脳卒中に倒れ、気がつけば四肢麻痺、、、その時に抱いた絶望感や喪失感
長く苦しめられたものの、その想いは時の流れ共に慣れと諦めとで風化して行った
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が、いつまでも周期的に心に湧く「妬みや僻み」には悩まされる
それは些細な出来事や些細な言葉、些細なことをきっかけにして湧き上がる
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他人からみれば本当に些細なことなのだろうが負のスパイラルに落ち込む
いじけたり悪く憶測してみたり自暴自棄に、、、考え過ぎだとは分かっていても
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この感情はなかなか手ごわい、油断しているとすぐにやられる
俺は思う、この周期的に繰り返す「妬み僻み」を制する者は中途障害を制する、と。

これは、在宅でせよ介護サービスでせよ
長年、介護を受けて来た僕が感じたことです
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どうしても、介護する側には(やってあげている)という想いを持ちがち
どうしても、介護を受ける側は他人に頼む申し訳なさを感じ卑屈になりがち
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どうしても、介護する側は時間に追われ忙しさに悩まされ
どうしても、介護を受ける者は時間を持て余し退屈さや暇に悩まされる
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要するに、介護する者と介護を受ける者にとっては
同じことがらでも、真逆に感じていることが多い、と僕は思う。

ネットで「グリーフ」を検索すると、、、グリーフとは、大切な人やものを
失ったことによって生じる悲嘆や苦悩、さまざまな感情のことです。 と書いてある
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グリーフケア、、、なぜ日本では死別だけに特化したケアになったのだろうか?
僕も含む、人生の途中から障害者になった者、倒産した経営者、大失恋した人、、、
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自死も意識するような絶望感や喪失感と言う大きなグリーフを抱える
僕が経験した中途障害は機能の喪失、社会での立場の喪失、、、喪失感の塊のようなもの
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そのグリーフを、自分一人で抱え込み、消化してゆくしかなかったことを経験した
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専門職に死別のみのケアと認識されているグリーフケア
グリーフの意味を理解すれば、幅広く痛めた心をケアするものになれるのではないだろうか。

麻痺が残る脳卒中のリハビリには大きな地域格差がある
麻痺からの機能回復は誰もが望むし、希望にも生きる力や糧ともなる
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以前、テレビで見た有名人の「闘うリハビリ」と言う番組
最先端の技法や設備なとで行われるリハビリ、不屈の精神で取り組む有名人、、、
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一般の人には感動的に映るだろう、しかし、同じ境遇の人たちには羨ましい限りだ
機能回復を望むのはみな同じ、しかし、受けられるリハビリには大きな格差がある
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都会と地方とでの施設、設備の違いや、受けられる制度的なことや
居住区によっては、訪問リハビリすら受けられない人たちもいる
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当事者は、いくら画期的なリハビリや素晴らしい機能回復を見聞きせられても
自分がそのリハビリを受けられるのかが重要、見聞きした希望では羨ましさだけが残る。

カウンセリングに興味を持ったことがあった、なぜかと言えば
現代の医療や介護って身体的な痛み、身体的な問題に終始しているから
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痛みや悩み、問題や困りごとと言うのは、身体だけではない内心的にもある
しかし、数値に表れるものや目に見えるものばかりが治療や介護の対象になる
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患者や利用者は身体的にはもちろん、心、気もちや感情的にも痛みを抱えている
施設内にも心理士や相談員とかソーシャルワーカーとかは配置しているのだろうが
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生活に身近なところにカウンセラーみたいな存在がいたら心の痛みも緩和されるのかも
僕の病院や施設体験から思いました、ケア職のカウンセリングスキルも気にかけて欲しい

在宅なりデイサービスなどで関わって来た多くの介護スタッフさん
明るく元気でのりのりにテンションの高い人たちを多く目にして来た
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テンションを上げることによってモチベーションを維持しているのだろう
しかし僕は、そのテンションの高さには、いつも違和感を持っていた
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どんな状態の人であっても介護を受けている人は高齢者や要介護の人
騒がしさより静けさを好み、テンションの高い人より穏やかな人を望むと思う
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仕事へのモチベーションを上げることは大切なこと
しかし、モチベーション上げること=テンションを上げることではない、落ちつける介護を。
