武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

単純な疑問?

2017-03-26 10:49:39 | 武久の視線
困らないと必要を感じないのが、普通の人
満腹の人に料理の話ししても、、、的なものがあります 


各地域で行われている地域包括や、それに伴う連携など
専門職だけの形から、市民なども巻き込み共生地域などを目指す動きも出はじめた


しかし、一般の市民が福祉とか在宅医療、介護などに進んで興味を持つとは
44歳まで一般市民だった僕には思えない




常々、僕が疑問に思うのは、一般市民も参加するのなら
なぜケアを受ける当人や、介護家族が同じテーブルに着けないのだろう


市の広報や、何らかの告知はしてあても
月に1回は訪れるケアマネからも、毎週来る訪問サービススタッフからも
そんな話題は一度も聞いたことはない


当事者や介護家族は、被害者意識が強く 
対話に時間がかかるかもしれない 
訳の分からないこと言うかもしれない 
苦情にしか聞こえないかも知れない、、、


ケア、支援側には色んな思いがあるのかも知れませんが 
ここをクリアしていかないと 


老いても、病気になっても、介護される身になっても
自分らしく、人権のある人らしく暮していける地域にはならないだろう  
                      と僕は思う。



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主点

2017-03-15 11:19:33 | 武久の視線
在宅医療や介護保険などの専門職の中で、制度や方法、連携や役わり、、、
さまざまな角度からケアが議論されている

さまざまな職種や立場で、色々な意見やコミュニケーションなどで連携を深めてゆく
ケア対象の患者、利用者、当事者にとっては、あがたいことなのだろう


しかしながら、そこにはブレてはならない主点があると思う
その主点とは
 「その人が、その人らしい老病死を選択してゆけること」 なんだと、僕は思っている


ケアの中で語られる「その人らしさ」はケア側で創り上げたものが多い 


本当の意味の「その人らしさ」を知るためにも
本人、その家族とのコミュニケーションをとらない限り
本物の「その人らしさ」は見える筈もない


立場の意見の言い合いより
互いを認め合える、おりあいをつけられる対話を
                  優しい未来がおとずれるために、、、



(撮影 介護フォトライター 野田明宏)

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