武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

終わり良ければ総て良し

2023-12-31 09:50:39 | 武久の視線

 

人生、終わり良ければ総て良し

 

僕の昏睡状態の経験から

耳の機能は最後まで残っており救急治療室での医師と看護師との会話は聞こえていました

 

身内や知人などを看取る、見送る時

その人との楽しかった思い出をいっぱい話してあげて下さい

 

きっとその人の人生は総て良し、となることでしょう

 


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空気を読む

2023-12-29 09:22:02 | 武久の視線

病院や施設などは

医療従事者や介護従事者にとっては仕事の場

一方、患者や利用者にとっては生活の場、生活となれば

 

患者や利用者は機嫌のいい日もあれば不機嫌な日も

話したい日もあれば話したくない日もあってあたり前

 

訪問サービスとて同じこと

訪問サービスとは利用者の日常生活の一部分となっているもの

 

現代の表現に「空気を読む」と言う表現がある

スタッフの一方的なハイテンションを僕は不快に感じる日もある

 

ペーシングと言うか心づかいと言おうか

その家や利用者の空気を読むのも訪問サービスにとっては大切なスキルに思う

 

 


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つれづれに、、、

2023-12-27 08:42:35 | 武久の視線

44歳で倒れ四肢麻痺となり64歳、、、

健常者だった頃の自分と比べることや懐かしむことはいつしかなくなった

 

僕は「障害は個性」と言える域まではいってはいない、否いく気もない

でもこの動けない、動かない体を勘弁してあげようとは思えるようにはなった

 

僕の虚ろでぐしゃぐしゃな時の心もを支えてくれ愛おしいと思える瞬間さえある

とにかくこの四肢麻痺の僕と、持病をもちながらも介護する妻と共にゆけるところまで。。。

 


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捨てる

2023-12-25 11:35:51 | 武久の視線

誰かのために、何かのために役に立ちたい、を捨てる

今までの僕は誰かの、何かのために役に立ちたいと発信して来た

 

しかし、役に立ちたいと思ったからと言って

他人の役に立てるはずはなく、役に立ったと感じるのは受けた人の感情なのだ

 

~~のためには、結局そんな生き方をしたい自分のため

~~のために、を捨てることで気負いがない身の丈の発信ができるようになる

 

 


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究極の傾聴

2023-12-24 09:21:40 | 武久の視線

その人の心の声を聞くとは

相手の気もちを想像する、考える、感じとる、思いやる、、、

 

究極の傾聴なのかも知れない            ぶく


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言葉の裏にあるもの

2023-12-23 15:56:32 | 武久の視線

 

 

介護など他人のお世話になっていると

「いつもありがとう」とか「助かります」とかの感謝の意を表す言葉を多用する

 

その言葉には有難いと言う気もちは確かにある、がしかし

裏には「自分では出来ない」不甲斐なさや情けなさ、虚しさなどの気もちも存在する

 

 


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武久塾

2023-12-23 09:17:13 | 武久の視線

そのブームは地域的なものか、全国的だったのかは知らないけれど

僕が四肢麻痺からやっと前向きになれた頃、NPO法人ブームがあった

 

ベッドの上にいても社会参加がしたい、、、

 

スライディングシートの販売や、地域福祉学習活動などの内容で

NPO法人「武久塾」を設立した、勿論、素人考えで稼働するわけもなく消滅したが

 

優しい未来のために、、、が理念だった武久塾の名前だけがSNSに残っていた

 

しかし、塾長と言うむず痒さ

身の丈に合わない後ろめたさ,加歳による気力低下などから武久塾の名を下しました。


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上下関係

2023-12-21 09:38:42 | 武久の視線
専門職の中で熱く語られている医療や介護福祉
しかし、それらの受け手の患者や利用者は当然、まるっきり素人

専門と素人を繋ぐものなど何もない
専門の立場、素人の立場、分かり合えぬままに進んでゆく

そこには治す者と治してもらう者
お世話する者とお世話してもらう者、絶対的上下関係は存在する

がしかし、専門外として、人として、人生経験、人徳など
人と人との関りとして、その関係に上下や優劣なぞは存在しない筈




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感じるスキル、思いやる心

2023-12-19 11:17:57 | 武久の視線
ある医師の自分が患者となったからこそ見えた、感じたことがある
そんなことを書いたものを目にした、つくづく私自身のことからも実感している

人は、自分がその立場にならないと分からなくて当然

がしかし、ケア職ならばその人を分かってあげようとする心や
その人を感じるスキルなどが大切になって来るのだろうと思う

「お前に俺の気もちが分かるかよ」

「はい正直わかりません、だけど〇〇さん
私はあなたの気もちを分かりたいし、あなたの気もちに寄り添いたいとも思います」






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奉る

2023-12-16 09:47:55 | 武久の視線


尊厳、〇〇様、□□本位、その人らしさ、、、、
患者や利用者を奉るかのような表現は沢山ある

裏を返せば理想とは逆の現場、現実、意識などが多いのだろう
その現場、現実、意識などを導くためにも奉る表現になるのだろうが

しかし、当事者である私は思う
患者や利用者は奉られなくとも特別視されなくとも普通の人として接して欲しいのだと

認知症であれ重度障害者であれ重病患者であれ、、、
その人はあなたと同じ感情を持つ人

あなたがされて嫌なことは、その人も嫌だろうし
あなたがしてもらって嬉しいことは、その人も嬉しいだろうし

奉らなくとも特別扱いされなくとも、普通の人として接して欲しいのだろう。




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