武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

基本部分

2018-07-31 08:26:47 | 武久の視線
重度認知症であれ
重度障害者であれ
老いて寝たきりになっていても
たとえその患者さんと意思疎通が出来なくとも

生きている人には、あなたと同じように
「命」と「人権」とがあることを

命と人と関わる仕事をしている
医療従事者の全ての人が
基本部分として認知しておくべきに思います




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還暦

2018-07-27 10:12:25 | 武久の視線
私も還暦が目の前になった
44歳で脳幹出血に倒れ四肢麻痺になり15年

結婚生活の健常者年数と
四肢麻痺になってからとが同じ年数になった

四肢麻痺になりたての頃は、おぼろげに
もう10年生きれたら御の字だな、とか思ってた

それが、色々あったような
「あっ」という間だったような15年

辛くないと言えば嘘になるけれど
なにはともあれ老いれると言うことは有難いことに思う

倒れそのまま逝ってもおかしくない脳幹出血
小児病棟で痛ましくも病に屈してしまう子
事故や病などで人生途中で無念にも逝ってしまう方

老いれる、ということは
嘆いたり、拒否否定するものではなく

感謝したり、めでたいことに私らは思う
ちなみに家内と私とは同い年である。



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命、死など

2018-07-08 11:12:20 | 武久の視線
死を考えることは生きることを考えること
人はいつ命を失うかもしれない、だから今日を大切に生きよう、、とかとか


確かに人にとって命とか死は大切なもの


しかしながら
普通に生きている、生活をしている人は不安や恐怖心などから
死ぬことや命のことなど真剣には考えたくない、という人が大半なのだろう

身になってみる、想像してみる、体験してみる、とかしても
その立場になってみないと分からないのが人

死の話しとか、命の話しの落とし込みたいところは何なのだろう?
つまりは「感謝して生きる」とか「今を一生懸命に生きる」とか
その人の心の部分へのアプローチなのだろう

そこに導きたいのに私は命とか死を媒体は使いたくない
死とか命とかは本人、伴侶、家族にとって計り知れないものなのだから
私はいたずら引き合いに出したくはない

人の心に働きかける方法や媒体はいくらでもあるのだから、、、。




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