goo blog サービス終了のお知らせ 

保存版ブログ介護されし者

介護を受ける武久ぶくの視線

在宅訪問サービス

2023-01-31 09:13:27 | 武久の視線


利用者の生活に入り込む訪問サービス
僕も長年利用させてもらい色々なスタッフと関わって来たが

大きく分けると二つのタイプに分けられると感じる

利用者の雰囲気やペースに合わせてくれるスタッフ
利用者の雰囲気やペースに関係なく自分のペースで接してくるスタッフ

二つの良し悪しは別にしても大切なことは
訪問サービスとは、、、利用者の家に、生活に入り込んでいると言う認識




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕の座右の銘

2023-01-30 11:34:04 | 武久の視線
座右の銘、、、僕の場合は受傷前と後では違った

●受傷前「大胆かつ繊細」
風林火山の如く豪快さの中にも
細やかな気配りが出来る人になりたいと思っていた

●受傷後「人間万事塞翁が馬」
苦悩していた頃にこの言葉と出逢えて前を向けた
災難だと思っていたことが、時を越えて幸運だったことに変ってしまう

僕が福祉学習の心の授業で中学三生に伝えて来た
「人生あきらめなければ、なんとかなるものです」にも通じるものが、、、

生きていてもしょうがない、から始まった僕の第二の人生
塞翁が馬、諦めなければ何とかなる、の想いに支えられて来ました





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕には言えない言葉

2023-01-29 10:20:15 | 武久の視線

●「障害は個性」
この感覚は先天性障害と中途障害の違いもあるのだろうと思う
健常者の記憶が残る中途障害者にとってはなかなか言えない言葉である
一まとめにされがちな障害者としては「障害者も個性」とは言いたいのだが

●「死ぬこと以外はかすり傷」
僕がとある人に言われた言葉だけど
僕は命が助かったけれど四肢麻痺をかすり傷とは思えない

●「楽しくなければ人生ではない」
僕は四肢麻痺になってからの人生の中で
喜びを感じたことはあるけれど、楽しいと思ったことは一度もない






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人は変わらない

2023-01-28 08:31:27 | 武久の視線


患者や利用者、、、人生でハンデキャップを背負った人たち
背負ったハンデキャップの影響で変ってしまう言動があったとしても

その人の核となる部分、、、性分や価値観などは変わらない

専門職の対人能力の知識として
障害者の心理とか高齢者の心理とか耳にすることがあるけれど

その人の性分や人生で培われ創られた価値観などは
その人の人生物語りに耳を傾けなければ、その人は見えては来ない





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕を見て

2023-01-27 09:58:19 | 武久の視線
以前とは違い、コロナ禍と加齢に伴う体力の衰えにより
近年は通院ぐらいであとは殆んど外出していない僕なのだが


外出した際、僕を見て(かわいそう)とか(ああはなりたくないよね)とか
そう思われても僕は一向に構わない、と言うより僕の存在意義すら感じる

可哀そうとか見世物的に見られるのは嫌、と言う障害者の方は多いけど
僕個人は平気と言うか、どう思うのかは見た人の自由だし強制など出来ない

がんばってにしかり、かわいそうにしかり、別にバカにしている訳ではないのだ






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死人(しびと)への尊厳

2023-01-26 07:38:01 | 武久の視線


某テレビでやっていた在宅医療の番組を観て思った
癌の在宅での終末期治療のドキュメンタリーだった

その患者さんの死へと向かう心の動きや
関わる医師やケアスタッフとの関係性などを取り上げた番組だった

当然、その患者さんは亡くなってしまうのたが
その死に顔もしっかりと放映されていたのだった

どんな意図があり、たとえ当人と生前の確認があったとしても
死に顔を公共の放送で流すと言うのは、あまりにも赤裸々過ぎると僕は感じた





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感謝の前にあるべきもの

2023-01-25 09:26:16 | 武久の視線


最近やたらと見聞きする「感謝」と言う言葉
生かされていることに感謝、支えてくれる人々に感謝、、、

何か感謝と言う言葉だけが先走り
体裁が好い、耳ざわりの好い、使いやすい便利な言葉になっている気がする

感謝と口にする前に「ありがたい」と思える心が大切

そのありがたいと言う感情を
何度も噛みしめた先に、感謝と言う想いが湧いて来るのだと僕は思う




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みんな同じ

2023-01-24 09:28:38 | 武久の視線
お世話してあげている、と言うのは上から目線を感じ
お世話させていただいている、と言うのもどこかむず痒い

接遇とか敬うとか人生の大先輩とか、、、
支援とか介護とかに力関係は要らない

さげすむこともなければ、美化することもない
老若男女、接遇、経営者従業員、優劣などに関係なく

全ての人は、みな同じ人間だと言うことの認識なのだ
その認識の中での常識的な人間関係であるべき、と僕は思う



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕が経験した二つの受容

2023-01-23 09:47:09 | 武久の視線


人は病や障害などの災いを被った時
そんな時には二つの受容を強いられるのだと思う

一つは病気や障害に対しての受容(出来る出来ないは別として)
二つ目は他人の世話になると言うことの受容

人は、他人に頼むと言う行為は苦手なこと、嫌なもの
たいていの人は無理をしてでも自分一人でやってしまうもの

他人の世話になると言うことには
その人のプライドや自尊心に反してお願いをする立場

要は患者も利用者もなりたくはなかった姿、状態なのだ
と言うことをケア職の方は頭の隅っこに置いて於いて欲しいもの





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深夜徘徊

2023-01-22 09:59:39 | 武久の視線


4.50代の頃、介護度認定調査で「今日は何月何日ですか?」
「ここが何処か分かりますか?」みたいなことを聞かれた覚えがある

まっ、形式的な質問なのだからいたしかたがないこと
と答えてはいたものの、次の質問には絶句した「深夜徘徊はありますか?」

四肢麻痺の利用者に深夜徘徊、、、あなたはコンビニのバイト並み?
今だったら「徘徊してみたいものですね」とでも言えたのだろうけれど、、、

当時の僕は「なにぃ~深夜徘徊だぁ~、#%$&〇×△◇―――」と興奮していた





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする