第19号 明治橋の御蔵 盛岡市南大通三丁目12番30号
藩が作った米蔵を「御蔵」と呼び、大飢饉に備えた備蓄蔵でした。藩の米蔵で残っている所は少なく貴重な文化資産になっています。この場所は北上川に架かる明治橋の傍にあります。当時の橋は新山船橋といって舟24艘を鉄鎖でつないで厚板を敷いたものでした。
蔵入口
土曜日、日曜日にしか開かれず、いつもは閉時られています。
入口側
裏側(道路側で北上川側です)
御蔵は現在「下町史資料館」として利用されており、4月から11月の土曜・日曜(第1週は除く)に開館しております。館内には舟橋や北上川の舟運の史料や江戸時代からの生活用具などが展示されています。
川原町鉈屋町の丁印で、かつぐ形の漆塗りの屋台は明治の中頃まで八幡宮例大祭に随行していたようです。盛岡の有形民俗文化財第1号になっています。
なお、盛岡八幡宮例大祭は盛岡藩主が祭主となって行われる祭礼で、山車は飾りを毎年作り変えますが、丁印は山車とは異なり、町(丁)の印として,例年同じ屋台が飾られます。この例大祭に丁印は明治期まで随行していましたが、明治17年(1884年)の大火により大半の町が丁印を失ったと伝えられています
舟橋の主柱
舟橋は両岸に4本の主柱を打ち込み鎖を張って舟をさえていた。その当時の主柱の一つです。
啄木の歌も頑丈な額に入れて飾られていました。この歌の碑は盛岡岩山に建立されています。
石川啄木
汽車の窓
はるかに北に故郷の
山見えくれば襟を正すも
石川節子
光淡く
こほろぎ啼きし夕より
秋の入り来とこの胸抱きぬ