武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

介護とは、、、

2015-08-26 10:10:11 | 武久の視線
全介助の生活、介護される身となり十数年、、、
妻との在宅介護生活や、介護サービスを利用して思うのは  介護とは日常生活 だと言うこと


介護される側も、介護する側も、葛藤もあり、喜怒哀楽なども普通にあり、共に普通に生きていること


そもそも、介護業界、サービス業の人たちが、介護と言うものいたずらにを複雑難解なものにしている
だいたい人はみな、老いてボケたり、介護されたりして生涯を終える、介護されているからといって特別な人間ではないのだ 


生きがいなんかをもち、生きててよかった、と思えなければ生きてても張合いがない、それはどんな立場でも、老若男女みな同じだ 
高齢者=介護する、お世話する対象者だからと言って、介護する人間となんら変わらない感情をもった人間なのだ


それを、やれ問題行動だの、何型の認知症だの、水飯糞運動だの、困難事例だの、、、介護業界は介護される者を管理したがる「あてがう介護」だ 


  介護される者は、なにも特別な人間ではなく、介護する側と同じ感情をもつ人間なのだ  


高齢者を管理しようとする、介護する側主体の「あてがう介護」ではなく
これからの介護業界は、高齢者にあてがう介護ではなく、高齢者と共に生きる介護でなくてはならない



介護とは、、、飾れない、究極の人間関係なのだから。。。

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言えない言葉

2015-08-18 16:45:42 | 武久の視線
">「障害は個性」

僕は依頼があれば講演にも出かけているし、社協の福祉学習やオリジナル紙芝居で読み聞かせボラになんかも参加している
ドラムで在籍していたバンドに詩の朗読でLIVEに参加したり、人権の尊重される介護をうたい同志と介護維新の塾を始めたり、、、


決してネガティブな障害者ではない
しかしながら、四肢麻痺の僕は、四肢麻痺は僕の個性とは言えぬし、思えない


障害は個性、周りの人に生かされている、神はのり越えられぬ試練は与えない、念ずれば花開く、信じていれば奇跡は起こる、、、
前向きな障害者の代名詞みたいに使われている


当事者が障害や生き方をどう思い、どう書こうが勝手なのだが
時として、支援者がそんな言葉を使ったり、引き合いに出したりする


さっきも書いたが、僕は障害を個性とは思えないし、あきらめなきゃ歩ける様になる、とも思ってない
障害の程度は別にしても、そう思っている当事者は沢山いるはずだ


「障害は個性」、、、あたかも障害受容の代名詞にみたいに使われるのは如何なもの かと、僕は思う。









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明るく楽しく元気よく!

2015-08-12 10:32:03 | 武久の視線
僕から見た介護保険の介護サービスは「明るく楽しく元気よく」がモットーの様に映った
実際、ほぼ毎日のように4年間通った介護予防パワリハディサービスでは、毎日お祭りさわぎのレクレーション

つけっ放しの大音量テレビ、スタッフの大きな笑い声、お年寄りに聞こえるようにと離れた所からの大声
紙芝居ボランティアで保育園などに伺う僕ら夫婦なのだが、園以上に騒がしいのが高齢者のデイサービスなのかも知れない


在宅生活で利用している訪問入浴でもそうだった(現在はその旨、伝えて静かに入浴)
ハイテンション+世間話し、耳が遠い人に語りかけるような大きな声、、、静かなプライベイト入浴とはほど遠かった


僕は思っている 介護サービスとは、利用者の生活の一場面だと
だからイベント的な異次元はいらない、ましてや訪問サービスは直に生活場面に入りこむのだから、そこん家の雰囲気やペースに合わせるべき


一方的なハイテンションや、大きな声、たわいもない世間話し、、、などは僕には不快である


デイのレクレーションや企画も、テレビのバラエティー番組みたいなスタッフが盛り上がっているのが現状みたいだ
老いた高齢者が、明るく楽しく元気に、のハイテンション介護に疲れない筈はない。


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決まりですから!

2015-08-07 10:24:42 | 武久の視線
「そういう決まりになってますから」


介護護保険を、介護サービスを利用するようになって、何回この言葉を聞いただろうか?、、、
水戸黄門の印籠みたいに最終的には「決まりですから」をフトコロから出す


まっ、のっけから「そういう決まりになってますから、、、」と言い切る人も居るのだが
警察や校則の決まり=事件や事故などを未然に防ぐための決まり、が介護現場の決まりって異質なものみたいだ


「そういう事は、やってはいけない決まりになってますから」「それとこれとは一緒に借りられない決まりですから」、、、
その決まりを破るとどんな弊害があるのだろう? 罰金はくるのだろうか? 罪人になってしまうのだろうか?


今や日本国憲法すら解釈をねじ曲げられ法案を通そうとしているこの時代に


戦中、戦後、貧しい環境の中を懸命に生き、民主主義の礎の時代を生きて来た高齢者
その時代があったおかげで、今のものの豊かになった現代がある
なのに「決まりですから」とあれもだめ、これもだめと、あたかも正義かのように高齢者にふりまわす「決まり」




介護保険業務の中での「決まり」って誰のためにあり、何を保護するためにあるのだろうか?

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介護度5

2015-08-01 14:50:27 | 武久の視線
中途障害者、介護保険第二被保険者、障害者支援、、、、僕みたいな社会保障、社会支援の対象者には等級がつく


僕の場合は、、、身障度1級、介護度5
知ったからと言って何が変わるわけでもないので、あまり詳しくは調べたことは無いけれど


ようは身体的には立つことも、座位をとることも出来ない
介護的には、排便排尿も食事も一人では出来ない、生活の全てにおいて介護が必要


なんか文字にすると凄いけれど、、、
実際、僕が一人でも出来る事と言えば、考えることと、しゃべること


誰とも何とも比べる気はないが身障度1、介護度5が僕
何で今さら?なんだろうけれど、最近マジマジ考えさせられることがあってね


障害者支援や、障害者の社会参加となると受容とか、前向きさが取り上げられるけれど
障害の部位や程度も関係あるのだが、一番は介護度なんだなぁ、気づかされた


どれだけの事、どれだけの生活が一人でできるのか?なんだなと
障害者の社会参加や、障害者の仲間づくりなど、支援する側は、障害者だから、中途障害者だから、車いすユーザーだから、と


一括りにしてしまいがちだけれども、一口に障害者とは言えど、障害者も健常者と同じように色んな人がいてあたり前なんだけれどね。


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