」より