武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

誰のもの?

2017-02-28 14:15:10 | 武久の視線
誰のもの?とは立場で違って来るのかも知れないが、、、
ベッドの上にて考えることは、あれ?誰のためのものだったのだろう?と言う事!

国民のための政治が、国会議員さんのための政治になってたり
子どもたちのための学校が、教育者のための学校になってたり

介護を必要とする人のための介護、自立支援などが
介護従事者のためのものになっていたり

患者のための医療が、医師のための医療になってたり


いったい誰のために創られたのだろう?
と思い考えさせられることが多い、、、




でもそこに噛みつくほど野暮ではない、、、が
「誰のもの?」の主になるべき「誰」が

それらの議論、研究、政策、、、などから
蚊帳の外に置かれる場合が殆んどとなると異議を唱えたくなる僕である

多職種連携や地域包括、地域連携などの中に
市民、住民、異業種、、、などとの関わり合いはあっても



 患者や当事者、その家族などとコミュニケーションをとる場面はあるのだろうか? 。




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メッセージ発信

2017-02-14 11:32:36 | 武久の視線
新たな発信の形としてのメッセージ発信
ここ2つ続いたメッセージでのイベント参加

このメッセージは、イベント会場のスクリーンに
僕の写真と共に、映し出されたみたいだった

イベント名「自立支援は誰のため?」
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普通、人は大事、些細な事にせよ選択しながら生きている
どんな仕事を選ぶのか? お昼なにを食べようか?

介護される身になると選択肢は極、限られてくる
しかし、その少ない選択肢の中からも

「自分らしく」生きていたいと思いを募らせる
しかしながら、介護保険、介護サービスの中で

選択する主役、主観は、支援する側である場合が断然多い
人は老いても、介護される身になっても

自分の人生、自分らしく生きていたい
自立支援も介護保険も、その人が自分らしく、自分の人生を送るためのもの


その人の人生、人権を守るためにあるもの!、であって欲しいと僕は思います




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僕が思う「65歳の壁」

2017-02-07 15:57:21 | 武久の視線
介護保険第二被保険者を体験しているの僕が、懸念する65歳の壁は
サービスの時間、回数、料金とかのハード面より
介護サービスを受ける方の精神面、つまりソフト面だ


障害者総合自立支援法、障害者の自立した生活などへの支援色が強いのだろう

一方、僕が体験している介護保険は
介護を受ける利用者を「お世話する」想いが主流のもの

片や障害者の自立支援、片や高齢者のお世話的支援
介護への意識の差や、接し方の差があってあたり前にも思う


しかし制度上、65を堺に障害者総合自立支援法から介護保険へ
介護を受ける側、介護を提供する側、両者にとって大変な事だと思います



65歳の壁にせよ、団塊の世代の後期高齢化にせよ
これからの利用者は 羞恥心やプライドなどを主張すると予測します

今までのような、遠慮がちな気質の利用者は少なくなる
良くも悪くも自己を主張する利用者が増えて来る

人前での露出、他人からのシモの世話などを恥ずかしいとか
こんなことはしたくない、とか、あの人はキライとか

そうした気持ちを言葉にする人が増える
これをひとえに「わがまま」と押さえつけることは出来なくなる

一番、大切になってくるのは「対話」
その人と話して歩み寄ったり 折り合いをつけ、緩和してゆく

要介護者でも、利用者は あなた(支援する側)と同じ気持ちを持つ普通の人 
利用者本位とか 様とか尊厳とかが欲ししい訳ではない


ただ「普通の一人の人として 関わって欲しい」のだと思います。

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