武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

告知

2024-04-30 09:00:01 | 武久の視線

僕は後遺症で四肢麻痺となり「固定」と告知を受け止む無く退院

僕の身近な人は還暦過ぎに「パーキンソン病」だと告知を受けた

僕の知人の同い年の著名人は「白血病」だと告知を受けた

僕の叔母と従妹は「認知病」ですと告知を受けた

告知を受けた人の殆どの人は

「どうして僕が、、、」「なぜに私なの、、、」そんな被害者意識が湧く

告知をする→患者は受け止めきれずに絶望感を抱く

告知してからのフォローとかは現代医療に確立されたものがあるのだろうか?

 

 

 

 


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在宅〇〇

2024-04-29 11:32:27 | 武久の視線

在宅医、訪問看護、在宅介護サービス、、、

在宅と言うもの、患者や利用者の生活の場に入ること

患者や利用者の生活の一部分だと言うこと

そこに信頼関係が創られてゆき、名実ともに「寄り添う〇〇」が完成する

しかしそれは、世間話や雑談だけでは創れない

そこには、対話をする意識とスキルがなくては信頼関係は築けない

 


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喪失感ケア

2024-04-28 11:05:24 | 武久の視線

病院内における喪失感ケアの必要性

入院を強いられる大病などになり生まれる喪失感

入院を強いられると言うことは日常生活を失うこと

社会人としての喪失

先々に予定していた仕事や将来の夢なども失う、諦める

人としての喪失

一人の社会人としての役割や付き合いなど、家族に対しての関り

病気や障害などにより生じる喪失感

そして、その喪失感は絶望感となり患者の心を蝕み痛めつける

入院中、病気の治療や体のケアなどは進んでゆくが

しかし、患者の喪失感は本人任せで乗り切るしかない現状

いつまでこんな体と心を分離している医療は続くのだろうか

 


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寄り添う〇〇

2024-04-25 09:37:49 | 武久の視線

医療や福祉分野でよく耳にする「寄り添う〇〇」

それってあくまでもケア側の一方的な想いであって

本当の意味での「寄り添う〇〇」ってものは

患者や利用者との信頼関係が出来ていなければ寄り添うことなどは出来ない


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全人的医療

2024-04-23 10:03:41 | 武久の視線

全人的医療と難しく言わなくとも

小学生でも、人間は体と心とで出来ていることぐらいは理解するだろう

だが僕らが度々、医療に感じる事務的な冷たさ

最近、医師より告知を受けるような大病を患った知人の話では

治療は進んでいっても、心の痛み(絶望感や喪失感、不安)などは患者任せ

スタッフによる心の痛みに関するような気づかい声かけはなし

ただ病気の治癒やケアがたんたんと進んでゆき、患者の心は置き去りの医療

普段は事務的に癌告知していた医師が、自分が癌になり

自分が癌になり気づかされたこととかを出版するのは多く目にする

 

 

 


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受容

2024-04-18 09:04:22 | 武久の視線

人は自分にとって

不利なことや嫌なことは受け入れようとはしない

それが選択すら出来ない現実ならば

自分と対話をして折り合いをつけ自分の中へと落とし込み

それを受け入れることは出来なくとも

それをしっかりと受け止めて生きてゆかなければならない

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

とは、今朝投稿のつぶやき詩だが

専門職がよく使う「受容」と言う言葉、当事者や患者は受け入れている訳ではない

生きている人は健常者であれ病人であれ、障害者であれ

受け入れがたい現実であっても、致し方のないその現実を受け止めて生きているのだ

 

 


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二通りの看護師さん

2024-04-14 09:15:33 | 武久の視線

看護師さんって医療寄りの人、介護寄りの人がいると感じる

病院勤務とか訪問看護とかの働いている職場などとは関係なく

バイタルとか薬をつけるとかの医療行為が早いとか

着ているものの着脱や介助が上手いとかではなく

患者や利用者には時折、医療を冷たく感じることがある

医療行為とか問診とか会話などが事務的に感じられる感じることがある

そこにある違いは、相手を気づかう心や言葉があるか?ないか?なのだと思う。

 


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未來のためにも

2024-04-10 10:29:43 | 武久の視線

僕は高齢者となりましたが

当時の生きにくさ居場所のなさなどを忘れたわけではありません 

制度的に介護保険第二被保険者を受け入れているのなら 

介護サービスにもそれなりのマニュアルがあってしかり、、、

しかし僕の第二被保険者の立場はなくなったので

現役第二被保険者の人たちにこの理不尽さを発信続けて欲しいものです、未来のためにも!

 


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体験会

2024-04-05 09:44:36 | 武久の視線

当事者やその家族から出て来るは

要望であったりクレームだったりする

そんな固定観念が専門職側にはある

だから専門職だけで語られるケアだったり支援だったりする

しかし、介護リフト体験会などの話を聞けば

当事者やその家族たちの反応がダイレクトに伝わって来たと言う

この在宅介護の臨場感や生の意見、生の問題点などなどは

専門職同士が何回、会議を重ねたとて得られるものではない

専門職+当事者やその家族が参加するケア体験会

こんな試みが、良質のケアを構築する手助けになるのではなかろうか

国民の声の届かぬ国会ではいけない

当事者やその家族の声が届かないケア業界ではいけない

 


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思い出の曲

2024-04-02 09:34:16 | 武久の視線

僕がまだ病院でまぶたしか動かず夢うつつ状態だった頃

その頃、妻が看病しながら聞いていたシングルCDがあった

 

妻が家に帰っている日など見回り来てくれる看護師さんや介護さん

その中の数人はプレイヤーを回して行ってくれた

 

どんな職業でも、どんな立場でもその人の人柄なのだな、と

今でもその曲を聴くと、病院にいた頃を懐かしく思い出します。

 

 

 


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