武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

新しい車いす

2018-10-28 09:13:10 | 武久の視線
重度障害者、身障者手帳1級、介護度5
介護保険第二被保険者これが私の肩書である

在宅生活を始めた私の車いすは介護保険枠の
介護用品リースのものを使用していた
ところが愛用していた車いすが
製造中止となり現品しかなくなる、との話だった

座面サイズや強度的なものからして
代わりとなるものはなかなか見つからない
リース会社や療法士さんなどと対策を考えていた
そんな最中、脊損の知人が来てくれ相談の中に加わった
そんな彼の意見として
「武久さん、借りるのじゃなくて自分の作っちゃえよ」
「えっ、そんなこと出来るの?」そんな会話から始まった

介護保険枠と障害者枠との併用、考えもしなかったし
ケアプランを立てているケアマネさんでも詳しくはなかった
とりあえず身障手帳で体位保持車いすを申請してみた
結果は、この春に手帳で身体に合う車いすを作ってもらった
アメリカ製の車いすが基体なので
座面サイズ的にも余裕があるし、しかも
費用の方も助成金や制度的なもので殆どかからなかった

この記事で一番強調したいところは
みんな(介護保険従事者も)意外に知らない、詳しくない
介護保険と障害者制度の併用である

介護保険従事者がこの部分を知ることによって
より質の高いケアを受けられる利用者は多くいると思う。




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忘れられない看護師さん

2018-10-24 11:48:19 | 武久の視線

妻はデブの私と比べれは超小柄で何ごとにも懸命な性格
入院生活の頃から、今の在宅生活までもそうなのだが、、、

入院していた頃、院内の人たちに
「武久さん、奥さんに感謝だね」
「武久さん、奥さんに感謝しなくちゃだめよ」
在宅生活の今も度々言われる

別に否定することでもないので、愛想笑いしながら
「そうっすよねぇ」、、、と私
がしかし、内心では大きなお世話なのである

してもらっているのは私、感謝をしていない筈もなし
いや、感謝以上に言葉などに出来ないものを感じている

ある日の病院内、同い年くらいの看護婦さん
「武久さんの奥さんは一生懸命ねぇ」
「はい、どうも」(出た出た、感謝しろってかぁ~)

しかし、次の言葉に驚きと救われた気もち!
「だけどね武久さん、武久さんが元気な頃、奥さんに
一生懸命だったから、奥さんも武久さんに一生懸命なのよ」

未だかつてこう言ってくれた人はいない
本質を突く感性が鋭く、苦労人だった方なのだと思う
私のモヤモヤの気もちを
一瞬にして晴らしてくれた対話だった

私が今でも名前を憶えている人
感謝すべき、唯一の病院時代の看護師さんだ。

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忘れじの作業療法士さん

2018-10-19 09:53:02 | 武久の視線

地元の病院に転院した
当然お見舞いに来てくれる方は増える
倒れた頃に勤めていた工場のみんなも顔を見に来てくれていた

私は製造ラインの一つの班、10数名の班長をしていた
その班員の数名が訪ねて来てくれ
笑いながら仕事、趣味などの話題を懐かしく語り合った

時間の経過は忘れたが
彼らが帰った後も働いていた頃を思い出していた
それは病室でおこなうリハビリの時間だった

リハビリの時間になるのに涙が止まらなかった
天井を見つめ、働いていた頃の思い出や後悔、喪失感、不安、絶望感、、、

想いが決壊したかのように泣きじゃくった
担当のOTさんは何も聞かずに「うん、うん」と言いながら
タオルで私の涙をぬぐいながら手を握っていてくれた

そんな空間がリハビリ時間を終始流れた
「じゃあ武久さん、また来ますね」
「今日はありがとうね、次回はちゃんとするね」

療法士としての是非は私には分からないが
私の胸には強烈に残った作業療法士さんでした。




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忘れじの看護師さん

2018-10-13 08:17:41 | 武久の視線
忘れじの看護師さん①

私は脳幹出血に倒れ意識不明のまま救急搬送された
集中治療室には一週間ほどいたらしい

その後、個室へと移されたそうです
この頃の症状とすれば、体の動く箇所と言えばマブタのみ
気道確保のパイプみたいなものをくわえ勿論、声は出ない

現実なのか?夢なのか?判断できない混濁の中にいた
体は動かないけれど足がたまらなく痛かったことを覚えている
とにかく昼夜の判断もつかないほどに無性に眠かった
薄目を開けることがやっとの私は目が覚めても
今が夜なのか?昼なのか?も分からなかった

動かず、声も出なく、いつも眠っているように見える
傍から見たら私は、俗に言う植物人間状態に見えていた、と思う

そんな私に対して
朝、カーテンを引きに来る看護師さんの一人に
「武久さーん、おはようございます、今日は〇月〇日、天気は、、、」
と語りかけてくれる看護師さんがいた、私はとても嬉しかった!

数か月後、地元病院に転院できる体力が回復した私は
文字盤を目で追うコミュニケーションで、その人にお礼を告げ
4.5時間の道のりを友の車で地元に帰りました。




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