陸中八十八カ所霊場は明治24年、光勝寺(第88番)の26世赤塚宥天、大興寺(第1番)の30代桐野圓宗、自性院(第77番)の48代斎藤光海の3人でつくったといわれている。当時は四国に行くのは大変だったので、「陸中新四国八十八カ所霊場」として、四国八十八霊場の「本尊」、「御詠歌」をそのまま用い、この地の88カ所のお寺を当ててつくったものです。自然を楽しみながらの巡拝はいかがでしょうか
34番 染黒寺 本尊薬師 川岸(現 北上市川岸2-7-53)
以前は禅国寺といわれていたが永正元年に染黒寺(ぜんこくじ)に改められたとある。明治23年の大火により全焼したが、10年後の明治33年に現在の本堂が再建された。
御詠歌
「世の中にまける五穀の種間寺ふかき如来の大悲なりけり」
「世の中にまける五穀の種間寺ふかき如来の大悲なりけり」
なお、四国八十八ケ所霊場の三十四番は「種間寺」です。
種間寺御詠歌
「世の中にまける五穀の種間寺深き如来の大悲なりけり」
「世の中にまける五穀の種間寺深き如来の大悲なりけり」
(播かれた五穀の種によって、多くの人が救われる)