武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

福祉機器

2023-09-30 10:09:47 | 武久の視線


私ら夫婦の生活には不可欠な福祉機器
一般人に例えたなら、必要性も利便性もあるスマホみたいなもの

福祉機器を介護生活に取り入れることにより生活が向上する

私らの生活で言えば力のない妻一人でも私を移乗できる介護リフト
そのリフトを使うようになってから私の活動範囲は断然に広がりました

二つ目は自動採尿機、自動で採尿してくれるから
尿瓶を使っていた頃よりも妻に時間的余裕や、、、と言ったように

福祉機器を使うことによって楽、便利さ安心などと共に
介護生活に時間の余裕や、心の余裕などをつくってくれる

福祉機器を使うことにより
趣味や生きがいを見つけられ心豊かな介護生活になれる!と私は思います。






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変わらない

2023-09-28 10:47:16 | 武久の視線
たまたま5年前の投稿を目にする
今も伝えたいことと変わらないものだと自分に感心する

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「伝えたいこと」

人は老いて死ぬ、、、
あたり前のことなのに、世間では縁起でもない話になる
私も倒れる前までは「嫌な事は考えたくない」
「他人の世話になるまで長生きしたくない」の部類だった
近年はシルバー世代から終活とか
「自分らしい死に方」など元気なうちから
真剣に自分の死と向き合う人たちも増えてきたようだ
とても良い傾向なのだろうと思う
しかし、私は若くして
介護を受ける身になった者として伝えなければならない、
と思っていることがある

大体の人は、老いて死ぬ、
という流れの中で介護を受ける 
逝く覚悟や準備も大切なのかも知れないが
自分が他人の世話になる、
介護されるということにも覚悟が必要に思う
介護されるということ、なかなか大変なことなのである
それなりの覚悟がないと葛藤や、自暴自棄などに悩まされる
自分らしく終われるか?否か?は
介護を受けている自分の精神状態などが決定する 
と言っても過言ではないと私は思っている。

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私の発信

2023-09-26 07:59:11 | 武久の視線


私は受傷してから自分が体験したこと、その時に感じたこと
その時々の心の動き、そのことについて私が思うことなどを発信している

季刊誌のコラム、SNS(ブログ、Facebook、X)などに書いたり
時々、自分のオンラインで話したり、他グループに参加したり招かれたり

現在受傷後20年、最初の2.3年は現実と格闘した、その末たどり着いた
何の生産性を持たない私の社会的存在価値とは?「四肢麻痺の私だから出来ること」

コロナ騒動で活動出来なくなるまで10年間続けた園、小中学校の福祉学習
パワリハを止め、その後から本腰を入れ始めた発信活動が10年そして、今

発信活動を始めた頃は承認欲求ではないが私の存在を知ってもらいたいがために
拡散希望みたいな気もちがあったが、今は伝わる人に伝わればいい、と思うようになった。





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AI的人間

2023-09-24 10:44:51 | 武久の視線


私は昭和生まれのアナログ人間がゆえAI事情に詳しいわけではないが

様々な業界にAIが導入されるにあたり危惧されるのが人間的「情」なのかとも思う
確かに情などを持たないAIの導入に懸念を示すのは分からなくもないのだが

その「情」の部分で言えば
近年の接客や電話対応などにマニュアルどおりを感じるのは私だけだろうか?

臨機応変もなく、情も感じられない
決められた内容を感情も感じられない丁寧言葉でマイペースに繰り返す

私には人間がAI化してゆくように思えてくる。




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心の時代

2023-09-23 09:04:35 | 武久の視線
心の時代と言われて久しいが
心の時代とは宗教、哲学、心理学、生き方、、、いや私は媒体ではないと思う

もっと簡単、単純なこと

結果や成果だけが求められがちな現代だがもっとプロセスを大切にしようとか
物とか便利さ、お金持ちや有名人=偉い人みたいな物質主義がはびこる現代から

もっと気もちや心を大切にしようとか、もっと他人の気もちを思いやってみようとか
現代を心や気もちを意識し生活をしてみる、仕事をしてみる、そんなことなのだと思う。






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みな障害者

2023-09-18 11:17:55 | 武久の視線
ある医師が「老いたらみんな障害者」みたいなことを書いていたと記憶する
確かに加齢と共に機能低下のために出来なくなることは出て来るのだろう

出来たことが出来なくことへの葛藤、そのことは私も経験はしているのだが
加齢と共に出来なくなる言うことは、じわりじわりと辛くなる、、、窮地に立たされる

私の場合はじわりじわりではなく、瞬間的に動けなくなったのだから
私の計り知れない長期に及ぶ窮地や葛藤、絶望感なのだろう

そんなことを考えると
体のケアは勿論のこと、心のケアも大切なものになって来ると私は思います。






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一歩一歩

2023-09-15 08:31:46 | 武久の視線



私は44歳の時、突然脳幹出血に倒れ、危篤を経て四肢麻痺となったのだが
働き盛りから一変して重度障害者に、、、正しく先など見えない暗闇の中に二人いた

危篤状態からの帰還、意識変容期間からの回復、意思の伝達、、、
今、思い返せば二人必死で手探りのような一歩一歩だった気がする

逆に言えばそんな体験があるからこそ、例え先が見えない
困難にぶち当たったとしても一歩一歩進めばなんとかなる、と思えるのだろう。



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看護や介護と老病死

2023-09-03 11:04:33 | 武久の視線


人間の一生の中で避けられぬものとして挙げられる老病死
ある程度の年齢になれば誰しも考えたことがあるのだろう
人並みに私も働いていた頃、ぼやーとは考えたことがある

老、、、渓流釣りが好きだから里山の川の近くで老後を過ごしたい
病、、、親父の家系は脳卒中、おふくろの家系は癌だったよなぁ~
死、、、枕元には妻がいて欲しい、、、そんなことを考えていた

そこには看護や介護を受けることなど眼中に無かった
いや看護や介護と無関係だった人なら誰でもそうなのだろう
しかし殆どの人は老いて病気になり看護や介護を受けてから死を迎える

老病死には看護や介護を受ける(人の世話になる)ことがつきものであると言う認識が必要

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