武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

希望と願望

2015-03-30 11:22:45 | 武久の視線
なんでもそうなのかも知れないが、、、希望は願望になると自分を苦しめる



機能回復の希望、、、リハビリ


よくなりたい、よくなりたいの気持ちが大きくなり過ぎると、期待が強くなり結果を求め
こつこつと希望のはずだったリハビリが、願望のリハビリへと変わってしまう





生きがいと言う希望、、、誰かの何かのお役にたちたい


その想いの発信や活動への意欲が大きくなり過ぎると
押しつけがましくなったり、反応や応答、共感などを得られないと空しくなってしまう



二つの例を挙げてみたが、希望も度が過ぎれば期待、願望、欲へと変わる、と言うことだと気がついた






要はこれまた「今」にかかわるのだけれれど
「今」自分が必要とされている事に、「今」の自分で全力で頑張っていこうと思う


今まで充分に発信や活動はしたのだから、これ以上自己主張はしなくていい
「今」僕を必要としてくれる人たちの為に頑張ろう


僕は、希望を願望にはしたくない。




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生きがい(追記)

2015-03-04 11:05:21 | 武久の視線
ケアプランに盛り込むQOLとしての「生きがい」、ADLが低くとも利用者は社会性や、、、


利用者の「生きがい」は大切なのだ! がしかし、その「生きがい」利用者だけに大切なものだろうか?


利用者だろうが、ケアマネだろうが、学生だろうが、サラリーマンだろうが
昔だろうが、現代だろうが、、、人にとって「生きがい」って大切なものなのだ


なぜ、支援者の間ではQOLが重要とか、その利用者の生きがいとか、社会性が、、、とか、さも利用者に重要な事みたいに語られるのだろう



支援するあなたにも、支援される利用者にも大切なものなのにね
認知症の方も人、寝たきりの人も人、利用者も人、介護職も人、ケアマネも人



なにもわざわざ難しくしなくても、、、
利用者もあなたと同じ「人」なんだな、と思うことなのじゃないのかな?








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生きがい

2015-03-01 12:05:04 | 武久の視線
僕が脳幹出血にたおれ、意識がもどり落ちついた頃(助かった、よかった)なんて思えるはずもなかった
生きてても動けない事は挫折感、絶望感から(死にたい、なぜ死ねなかったのか)になった


そんな最中、僕を元気勇気づけたのは、妻への夫として、息子らへの父親としての役目だった


人は自分の居場所や、役目、生きがいなどを感じなければ
老若男女、健常者も障害者も、病気してても、どんな人であれ生きている意味を見つけられない


生きがいを感じれず、生きているだけの存在になってしまう



自分の居場所や役わり、生きがいなどを感じれたら
高齢者だって(長生きしててよかった)、障害者だって(不自由だけど生きててよかった)になれる



ADLが低くともQOLが高ければ、その人は自立できる




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