第7号 徳清 盛岡市仙北一丁目13番7号
徳清は醸造業や米屋などを経営し盛岡指折りの商家でした。広大な敷地には主屋の他に4つの蔵を持ち、その内の米蔵は盛岡城の一部を用いて造られたといわれています。
北上川に架かる明治橋際の仙北町側に建つ瓦葺きの屋敷で、道路より敷地面がより低くなっている。現在の建物は、明治20年頃建てられたようです。明治初期までは、明治橋は無く、舟橋があって、現在のように道路が高いものではなく、防火をを考え、米の貯蔵用に、土蔵をつくりにしています。
敷地より道路が高くなっている
徳清(明治橋)の少し上流から見た明治橋で、前方の山は岩山です。
明治橋(前方の山は岩山)
岩山にある啄木・せつ子夫妻の歌碑
汽車の窓
はるかに北に故郷の
山見えくれば襟を正すも
石川啄木
光淡く
こほろぎ啼きし夕より
秋の入り来とこの胸抱きぬ
石川節子
岩山から見る岩手山
徳清は醸造業や米屋などを経営し盛岡指折りの商家でした。広大な敷地には主屋の他に4つの蔵を持ち、その内の米蔵は盛岡城の一部を用いて造られたといわれています。
北上川に架かる明治橋際の仙北町側に建つ瓦葺きの屋敷で、道路より敷地面がより低くなっている。現在の建物は、明治20年頃建てられたようです。明治初期までは、明治橋は無く、舟橋があって、現在のように道路が高いものではなく、防火をを考え、米の貯蔵用に、土蔵をつくりにしています。
敷地より道路が高くなっている
徳清(明治橋)の少し上流から見た明治橋で、前方の山は岩山です。
明治橋(前方の山は岩山)
岩山にある啄木・せつ子夫妻の歌碑
汽車の窓
はるかに北に故郷の
山見えくれば襟を正すも
石川啄木
光淡く
こほろぎ啼きし夕より
秋の入り来とこの胸抱きぬ
石川節子
岩山から見る岩手山