武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

人間性

2015-04-28 10:51:14 | 武久の視線

福祉従事者にしかり、医療従事者にしかり、障害者にしかり、万人にしかり、、、全ての人は、その人の人間性なのだと思う



知識とか専門性とか方法論をいくら教えても学んでも、それを行う人の人間性が幼稚なものでは意味がない
受け身もとれないのに技を覚えようとする柔道選手みたいに、必ずのちにケガをする


僕が言う幼稚な人間性とは、、、


自分の立場が悪くなったり、自分が不利になったり、自分の思うとおりにいかない状態や状況になると、周りや他人や何かのせいにする人
ぼく悪くないもん、あたしは悪くない、あんたが、○○が悪い、~~が悪いからこうなった、と自己責任から逃れる人間性


僕が脳幹出血に倒れたのも、血圧が高くなる生活をしていた自分のせいだと思っている
自分に起こる好い事も、悪い事も、全てのことは自分が招いたものだと思っている


僕の思っていることは極論すぎるのだろうが、、、
最近、在宅介護生活を送っている環境の中で「なんだかんだ言っても、その人の人間性だよなぁ」と思わされる


その人の人間性は、その人の幼き頃からの体験や経験や、生きていることから学ぶもの



その人間性は変わらないし、変えられない
人間性とは、、、その人の人生そのものなのだから




大切なのは人間性をみぬく力、人間性をみがくこと、知識や研修会などの方法論は二の次なのだ



いくらも残ってないだろう人生を僕は、人間性の合う、つまりは馬が合う人との人づきあいを大切にして生きたいと思う。




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成功体験

2015-04-15 16:03:33 | 武久の視線
現社会の風潮として、小さい頃からの夢をかなえた人が偉い人、凄い人みたいな見かたをされている
別に難くせをつける気はないのだが、ほとんどの人は小さい頃に抱いた夢をかなえる人はいない

大人ならそんな事実はみんな知っている


それなのに子どもたちにはあたかも頑張れば必ず夢は叶うみたいな事を言う
しかし頑張っても、頑張っても、能力や環境や運や経済的な要因、、、さまざまな条件で子どもたちの夢は叶わない


なぜ?こんな事を書いたのかと言えば、、、脳卒中や脳梗塞からのリハビリ、機能回復
当事者なら誰しも、もとどおりとは言わなくても、機能回復はしたい


しかし、病院から退院して在宅生活になると、リハビリ環境の地域差(訪問リハビリが無かったり、通えるリハビリ施設が無かったり)や
機能回復の個人差などがあり、頑張れば、、、の問題ではなくなる


でもこれまた、某野球有名人の「闘うリハビリ」や奇跡的な機能回復、アンビリバポーな機能回復だけがもてはやされる
僕の場合は四肢麻痺になって十数年、しゃべれるようになったりはしたものの、運動機能は大して変化はない


それを嘆くほどの希望や願望は僕にはないが
リハビリの中でも、機能回復の中でも、成功体験ばかりがもてはやされ注目をあびている


そんな現状に居たたまれない感情を抱く当事者は多いはず。







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在宅生活

2015-04-13 12:46:49 | 武久の視線
介護度5、全介助の僕、僕を介護する妻
訪問入浴と訪問リハビリなどの訪問介護サービスを利用して在宅介護生活をしている


妻は、僕の歯みがきから排便にいたるまで僕の介護をしながら、自家用の畑仕事をしている
僕はベッド上でパソコン、、、それが僕らの日常生活だ


働き盛りの普通の暮らしから、一変してこの介護生活
色んな葛藤の末、十数年かけて落ちついた二人の、今の在宅介護生活


生活パターン、生活スピード、価値観など、僕ら夫婦特有のものになっている
それを主張する気はないのだが、支援する側の感覚を押付けら困ってしまう事も少なくない


たとえば、テンションや世間話しメインのコミュニケーションやら、違和感を感じる部分も多い
明るく元気に、、、じゃなくていい、普通でいい、普通のテンションで僕らはいい。

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強迫観念?

