武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

人命

2020-02-28 14:42:18 | 武久の視線


医療的に「人命第一」は当然のこと

しかし、僕の場合は働き盛りに倒れ
病院で意識が戻れば、どこも動かず、喋れず

(命が助かったぁ~、良かったぁ~)とは思えなかった
逆に絶望感から(死にたい)とすら思った、しかしどこも動かないから死ねない

ここで当時の感情を語る気はない

検査結果で重い病気を発見されたりした人などは
命には別状がなくて良かった、とは思えないだろう

確かに、人にとって命は一番、大切なものだ
しかしながら、同じくらいに心も大切なのだと思う

僕の入院経験は終始、肉体的な治療だった
体の痛みの治療、病の治療、これがあたり前なのだろう

僕の心
絶望感や喪失感、不安や孤立感などの心の痛みとは一人で向き合うしかなかった

人は心と体とで出来ている
体の痛みや病気の治療、心の痛みの治療

この二つの治療が同時進行していて
はじめて人間の治療と言えるのではなかろうか。



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介護生活会議

2020-02-21 10:39:11 | 武久の視線


穏やかな介護生活でなければ、穏やかな最後などありえない 
介護を受けている僕は、そう思っています

老後など介護が必要になったら誰の世話になる、施設の世話になる
母の介護は私がする、お父さんの介護は動けるうちは母さんがする

なかなかそのような話題にはならない、したくない、考えたくない
なりゆきとか、その時に考えればいいよと言うのが関の山だ

最近よく耳にする「人生会議」、確かに重要なことなのだろう
しかしながら、人は逝く前には必ずと言っていいほど介護生活がある

介護生活→ご臨終が普通の流れなのだ

介護制度とかの細かなところは別にしても
介護生活の方向性、介護生活の担当者ぐらいは決めておいた方が良い気がする

その日は必ず来るのだから来てから慌てぬよう、責任転嫁などにならぬよう
夫婦、親子などで元気なうちから介護生活について話し合いをしてみましょう。


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夫婦在宅介護生活

2020-02-18 09:09:27 | 武久の視線
介護生活と言うもの
傍から見れば苦労とか大変に見えるのだろう、否、確かに大変な部分もある
でも、それは生活してゆくためなら、どの家庭にもあることなのだ

「仲のいいご夫婦、、、」「素敵な奥さん、、、」「頑張るお二人、、、」など
とかく美談にまとめられがちな、僕らの夫婦在介護宅生活なのだが

別に否定する気はないのだけれど
介護度5の夫、それを介護する妻、僕は一人では生活が出来ない
当然365日、夫婦一緒に居なければ僕らの在宅生活は成り立たない

笑っている穏やかな日もあれば
口も利かない険悪ムードな日もある
売り言葉に買い言葉で言い争いになる時もある

特別に仲の良い夫婦と言うことでもない
笑ったり喧嘩もしたりする歳相応の、普通の夫婦なのだ





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もっと大変な人

2020-02-05 14:47:56 | 武久の視線
 

支援してくれる人
(ケアマネや看護師、社協職員などなど)から聞く言葉に

「あなた(あなの家)より
もっと大変な人(家)も居る(ある)のよ~、まだいい方よぉ」


励ましの意味で言ってくれてはいるのだろうが
僕とすれば何の意味も効果もない
逆に言えば無責任な言葉にも聞こえる

苦しみとか痛みとか、悩みとか不安とかは
他人のものと比べられるものではない


引き合いに出された人(勿論、個人名は出ないが)にも失礼なことだと僕は思う。




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