武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

低ステイタス

2016-02-24 11:04:44 | 武久の視線
雇用関係や、内情、詳しいことは当事者しか分かるはずもないのだが、、、
僕がこの身体となって関わるようになった、介護保険従事者


世間では保育士さんにせよ、介護士さんにせよ、一生のうちほとんどの人がお世話になる業種
なのに人手不足や、低賃金など、、、社会的ステイタスの低さに僕は憤りをおぼえる


介護保険従事者と関わって、僕が感じたことは「人の人生の最終章と関わる貴重な職業」だと言うこと


今、現役でバリバリ働いている人でも、定年後、シニア世代を満喫している人でも
研究者も教授も、議員さんもお医者さんも、人は誰でも必ず老いる、必ずや介護を受ける


介護する人も、介護制度を創る人も、少なくとも介護保険と関わっている人ぐらいは


「介護は他人のためにあらず」いづれ巡り巡って、自分が介護を受ける時が必ずやって来る


働いていた頃の僕は、「他人の世話になってまで長生きしたかねぇや」「今を楽しむのが人生さ」
介護保険は給料天引きのこずかい減らし、福祉とか介護とかにまったく無興味、無関心な人種、そんな僕だったから言いたい!



(写真 介護ライター 野田明宏)

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思い込みアセスメント

2016-02-17 10:56:07 | 武久の視線
介護保険の介護サービスを十数年利用していると
支援者側の理想像と言うか、思い込みや決めつけみたいなことを多々経験する、思い出せる例を書いてみたい


訪問リハビリを始めた頃、OTさんから
「食事場面訓練してゆきます、外出した時や日常場面でも一人で食べれるようになりましょう」

それに対して僕は
「僕、意思伝達装置より、普通のPCを使えるようになりたいんです、マウスが使える訓練がしたいてす」


デイサービスに通い始めた頃、相談員さんから
「武久さんも早くみなさんと街に買い物に出られるようになりましょう」

それに対して僕は
「いやいや僕は、四肢麻痺の僕でもパワーリハビリが出来ると言うのでここに来たので、買い物目的では、、、」


数年、関わりのあるケアマネさんに最近
「武久さんも電動車いすで自由に動けたらいいと思うので、そういうプランも、、、」

それに対しては妻が
「この人は電動車いすに乗ると、衝動的に防波堤から身を投げたり、、、自死行為をするかもしれないと自分では、、、」
帰りしな玄関ですすり泣くケアマネさんに妻が「どうしたの?」
ケアマネさん「あんな前向きで、普段は明るい武久さんが、そんなこと思っていたなんて、、、」


いつ、どこでは覚えていないけれど
「武久さんも障害者の仲まが欲しいですよね」

それに対して僕は
「友だちや仲まは健常者、障害者にかかわらず、誰でも自分とうまが合う人となるんじゃないのかな?」




ケアプランニング時の思い込み、こうしたらその人は幸せなはず、楽しいはず、嬉しいはず
業者からのまた聞きなど、本人が会話能力があるにも関わらず、本人不在のアセスメント


介護が必要な高齢者のため介護保険なのは分っているが
意思疎通の出来る高齢者、第二被保険者などの利用者くらいとは話し合ってプランを組み立てていって欲しい、と僕は思う。



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穏やか

2016-02-10 12:39:46 | 武久の視線
僕が介護保険の介護サービス(デイサービスや訪問入浴など)に感じた共通点は 明るく元気よく みたいな風潮だ
デイサービスでの体操、レクレーションなどなど、訪問入浴スタッフのテンション、、、悪気があるのではないことは分っている

幼稚園などの施設なら明るく 楽しく 元気に みんないっしょに、、、みたいな雰囲気なのは納得する
しかし、介護保険を利用しているのは高齢者、明るく元気にと言われても気持ちも体もついてゆかない

50代の僕から見てもハイテェンションに映っているのに、高齢者の方の目にはどの様に映ってるのだろう?

デイサービスでのレクレーションで はやしたてられる高齢者
その家の雰囲気とは関係なしに明るく元気にやって来る訪問入浴、、、


明るく元気にを否定してるのではない


 介護サービスはイベントではない、利用者の生活の一場面なのだ 


僕は、介護サービスを受ける時間 明るく楽しく元気にじゃなくていい
穏やかな時間を過ごせたら、それでいい、穏やかな時間、それがいい。。。





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ユーザー

2016-02-04 11:35:25 | 武久の視線
医療サービス、介護サービスなどと言われて久しい
医療も介護も、世間の一般のサービス業とは逸するものとなるのかも知れない


患者様、利用者様、様をつけるのはおかしいなどの賛否、、、表す言葉そんな事はどうでもいいのだと思う
大切なのは中身、これらの業界ほどユーザーの声がモニタリングされぬサービスはないと思う


せいぜいあっても待合室や、施設に「意見箱」的なものが設置してあるだけ


専門職だけの学会、勉強会、研修会などはひっきりなし開かれているのに、
患者、利用者、家族などのサービスユーザーの意見などをモニタリング、リスニングする会などは皆無に等しい


確かに、スキルアップとか、知識とか、技法とかなどは大切なもの
しかし、そのスキルを、技法を受けるのはユーザーなのである


ユーザーの声も聞かぬサービスなら、サービス提供側の自己満足的なものになるのではなかろうか?

日本の高度成長期築き上げた団塊の世代が、これらのサービスのユーザーとなる時代が訪れたなら

支援する、弱い立場の人を支援する、そんな上から目線のサービスはこれからの時代、通用しない
共生、共に歩く、共に感じ共に生きる、そんな共生思考のサービスしか生き残れないと   
 僕は思う。





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