2015-04-07 10:44:43 | 武久の視線
前記事の追記みたいになるのだが、、、
こと障害者に関して言えば、障害者のなかまづくり、地域社会と障害者のかかわり、などなど前向き事と評価される傾向にある


僕も福祉学習なんかで地域とのかかわりもあり、昔からのバンドなかまと詩の朗読で絡んだりはしているが
それは僕がやりたいからやっている事で、地域とのとか、なかまづくりなどを意識したものではない


ただ支援すする側から声高らかに「障害者と地域とのかかわり」とか「障害者同士のなかまづくり」とか言われると
障害者は地域とかかわらなければいけないのかな? 障害者は障害者のなかまをつくらなくちゃいけないのかな? と思う人もいるはず



地域とかかわりを持っている僕、だが僕には障害者なかまはいない


中途障害者特有の被害者意識が嫌いだ、障害者の権利、障害者と言う保護される立場をふりかざし強くなったり
世間に見下された、無視されたとか、かわいそうだと言われたとか凹んで弱者にひたったり、、、そんななかまは僕は要らない


地域とかかわるも、なかまをつくるのもその人の自由 そんな健常者にとってはあたり前の事が
支援を受ける障害者にとっては通用せず、なぜ、さも重要なポイントだとして上げられるのだろうか?。








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みな同じ!

2015-04-04 11:28:22 | 武久の視線
高齢者に尊厳を、、、障害者のなかまづくり、、、利用者のニーズ、QOL、、、
地域とお年寄りのつながり、障害者と社会とのつながり、、、などなど44歳で支援を受ける身となり頻繁に聞くこととなる


しかし、僕は思う


支援する側の人も、生きがいや、なかま、社会とのつながりや、個人の尊厳などがなければ生きにくい生活になるだろうし
支援する人たちが、あたかも支援のポイントみたいに語っていることって老若男女、世界中の人、みんなに対して大切な事なのだと思う


なぜ?それらを支援を受ける側へ、さも重要なポイントだ、みたいに考えているのだろう
それらって、僕は支援される側にとっても、支援する側にとっても、支援とは無関係な人にとっても


人にとって大事なポイントなのだと思う
支援を受ける側だから大切なのじゃない、人が暮らしていくのに、みんなに大切な事なのだと思う


  支援を受ける側も人、支援する側も人、同じ人、特別な人では決してない! 

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特別意識

2015-04-02 12:28:06 | 武久の視線
障害者は大変、介護生活は大変、障害者には世間が冷たい、在宅介護は世間から取り残され世界、、、
などなどと発信する当事者は多い、確かに障害者も在宅介護生活も、生きづらい生活なのは間違いないのだろう


僕ら夫婦だから言えるのかも知れない、(あなたたちは恵まれているのよ)と思われるのかも知れない、だけど僕らは思う


みんな生活していれば大なり小なりの生きにくさや大変さをを抱えて生きている
比べるのは好まないが、、、ガンのターミナル期の方も、小児病棟で不治の病と闘っている子らも、、、そんな人たちもいる事も事実



人生半ばまで五体満足で生きて来た、人生半ばまでは普通の生活をしていた
今こうゆう生活、体になったからと言って、誰をうらむわけでもないし何かにぶつけたい気持ちもない



生活していく誰もが大変、嫌な人間関係で仕事を続けなければならないのも大変、シングルマザーで仕事し子育てするのだって大変
誰からも認められなくても、誉められなくても食うためは働かなければならない人も大変、、、大変はいっぱいある



僕らだけが、特別に大変なのだとは思わない
大変な生活、大変な障害、惨めな生活、惨めな障害者、、、などの特別意識で自分らの首をしめたくない





僕らは特別に大変なわけではない、それもまたノーマライゼーションなのだと思う!


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