介護を受けるための心得
・
自分が老いて他人の世話になる、と言うことは
老いていずれは死ぬ、と言うことよりも考えたくないことなのかも知れない
・
なりゆきなのだから考える必要もないのかも、だが
葛藤まみれの介護生活では、穏やかな気もちで最期を迎えることは難しいと思う
介護を受けるための心得
・
自分が老いて他人の世話になる、と言うことは
老いていずれは死ぬ、と言うことよりも考えたくないことなのかも知れない
・
なりゆきなのだから考える必要もないのかも、だが
葛藤まみれの介護生活では、穏やかな気もちで最期を迎えることは難しいと思う
介護を受けるための心得
・
老いて介護を受ける体になった自分を嘆くか
この歳まで事故や災害、大病気からも免れ生きて来れた、と思えるかでは
・
全然、違った老後の介護生活になる
僕も四肢麻痺にはなってしまったけれど、老いてゆけることは幸せに思う。
介護を受けるための心得
・
羞恥心、つまりは恥ずかしさへの対処
オムツをしてもらう、入浴介助、トイレ介助など想像しただけでも恥ずかしいよね
・
しかし、こればかりは考えようで慣れるか諦めるしかない
強すぎる羞恥心は自暴自棄になったり、自尊心をキズつけたり、自分を苦しめるだけのもの
医療、介護に当事者として僕の気もちを長く発信して来たが
当然、伝わる人には伝わるし、伝わらない人には伝わらない
・
長年の発信経験から分かったことは
僕がどんなことを発信したとて、何が変わる医療、介護業界でもない
・
さすれば、ここいらで方向を変えてみるのもいい
・
変わらない医療や介護業界に対して
患者や利用者の意識改革、逃げ意識のピンピンコロリ崇拝では駄目
・
自分の望み通りにポックリと逝ける人はまれ、殆どの人は介護を受ける
さすれば多少のことには凹まない逞しい患者、利用者にならなくてはいけないのだ
・
「介護を受ける心得」みたいなものを構築してゆく視点も大事なのかなと。
僕が良く言う「人は体と心とで出来ている」と言うこと
医療だけではなく介護にも同じことが言える、全人的介護を
・
介護制度や介助方法、機器や介護用品、体のことに関しては進歩している
しかし実際、介護を受ける者の心労や葛藤、不安や羞恥心とかなどには
・
何のケアもフローアップもなく、それらは本人とかその家族まかせ
・
人はみんなピンピンコロリを願う
それほど介護される、他人の世話になることは嫌なことなのに
・
「介護を受ける心得」みたいなものが何一つも確立されてはいない
それなのに穏やかな老後をとか、その人らしい老後をとかを謳う介護業界。
働き盛りから急に介護を受けるようになった僕と
老いて動作などが衰えてゆき、介護を受ける人とでは違うのだろうけれど
・
介護を受けることによって抱く感情は基本的には同じだと思う
その羞恥心やプライドなどと上手く折り合いを付けて行かなければならない
・
まず、介護される自分姿を自暴自棄的に否定してはいけない
あなたはこれまでの人生で十分、社会人として働いてきたのだから
・
他人のお世話になるのも裸をさらす恥ずかしさも、もの考えようで
人は赤ん坊の頃はお風呂に入れてもらったり,オムツをしてもらったりしていたのだ
・
老いると言うことは、赤ん坊に還ることなのかも知れない
ただ言えることは、介護される自分を自分が受け入れなくては穏やかな心にはなれい。
エンディングノートを書いて自分が介護を受けることや
自分の老後の希望や色々な決めごとを明記しておくのは大切なことなのだろうが
・
44歳から介護を受けている僕の体験から思う
介護を受けるにあたって最初で、しかも最大の難関は羞恥心やプライドとの格闘
・
人は誰でも、たとえ家族でも他人前で裸になるは恥ずかしい
他人にものを頼むのは心苦しいし、自分で出来ないのは情けない
・
介護を受けるようになるってことは
こういう感情と上手く付き合って行かなければいけないと言うこと
・
このことを認識、意識していないと、たとえ何を準備していようが
穏やかな老後とか、穏やかな最期などとは無縁なこととなってしまうのだ。
介護をする人が日々、忙しさとの闘いなのなら
介護を受ける者(ベッドにいる人)は日々、退屈さとの闘いだ
介護とは、する側も受ける側も、どちらも大変と言うことなのだ
夫婦、親子、、、間柄は何にせよ、介護とは相手を思いやる心がなくてはただの重労働になる