武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

引き合い

2019-10-31 08:08:14 | 武久の視線



支援者側の人から

障害者との会話中に、僕を引き合いに出したり
僕との会話の中に、他の障害者の人を引き合いに出したり
そんな経験を数回したことがあります

僕はそう言う話がとても嫌だった
僕が受容もしてない時期に「こんな活動している障害者の人もいるのよ」

「武久さんの話を受容出来ない障害者の人に話してもいいですか?」
僕は断る、自分がそのような話で嫌な思いをしたからだ

障害を受け止められずにいる人へ
こんな頑張っている障害者もいるのよ、いたのよ的な話

老若男女、他人と自分とを比べてものを言われたら嫌なもの

それは障害者とて同じこと
引き合いを出されるって、比べられているようで嫌な気分のものでした。

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私の当事者視線

2019-10-23 16:10:21 | 武久の視線


私の当事者視線は医療、介護、福祉など数グループに発信していますが
発信当初から、ある職種の人たちの少数の人から
批判的な意見をもらうことが今でもたまにあります

批判内容は、偉そうだとか、生意気、人格者ぶっている、、、
介護されている身なら、もっと感謝をしたら、、、風な意見である

私とて家内や家に来る訪問サービスの人などには感謝の意は伝えている
がしかし、私と関りを持っていない人に感謝を求められても困る私です

否、ポイントはそこの点ではなく

日本の高度経済成長期を支えて来た
団塊の世代が後期高齢者を迎えるこれからの時代

介護される人の質が変わると思う
当然ネットなんかもする人も多くなるだろうし自己主張する人も増えてくる

その人たちに
あなたは介護されている身なのだから感謝しなさい

そんなことは当然ながら通用しなくなるし
介護保険外のオプション的な利用者が選択するケアも登場してくるだろう

人手不足、低賃金と言われ続けた分野でも
企業努力やサービス内容で賃金格差も出てくるだろう

利用者の質も変わるのだから
当然スタッフ側の質も変わっていかねばならないのだろう、と私は思います。




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QOLの要因

2019-10-20 16:25:51 | 武久の視線

私は四肢麻痺、ベッドの暮らしになって
機能的にも生活形態においても色々な欲がそぎ落とされた

物欲、金欲、色欲、、、
そのそぎ落とされてゆく中で芽生えた一つの欲があった

健康で働いていた頃には考えたこともなかったものだった
その欲とは「役に立ちたい」

働けなくなったからそう思うのか?
稼げなくなったからそう思うのか?
自分の存在価値、生きている意味、実感みたいのが欲しかった

左手が麻痺しながらも動く私は、PC操作を覚え現在に至るのだが
私に芽生えた欲「役に立ちたい」
この欲は、人のQOLを高める要素の一番なのではないのかな?と思う

他人からお世話になる立場になったから
そんな自分でも何かの、誰かの役に立てる
役目みたいのが、みんな欲しいのだと、私は思います。


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家庭内での人生会議

2019-10-18 10:11:58 | 武久の視線



身内の還暦や米寿を嫌がる人はいない、逆にお祝いごとの対象となる
ではそれらの先にある万人に訪れるもの「死」ならどうなのだろう
身内の死、縁起でもないこと、不吉なこと、考えたくないこと、、、

人生の途中で四肢麻痺となった私から思うに
五体満足で老いて逝けるということ、それだけでも羨ましいことなのだが
そのことは置いておいても

家の家内でも、私が逝く時の話など持ち出すと顔を曇らす
私の危機を看病して来た家内でさえ
私が老いて死ぬ、という話はしたくないみたいだ

そこを説得してまで私の意向を伝えようとは私は思わない
必要以上に苦労をかけてしまった家内に対して私の意向をゴリ押しする気はない

家庭内での人生会議、、、
いい発案なのだろうが、無理して行うものでもなく
家族の反応も見ながら、聞きながら
それぞれの家庭の歩幅で進められたらいいものと、私は思います



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相互関係

2019-10-15 07:51:36 | 武久の視線


医療、介護、福祉などの従事者、専門を掲げる人たちは
自分の知識や技術の向上には意識が高いようだが
患者利用者、その家族とか素人の意見などには興味すら持たない人も多い

それらの素人=クレーマーの意識が強かったり
色々な煩わしさから同じテーブルに付くことも殆どない

がしかし
専門とは言え医療、介護、福祉などは対人間分野
そこには必ず相互関係が不可欠なのだと思う

自分たちの知識や技術の向上なども大切なのだろうけれど
患者や利用者などとの対話やリサーチなども大切になって来ると思う

相手の気もちを無視した一方的な支援では
たとえ優れたものであっても、人権無軽視につながると思います


患者も利用者もあなたと同じ人間、一方的な支援ではなく
心の交流のある、相互関係の支援であって欲しい、と私は思います




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専門用語

2019-10-11 12:17:55 | 武久の視線


支援側で語られる、利用者の問題行動、困難事例、問題?困難?
文章にしても、会話にしても時に見聞きすることがある

意味、内容はともかく
誰に対しての問題なのか?誰に対して困難なのか?
そもそも利用者は問題や困難があるから支援を受けているのである

要は、大なり小なりの問題、困難があって当たり前の存在な筈

私には問題行動、困難事例などなどは
利用者に問題や困難なことがあって厄介なケースであるかのように聞こえる

被害者意識が過敏と言われるかも知れないが
専門用語、、、専門、対人分野、その道のプロの人たちが創る言葉だからこそ
気づかいや思いやりのある言葉を創って使って頂きたい、と私は思います。


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大きなお世話

2019-10-09 08:16:41 | 武久の視線
「奥さんに感謝だね」「奥さんに感謝してね」、、、
受傷以来
看護師さんや介護士さんなどに言われ続けられた言葉

愛想笑いを返すとか「そうですね!」とかの対応の私
しかし、ことあるごとに言われては対応に疲れてしまう

家内に感謝していない筈もないし
他人から言われなくとも十二分に感謝している

なぜ?
諭すような口調で「武久さん、奥さんに感謝しないとね」
私は内心(またそれかよ!)、、、お約束なのだろうか?

大きなお世話である

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同性リハビリ

2019-10-03 11:04:31 | 武久の視線


利用者である私の耳にも同性介護とはよく耳にする
介護を受ける側として私は、異性でも同性でもさほど気にはならない

しかしながら重度障害の中途障害者として、異性では辛い時もある
重度障害者の場合、トランスファとかリハビリ時の密着度は高まる

異性、女性の療法士さんでは切ないものがある
専門職の方から言わせれば意識する方がおかしい、となるのだろうが

こちらは素人、私と同様の思いを抱く患者、利用者も多くいると思う

身体に触れる分野だからこそ
私は「同性リハビリ」を望みたい

私が実際、経験して来たから言えるのだが
患者や利用者の問題行動の中には
「照れ隠し」みたいな意識がある場合も多々ある、と私は思う。




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