武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

障害者

2020-08-31 15:08:09 | 武久の視線

同じ障害者でも、私は車の運転は出来ない
同じ障害者でも、私はスポーツは出来ない
同じ障害者でも、私は自分でトイレは出来ない、、、


同じ障害者でも、私はパソコン操作が出来る
同じ障害者でも、私は何処も痛くはない
同じ障害者でも、私は会話が出来る、、、


私は和せず同せず


障害者を一色単にしてはいけない
車いすが通行しやすい街がバリアフリーの街ではない。



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認知症

2020-08-26 09:34:17 | 武久の視線

世間で認知症と言えばダークなイメージと言っていい
徘徊や乱暴など、確かに問題になる場面は多いのだろう

でも認知症の主な不安と恐怖は、忘れてしまう事とされている
夫婦などでも伴侶の名前も顔、誰さえも分からなくなってしまう

自分の事すら分からなくなる、とても不幸なこと、、、否、私はそうは思わない
例えば自分、自分ら夫婦に当てはめて考えると

妻や私がたとえ認知症になったとしても
二人の思い出も、生きて来た人生も、別に何も変わらないのだ

ただ老いて認知症になったと言うだけで
その人の人生や生きざまなどは何も変わらないのである

赤子の記憶がある人はいない

私が思う認知症、、、
ただ、そこには赤ちゃん帰りした、その人が居るだけなのだ

赤ちゃんも認知症の人も愛される存在なのだ。


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たれ流し

2020-08-24 11:24:39 | 武久の視線
感動ポルノがどうのこうの
〇〇テレビの企画はどうのと言う気はない

しかし、感動とか美談とかは
その話の本質を見えなくしてしまうところは確かにある

その話題の中の本人たちの
本当に困っていることや、必要な支援とかはそっちのけで
ただただ、お涙ちょうだい的な感動や美談としてまとめられてしまう

それは一時的な感動感情にはなっても
問題意識として視聴者などには残らないだろう

感動が悪いとは言わない、ただ今の世の中は
その時だけの感動や感謝などのタレ流し社会のように私には思える。

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介護

2020-08-22 10:36:54 | 武久の視線


私は四肢麻痺で妻の介護で在宅生活をしている
訪問入浴とか訪問リハピリとかの介護保険サービスを利用している

介護保険の第二被保険者に該当する私は40代からの介護保険だった
そもそも介護保険は高齢者の為に出来た社会保険制度

利用する施設やサービスは勿論、高齢者向けのサービス
その中での中途障害者の位置、居場所とかとか、、、

その点に、どうのこうの言う気力は年齢と共に失せました

私は介護を受ける身の心理、中途障害の視線みたいなことは語れますが
高齢者介護のことについては語れませんし、素人そのものです

ただ、私の体験し感じた高齢者介護とは、介護側の自己満足の世界でした。




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なぜ楽しさなの?

2020-08-17 11:33:52 | 武久の視線
「なぜ?そんなに楽しさの追求なの?」

医療、介護、福祉従事者などの分野で
なぜ?そんなに楽しさに拘るのだろうか?

老いや障害などハンデキャップを持ちながら生きている
と言うことは、そんなに楽しみや面白さなどには興味は持てない

楽しさや面白さ、そんなものより
充実感や生きがい、喜びなどを求めている

然るに、追求するのは楽しさや面白さではなく
生きがいや喜び、充実感などを感じられるものへと
考え方をシフトするべきなのではなかろうか。




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楽しさの消失

2020-08-16 08:56:01 | 武久の視線


昨夜、終戦記念日の特番を観て
幼い頃に空襲で片足を失った女性が話した一節に強く共感をした

「6才で片足を失ってから、現在まで(楽しい)と思った時は
一度もありません、嬉しいとか思ったことはありますが、、、」そんな内容だった

私も受傷してから(楽しい、面白い)と感じたことは一度もない
確かに嬉しいとか喜びは感じる時はあるのだけれど、、、

支援職の人たちに理解してもらいたいのは
患者や利用者などの中には(楽しい)と感じられなくなった人はいること

そして、リクレーションとかイベントなどで楽しさを強要れても
それは楽しさを消失した人たちには苦痛であること

職員、スタッフ主催側だけが盛り上がる光景を私は沢山目にした
楽しさ面白さを支援側、主催側の自己満足に終わらせてはいけない






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